ユメ集積場

酸味

第1話

「お客さんだなんて、珍しい」

 喫茶店のような場所。

 少年はカウンターに座りコーヒーを作っている青年の声を聞く。

「お客さん? ここってどこなんですか?」

 落ち着いていて、華美でいて、近未来的で、シュルレアリスム的なよく分からない空間、それでいて薄ぼんやりとした内装を少年はキョロキョロと見回す。

「ユメ集積場。捨てられた夢がたどり着く場所」

 大きな擦りガラスの向こう側からこの場所へ、ほんのりと透けて映るピンクやオレンジ、明るい緑と言ったパステルカラーが流動している。

 聞きなれない言葉が聞こえ、少年の意識はそちらへ向かう。

「ユメ集積場?」

「あぁ、偶然迷い込んだクチかい? 本当に珍しいお客さんだ」

 ろ紙の上の積もったコーヒーの粉末に熱湯を注いでいた青年は、一旦手を止め初年のことをじっくりと観察する。その少年は、背が低く腕も細い、病的にまで色白な肌はこの場に似つかわしい幽霊のような見た目をしていた。キョトンとした顔は、少女然としていた。

「ここは捨てられてしまったユメが集まる場所だよ」

「捨てられたユメ?」

 再び喫茶店を見回す少年に青年は笑った。

「ここは単なる喫茶店だよ。ユメがあるのは外さ」

 そう言って青年は少年の真後ろにある、シックな色合いの扉を指さした。

「ユメが、ある? ユメに形があるような言い方ですね」

 訝し気に扉を眺める少年のまるで分らないと言った口調に、クスリと笑う。

 確かにガラスから見えたぼやけたパステルカラーの流れは、現実にはあまり見ることのないものだったな、とも少年は考える。

「これが出来上がったら、案内してあげるよ」

 ここ自体が夢である。そんなことを考えた少年は立ち上がろうとして止められる。

「落ち着きなよ、まだ若いんだから」

 とぽとぽ、ゆっくりとお湯を注ぎ、ろ紙の下から一滴一滴コーヒーが垂れて行く。時間の流れが、視覚と聴覚に訴えかけていた。

「ここは夢の世界なんですか?」

 そろそろ、コーヒーが出来上がりそうな頃合いに少年は呟くように聞く。

「さぁどうでしょう。ここはユメ集積場で、それ以上もそれ以下もありません」

 なぞかけのような台詞にぶすっとしたものに表情を変えた。小さく幼げな少年に良く似合う、子供らしい表情で焦らされている現状に抗議を示していた。

「しょうがないね、これ食べなよ」

 どこからともなく出てきたのはチーズケーキだった。

「食べ物で釣るなんて、ヤな大人ですね」

 不機嫌そうに嘯きながらも、少年はすぐにそのケーキに手を付け始める。

「時間はいっぱいあるんです、ゆっくりしなきゃ損ですよ」

 そう言う青年の声に目もくれることなく、それから幾ばくかの時が経って。

「じゃぁ、そろそろ案内しようか」

 彼らの間にあるカウンターの上に置かれた皿には、ケーキの周りに良くついているフィルムは三つほど置かれていた。時間で言えば十分も経っていないのに。

 その様子に青年の頬は引くついていた。

「なんでコーヒー一杯に、そんなに時間をかけるんですか」

 そのくせケロリとした表情で毒を吐く少年には、この場所に迷い込んだときの丁寧さは吹き飛んでいた。物事に掛ける時間も、他者に対する態度もまるで正反対な彼らは、ユメ集積場というところに行くために立ち上がった。

「ふ、ふふ、大人になればわかるよ。きっと」


「……やっぱりここ、夢ですよね」

 扉の先に現れたのは水彩絵の具を薄く滲ませたように淡いパステルな色合いの空。 

「だから、ユメ集積場だよ」

 その空の下、一本の大きな木が生える小さな丘がポツンとある不思議な空間。遠くを見回しても何もない。本当に何もない空間に突然丘が現れたような、そんな場所。

「集積場なんて、酷い名前ですね。こんなに、幻想的なのに」

 絵本のようなのこの場所で、今にも走りだしそうなほど少年ははしゃいでいた。

「あぁ、あんまりはしゃがない方がいいよ? 落ちるかもしれないし」

「落ちる?」

 薄い緑色の風が彼らの身体を撫で、不思議な世界に迷い込んだことに喜び深呼吸をしていた少年は突如として放たれた、青年の不穏な言葉に行動を止める。

 周囲を見回しても穴などまるで見当たらない。また、こいつは良く分からないことを言っている、と言わんばかりにあきれ果てた顔を見せる。

「……ほんとイイ性格してると思うよ、君」

「うん? どういたしまして?」

 はぁ、と大きくため息を吐いて青年は少し苛ついたように頭を掻いた。


「ここってもしかして地獄だったりするの?」

「だから、ユメ集積場だって」

 そうして向かった先は丘とはまるで違う方向。なにもないだだっ広い平原が続いている場所。

「じゃぁ、何この穴」

 しかし何もない場所を数分歩き続けていると突如として地面は途切れてしまっていた。本当に途切れていたのだ。海とか谷とかがそこにあるわけじゃない。対岸にはなにも存在せず、そこから向こう側には地面もなにもない。

