第56話 浅見と陸人

『会議』 学級代表委員会一年生での会合 前半までさかのぼる。


円谷校長と『候補生』らの不穏な空気を感じ、会議を途中退出した浅見和人は、会議室から出てすぐの廊下を一人歩いていた。


スラックスのポケットに手を突っ込み、「冷静になれ、冷静になれ」と何度も自分に言い聞かせていた。


非現実的な事実に頭の整理が追い付かないと今更ながらに気付く。


命が駆られる覚悟をしながらも、内心死にたくないと、単純すぎる気持ちに苦しめられていた。


しかし、こんな時でも別なことを考えてしまっていた。


去年の学級代表委員会や生徒会に所属していた生徒らは、決まってある大学に進学することになっていた。そのことはまだ明るみになっていない。その生徒たちは皆、就任してきたばかりの円谷校長に推薦された者、つまり『候補生』で構成されていたのだ。進学先の大学は設備もよく、安定した就職や大学院進学への援助が施されていた。


『候補生』への加入申込み書が俺に届いた時、最初は嬉しかった。両親の金銭的負担を減らせるし、今後の生活にゆとりが出来ると思ったからだ。


だが『あいつ』に出会ってから、その考えは安直すぎるものだと気づかされた。


『あいつ』はこの高校や円谷校長にまつわる重要な何かを俺に話し、協力の手立てを出してきた。なぜ俺を選んだのか。そしてなぜこの高校や円谷校長の深い事情まで知っているのか。当然不思議に思った。


円谷校長が就任する前から、元々学級代表委員会や生徒会に在籍していた者は誰一人生存確認ができなかったこと。


『候補生』になったとしてもただ道具として生きていくようになること。


そんな非現実的なことを『あいつ』の口から知らされたが信じることができなかった。それはそうだ。普通に生きて普通の学校生活を送り、特段変化のない日常を送っていた俺だ。信じるか信じないかの選択肢の中でも、信じる選択肢など選ぶはずがなかった。


『あいつ』は俺が『候補生』として入学推薦を受ける前から、俺に『協力者』として手助けしてほしいと頼み込み、これからこの高校で起こりえる出来事を事細かく、ある程度の根拠に基づいて説明された。


にわかには信じられなかったが、日が経つにつれ、その出来事は徐々に現実味を帯びてくるようになった。


それ以来俺の目に見える世界が、全く違った世界に映り込むようになったのだ。


これからあの会議室で起こることも全て最初から分かりきっている。


この事態を見据えていた『あいつ』なら、円谷組織がどんな選択をとろうとも冷静に対処できる。関係を持ってからまだ日は浅いが『あいつ』の実力やポテンシャルは常人である俺には想像すらつかない。ただ他クラスの目立たない生徒という一般枠から大きく逸脱した人間。今はそう捉えるようになってきた。



自分が選別した者にのみ価値を高め、他は度外視。邪魔者は排除。これが円谷校長の理念。円谷校長から出る不吉なオーラは会議室にいた誰もが気づいていたが、事の重大さには気づいていなかっただろう。



このままだと『あいつ』以外の全員が殺されるだろう。


円谷校長も『候補生』らもすべて。『候補生』以外の一般生徒が助かる道筋はあり得るが、事の進展さによっては切り捨てる選択肢も無きにしも非ず、と言ったところだ。この先も同様な形で残酷な選択肢を選ぶ機会は少なくはない。


『あいつ』の采配次第で、事の流れは大きく変わるに違いない。死人を一人も出さずに『候補生』たちを出し抜き、円谷校長の組織を抑える方法も取れるには取れるが、あまり現実的ではない。


どちらか極端な方法をとらず、その中間を取り入れることがあいつの計画には必要な要素なんだが…きっと今のあいつならそのことを理解しているはずだ。





だがそれを実践できるかどうかは、今はまだ分からない。





_____『防衛作戦』において、良い変化がみられることを期待しよう。






_____________________





荻本優弥転校初日にまでさかのぼる。


「お前が佐渡陸人だな! えーっと、チェックと…」


勝俣先生は右手に持っている名簿に赤ペンでピンを書き足した。


放課後の校庭にて、オレは本来一限目に行われるはずだった体力測定を居残りで受けることになっていた。


朝の平野先生の件を上手く片付けて遅れて参加するつもりだったのが、理仁のイレギュラーな参入によって後片付けを余分にする羽目になってしまい、丸々体育の時間を潰すことになってしまった。


