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「ボクは小さいころに、あの方に救ってもらった恩があるんですよ」

 国境防衛軍の駐屯地、その医務室。霧厳山脈防衛戦を戦った面々は、ほぼ全員が医務室に直行した。全員が骨折や深い傷を負っており、自由に歩けるまでの回復には、ピースベイク以外は十日程の時間がかかった。

 ピースベイクはといえば五日ほどで「回復した」と主張し、数人の護衛とともに王都へと今回の仔細報告、今後の外交についての会議のためレブセレムから汽車に乗っていった。同行した面々は流石の自由奔放さにドン引きしたという。

 概ね彼らの回復は良好であったが、ゼルフィユ、ユウが特に重症だった。そのため別の部屋を治療部屋として使っているが、命に別状はないらしく、二人ともおとなしく寝ているらしい。

 その日は、霧厳山脈の決戦から半月ほどたった日だった。現在は太陽が空の頂上を回ったくらいだろうか。今日はいつものような寒さもなく、柔らかな日差しが白い医務室へ入り込んでいる。

 ダズファイルを倒してから、エルハイムを覆っていた異常気象は、まさに霧が晴れたようになくなった。まさかダズファイルは天候までも操っていたのかと疑い、驚愕したが、今となっては確かめようもないことだった。

 そしてたまたまギルドルグとベッドが隣り合ったライドが、引き続きギルドルグへと語りかけた。

「まさにあの王都での戦争で助けてもらったんです。本当に、礼をしてもしきれません」

「……そういうことは、親父の墓の前で言ってくれると喜ぶと思うぜ」

 ギルドルグは横目で、ライドの方をちらりと見やる。

 ライドは肘を立てながら、手のひらを枕にしてギルドルグの方をほほ笑みながら見つめている。

 底知れない奴だと思っていたが、そんな表情も出来るのかと、どうでもいいことを考えてしまう。

 この広い医務室に、しばしの沈黙が落ちる。

 アルドレドとディムも同じ医務室で過ごしていたが、最近になって軍務を再開したらしい。この時間、アルドレドは今回の一件を鑑みての防衛体制の見直し、ディムは部下たちの訓練を暇があれば監視し、教育に精を出している。

 ギルドルグの目の前にいるライドも彼ら同様回復しているはずではあるが、うまく言いくるめでもしたのだろう。ピースベイクがいない間に、つかの間の休息を満喫している。

 そんなライドが、ギルドルグに向けて、敬愛する戦士の息子に向けてまた口を開く。

「彼のことを調べれば調べるほど、立派で、尊くて、すごい人だったと思い知らされます。どれほど自分が頑張ろうとも、あの人の背中は遠く大きくあり続ける。一生かかっても、追いつける気はしませんね」

 あんたそれ以上強くなってどうすんだ。ギルドルグはやや呆れるが、それがライドの心から出た言葉だと感じ、ため息をつきかけた口を結ぶ。

 英雄となった父親は、ギルドルグの想像以上に、多くの人の人生を変えたのだ。ライドやこの国の人間を救い、あるいはダズファイルのような男は人生を転落させられた。

 ライドの言った言葉は、そっくりそのままギルドルグの抱く気持ちでもあった。

 偉大な父親は、救われた民の言葉になんと応えるだろう?

 ギルドルグはしばらく閉口し思考する。

 そして。

「……いいんじゃねぇか」

 思い出すのは再び、母の言葉。

 救国の英雄となって散った父親と、普通でいいから生きていてほしいと願った母親。

 どちらも正しいのだ。

 愛する国を、愛する息子を。思う気持ちに、間違いなどない。後悔などあろうはずがない。

「誰かのようになる必要はねぇ。俺は俺らしく、あんたはあんたらしく生きればいい。せっかく助けてもらった命だ」

 ――親父も、そう言うと思うぜ。

 ギルドルグが言うが早いか、医務室の扉が勢いよく開いた。

 数日の王都遠征から帰還したピースベイクだ。やや疲れが見える顔ではあるが、その動きに戦闘の余波は感じられない。

 傍らのクリスを入り口に立たせ、当のピースベイクはスタスタとギルドルグとライドの元にやってきた。

「アルとディムには話してある。ライドとお前にも、今回の一件の最終報告だ」

 精悍な顔つきを苦々しげに歪ませながら、一息ついてピースベイクは語る。

「オスゲルニアは今回の事案を全くの知らぬ存ぜぬで通してきた。我々は無関係で、処刑は奴自身が能力を使って難を逃れた。ダズファイルが勝手に仕組んだことだと……嘘くささもここまでくると笑っちまったがな」

