後部座席

長谷川雄紀

後部座席

あぶねえなあ。早く行けよ。


車内に充満する耳を塞ぎたくなる言葉を浴びながら、僕は窓の外に忍者を走らせて遊んでいた。忍者は電線の上を軽々と走り抜け、時には電柱の上からガードレールへと飛び移り、ファミレスでドリンクバーを選んでいた。


ちっ。という舌打ちが八センチシングルCDの音楽の隙間から聞こえた。助手席に座る母親は、全てを諦めたかのように何も言わずただ真っ直ぐに顔を向けていた。


父親は今日も不機嫌にハンドルを握っている。僕はついていきたくない買い物にも、こうして無理やり連れていかれている。何度も家で待っていると言っても、目の届かない場所にいられる方が嫌なのか、許してくれることはなかった。


スーパーに到着すると真っ先に僕は、お菓子コーナーに向かう。両親のそばからできるだけ離れるためと、退屈な時間を埋めるためだ。そのせいか、僕はよく迷子になることが多かった。迷子センターも勿論だが、時には外に出てしまった挙句、ガソリンスタンドのお兄さんに保護され。待合室でオレンジュースを飲みながら、両親の迎えを待つような子供だった。


棚の一番端から順々に見ていくと、近所の駄菓子屋と同じように、さくらんぼ味の四角い餅、父親が吸っているタバコの形をしたシガレットなどが置いてあった。ただ単純に見ていくだけでは、両親が迎えにくるまでの時間を稼げないので、裏面に記載されている成分を見たり、バーコードに書かれている数字を、足したり引いたり掛けたり割ったりしながら十にするゲームをして遊んでいた。


僕が一際目を輝かせていたのは、おもちゃ付きのお菓子。開けると人形やカードなどが入っており。特に欲しかったのは、忍者のアニメで見た紋章が描かれている額当てだった。


ただ僕は家が貧乏なのを気にして、おねだりすることはなかった。後に貧乏と言えるほど、毎日苦しい生活をしていたわけではなく、いわゆる一般家庭で育ったのだとわかるのだが、この時は親の目を気にして何も言わないように生活していこうと、物心ついたときから決めていた。


何度も何度も同じ商品を往復して時間を埋めていると、買い物カゴいっぱいに乗せたカートを押して両親がやってくる。これが帰宅の合図だとわかっている僕は何も言わず、ただ黙って二人の後について行くのだった。


後部座席に荷物を置いていくと、時折僕の足が荷物の間に挟まれるほどのスペースになってしまい、冷凍食品やアイス箱の冷たさを肌で感じたまま帰路につくこともあった。


荷物を乗せ置いた空のカートを、一人で店内のカート置き場に返しにいこうと思ったのだが、僕の身長が足りないせいか、自動扉のセンサーが反応してくれず、ひたすらジャンプしていると、同じクラスメイトの女の子が通りかかり、僕は顔を赤らめて下を向いていた。


帰り道も同じように窓の外を見ながら、忍者を走らせていた。電線やガードレールなどの足場がないエリアの場合は、その前に天高く飛び上がり空中に浮遊させながら、次の着地場所を待たせてあげるのだった。


黒いランドセルを背負い母親と一緒に家を出た。マンションに住んでいる僕はこの日から初めて登校班の仲間入りをする。先輩というよりはお兄さんお姉さんと一緒に学校に向かう。


狭いエントランスに子供と親でギュウギュウになる。学校への不安よりも、母親と離れてしまうことが嫌だった。もう二度と会えなくなるかもしれない。この後買い物に行くだろう、車にひかれてしまうことだってある。頭に浮かぶ映像が現実と混ざり突然泣いてしまった。


先に気付いたお姉さんに優しく声をかけられる。涙の向こうに見える母親を見たときに、生きている、と思い安心した。


見慣れた景色の中に見慣れない集団が歩きだす。どこかで集合した違う班にお姉さんは声を荒げている。さっき見た姿とはまるで別人。理解できない言葉が飛び交っている。同じクラスの友達同士だということは知るはずもなく、僕の知らない誰かと話す姿が嫌だった。


真っ白の上履きに履き替え、自分の名前を探した。クラス分けが書いてある大きな紙が張り出されていて、路線図を見るように行先を確認した。一年A組。先に座っているこれからお友達になるのであろう子達にガッツリ見られながら席に着いた。


何をしていたらいいのかわからず、机の上にランドセルを置き、ただ黒板の上にある時計を眺めていた。


チャイムが鳴ると同時に肌黒い人間が入って来た。静かにすることを知らない彼ら、彼女らは夢中で喋っている。


おい、うるせえぞ。肌黒は大きな声で場を沈めた。


この時クラスから恐怖が漂い、今にも泣き出しそうな子達に目もくれず肌黒は出席をとりだした。おびえて声がでない、あ行からわ行。全員声が出るまで進みませんが始まった。


もう一度、あ、から呼び始めたが、一人でも声が出ていないと最初からやり直す、という謎のルールの中で、え、から始まる内気な女の子がいた。何度やり直しても、え、で止まってしまい。痺れを切らした男子が茶々を入れた。


肌黒は謎の機転で、わ、から呼び始め、順調にあに向かって進みだす。は行の僕も勇気を振り絞り大きく返事をした。


迎えた難所の、え。頼むぞとクラスは初日から一致団結し始めていたのだが、プレッシャーに負けた女の子は泣き出してしまった。鳴き声も聞こえないくらい大人しく、それに寄り添う、あ行とか行達を横目に、肌黒は明日もう一度やりますと言って教室を出ていった。