「全く…浅見と理仁のやつはまだ来ないのか」


残り二人の欠席者を待つこと10分。知らされていた集合時間をもうとっくに過ぎていた。


「遅れてすみませんでした。勝俣先生」


駆け足で合流してきた浅見が勝俣先生に軽く頭を下げた。


「遅いぞ。一体何をしていたんだ!」


「理仁を引き留めるのに時間を要してしまいました」


「そうか…それで、理仁のやつはまだ来ないのか?」


「申し訳ございません。自分の力が及ばず、理仁は既に下校してしまいました」


「おいおい…あいつは本当に勝手な奴だなぁ。…ったく、じゃあお前たち二人と居残り授業やっていくか」


再び名簿に赤ペンでピンをつけ、最後に何かをメモを書き足していた。


「全くあいつは…何を考えてるんだか」


勝俣先生は髪をかきむしり、理仁の奇行に頭を悩ませる。


「まぁ、あいつのことはいったん置いといて、浅見…なぜお前は今日の体育を休んだんだ?いくら運動神経抜群だからといって無断で休むのは看過かんかできないぞ」


「申し訳ありません。体調の方が優れず、保健室で体を休めていました」


「なるほど…次からは友達や他の先生に予め休む旨を伝えるようにしてくれ。体調の方はもう平気なのか?」


「大丈夫です。問題ありません」


「そうか。…えーっと…そこのお前は陸人だったな。休むことを事前に伝えてくれたのはいいが、理由を話してくれないと困る。平野先生と一緒に来たときはびっくりしたぞ」


「すみませんでした。次からは気を付けます」


それを聞いた勝俣先生はいぶかしげな表情をした。


「まぁ…平野先生と何あったかは分からんが…ゴホンッ、んじゃあ切り替えてお前たち体力測定やっていくぞ」


勝俣先生は測定準備に取り掛かり、その間俺らは準備運動を進めていた。

お互い自分のペースで準備運動し、しばらくの間無言であったが、浅見がこちらに目を合わせてきた。


「こうして対面で会うのは久しぶりだな、陸人。学校生活の方にはなじめたか?」


オレと同じように、片腕でもう一方の腕の筋肉を伸ばしながらこちらに話しかけてきた。


「あぁ。友達を作るのも悪くないと思い始めてきた。あの時浅見に学校での生活の仕方を学ぶべきだったと、今頃になって少し後悔している」


現に入学式当日から色々とやらかしてしまったし、変に目立ってしまった。入学前に知り合いになっていた彼に安全な学校生活を送るコツなどレクチャーしてもらえば、未然に防げていたケースも多かったはずだ。


「俺を当てにしても参考にならないぞ。友達作りは苦手だ。だからあの時、お前が知りたがっていた学校や友達について細かいことは何も教えられなかった。…というより教えなかったという方が正しいかもな」


「教えなかったということは友達として接する方法をよく知らない、お前の羞恥心を隠すためか?」


怒られることを承知で、やや嫌味を含めた言い方をしてみた。

しかし予想とは外れ、肝を抜かれたような反応を見せたがすぐに元の涼しい顔に戻った。


「…全く。それを知られたくなかったんだがな。お前には筒抜けだったか。だが教えなかった理由はそれ以外にもある」


準備運動を止め、眼鏡越しの切れ長な目を、こちらに再度合わせてきた。


「お前は常人よりも色々見てきたつもりかもしれないが、その分見えていたはずの物を多く切り捨ててきたはずだ。まだまだ子供な俺が言うのもなんだが、その切り捨てたものを一から拾って、今一度外の世界を実際に自分の目で見てほしかった。きっと、お前は銀二や『基礎的訓練』といった訓練場、幾多の戦場の中で拘束されながら生きてきたんだろう」


