5分で読める物語 『聖夜の愛ゆえに ~ヒーローを愛した女ヴィランは、彼の危機に、報われない想いを賭けた~』
東紀まゆか
聖夜の愛ゆえに ~ヒーローを愛した女ヴィランは、彼の危機に、報われない想いを賭けた~
真夜中のセントラル美術館に、非常ベルが鳴り響いた。
「ナーティ・アニーだ!予告通り、盗みに来た……ひゃっひゃっひゃ」
配置された警官たちは、館内に充満した「笑いガス」で悶絶した。
「チョロい。いつもながらチョロいねぇ。このシティの警察は」
床に転がって笑い続ける警官たちの間を、ガスマスクをした少女が歩いていく。
売れば一千万ドルは下らない、ホドロスキーの絵画に向かって。
「せっかくの美貌が、ガスマスクで台無しだな。ナーティ・アニー」
背後から聞こえた声に。少女怪盗、ナーティ・アニーは振り返った。
そこに立っていたのは。
一見、警官の制服に見える、全身に武器を仕込んだプロテクターを纏い。
頭部も防弾マスクで覆った、このセントラル・シティを守るヒーローだった。
「マグナム・コップ!何で笑いガスが効かねぇ!」
「前に銀行を襲った時にも、同じガスを使ったな。分析して抗体を作るくらい簡単だ」
ジャキッ、と警棒型のスタンガンを伸ばし、マグナム・コップは言った。
「ガスマスクをしたまま、私と戦うのは辛いぞ」
床を蹴って。背負っていた鉄パイプを引き抜くと、アニーはマグナム・コップに殴りかかった。
「うるせぇ!アタイはもう、カタギじゃ生きられないんだよ!」
「また負けたぁ!」
これでマグナムに十二連敗。
アタイはパワーの無い戦略型ヴィラン。
最初に笑いガスを封じられたら、逃げるしかないんだよね……。
アジトで落ち込んでいた素顔のアニーの耳に、つけっ放しにしていたラジオのニュースが聞こえてきた。
『マグナム・コップが、ボクシングの試合に出場!』
慌ててラジオに駆け寄り、ニュースに聞き入る。
先日、マグナム・コップが、セントラル病院に慰問で訪れた時。
ボクシング・ファンの少年が「マグナムがプロボクサーに試合で勝ったら、怖がって拒否している手術を受ける」と約束したという。
「二十世紀の話かよ!じゃなくってぇ!」
マグナムはヒーローだが、ミュータントでもサイボーグでもない。
頑張って体を鍛えている「普通の人」なのだ。
ヴィランと戦う時は、最新科学を駆使した武器を使っているが。
体ひとつでプロボクサーと戦うなんて無茶だ。
アニーは慌てて、「ヨソ行きの恰好」に変身した。
顔にカブキ・メイクを施し、髪の毛をオイラン・ヘアーにまとめる。
このセントラル・シティを騒がす女ヴィラン、ナーティ・アニーの誕生だ。
マグナム・コップはビーチをロードワークしていた。
身を包んでいるのは、いつもの戦闘服ではなく普通のジャージ。マスクも顔が隠れるだけの軽装だ。
この街のヒーローとヴィランの間には〝暗黙の了解〟があった。
「昼間は仕掛けない」こと。
ヴィランは昼間に悪さをせず、ヒーローは昼間にアジトのガサ入れなどをしない。
これによりヒーローは昼間、ヴィランと関係ない事故や災害から市民を守る事に専念でき。
ヴィランは成功率が高い夜の悪事に集中する事が出来た。
つまり、昼間は手ぶらで走っていても、ヴィランに襲われる確率は少ないのだ。
二十キロ走り終えたマグナムは、足を止めて休息した。
この後はボクシングジムに行って、日が落ちるまで基本テクニックを教わらなければ。
ヒーローとヴィランの〝暗黙の了解〟は昼間だけだ。夜はジムに迷惑がかかる。
「精が出るねぇ」
不意に聞こえた声に、顔を上げると。