どこからか聞こえた、泣くなよとつぶやく男子に僕も混ざりそうになったのだが、学校は恐ろしい所だと机に隠した脚は震えていた。


僕のクラスだけ異様に静かになり、隣のクラスから楽しそうな声がずっと聞こえていた。それに刺激され騒ぎ立てる男子もいたが、大人の放つ言葉にはとてつもない力が秘めており。子供とは思えない、忠実な軍隊のようなクラスが出来上がっていた。


先生さようなら。ろくに頭を下げずに教室を出て行こうとする僕を先生は止めてやり直しさせた。興奮が教室の外まで飛び出している気持ちに負け、同じ角度までしか頭を下げなかった事をあきらめた肌黒が、感情のない気をつけて帰れよと言った。僕の耳はバリアを張って弾き返した。


理由は見つからないが既に黒くなっている上履きから、真っ白だった運動靴に履き替えると、学校の門を飛び出す前からポケットに忍ばせた石を取り出した。


休み時間に見つけた宝石を地面にセットし、開始の笛を待つサッカーボールのように足で止めていた。誰が合図を出すわけでもないが突然蹴りだすと、ラグビーボールのように自由に跳ね回る宝石を追いかけた。ラグビーなのかサッカーなのか、ハッキリしたい所だが、今となってはどちらでもいいことで、名づけるならストーンキックと呼んでおく。


家まで蹴って帰るという、チャレンジ精神を母親に自慢したい。もしゴールできれば、蹴った石を削ってネックレスにしてプレゼントしてあげようと考えていた。


僕が通っていた田舎道は、真ん中がコンクリートで端が砂利道になっているので、一度見失うと同じ石を探すのは難しくなる。そんな時は選手交代を気軽に行うので、そこまで深く考えてはいない。


夢中で駆け出したが、先ほどから蹴りだしていた石はとっくに無くしていて、今は息を止めたまま家に帰れるかを試している。


白の給食袋から、白衣とマスクを取り出す。週替わりでやってくる給食当番。パン係、小さいおかず、大きいおかず。僕が好きなのは牛乳係だ。他の当番では教室に運ぶと、クラスの子が取りにいかなければならない。しかし牛乳係は各班に配っていかなければならず、それが楽しくて他の当番でも変わってもらうくらい大好きだった。


僕は匂いに敏感で、食べ物の匂いを嗅ぐと吐きそうになってしまっていた。給食センターに入る前から、鼻をつまみ呼吸を整え、誰にもばれないよう陽気に振る舞った。だが、喋りだそうとするだけで体内から汚物が溢れ出そうとする。僕は我慢しようと、よだれを大量に口から出し、マスクの裏をいつも濡らしていた。


外食をした際にも、飲食店を通り過ぎる度に吐きそになってしまい、常に嘔吐用の袋を持ち歩いていた。何かを口にした数十分後、今食べ終わった物を全て吐いてしまい。お腹がすく、食べる、吐く、お腹がすく、食べる、吐くを繰り返し、何のためにお金を払っているかわからないと、母親に怒られたりもしていた。


ただ、プールとガソリンの匂いはたまらなく好きで、それが変わっていると言われることが嬉しく、階段から飛び降りたり、牛乳を鼻から飲んだり、ご飯粒をずっと鼻に乗せたまま生活したり、コッペパンを口に入れたままスープに浸して食べたり、僕なりに人を笑わせようとおどけていた。


クラス対抗の発表会では替え歌をしようと、僕が全てを作り、国語の教科書に載っていたお話を劇にするときも主演を務め、やる人がいないと何故かやらなければいけない衝動に駆られた。


しかし、体調は常に悪く、すぐに熱が出たり、お腹が痛くなったり、体のダルさ、お腹の波に耐えながら授業を聞いていた。


気軽に、先生トイレと言って出ていける子が羨ましかった。自ら手を上げ、何のためらいもなく、そそくさと消えていく。僕にはそれができず、体調が悪いということを周りにアピールし続け、僕の代わりに先生に伝えてくれるまで我慢をし続けた。


いじわるな先生は、自分の口で言わないと行ってはいけないと、決められてしまい。しばらく、僕の保健室行っていいですか待ちの時間で、授業が止まっていた。その事で緊張も相まって、頭の中に描く言葉を上手く口に出来ず。結局授業が再開され、休み時間の合間に早退を何度もしていた。


保健室では朝何を食べたかをチェックされ、母親が毎朝作ってくれていたスクランブルエッグという名称が当たっているのか自信がなく、卵をグジュグジュにし、パンに挟んで食べたり、ケチャップをかけて食べたりする卵焼きの固くないやつだと、頑なに言い続けた。


今日は二十日だから、二十番ここから読んでみて。


嫌な予感は昨日の夜からしていた。二十番は僕の出席番号だ。今日一日は謎の呪縛に取りつかれると確信していた。人前に出るのが苦手で、すぐ顔が赤くなってしまいリンゴというあだ名を付けられていた。


震える手と震える足。緊張していないフリをしているがすでに頭は真っ白で、一言目に出す声が高くなってしまったら、ソプラノというあだ名に変わりそうだといろいろ頭の中を駆け巡っていると、顔赤いよと冷やかしてくるクラスメイトがいた。僕はこいつらを後でやっちゃうとして、このイカズチの右拳でやっちゃうと、脳内でボコボコにしながら、当てもなく読み進めていると、読めない漢字につまずいてしまった。