 どう考えても言い訳としては無理があるが、決定的な証拠がない。処刑の後に死体をエルハイム側でしっかりと確認できていなかっただけに、これ以上の追及はできないだろう。

 大方戦争の記憶が薄れるまで、ほとぼりを冷ますつもりだったのだ。

 霧厳山脈を統べていたはずの霧の王が、十年以上もほとぼりを冷ますために山脈に隠れざるを得なかったというのは、少しは胸のすく思いではあるが。

「だが奴らは侵略の柱を少なくとも今は、一本失ったわけだ。今回の旅はエルハイムにとって最良の結果だ。お前ら三人には感謝しねぇとな。――そして持ち帰ったライオンハート……と思わしきもの。アレに関しては完全にペテンだな。あの壁にあった宝石も、大きくはあったが単なる魔法石だ」

 あまりに巨大な宝石光を目にして彼らはあの洞窟へと入り込んだわけだが、やはり敵の罠で間違いはなかったようだ。

 探して求めていたライオンハートは、獅子の国(エルハイム)の誇りは、敵の手には渡っていなかった。それは何よりの幸いであった。

「それからキョウスケにも確認したが、お前の親父さんの剣をもって依頼に来たのは、おそらくメイ・イオダストだ。王家の紋章の入った剣を使っての依頼で、国境警備軍(俺たち)が最終的に調査に来ると踏んでの行動だったと俺は見てる。あの日の霧の動きといい、奴らがまさに動き出そうとしていた段階にあったということだろうな」

 ――まぁキョウスケが軍じゃなくお前に放り投げたからこんなことになってるんだが。

 ピースベイクは面白そうに笑った。

 対して全く面白くもなんともないギルドルグは、帰ったら金に目がくらんだ雇い主の左顎と右顎に、一撃ずつお見舞いする決意を固める。

「つまり親父の遺品はずっとダズファイルが後生大事に抱えてたってわけかい。一体何を考えていたんだか」

 言っておきながらではあるが、冷静に考えてみるとあのダズファイルが二回もギルドルグを見逃すとは考え難い。

 二回目はともかく、最初の邂逅の際に見逃されたのは単なる気まぐれと思っていた。しかしおそらくギルドルグの名刺を見て、ギルド経由で軍を霧厳山脈に誘うことを思いつきでもしたのだろう。

