第79話 消えない傷
「私にお菓子をすすめきたの、君が初めてかも?」
ホテルの一室にて──
窓の前に腰掛けた葵が、しみじみと呟いた。
テーブルの上には、ポテチやチョコレートとなどのお菓子が並んでいて、葵は、それをつまみながら話を続ける。
「普通は、すすめないよね?」
「まぁ、そうだろうな」
「そうだろうって! 分かってて、すすめてきたわけ!?」
「そうだよ。つーか、食いすぎじゃない?」
「え? そう!?」
「うん。さっきは、吐くかもって言ってたくせに」
「だ、だって! 食べだしたら、止まらないというか……っ」
「まぁ、お菓子って、そういうものだけど」
頬を赤らめた葵は、どこか恥ずかしそうな顔をしていて、さっきとは打って変わった印象に、彩葉はほっと息をついた。
どうやら、黒の息子に対する警戒心が、少しは和らいだらしい。
だが、その後、彩葉は、すぐさま窓の外を見つめた。
佐々木から引き継いだ仕事は、狙われている神木君と、その一家の見張りだった。
といっても、彼らが暮らすマンションは、オートロック式のセキュリティマンション。
しかも、一階には警備員まで常駐しているため、不審な人間は、基本的には入れない。
それに、もう夜の9時だからか、エントランスの周りは、静かなものだった。
神木兄妹弟も、夕方16時46分に双子の妹弟が帰宅し、その後、18時20分に兄も帰宅したと、佐々木のメモには残っていて、その後は、外出をすることなく、今頃は、家族でのんびり団欒でもしていることだろう。
「ねぇ、本当に一晩、こうしてるの?」
すると、また葵が、話しかけてきて
「そう言われただろ」
「でも、他人の家を覗くなんて……っ」
「嫌なら寝てろよ。それに、これは、覗きじゃなくて、見張り」
「見張りって、女の子もいるんだよ? 見知らぬ男たちから、一週間も監視されてたなんて知ったら、絶対、いい顔しないって! それより、直接、あの子達に、教えてあげたほうがいいんじゃないの? 近くに梁沼が潜伏してるから、家から出るなって」
「………」
葵の訴えに、彩葉は目を顰めた。
確かに、直接伝えれば、彼らの身の安全も確保できるし、こちらの仕事も楽になる。
でも──…
「アンタも、さっき言ってただろ。普通に生きたかったって」
「え?」
「俺も同じだよ。普通に生きたかったし、普通に生きられるなら、今からでも、そうしたいと思ってる。でも、どこかで、もう無理だって諦めてる自分もいる」
普通に暮らしたいと言いながら、普通に暮らしている未来の自分が想像できない。
だから、もう無理なのだと、心の奥底では思っていて、それでも、縋り付くように求めてしまう。
「
「え?」
その言葉には、とても強い意志を感じた。
冷静で、冷ややかな雰囲気をまとっていながらも、体の奥は、熱く燃えているかのように──
だが、そこまでいう理由が、葵には分からず……
「な、なんでよ?」
「これ以上、傷を広げたくないだろ」
「傷?」
「俺たちが、相手にしている黒は、一度、罪を犯して、人に消えないトラウマを植え付けた人だちだよ。そして、その時の被害者は、今もずっと、その時の傷を抱えたまま生きてる。何もなかったように笑っていたとしても、一度、心に刻まれた傷というものは、決して消えることはない。だから、何も伝えず、秘密裏に処理する。傷を抱えながら、それでも、前向きに生きてる家族に『10年前の犯人が、またお兄さんを狙ってますよ』なんて伝えたら、その傷を抉り出すようなものだろ」
「……っ」
その話に、葵は深く納得する。
確かに、犯人の名前なんて、二度と聞きたくないだろう。襲われた兄は勿論、その家族だって
「そ、そうだね……っ」
胸が痛むのは、その家族の気持ちが痛いほどわからるからかもしれない。
そして、その気持ちがわかるのもまた、同じような傷を持つ、自分たちだけなのだろう。
「アンタも『家族殺した犯人が出所して、またお菓子を食べにくるよ』って言われたら嫌だろ」
「ぎゃぁあぁあ! ハッキリ言わないでよ!?」
だが、その後、分かりやすくなのか、葵に置き換えた場合の例を出してきて、葵は震えあがった!