しばらく黙っていると先生から読み方を教えてくれたりするのだが、この先生は、これなんて読むんですか、と質問をしなければ答えてくれないシステムの先生だ。


回りの子が小さな声で教えてくれているのだが、あまり信用していない僕は、その読み方は罠じゃないかと疑ってしまっていた。僕をより恥ずかし目に合わそうと違う読み方を教え、もうひと盛り上がりさせようとするのではないかと疑ってしまい、その場に固まっていた。結局なにも喋れないまま時間が過ぎていき、座っていいよと言う何様のつもりかしらない先生に、主導権を握られている感じに腹が立ち、僕は黙ったまま怒り狂っていた。


僕は田舎のマンションで暮らしていた。六階建ての二階に住んでおり。窓から見える景色は、中学校と何もないただただ大きいグラウンドだけであった。


学校から戻ると僕はマンション内の友達の家を尋ねにいく。五人くらいはあっという間に集まると何も言わなくても勝手に、ポコペンが始まる。


ポコペンとは缶けりの缶がないバージョンである。○○見っけポコペンと言って全員見つけたら鬼の勝ち。一人でも陣地にポコペンと言って触れれば村の勝ち。いつどこでこの町にやってきた遊びかわからないが、同じクラスの子でも知らない人がいたので、どう伝わり、どこまで浸透しているのか、不思議に思っている。


マンションの目の前で遊んでいたために、母親は僕の姿を部屋から見られるので門限は厳しくなく、日が暮れようが遊び疲れようができるだけ戻ることはなかった。帰るタイミングと言えば、遊ぶ人がいなくなり、最後の一人になった時だった。


十七時までと決められた日でも帰ると言い出せず、名残惜しそうな友達の顔を見た時に心が痛んでしまっていた。母親に怒られるか、友達と別れるかの天秤にかけ、十七時十五分に慌てて帰る作戦を使っていたが、玄関扉は閉められており。残りわずかの命を悟り、タバコを吹かす俳優のように背中を扉に付け、ポケットに入れていた、ジガレットを取り出し、たそがれていた。


マンション住民達との交流が多く。運動会、ボウリング大会、カラオケ大会と、季節ごとのイベントに毎年親子で参加し、はしゃぐ親の姿が見られるのはここだけだった。


カラオケ大会だけは他の行事があっても、今日を締める為に毎回使われていた。狭い部屋の中、十人の子供たちがギュウギュウに詰め込まれ、プロ野球の応援歌を熱唱していた。


僕は、歌本の中から五人組ラップグループ、五人組ロックバンドを探して、曲名の横にある数字をリモコンに打ち込み送信ボタンを押して歌っていた。誰かが注文して運ばれてきたお菓子詰め合わせは、どれもパサパサで食べる気がしなかった。


僕は、外で振る舞う親と、家の中で過ごす親との違いに苦しんでいた。どちらが本当の姿なのかわからず、あまり関わらないようにしていた。


特に父親は近寄りたくない存在だった。いい意味で近寄りがたいわけではなく、本当に喋りたくない。外で振る舞う父親は、社交的で子供のようにはしゃいでおり。その姿が、近所から理想の父親像を描かれていた。


家の中で過ごす父親は言葉の暴力が凄く。リビングに兄弟を集めては、誰がお金を稼ぎ、誰のおかげで飯が食え、誰のおかげで生活できているかを復唱させる夜があった。


お父さんが働いてくれて、お父さんのおかげでご飯を食べて、お父さんのおかげで生活しています。お父さんありがとう、というゲロがでそうなくらい脳内に響き渡る念仏が頭から離れない。


外で振る舞う母親は、誰にでも優しく、気を遣いすぎている所もあるが、座っていた電車の車内の中で迷わず席を譲っていたのが印象的だ。


楽しそうに過ごす外の世界とは違い、母親もまた、父親に苦しめられていた。高圧的な態度をママ友に話しても、そんなわけない、旦那さんは素晴らしい、と会うたびに言われ。嘘つきだと思われてしまう可能性が高まり、胸の内に隠して生活していた。


その姿を僕は見ていられなかった。


問題が起きそうな時。兄や母親に矛先が向かないように自分のせいにしてかばうようになった。それでも怒鳴られている二人の姿を見て、えいえんに泣き続けていた。


活発的だった僕は、何をしていても怒られるのではないかという恐怖に陥り。波風を立てないように生活し、機嫌を損ねない言葉を選んでいくうちに、口数が日に日に減っていった。


僕には四つ上の兄がいる。とてもわがままな兄で何でも僕から奪い取っていた。誕生日プレゼントを奪われ、大事なぬいぐるみも奪われ、引き千切られたりもしていた。


僕が幼稚園児の頃に兄から突然、背負い投げさせて、練習したいから試させてほしいと言われたのだが、僕は迷わずいいよと言っていた。


何の迷いもなく人間から人形に姿を変え、兄の背負い投げを受け止めていると、肩に違和感があった。数日経っても痛みが取れず、母親と近所の接骨院に行くと肩が折れているのがわかった。


何故かこの時、初めての骨折に嬉しさを感じていた。肩から三角に吊るした包帯を腕に置いているときは、新しい武器を装備した感覚に陥っていた。その姿を見た友達も興奮気味でいて、普段の何倍も優しく接してくれた。


こんな目にあっても、兄のことが嫌いではない。


この頃からお笑い番組をかじる様に見ていた僕は、受け取るという能力が備わっていた。リアクションやドッキリと言った、受け身の笑いも好きで、何かされたい衝動に駆られていた。背負い投げをさせてくれと言われた瞬間、テレビみたいなことができると思い興奮した。