「まぁ撤退の時にでも奪ったんでしょうね。エルハイムの嫌がらせ以外の何物でもないですが」

 ライドが悪態をつく。

 本心を見せない奴だと思っていたが、どうやら父親に、恩人に関することだけは別かと、ギルドルグは面白そうに彼の端正な顔を横目で見た。

 同じことを思っていたのか、ピースベイクもライドの方を軽く見て、一呼吸ついた。 

「で、本題はここからなんだが……」

「先に、話をしてもいいかのう」

 懐かしい声がした。ピースベイクが驚いて扉の方に顔を向けると、預言者にして元最上軍師、メルカイズ・サンチェンパーが医務室に入ってくる途中だった。

 扉の前にいたクリスでさえも呆気にとられ、突然の訪問者を全くのノーマークで通してしまったようだ。

「あ、アンタ……」

「初めましてピースベイク将軍。わしはメルカイズ・サンチェンパー。老いて死ぬだけの身ではあるが、少しだけ、若人の時間をもらってもいいだろうか」

 元の身分を知っているだけに、メルカイズにそうまで言われては立つ瀬がない。ピースベイクは黙って頷き、一歩身を引いた。

 ギルドルグとメルカイズは向かい合う。そしてメルカイズがほほ笑んだ。

「ほら、言ったじゃろう」

 その場にいた人間は、ほぼ全員がキョトンとした顔でメルカイズを見つめた。ただ一人、ギルドルグを除いて。

「預言を少しは信じてみるつもりになったかね」

「あんなことがあっちゃあ、信じないわけにはいかないよ。メルカイズさん」

 満足そうにメルカイズは笑った。

「とりあえずのエルハイムの危機は去った。エルハイムの一国民として、そしてわし個人としても、あの二人の世話役としても、今日は礼に来たのだよ」

 ありがとう、と。メルカイズはベッドの上のギルドルグに頭を下げた。国民の仇であり、自らの退陣の元凶となった男がようやく打倒されたのだ。

 十五年の時を経て。誰の目からも、あまりに長い十五年だった。

 しかしギルドルグは全く想定していなかったようで、恥ずかしそうにその礼をやめさせる。礼を言うのはこっちだと、ギルドルグは頬を掻いた。

 そして、聞きたかったことをこの際聞いてみる。

「世話役と言ったな。やっぱり、ユウとゼルフィユは……」

「聞いていたのかね。二人はあの戦争のときに拉致されたエルハイム国民だ。ユウちゃんは戦争のとき、ゼルフィユ君はオスゲルニアにて家族を惨殺され、その後は二人で生きてきたと聞いている」

 話を聞いてみると、やはり想像通り、否、想像以上に壮絶な繋がりだったのだ。

 二人は絶望の死地を生き延び、今から十年ほど前にオスゲルニアからエルハイムへの逃亡を図った。

 その時、エルハイムからの拉致被害者はもう数えるほどになっていたという。

 だが僅かなチャンスを掴み、二人は国境を遂に越えたのだ。

 あの、霧厳山脈を。

「わしが預言を受けて山脈に入って、二人の追手を始末した。それからレブセレムで匿いながら二人の世話をして今に至るというわけだ。二人は最初こそ可哀想なほど衰弱していたが、大きく立派に育っていった」

 思い返しながら話す預言者のその顔は、孫を慈しむ老人の顔に他ならなかった。

 ギルドルグは出会った日の、冷徹に思えた預言者の張り付いた微笑を思い返していた。

 どちらが本当のメルカイズなのか。

 二人を親のように育て、成長を喜ぶ今のメルカイズか。あるいはかつてエルハイムを率い、預言で数々の勝利を勝ち取ってきたであろうメルカイズか。

 考えたが、そんな考えは全く意味をなさないと、ギルドルグは自分に呆れたように軽く笑った。

 どちらも本当の彼なのだ。

 誰しも皆、同じなのだろう。国を愛する思いと、子を、孫を愛する思い。そこにどんな違いがあるだろうか。

「道に迷ったら、いつでもおいで。君たちならいつでも歓迎するよ」

「ありがとう。俺たちが来る預言が出たら、あの美味い茶でも入れておいてくれ」

 老人らしからぬ、軽快な笑いが部屋に響いた。

 では、とメルカイズは軽く手を上げ、歩き始める。その歩みを、ピースベイクも、クリスも、ライドも。軍の面々は深々と頭を垂れて見送った。

 いかに惨劇を防げなかったといえど、泥を塗られた実績といえど、その歴史はあまりに偉大だ。その敬意は、けして色褪せることはない。

 メルカイズが部屋から出ていった後、クリスも見送りついでに外へと出ていった。

 医務室には三人だけが残る。ピースベイクは一つ咳ばらいをし、先ほどは邪魔されてしまった提案を、ギルドルグに改めて告げた。

「お前、本格的に警備軍の一員になるつもりはねぇか?」

 医務室の空気が止まる。

 ギルドルグはピースベイクの顔を見やるが、冗談を言っているような顔つきではない。ライドの方は先ほどの怒りはどこへやら、またあの本心を見せない、張り付いた顔で口角を上げるだけだった。

「ははっ、本気かよ」

「俺だって正しいものは正しく評価するさ。今回の活躍は、軍の誰も文句も言えねえくらい、英雄の息子としての働きっぷりだったろうよ。なんだったらユウとゼルフィユも一緒でも構わんぜ」