テトラポッドの上にナーティ・アニーが立っていた。
「〝暗黙の了解〟を破りに来たか?」
「まさか。ニュースを聞いて、バカを笑いに来たのさ。アンタ、ボクシングやった事あるのかい?」
「初めてだ。でも子供と約束したからな」
「悪い事はいわねぇ。止めときな。リングで殺されるぞ」
タオルで汗を拭きながら、マグナムは言った。
「だからこうして練習している」「誰だって、いつからだって、なりたい自分になれるからな」
アニーの胸がズキン、と痛んだ。
そんな綺麗ごとを言うのは簡単だけど。
一度、悪党になったアタイに世間は冷たかった。
「ま、そんなのは、綺麗ごとだけどな」
マグナムがそう続けたので、アニーはギョッとした。
「普段、お前らに綺麗ごとを言ってるからには、実践しないといかんのだ」
そう言い残すと、マグナムは再び走り出した。
その後ろ姿に向かい、アニーは心の中で呟く。
眩しすぎるよ、アンタの生きる世界は。
でも、アタイはそこでは、生きられないんだ。
『こんな日に盗みをしなきゃならないなんて、辛かったんだよな』
五年前の、ホワイトクリスマス。
閉店後の商店に盗みに入って、うっかり警報器を鳴らしたアニーを捕まえた、その警官は。
そう言うと、彼女にコートをかけてくれた。
『でも悪事に手を染めちゃダメだ。人生を汚しちまうぞ』
警官なんて、因縁をつけてきて、すぐ殴るクソ野郎ばかりだと思っていた。
特に私みたいに、貧民街で育って、盗みでしか食う事が出来ない連中には。
だけどあの警官は。
手錠のかかった手に、温かいコーヒーの入った紙コップを渡してくれたのだ。
『もう俺に会う様な事を、二度とするなよ』
アニーはその声を励みに、一度は更生しようと努力した。
だが罪を償い、矯正施設を出た後も。
前科者に、世間の風は冷たかった。
やっぱり私は、カタギの世界では生きられないんだ……。
ちょうどその頃。アニーは、あるヒーローの噂を聞いた。
汚職と腐敗に塗れた警察に絶望した一人の警官が、バッジを捨てて、市民を守る自警ヒーローになったという。
その名は、マグナム・コップ。
噂される彼の本名に、アニーは聞き覚えがあった。
クリスマスに、私を捕まえた警官!
『もう俺に会う様な事を、二度とするなよ』
あの約束は守れそうにない。でも、でも……。
悪者になれば会える。宿敵として。
こうして世を騒がす女ヴィラン、ナーティ・アニーは誕生したのだ。
試合当日。
ボクシングが行われるセントラル・ホールは満員の観客で溢れた。
そのホールに向かう国道では。
「試合中のマグナムは無防備だ。一直線にリングを狙え!」
「狂犬」の二つ名を持つヴィラン、ジャンクマンの率いる改造車が数十台、爆音を上げ疾走していた。
「〝暗黙の了解〟なんぞクソ喰らえだ。マグナムの首を取れば、こっちのもんだ」
ホールに向かう、最後の交差点を曲がると。
「させないよ!」
道路にバリケードを築き、ナーティ・アニーが待ち受けていた。
急ブレーキをかけたジャンクマンが、憎々しげに言う。
「アニーちゃん、どういう風の吹き回しだい?」
「あんたこそ〝暗黙の了解〟を破る気?」
クワッ、と目と口を開き、ジャンクマンは叫んだ。
「マグナムの味方をするのか?お前を先に始末してやるぜ!」
ジャンクマンの部下たちが、一斉に襲い掛かってくる。
アニーはトレードマークの鉄パイプを握り締めた。
カタギの世界でも、ワルの世界でも生きられなかった。
脳裏に、あの日の言葉が響いた。
『もう二度と、俺に会う様な事はするなよ』
そうだね。もう二度と会えないね。