僕は誕生日に貰ったお菓子を奪われたり、大事なぬいぐるみを千切られたりしても怒ったりはしなかった。兄がかまってくれることが嬉しくて何でも受け入れていた。


肩パンしようぜと突然言われた。兄は本当に突然言う男だ。男あるあるでお互いに一発ずつ殴り合いどちらが強いかを勝負をする、世界一しょうもない遊びなのだが、強いと言う言葉に弱い男たちは、わかっていても夜な夜な殴り合ってしまう。


じゃあ俺、先行ね。と、順番決めもなく先行を選ぶ兄の番から、階級がまるで違う試合は敷かれた布団の上で行われた。セコンドの母親にバレナイように扉を閉め、密室布団杯のゴングが鳴った。


容赦なく繰り出してくるパンチに僕は耐える。俺が最強だと世界中の男子が思っている中、僕はデュクシと言いながら、兄の肩を粉砕しにかかった。絶対に効いておらず、演技だとわかっていても、痛がる様子を見ては俺が最強の男だと改めて思った。


第二ラウンドにはいる。相変わらず重たいパンチに僕は笑い出した。痛いことが嬉しいという感情は、この頃に芽生え始める。


俺はまだまだ強くなるぜと心の中で唱えながら、渾身の一撃を兄に食らわせると、先ほどは痛い振りだったが、当たり所がよかったのか布団の上に倒れた。


密室布団杯の勝者が決まる。僕は勝ったのだ。こんなにも不利な条件をものともせず叩きのめしたのだ。喜びを表現しようと、両腕をあげガッツポーズを取る僕に痛みが走った。僕は隙を与えてしまった。最後まで対戦相手に隙を見せないことが、肩パンへの絶対条件である。倒れこんだ兄は悔しさのあまり、僕の脇腹に目がけ拳を振りかざした。


接骨院で順番を待つ。僕はアバラが折れていた。また来たのという顔見知りになってしまった先生は、僕にこう伝えた。


もう一本下の骨が折れていたら、心臓に突き刺さって死んでいたと。一緒にいた母親は終始驚いていたが、僕は痛む脇腹を押さえながら笑っていた。


かくれんぼしようぜと突然言われた。懲りない兄の要求に僕はいいよと答えた。マンションの一室で隠れる場所は限られているのだが、そんな思いとは裏腹に遊び始めた。


有無を言わさず、隠れる方を選ぶ兄。僕はリビングテーブルに顔を伏せて六十秒を数えた。この間に、室内で隠れられそうな場所を頭に思い浮かべていた。


顔を上げ、あたりを見回すと、近くに置いてあるソファが大袈裟に前のめりになっていた。絶対にこの裏に隠れているとわかっていたが、いきなり見つけないのが僕に備わっている笑いだ。泳がすことを学んでいるので、目が合わないように横を通り過ぎ、見つけられない振りをしながらウロウロとしていたのだが、途中でお互いに笑ってしまい、ようやく見つけ出した。


攻守交代。今度は僕が隠れる番になった。僕は先ほど探すふりをしながら、隠れる場所も考えるという頭脳プレーを繰り出していた。


ズル賢い兄が、隠れる時間を与えまいと足早に数えだすと、僕は慌てる演技をしながら、寝室の方に忍び足で向かい布団の中に隠れた。


数えている最中にも関わらず、兄の笑い声が布団の中に聞こえた。顔を覆う指の隙間からずっと見ていたのだろうと思われる兄は、六十を数え終わると何の迷いもなくこちらに近づいてくるのが、足音でわかった。


僕は布団を剥がされまいと、しがみつくように両腕で掴んでいた。見つからなければ負けではないと思い、引っ張り合いになった時の準備を進めていた。


気配で上から見下ろしていることはわかっているのだが、なかなか見つけようとしない兄との我慢比べをしていると、足音が段々と遠ざかっていったかと思った瞬間。兄が上から降ってきた。


接骨院で順番を待つ。僕は手首が折れていた。


直接聞くのも怖いので、どうして折れたのだろうと考えた。勢いのある落ち方だった。僕の予測では、助走をつけて飛び込んできたのだと思う。嫌な予感がした僕は身構えるように両腕を天井に向け構えていたその腕に、兄の全体重が乗っかり折れたのだと、そんな気がしているが治ってからも答えはわからない。一度も謝られたことはないが、嫌いになったことは一度もない。


三度目の骨を折った日。父親に怒られることを恐れた兄から、黙っていろと言われた覚えがある。兄の命令に逆らえない僕は、長袖を着て、包帯が見えないように過ごしていた。


休日になると、父親と毎週キャッチボールをすることになっている。別にしなくてもいいのだが、断れずに一時間程度投げ合っていた。


いつものようにキャッチボールいくぞという父親に、今日は調子が悪いからいいや、と断る恐怖もあったのだが、抜群に調子は悪かった。またいつものように険悪なムードが流れ、助けを乞うように兄と母親に目線を合わせにいったのだが、そっぽ向かれていた。


怪しいと思った父親はその夜、兄と僕をリビングに呼び出した。何かおかしい、隠していることがあるだろと問い詰められた僕たちは、何にも言わず下を向いていた。


しばらくの間黙っていたが、沈黙に耐え切れなくなった僕は骨が折れていると自白してしまった。呆れた顔した父親は、怒りの矛先を僕に向けた。怪我人に追い討ちをかける非常な父親に、僕はこの時絶望を感じていた。


このままではらちが明かないと思った僕は仕方なく、兄に黙っていろと言われたと、白状してしまった。すると兄は僕の言葉に被せるように、言ってねえだろ調子のんなと、見事なまでな裏切りを見せつけてきた。