 ギルドルグは軽くあしらったが、ピースベイクの言っていることは間違いなく本心だった。

 彼が一目置くキョウスケの元で宝狩人の筆頭として腕を磨き続けた。下馬評を覆し、軍の中でも有数の実力者、ライド・ヘフスゼルガを打倒して見せた。そして自らの、この国の仇であるダズファイル・アーマンハイドを自らの手で止めを刺した。

 この男を正しく評価せずして何を評価する。

 あの英雄の息子だから、といった色眼鏡では間違いなくない。救国の英雄、ジャック・アルグファストはこの場では関係ない。宝狩人ギルドルグ・アルグファストの腕を、警備軍指揮官ピースベイク・ユスメイティアが高く評価している。

 たった一つのシンプルな事実が、あるだけだった。

「しょーぐん、この話は本当にありがたい。願ってもない話だ。小さい時からの夢が今叶おうとしてる」

 それを感じ取ったか、ギルドルグもまた、ピースベイクに感謝の念を伝えた。

 元より軍に入る前の鍛錬のつもりで始めた稼業だ。商売的に考えれば、ここまで自分を高く売れるタイミングはもう一生来ないだろう。

 しばしの沈黙。やがて言葉を決め、ギルドルグはピースベイクと視線を交わす。

 自分を自分として評価してくれる数少ない人間で、戦友だ。その思いには正直に、誠実に応える。ギルドルグにできることは、それだけだった。

「でも、俺はもう少しだけ宝狩人を続けるよ。動きやすい身だし、まだまだ実力が足りてねぇのは今回の戦いで痛感したところだしな……それに」

 あいつらとまだ、旅を続けたい。

 ギルドルグは、ピースベイクに告げる。

 まだ彼らの旅は始まったばかりだ。依頼はまだ一つしかこなせていない。出会って間もない三人ではあるが、ギルドルグは何故か、彼らと道を分かつ選択肢は浮かんでこなかった。

 二人がまだ稼業を手伝ってくれるなら。復讐を終えた二人が、今度は宝狩りをしてくれるというのなら。もっと色々な場所へ赴きたいと、彼は考えていた。

 やれやれとピースベイクはため息をつく。残念そうではあるが、どこかその回答を予想していたような口ぶりだ。

 それなら用はないとばかりに彼は二人に背を向け、またスタスタと歩き始める。

 その背中に若干の申し訳なさを覚えながらも、ギルドルグはふと、あることに思い至った。

「そうだしょーぐん、一個だけお願いしていいかな」

 なんだ、とピースベイクは扉の前で止まり、振り向いた。

 ギルドルグはそんなピースベイクに、若者らしく爽やかに笑いながら聞く。

「俺も、アンタをピクって呼んでもいいかい」

 一瞬本気でキョトンと、ピースベイクは目を丸めた。

 しかしすぐに、こちらも軽く笑いながら答えた。

「――はッ、好きにしろ」

 言うだけ言うと、ピースベイクは部屋を後にしようとする。しかしまた、歩みが止まった。

 その様子を背中側から見ていて、ギルドルグは何故ピースベイクが止まったのか思案したが――すぐに答えは分かった。

 彼の視線は、開いた扉の先にいる男女に向けられていた。ユウとゼルフィユだった。腕や腹に巻かれた包帯が痛々しいが、それを意に介さずに二人はピースベイクと扉の隙間を通り、ギルドルグへと歩み寄る。

「おい、いつまで寝てんだテメェ」

「早くライオンハートを見つけなきゃね。そして私を早く養って」

「おいおいお前ら重症だったはずじゃん。どうなっちゃってんのよ。どんなイカれた回復速度? 逆に俺が養ってほしいくらいなんだけど」

 そして笑いあう。命の危険がない、平和で暖かい空間だ。

 戦火で散った英雄、ジャック・アルグファストが命を賭して戦った理由が、光景が、この部屋にはあった。











 彼らの、希望に満ち溢れた旅は続く。

 一歩を。

 あの日足りないと言われた一歩を。

 今日もまたたしかに踏んで、彼らは歩んでいく。


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ライオンハート 紅夜蒼星 @beniyasousei

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