「手間をかけたな」
ボクシング・トランクスに上着を羽織ったマグナムは、国道中に引っ繰り返っている悪党共を見ながら言った。
シルバーウルフ、キャプテン・ファイヤーほか、よその街を守る多くのヒーローが揃っていた。
「なぁに、ヒーロー互助協会の務めだからね。こういう奴らが出るのは予想できた」
「それよりマグナム、試合は?」
「一ラウンドKO勝ちだ。短期決戦しか勝機はないからな」
倒れているヴィランの中にアニーを見つけると、マグナムはそっ、と抱き起こした。
「気絶しているだけだ。僕らが駆け付けるまで、一人で闘い、こいつらを食い止めていた」
シルバーウルフの説明を聞きながら。アニーの顔を見つめていたマグナムは、気配を感じて振り向いた。
そこには、ボロボロになったジャンクマンを捕えた、この街のヴィランたちがいた。
「本来なら、ヒーローにやられた仲間は助けるのだが」
ヴィランの一人が口を開いた。
「ジャンクマンは〝暗黙の了解〟を破った。俺たちで警察に突き出す。それで手打ちにしてくれ」
他のヒーロー達が自分を見たので、マグナムは「構わんよ」と言った。
「それとナーティ・アニーも渡してもらおう」
「何故だ?彼女は〝暗黙の了解〟を破ってないぜ?」
「事情があるとは言え、ヒーローの味方をした。もう仲間として信用出来ない。彼女も警察に突き出す」
暫く考え込んでから、マグナムは言った。
「彼女は、すばしっこいんだ。現場に証拠を残さない」
キョトン、とするヒーロー達とヴィラン達に向かい、マグナムは続ける。
「監視カメラにも姿を残さない。目撃者もいない。指紋も足跡も残さない。そこでお前たちに問う」
気絶しているアニーの顔をヴィラン達に見せつけ、マグナムは尋ねた。
「この子がナーティ・アニーか?」
ニヤッと笑うと、ヴィランは答えた。
「知らんな。お前のファンじゃないのか?」
「嘘だ、そいつが……」
言いかけたジャンクマンを、他のヴィランが殴って黙らせる。
「今回はすまなかった。だが、夜に会ったら容赦しないぞ」
そう言い残して。ジャンクマンを連れたヴィラン達は、フッ、と姿を消した。
「サウスブロックの宝石店に強盗だ!急ぐぞ!」
「だから何でアタイが、アンタの相棒をしなきゃいけないのよ!」
大通りを疾走するマグナム・モービルの助手席で。
マグナムに似たコスチュームとマスクに身を包んだナーティ・アニー……いや、マグナム・レディは不満そうに言った。
「未遂事件が多いとはいえ、お前は逮捕されれば懲役十年は固い。その分は、シッカリ償ってもらうぞ」
モービルを運転しながら答えるマグナムに、レディは食ってかかる。
「さっきまでアンタが紹介したダイナーのウェイトレスやってて、ヘロヘロなんですけど」
「俺はブルース・ウェインみたいな大富豪じゃない。昼間はカタギの仕事をして生活してもらう」
カタギの仕事……。
レディの胸に、温かい物が込み上げた。
「別にアンタになら、永久就職したっていいけど」
レディが小声で呟いたのが、聞こえたのか聞こえなかったのか。ハンドルを切りながら、マグナムは言った。
「だから言ったろ。俺に会う様な事を、二度とするなと」
マスクの下のレディの顔が、かぁっ、と赤くなった。
「アンタ、やっぱり覚えてた!」
「文句は後だ。飛ばすぞ!」
5分で読める物語 『聖夜の愛ゆえに ~ヒーローを愛した女ヴィランは、彼の危機に、報われない想いを賭けた~』 東紀まゆか @TOHKI9865
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