もう出る言葉もなくなった僕は、理不尽と逆ギレの狭間で口を紡いでいた。


待ちきれない僕は、サンタさん来てくれるかな?と母親に尋ねた。母親はいい子にしていると来ると言い、この日まではいい子でいると決めた。


一週間前。サンタさんにお願いするの決まったの?と母親に尋ねられた。


僕の家ではクリスマスの時期になると、サンタクロースに願い事を書くようになっている。欲しい物を白い紙に書き、それをベランダのハンガーに挟んで吊るして置いておくと、サンタクロースがその紙を持って行ってくれる。僕は欲しかったゲームソフトを書いて、お願いしますと祈りながら吊るしておいた。


次の日。目覚めた瞬間に、ベランダに飛び出すと、まだ白い紙はそこにあった。母親にサンタさんが来たか聞くと、まだ見ていないねと答えた。すこし不安になり焦ったが、まだ日にちはあるなと思いもう一度寝た。


次の日。目覚めた瞬間にベランダに飛び出すと、まだ白い紙はそこにあった。母親にサンタさんは来るのかと聞くと、もうすぐ来ると言った。母親とサンタさんの関係はどうなっているのか気になったので、連絡できるのか、今どこにいるのか聞いてみてと僕が言うと、母親は知ったように明日来るよと言った。


次の日。目覚めた瞬間にベランダに飛び出すと、白い紙は無くなっていた。本当だった。母親の言う通りだった。サンタさんが来てくれた嬉しさで部屋中を走り回り、扉の角に頭をぶつけても走り続けた。


クリスマス当日。プレゼントは頭の上にあった。


僕がお願いしたゲームソフトは赤と青バージョンの二種類あり。僕は青を持っていた為に、二つ持ちがカッコいいと考え、赤をお願いし、同じゲームの色違いを手に入れたのだが、ゲーム内容がほぼ同じで早々に飽きてしまい、数日後サンタクロースが運転する車に乗り、ゲームを売りに行ってしまった。


小学校のクリスマス会では、音楽に合わせてそれぞれ持ち寄ったプレゼントを回していく行事があった。音が止まった所で貰えるプレゼントが決まるのだが、僕が欲しかったのは銀紙に包まれた大量の輪ゴムだった。


誰に当たるかわからないけれど、誰に当たっても嬉しいという、無茶苦茶なお題を提示されるプレゼント交換は非常なものであった。


田舎で育った僕達が選ぶ手段は、駄菓子屋か、近所のスーパーくらいしかなく。ましてや同じクラスの子と会う確率が異常に高く、交換する物を選ぶ場所も同じなので、持ち寄ったときにお菓子詰め合わせになることが多かった。


この駄菓子屋で買う当たり付きのきなこ棒が美味しかった。一つ一つ爪楊枝に刺さっているきなこ棒の中から選び、先端に赤いペンで塗られて入れば当たり、ただの爪楊枝ならハズレ、という遊び心のある駄菓子だった。一度試しに、家にある爪楊枝に赤いペンを塗り当たり棒だったように見せかける、はっきりとした詐欺、を試みたことがある。緊張しながら駄菓子屋に詐欺棒を渡してみると、おばちゃんは疑いもせず交換をしてくれたのが、その味は甘く感じることの出来ぬ、苦い思い出になってしまった。


この駄菓子屋の入り口に、ゲーム機が何台か置いてあり、僕は特に一回十円で遊べるジャンケンマンフィーバーが好きだった。とても単純なジャンケンをするだけのゲームなのだが、負けた時に言われる、まけっ、という子供の無関心な声に悔しさを覚え、ついつい何枚も挑戦させられてしまう悪魔のゲーム機だ。勝った時は、真ん中のルーレットが回り、止まった場所に書いてある数字のぶんだけメダルが貰えるのと同時に、やっぴー、という子供の雑な喜びが響き渡る。


どんな行事ごとにも必ずと言っていいほど、持ち物を忘れてくる人がいる。この時プレゼントを忘れた野球少年は、苦肉の策としてみんなからプレゼントの中から一つを分け与えてもらう乞食作戦を立て、即席クリスマスプレゼントを作ろうとしていたが、あげたくないと断られ失敗に終わっていた。


困った野球少年は、教室にあった大量の輪ゴムを銀紙に包んで、プレゼントを作っていた。当たった人がかわいそうだろと言う声に紛れ、僕はそれを狙っていた。


ミサンガというちぎれると願いが叶う謎の編み物が欲しかった僕は、手に入れられる場所がわからず、代わりに手首に輪ゴムをはめて生活していた。ミサンガをしている子はお金持ち。ハサミよりカッターを持っている子。鉛筆よりシャープペンシルを使っている子はお金持ちだという、謎の固定観念に縛られていた。当時シャープペンシルを使っているとバカになると言われていて、鉛筆のみに指定されていた。その法の穴をくぐり抜けるように、鉛筆に見えるシャープペンシルを持っている子にも憧れを抱いていた。


イスを円にして囲み。フルーツバスケットや椅子取りゲームなどで遊んだ後、お待ちかねのプレゼント交換が行われた。カラフルに身を包むラッピング袋と、渋い色味をした銀袋が軽快な音楽に乗って流れる。


みんなは絶対にいらないとばかりに銀袋を速く次の人に回し、僕は輪ゴムが欲しいと宣言をして、止まるように調整してもらった結果。悔しくもお菓子詰め合わせになってしまい、輪ゴムが止まった女の子はしっかりと泣いていた。