「今、私の傷、抉り出したわよ!?」
「アンタがしようとしてたことと、同じことしただけだろ」
「まぁ、そうだけど! ていうか、私の場合、その心配はないから! もう、死刑が確定してるし!」
テーブルをバンと叩き、葵が叫ぶ。
葵の家族を殺害した犯人は、もう死刑が確定している。だから、二度と刑務所から戻ってくることはない。
だが、その後、葵は……
「ねぇ、死刑が執行されたら、どうなっちゃうんだろう?」
「どうなるって?」
「人の命を三人も奪った犯罪者に、同情の余地なんてないし、早く死刑になっちゃえばいいのにって思うのに……こんなにも人の死を願ってる私は、もう人じゃないんじゃないかって思ったりして……時々、怖くなるの……っ」
人を呪えば、それはいつか、自分にも帰ってくるんだろうか?
死刑が執行されたら、やっぱり私が、殺したことになるのだろうか?
こんなにも強い憎しみの感情を向けているのだから──…
「風のうわさで、もうすぐ、執行されるんじゃないかって聞いたの……だから私は、この組織に入ったんだ……一人では、耐えられる気がしなくて……っ」
小さくつぶやく声は、大きな不安を抱えているのが、よくわかった。
人一人の命を奪うのに、耐えられる人間は、そうはいないだろう。
たとえそれが、血も涙もない犯罪者だとしても──…
「スマホは?」
「え?」
すると、彩葉が葵に手を差し出してきた。
それは、よこせとでも言うような仕草で、葵は、言われるままスマホを取り出すと
「な、なに?」
「いいから、貸して」
すると、彩葉は、葵のスマホを手に取り、電話をかけ始めた。
そして、その相手は、彩葉のスマホらしい。自分のスマホを取り出した彩葉は、その着信にでることなく電話を切ると――
「俺の番号、登録しといて」
「え?」
「不安な時は、かけてくればいい。まぁ、授業中とか、仕事中は出られないけど」
「え? それって、ほとんど出れなくない?」
「じゃぁ、山根さんでも、アズ姉でも、玲でも、誰でもいい。アンタからかかってきた電話を、迷惑だと思うやつは、この組織にはいないから」
「……っ」
その言葉に、また涙が溢れそうになった。
一人じゃないと言われているような気がした。
仲間がいるから、大丈夫だと──
「うん、ありがとう……っ」
スマホを握りしめながら、葵は頬を緩めた。
あんなに、酷いことばっかり言ったのに、こんなにやさしくしてくれるなんて……っ
「あの、ゴメンね……前に、仲良くしたくないとか言って……ッ」
「別に気にしてない。玲も最初は、そんな感じだったし」
「え、そうなの!?」
「うん、俺より年上だけど、組織に入ったのはあと」
「そうだったんだ……すっごい穏やかな人なのに」
意外だった。いつも、にこにこしてるし、自分のように尖った時代があったなんて、嘘みたいだ。
「つーか、もう寝れば? ここは、俺がやるから」
「え? まさか、寝ないつもり!? それは、ダメだって、私もやるし!」
「さっき、人の家、覗きたくないっていってただろ」
「言ったけど! 言ってたけど?! でも、ちょっと意識変わった。これは、覗きじゃなくて、見守りってことよね。それと、私のことは、葵って呼んで」
「え?」
「あ、その……アンタじゃなくて……名前で呼んで欲しいなって……私も、彩葉くんって呼ぶから」
「………」
少しは、うちとけたのか?
頬を赤くしながら、恥ずかしそうに『名前でよんで』という葵に、彩葉は首をかしげた。
(俺に名前呼ばれるのは、嫌だろうと思ってたけど)
だが、呼んでと言われるなら、断る理由はなく
「わかった。じゃぁ、俺のことも彩葉でいい」
そう言うと、彩葉は、またマンションに目を向けた。
夜は、まだ始まったばかりで、月の位置も低い。
「ねぇ、もう一つだけ、聞いてもいい?」
すると、また葵が問いかけてきて、彩葉は、再び視線を戻す。
「彩葉は、どういう経緯で、この組織にきたの? 君にもあるんでしょ。私と同じような『傷』が──」
「………」
この組織にいる人間は、普通に生きたかったけど、普通には生きられなかった人たち。
そう言ったからかもしれない。
この組織にたどり着いた経緯を聞かれ、彩葉は静かに答える。
「聞きたいの?」
「聞きたい……彩葉のこと、もっと知りたい」
目が合えば、その瞳は、とても真剣な色をしていて、彩葉は、少し戸惑った。
人に話すのは、どのくらいぶりだろう?
脳裏に甦る記憶に、彩葉は、静かに目を閉じる。
記憶は、ずっとずっと遡る。
時は、今から7年前。
母が自殺した、あの頃の話――…
*********
次回から、過去編に入ります。
少々、悲しいお話になりますが、お付き合い頂けたら嬉しいです。
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