小さな夏祭りの思い出。

一色まなる

メモリー

私の小学校では、夏休みの最初の土曜日にPTAの方たちが夏まつりを開催してくれていました。夕方から始まって、夜の8時には終わるような、小さな小さな夏祭り。

私の小学校は一学年が5クラスもあるような、大きな小学校だったから、グランドを埋め尽くすくらい多くの子ども達がやってきます。


特設ステージでは、中学校の吹奏楽部や軽音楽部の人が演奏会をしたり、宴会芸ができる人が見せ物をしたりしていました。屋台はひっきりなしに人が詰めかけ、めいめいに食べ物を買って食べています。


私はというと、グランドの隅っこにある肋木ろくぼくの上に上って祭りを眺めるのが好きでした。肋木の上に、ちょっと出っ張りがあって、そこに座るとちょうどいいアングルでグランドを見渡せるのです。


少し顔を上げると、夕暮れに染まっていく空が広がっています。遠くでは蝉しぐれが聞こえてきます。母からもらった500円を100円のかき氷だけに使って、私は空を見上げるのです。お祭りでみんなが笑っているのを見るのが好きなのです。


夕暮れの学校なんて、来ることが無かったので、その時だけのとっておきなのです。


(独りで寂しくないのか?)


―――。


寂しくない、と云えるような気がします。小さい頃は、それで十分だったのです。私はただ、みんなが笑って楽しんでいる、この場所が好きです。子どもの頃から、一人でいることが自然でした。


―――だから、


何をするにも一緒という関係をする女の子のグループにはなじめませんでした。


だからといって、背の小さく力の弱い私は男の子のグループになじむこともできませんでした。


でも、それでもよかったのです。だって、そこにみんながいるのですから。笑って、そこにいるのですから。時折、私の方を見て笑ってくれるなら、それでいいのです。


人が嫌いなわけではありません。むしろ逆です。だから、近くにいすぎてはいけないのだと思います。


私はどうしてか、周りのテンポについていけません。だから、終わった話題を持ってくることがあります。「え、今?」と言われることが多いので、ついていけなくなったなら、にこにこと笑って黙っています。


私はどうしてか、周りとちぐはぐなことをいってしまいます。それを笑ってくれるならいいけれど、時に人は攻撃をします。子どもの時には気づかなかったけれど、大人になった今、気づいた分だけ心がジリジリと焼かれます。


(ほら、こうして夏祭りからずれたことを言う)


夕暮れから夜に、墨色の空が広がりました。


移動式の照明器具が風船のようなランプで辺りを明るく照らしています。ブーンブンと羽虫がランプに集まってきます。子ども達も楽しみが一段落したのか、屋台から離れてお友達と話しています。人気のある屋台はそろそろ店じまいだと準備をし始めています。


ステージでは、抽選会をしています。祭りのプログラムについている応募券で、お米や商品券、子ども用の自転車などが当たるので、みんなステージに集まっています。


私はついぞ当たったためしはなかったけれど、ステージの司会者が上手いので、「今年こそ!」と思ってしまうのでした。


抽選会が終わると、地元の盆踊りの曲を流します。このメロディーは今でも体に馴染んでいるようで、ある程度なら踊れる気がします。今の子ども達は、盆踊りの曲を聞いても踊ってくれるのでしょうか。


そもそも、小学校の祭りなぞ、なくなってしまったでしょう。子どもの数は変わらないけれど、それを運営する大人が足りないのですから。子ども達も、こんなちっぽけな祭りなどより、もっと楽しいものを知っているはずですから。


深い歴史も、伝統なんてない。ただただ、子ども達が楽しいだけの祭りなのですから。


きっと、きっと。忘れられていく。


けれども、私は夏になるとぼんやりと思うのです。


あの日、小さい私が肋木の上で見上げた空を。


そして、集まっている人達の笑顔を。

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小さな夏祭りの思い出。 一色まなる @manaru_hitosiki

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