家では喋らなくなった僕だが、学校では陽気なキャラとして人気があった。自ら考案したオリジナルゲームで遊んだり、替え歌を作って披露したりと、休み時間が始まれば僕の周りを取り囲んで人が集まっていた。


先生の前では、恥ずかしく授業中にふざけたりすることはなかった。おとなしいのにいつも友達が多いことに先生は不思議がっていた。先生にもふざける姿を見せてほしいと言われたが、顔を赤くしてうつむくだけだった。


先生には見せない姿があった為か、トラブルが起きると僕が疑われることが多かった。友達を無視しようと提案した。ボールを片付けずに放っておいた。裏で沢山悪さをしていると思われたのだろうか。友達が同じ空間にいても僕だけが怒られた。


それでも人気者、お調子者として存在している。勉強はできないがスポーツは万能で、クラス対抗ドッジボール大会では僕を最初に潰そうと各クラスの名プレイヤー達に狙われていた。ひょうひょうと避けながら、甘い球を逃さず捕まえる。避けにくい足元を狙い次々と倒す。


優勝に貢献した僕も喜び、大きく手を挙げたいた中で、どうしても狙えない女の子がいた。 


僕が暮らしている街はドッジボールが盛んで、男子に限らず女子でも強い人が沢山いた。クラブチームに所属している子も多く、自然と僕が上手くなっていたのも彼女たちのおかげである。


師匠とふざけて呼んでいた、目元にあるホクロがトレードマークの女の子。師匠と呼んでいたのは、本当に強かったので勉強させてもらっていたこと。師匠と呼んでいたのは、その子の名前が恥ずかしくて呼べなかったこと。照れ隠しの師匠は誰にも浸透せず、僕だけがずっと呼び続けていた。


初めての恋。何をしていても師匠、いや、彼女の顔ばかり見てしまう。窓の外を見る振りをして目線のすこし下くらいで見えるように調節して、教壇に立って作文を読んでいる彼女をチャンスとばかりに、網膜にそして脳内に焼き付け見ているだけで自然と顔を赤くしていた。


日を増すごとに彼女に対し上手く喋られなくなり。師匠と呼ぶことも失礼ではないかと思い始めると、声のかけ方がわからなくなっていた。


バレタインデーでもないのに彼女は突然、イカとチョコのお菓子が欲しい人は買ってきてあげると独り言のようにつぶやいた。誰も聞いていなかったのだが、僕の耳だけには一語一句完璧に聞こえ、欲しい欲しいと勢いで手を挙げた。本当に貰えるとは思っておらず、ただの冗談で終わると思いそんなに期待はせず、その時は終わった。


次の日の休み時間に、ハイ、と手渡され。すっかり忘れていた僕は昨日の事を思い出し。心の底から爆発しそうなくらい嬉しかったのに、スカしてありがとうと言ってしまったことを授業中に反省していた。


机から飛び出す、プリントや片付けられない汚いお道具箱の中にお菓子を入れ、宝物のように大事に見ていたことで、先生に当てられていることに気づかないままの僕にクラスが湧いていた。


プールの匂いと言われただけで、思い出す香りが鼻の中に入ってむせる。臭いではなく匂いと表記したのは、スイミング教室に通っていて慣れていたことと、むしろ好きだったことが変わっているねと言われる要因でもある。変わっていると言われることが嬉しいと言うと、それが変わっていると言う流れは、もう飽きていた。


小学校水泳大会。種目はスピード部門と距離部門とで別れた。僕は迷わず距離部門を選んだ。スピードから逃げたわけではない。覚えたての平泳ぎにどっぷりとはまっていて、永遠に泳げる気がしていたからだ。


初めに行われたスピード部門を、プールの横を早足で追いつきながら応援した。


そして距離部門。自信がない子は先に、ある子は後ろにと並び替えられ、僕は迷わず一番後ろに並んだ。何泳ぎを選んでもいいルールだがクロールを選ぶ人が多く、中にはふざけてバタフライに挑戦していた人もいて、飛び散る水しぶきが興奮を盛り上げていた。


いよいよ回ってきた出番に緊張をゴーグルで隠した。ここまでの最高記録は百メートル。よーいドンの合図で一人だけの平泳ぎが始まった。あっというまにクロールで泳ぐ姿は先の方へ。それでもペースを乱さず二十五メートルの壁を蹴ってターンをした。


五十メートル。七十五メートルと次々脱落していく中で、百メートルを目指していたのは僕だけとなり。記録更新の百メートルをタッチターンしたときには歓声が上がった。 


四時間目から泳ぎ出した平泳ぎは給食の時間に突入した。まだまだ体力はあったがギャラリー達は一人の生きる伝説の姿よりも、献立の揚げパンに夢中で、残ってくれた幼稚園の頃からの親友以外は教室へと戻っていった。もはや誰も興味はないと空気を読んで足を着いてしまい、結果は千二百八メートル。この八メートルが、距離か空気かを選ぶ葛藤の記録だ。


相模川流れる雄大な景色が僕達を包み込む。同じ色の動きやすさを重視した体操服に身を包み歩いていた。決まって赤白帽は三分間の正義の味方で溢れ、無駄にデカい水筒が宙を舞っていた。


帰る時のことを考えると嫌になる急な坂道を小さなヒーローは突き進む。これから一泊二日の宿泊体験学習が始まろうとしている。秋の修学旅行に向けて背筋を伸ばす為だ。


弓矢で頭がいっぱいの僕はしおりを開いた。漫画好きの女の子が書いた悪意のある表紙と何度も確認した持ち物のページを飛ばし、体験学習の日を確認した。弓矢、竹とんぼ、竹笛など、自分がやりたい体験を選び、一から作っていく。


