透明のview
詠三日 海座
透明のview
自分の名前が呼ばれなかっ時だろうか。見覚えのない人から手を振られたように思った時だろうか。コンビニの自動ドアのベルが鳴らなかった時だろうか。いつだったかは覚えていない。いつからか、繆は透明人間になっていた。
鏡に顔が映っていなかった。自分の頬に触れても、胸に手を当てても、その様子はどこにも見えず、感触だけが肌に残る。身を切っても見えるのは鮮血だけだった。着ている服だけが、服屋に置かれるマネキンのように、人の形をして映るのだった。
彼は透明なままだった。
日の光をカーテンの隙間に感じ、夜の暗闇を混沌と抱えて、幾度目か数えることも
部屋は荒れていた。キッチンには割れたグラスや皿の破片が散らばっている。洗面所の鏡など、とっくに壊していた。フローリングのいたるところに、渇いた血が点々と付着している。なんども自分を皮膚を切ったり、ガラスの破片を踏んだりして、身体は傷だらけのはずだった。痛みと裏腹に、どこにも赤くぱっくり開いた皮膚など見受けられなかった。
怒りもし、泣きもした。命を絶とうとして、それが怖くて憂いたりもした。大笑いもした。叫んで、震え、嘔吐し、目眩がしてその場に倒れた。
次に目が覚めると、恐ろしいほどの脱力感に、一時の間身体が動かなかった。そこで初めて
信じられないほど足取りは遅く、虚ろな表情だった。最も表情など窺えないが、きっと見えていたらそんな顔だと、
初夏の季節に、ひとりの男は、帽子とサングラスにマスク、長袖に足首まであるジーンズパンツ、手には手袋をして、街を歩いた。
街の大きな銀行で用を済ませ、出口を振り向いたその時だった。
女性の悲鳴とともに、大きな破裂音が耳を刺激した。音のした方へ目をやって、それが初めて聞く銃声であるのだと理解した。
「窓にシャッターを下ろせ!金を用意しろ!車も手配するんだ!」
窓口の前で、男が女性を抱えて銃口を突きつけていた。目出し帽の上からさらにサングラスまで装着し、全身黒づくめの男だった。客や店員は金切り声を出して男から飛び退いて、少しでも遠くへ離れようと、あちこちへちりじりになった。もちろん
「外へ出るな!黙って伏せろ、クソども!通報なんかしたらこれでぶち抜くからな!」
銃口が今度は八方へ向けられる。銃が向けられる方で悲鳴があがり、波のように人々が床に伏せていく。
「金だ!カネ!全部寄越せ!」
銀行強盗など本当に存在するんだ。
部屋の外へ出て歩いたりしたせいか、
一歩、また一歩と出口に向かって歩き出し、強盗の男の視界に入ろうとした時、男は真っ直ぐ
「なんで、お前、裸なんだ」
男は
しかし、男は違った。
「お前……」
男は言いかけて、おもむろに目出し帽をとった。拍子にかけていたサングラスも床に落ちた。そこには中年の男の顔が現れたのだが、周囲で再び悲鳴があがった。
「顔がない!」
近くでそう聞こえた。
男は抱えていた女性も突き放し、今度は着ている服を全て脱ぎ出した。
「み、みみみみ、見える、か?」
男はそう聞いた。
「あ、あぁ、見えるよ…?」
「おれもお前が見える…」
「見える」という言葉と同時に、目の上に黒いものがかぶさって見えた。驚いて触れると、それが自分の髪だと認識した。
髪が見える。
髪だけでない、髪に触れた手も腕も。視線を落とすと自分の腹が見えた。そこに自分の姿があったのだ。
一方、強盗男も、自分の手や足を見たあと、腹やその下を触って泣きわめいていた。
周囲の人々は、突然現れた全裸の男にさらに恐怖し、悲鳴が大きくなった。
「おれが見える」
男がそう嗚咽した時、
しばらくすると外からサイレンの音が近づいてきて、止んだかと思うと、男性の声がスピーカーを通して聞こえてきた。
「警察だ。露出強盗2人、人質を解放しなさい」
透明のview 詠三日 海座 @Suirigu-u
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