「……」


「少なからず、お前が抱く『疑問』も、拘束されながら生きてきた人生の中で抽出された副産物みたいなものだろう。他の人と自分はなぜこんなに違うのか、根底にあるのはそういうことなんじゃないか? だったら外の世界、他の人と同じ空間で同じ学生として共に生きていけば、その『疑問』も少しは解消できるはずだ」


「……」



オレの心に踏み入ってくる浅見の言葉が耳に残って離れない。いつも相手の発言に対して逐一ちくいち頭を使い、丸く収めようと本能的に働くのだが、この時はただただ傾聴するだけだった。



「いくら先見のめいがあったとしても、その過程に不純物があればそれは破綻する。これはお前が言っていたことだ。学校生活において友達を作れたことや岡本研究所との仲間意識が強くなったこと。まさに今のお前が抱く感情に大きな変化が訪れている証拠だ。


しかしえて聞くが、予め用意していた計画に仲間の感情を考慮したプランを想定できたか?敵一人一人の感情を事細かく分析し、この先どう動くか判断できたのか?」


浅見の言葉は今のオレに深く刺さるものがある。

昔から感情は不要なものだと信じ、抑制し、自己研鑽けんさんに努めてきた。必要なものは必要な分だけ努力で手に入れ、不要なものは不要なものとして切り捨ててきた。あの時の訓練も感情を一切考慮せず、頭と体を駆使し、敵を倒してきた。その度に自分が成長できたと錯覚してきたのかもしれない。だがこの高校に来て大きく見方や感情が変化したのは自分でも感じ取れている。


個性豊かなクラスメイトや先輩、生徒会役員…その一人一人の人生が一体どんな道を歩んでここまで生きてきたのか。勿論想像でしか片づけることはできないが、それを知って理解しようとする努力は止めたくないし、少しずつオレの見える世界が広がりつつある。それが良い方向か悪い方向かに傾くかは全く分からないが。


「敵も陸人と同じように感情任せで動くことはほぼないし、事実お前の計画とやらはとどこおりなくいっている。…いや、こんな場所で、このタイミングで言うべきことではなかったな。忘れてくれ」


そう言って浅見は準備運動の方に戻った。


感情を考慮した判断は理論や数値で片づける事象において反作用する。

どちらか極端な方法の中間を計画に陥れること…すなわち今の銀二の感情を利用し、他の組織に相互作用させることが大切だ。



浅見の話がなければ、危うくその大切さを忘れかけるところだった。



____



向こうにいる勝俣先生から測定準備が整ったと聞き、50メートル走のスタート地点の白線にオレらは待機し、スタートの笛が鳴るのを待つ。



「……」


お互い走ることに集中するための沈黙。この広い校庭の中、静かな時間が訪れる。


勝俣先生は知らないかもしれないが、この体力測定は円谷校長独自で決定されたものだ。測定結果を基に、身体能力の把握及び外面には現れない潜在能力を数値化して計測すること。それが後の『防衛作戦』に関わる材料になる。それを知っていれば円谷校長の思惑の逆手を取ることは容易く、この体力測定をまじめに受ける選択肢もないのだ。


「……」


敵の策中にいるというのに、何の不快もなく、素直に受け入れるように高ぶってくるこの感情…この高揚感は何なんだろうか。


今まで経験したこと…いや、この経験は何度かあるものだ。だけど決まってその情景を思い返そうとしても黒いもやがかかり、思い出せない。


自分の中で無意識に抑制しようとし、それ以外にもまるで外部から記憶の改ざんがされているように別の意識が傾いているような。


だけど今は楽しんでいる。


この単純な動機で突き動かされているのは間違いない。


「浅見」


集中している最中に話しかけるな、みたいな横顔を見せたが、それを無視してオレは素直な気持ちを、入学前からの初めての友であった浅見に向けて、ある言葉を送る。


「オレは走ることが好きだ」


浅見は驚き、少し不器用な笑みをこぼした。


「そうか…。俺も走ることは好きだ。走ることができなくなることに恐怖を感じるくらいにな」




____よーいっ!



静謐せいひつな空気の中、二人は構え、スタートの笛が鳴ったと同時に風と共に駆け出した。


競争など端から興味などなく、互いに純粋に走ることを無我夢中に楽しむ感情に任せ、一瞬にも等しい時間を過ごしていた。




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