迷わず弓矢を選んだ僕。男と武器は切っても切り離せない関係で、丁度いい長さの棒を探させたら日本一と勝手に自慢するくらい、武器という言葉に弱い。


武器作りだけを学びに来た僕にとって、それ以外の日程はどうでもいいと思っていた。初日は野外調理から始まり、飯盒を使ってご飯を炊き、地元の野菜を使いカレーを作る工程だ。


班ごとに調理していくのだが、まったくやる気のない僕は、前にやった事があると嘘をつき他の子にやらせはじめた。一度も手を下すことなく、手際の良い女子達が着々と進めていた。


炊飯器もろくに知らない僕の目の前に飯盒が並ぶ。焦げないように見る係に任命された僕はドッシリと構えていた。


同じ班ではない師匠を探す。師匠は野菜を切っていた。恋焦がれる僕は任務を降り、気づかれないように伸びをする振りをして視界に入れてみたり、男子にちょっかいを出してみたりと、目線で追っていた。


僕自身は気づいていなかったのだが、あまりにも露骨すぎる行動を見かねてか、師匠のもとへ、同じ班の女子が耳打ちをしているのが見える。僕は直接好きだとも言ったことはなく、ましてや周りの男子にも伝えてはいない。それなのに、師匠を先頭にした女子軍が近づいてくると僕はすかさず任務に戻った。


背後から師匠の突っかかりのある声で、一緒に野菜切ろうよと言われた僕は、耳打ちをしていた女子軍団に騙されまいと、面倒くさそうに返事をした。それでも食い下がる師匠を目の前に、感情が抑えきれなかった僕は、渋々と言った感じで立ち上がり、野菜を切り始めた。


これは何かのドッキリにかけられているのだと、疑心暗鬼に陥っていたが、そんなことよりも興奮で頭が回らずに何を言っているのか自分でもわからず、彼女を困らせてしまっていた。


当然のように眠れない夜を迎えた。親友と僕は紛れもない能力者である。何の能力も生まれてないが、当時流行っていたシャーマンを題材にしたアニメにハマっていた僕達にもその能力が宿っていると、その身を隠したまま学校生活を送っていった。


早めに夕食を食べ終え部屋に向かうと、二人きりで行っていたのは召喚レースであった。何かが見えている僕達は空想上の生き物を現実世界に召喚することができる。


僕はドラゴンを召喚し、親友はケルベロスを召喚した。先に三週した方が勝ちというルールで勝敗を決め。全体を見回せるように、押入れの中段に座りレースを見守っていた。


スタートの合図の待つ、ドラゴンとケルベロスが一斉に走り出すと、ドラゴンは布団を豪快に蹴り飛ばし、ケルベロスは枕の束を破壊していった。


つい熱が入り大声で応援していると、夕食を食べ終えた同じ部屋の子がドアを開けた。カラオケの熱唱中に店員さんが入ってくるような気まずさが立ち込め、何もなかったように静かになった。


それでも気になった友達から、何やっていたの?と聞かれてしまい、僕は迷わずレースと当たり前かのように言い。その気迫に怯んだ友達は、その後は何も言わず黙ってくれていた。


頭上にマクラが飛ぶ。


能力者からどこにでもいる普通の小学生に戻った僕を夜は眠らせてくれない。二十二時の消灯まで部屋の中で暴れまわる。強制的に全部屋、全フロア電気を落とすと聞いていた僕の右手が徐々にうねりだす。僕だけに見える悪魔の手で枕を拾い上げ、早くも寝ようとしていた友達に叩き込んだ。投げやすさを重視した固めのマクラが顔の上でしなる。


眠気も吹っ飛んだ友達が僕に普通の枕を叩き込む。ドッジボールをイメージしていた僕は体で受け止めた。僕達のやり取りを合図にいくつものマクラが宙を舞った。風呂上りだということも忘れ、流した汗の上に新しい汗が塗り替わる。


夢中になりすぎている僕らの部屋に大人の視線が漂うと、いち早く気付いた僕はゆっくりと布団の中に潜り込み寝た振りをした。


カウントダウンが始まる。二十二時の消灯時間でさえも興奮は鳴りやまず、年越しのような雰囲気の中、三分前から小さな声で数え始めた。


全員布団の中に入り、つけたままの蛍光灯を見ながら一分前に向かう。はみ出す足をぶつけ合いながら、長く感じる時間さえも楽しんでいた。


五、四、三、二、一。ゼロと互いに見えていた満面の笑みに、暗闇が包み込まない。慌てて時間を確認すると、二十二時は回っていて、廊下に顔を出すと各部屋からの目があった。消えない、消えないと漏れ出す声をかき消すように、先生が階段を上がってくると、他の宿泊者の方もいるので各部屋電気を消してくださいと言われ、今夜最大のイベントはテンションと一緒に明かりを落とした。


明日の弓矢作りに気持ちを切り替え、眠りにつきながら今朝の師匠との野菜切りを振り返っていた。正面も横顔も可愛い。男っぽい性格で正面も横顔も可愛い。顔が可愛い。顔が、可愛い。


眠りにつけない誰かの声で、好きな人いる?という質問が空間に投げかけられ、各々がいないだとか、前はいたなどの嘘をついていた。僕も同じように好きな人の顔を思い浮かべながら、いない、と答えていた。


