第13話 再会と始まりの予感
沙紀の頭の中ではいつでも音巴と一緒に弾いたその音が、空気が、会場のどよめきがよみがえる。
沙紀の記憶の中での演奏が終わり、店内には元のフルトヴェングラー指揮のバイオリンがなり始めた。あれから3年も月日がたった。今の沙紀にとって月日のたつのが痛いと感じることもある。恵も高校卒業と同時にピアノで留学してしまったし、梓は音楽をあきらめて一般の大学に進学した。沙紀だけが、未だに音巴がいた高校のオーケストラに取り残されているような気がしていた。
「え、じゃあ優勝したその年の定期演奏会はオケのメンバーに沙紀先輩と円城寺さんの二人がいたんですか?」
ほおずえをついて沙紀の話を聞いていた後輩が突然言った。
沙紀は静かに首をふった。
「あの後、音巴はオーケストラを私に押し付けてすぐにヨーロッパに留学しちゃったから」
沙紀は店の天井を見上げた。白くよどんだ天井にくぐもった音楽が浸透するかのようにバイオリンの音が流れている。
「ですよね。ずっと嫌がらせを受けてた沙紀先輩が、逆にオーケストラに入ってコンマスが沙紀先輩に入れ替わった途端、その年の定期演奏会で見事に優勝。だから沙紀先輩は伝説なんですよ」
興奮した調子で彼女は言った。
「だけど聞いてみたい気もします。沙紀先輩と円城寺さんが両方そろったオーケストラ」
彼女はそう言って遠くを見るように視線をずらした。沙紀はあのときの音巴を思い出した。
「恋人になる前にまずは親友からだね」
完全に負けを認めたわけじゃないけどと音巴はそう言って沙紀に手を差し出した。沙紀も音巴に勝ったとは思わなかった。親友になってから音巴は沙紀にとても優しかった。
留学が決まってからは音巴はいつも笑っていた。「きっとまた会えるよ」音巴が笑顔でそういい残して空港のロビーで別れたとき、沙紀は本当に悲しくて泣いてしまった。沙紀と音巴が親友同士として一緒にいた時間はほんのわずかなものだった。
「また一緒にバイオリン弾いてみたいけど」
心の中では何度も思う。でも音巴との協奏が夢のように心地よかったせいで、時間がたてばたつほど妖精との出会いみたいにあれは幻だったのではと思ってしまう。
ちょうどその時、喫茶店の扉が開いた。沙紀は何十年もこの瞬間を待っていたような気がした。
「みどり!ここ」
先頭に入ってきた女の子を見て沙紀が手をあげると高校生のときとは信じられないくらい女の子っぽくなったみどりが手をふって答えた。そして沙紀は見逃さなかった。
後ろからあの真っ黒な髪にビロードの瞳。
人形のような白い肌。
「音巴!」
沙紀の声は極めて滑らかにはっきりと店内を響き渡った。
キスと瘢痕 ES @easestone
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