 怖がりながらもその何もない場所を覗き込んだ少年の瞳に映ったのは、彼らを見守っていた空と同じ微かな色合いのパステルカラーの何か。空だと思っていたソレは、人類にはない概念のようだ。

「……ねぇ、さっき「落ちる」とか言ってたけど、まさか」

 手を何もない空間に突っ込んでも何かに当たる気配もない。ゲームにある見えない壁のようなものはないらしい。夢のような見た目の世界のくせに、それが少年にとってあまりにも恐ろしく思えた。

 そうして青年は胸元から小さなハンカチを取り出した。それをおもむろにその何もない空間に向かって投げた。

「あんまりはしゃぐと落ちちゃうかもしれないからね」

 ふわふわと開いた状態のハンカチは風に乗るようにゆっくりと下へ下へと落ちて行く。米粒の様なサイズになるまで見届けてから、すこし嫌味な感情が込められた青年の言葉に静かに、そして大きく頷いた。

「ねぇ、もし落ちたら、どうなるの?」

 その虚無から離れ、元々目指していた丘へ向かって歩いている時、恐ろし気に少年は問いかけた。彼にはこの幸せそうな絵本の世界が、どこか悍ましい姿を隠すための張りぼてのように思えてならなかったのです。

「まだ、人が落ちたことがないからさっぱり」

 けれども青年は柔らかい笑みを浮かべるばかりでしっかりと答えてくれない。


「ほら、綺麗だろ、この木」

「……いや、まぁ、そうですけど」

 喫茶店を出たばかりに遠くから見たその木は、雑居ビルよりも巨大な大木だった。彼は顔をほぼ天を向く角度に傾け、感嘆する。まさかこれほど大きいとは彼もまるで想像していなかったのだろう。

 近くから見える大木の葉の数々は、どうやら半透明な緑色をしているらしい。景色の適当さに比べ、葉脈の隅々まで存在するその葉はこの場では酷く異質だ。

「集積場とやらに連れて行こうとしたんですよね?」

 しかしここには、集積場と聞いて想像するようなものは何処にもない。

「もちろん」

 ユメという名前の持つ明るさに対して、それを打ち消すほど集積場というものが暗く汚い印象を言葉に与える。第一彼が時折口にする『捨てられたユメが最後にたどり着く場所』という言葉も、その場所を醜いものと認識させた。

「どこにあるんだよ」

 けれどここは、幻想的な大樹が一本立っているだけ。丘の上から何もないの草原を眺めることが出来るくらい。どこにも、集積場と名前がふさわしい場所はなかった。

「ふふ、鶏は君の方らしいね」

 青年の方も本性を隠さなくなって、意地の悪い笑みで少年の肩を軽くたたいた。

「じゃぁ、なんだよ、この木の下にでもユメは埋まってるっていうのか?」

 彼の不快感が、その強い語気とまくし立てる言葉に顕著に表れる。どうやら彼は極端にまどろっこしいものが嫌いであるらしかった。

「惜しいね、正解はこの葉っぱだ。半透明の葉っぱ。ユメってのは普通綺麗なものだろう?」

 あれだけ酷くマイナスイメージな事を口に出していたというのに、何気なしに吐かれたユメを賛美するような台詞に少年は唖然とする。

 そんな少年を尻目に、一つの葉をちぎりぴらぴらと振る。

「本当に、捨てられたユメなんだろうね」

「まるで盗賊みたいに言ってくれるじゃないか」

 苛々とした少年の台詞に、それでも彼はケラケラと軽薄な笑みを浮かべるだけ。飄々と少年の強い感情を避け続け、お返しに癪に障る言葉ばかりを投げ返す。

「この葉っぱはね、ちぎるときにそのユメの内容を見ることが出来るんだ」

 いつの間にか少年の背後をとった青年は手をつかみ取り、木に生える一枚の葉をとるようにと、導いた。その行為が、少年には恐怖を煽ったのです。

「ちぎった分、魂奪ったりしないよね」

「……ふふ、ほんとつくづくイイ性格してるよ、君」

 一度少年の手を離し、距離をとってから一息ついて、青年はしゃべり始めた。

「でも、悪魔ってのは確かかもしれないね」

 意味ありげに耳元で囁いた青年に少年は肩を震わせ、突き飛ばした。

「安心しなよ。君からはなにも取らないよ」

 それでも小柄な少年は、悪魔を自称するその青年からは逃れられない。それどころか突き飛ばすという突発的な行動に不気味なくらいに口角が上がっていた。それはあまりにも悍ましく、まさに悪魔というべき姿だった。

「そもそも、ユメを持たないヤツから何を奪えっていうんだい?」

 心の中を覗かれたような気がして、少年は目の前の男を睨んだ。

「今時夢なんて持ってる人の方が少ない」

 吐き捨てるように少年は言う。

「ここに来るのはね、小説家とか漫画家とか、なにか物語を求めている人なんだ」

 演劇をする俳優のように、青年はいきなり大きく両手を広げた。

「でも、偶然ここに迷い込む人はみんな同じものを求めてる」

 少年の手を引き寄せ、息が互いの顔にぶつかり合うほど距離は近くなる。

「それは夢だ。自分に存在しない夢を求めている」

 いつの間にか、その背には黒い翼が出来ていた。

「それはどんなに憐れな事だろうね」

 青年は、酷く悦に入った表情で笑っていた。

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