時計の針は重なり真っ直ぐに上を向いた頃に、行くか、と誰かが言った全貌は言わずともわかる言葉に、僕達はどよめきながらドキドキしていた。


女子部屋。


女子部屋に行かずに何をしにここまでやってきたのだと言わんばかりの暗闇に光らせる目に圧倒され、僕も作戦会議に混じっていた。


僕達が眠る二階から、一階の部屋で眠る女子達に辿り着くには、非常に困難であることがわかっていた。難所は三つ。一つ目は部屋を出てすぐの廊下で監視する先生。二つ目は一階の廊下を監視する先生。そして三つ目は、どの部屋に同じクラスの女子が眠っているかということだった。


作戦を成功させるためには犠牲者が必要なことがわかった。運よく部屋にトイレが付いておらず、トイレに行きたいと先生を廊下から離し、その隙に階段を下りる。同じく下の階で道に迷った振りをし一階から離している隙に部屋を探す。仮に同じ部屋場所で寝ているとしたら、僕達と同じ端の部屋だろうと、後は運との勝負しかなかった。


この作戦には必ず二人の犠牲者が出てしまい、あまりいい作戦とは言えなかった。いけないことが分かった上で自分を犠牲にしてまでやることなのかと、頭を悩ませた末に出た答えは、何の捻りもなく全員いれば怖くないという、当たって砕けろ作戦だった。


まずは部屋から薄暗い廊下を覗き込むと、廊下に佇んでいるパイプ椅子だけが置かれていた。誰もいない。パイプ椅子は僕達の幸運を祈るように、ただ黙って座っていた。


すんなりと一つ目の難所を突破すると、階段をゆっくりと降りて行き、尾行する犯人を物陰から見るように、顔だけを廊下に出して見た。すると二階と同じようにパイプ椅子だけが置かれており、誰もいなかった。怖い。逆に怖い。


先ほどの時間は何だったのだろうかと、無事辿り着いた最後の砦。同じ顔をした扉の中から一つだけある宝箱を見つけ出す。すこし余裕が生まれた僕達は廊下で作戦を立て直していると、その声が大きすぎたせいか、宝箱の方から開きだした。


うるさい、さっきから全部聞こえているから。と戸惑いを隠せない六つの顔に興奮した僕達は、隠れるように秘密の花園へと足を踏み入れた。同じ部屋なのに香りと雰囲気が違うのはなぜだろうかという疑問と師匠の顔がハッキリと浮かび上がっていた。


楽しむ僕達は、帰宅時のことなど一切考えておらず、気が付けば朝まで廊下で立たされていた。


部屋に朝日が差し込む。結局一時間ほど立たされていた僕達はぐっすりと布団の中で眠っていた。夢の中に先生が入り込んでくる。起きろという雑な目覚ましに反応する、僕達のもとに重い空気が漂っていた。


こっ酷く怒られた僕達は、起きてからも元気を取り戻すことができず、誰も喋らないまま、レストランに向かっていった。それでも腹が減って仕方ない成長期に、味噌汁や鮎の焼き魚を噛みしめながら、今日の日程を思い出す。


弓矢。待ちに待った弓矢作りが僕達の顔色を自然と明るくしていった。


食器を片づけ、レストランを出てから部屋の中までに鳴り止まない弓矢コールに騒ぎ出した僕達に、先生は口元に人差し指を立てた。


ものづくりの授業が始まった。工房風のスペースに並ぶ僕達は見たことのない道具を見回しながら、直接地面に座る人とヤンキー座りをする人に分かれ、誰かの登場を待っていた。


頭にタオルを巻いたおじさんが目の前に現れ、誰だろうと思いながら見ていると、話し出すおじさんが弓矢の作りの名人だった。気が緩んでいた弟子たちは元気なあいさつで迎え、お互いに頭を下げた。


太い竹、緑の竹、細い竹。竹の説明を始める名人に僕は地面に絵を描いて遊んでいた。熱心にメモを取る弟子たちから後でノートを見せてもらおうと企みながら、弓矢よりも先にゾウさんが出来上がった。


さあ始めましょうという声に反応し、僕は重い腰をあげた。やっときたかと思いながら、手渡された緑の太い竹を見て、かぐや姫じゃんと言った僕に、さっき言ってたしと笑われる。被せるように孫悟空と言いながらポーズをとるが誰も見ていなかった。


名人は、一つずつ丁寧に説明をしながら各グループを回る。内側に曲げた竹は折れずに力強くしなる、それに対し外側に曲げた竹はすぐに折れた。大きなリアクションをとる僕に対し、薄い反応をする友達を見て、名人に聞いていなかったことがバレてしまった。


着々と進むものづくりが楽しく、誰の頭を突きぬこうかと考えながら手を動かした。


完成した弓矢に、僕の矢が飛んでいかない。同じように作っていたはずなのに、しっかりと的にぶつかる友達を横目に、大きくしならせた弓が手を放した場所に落ちてしまった。


どこまで飛ぶか勝負しようという親友に断れず、僕は受けてたってしまった。どう頑張っても飛びそうにない弓矢を手に悩みながら、最初はパーとズルを挟み後攻を選んだ。


負けを確実の物にしながら、状況を打破する為の時間を稼いでいる間にも、親友は着実に的に当たっていた。僕はまずまずだなという余裕の表情を見せつつも、体からは大量の汗が噴き出ていた。


僕は最後まで争うように、ゆっくり、ゆっくりと構えながら最善の方法を思いついた。真剣な眼差しから放つ弓が、その場に落ちる。ふざけたと思った親友は腹を抱えて笑った。もう一度しならせた弓がその場に落ちる。これを何度も繰り返し、勝負だということを忘れさせるために、弓を持ったまま的に向かって走り出した。


ありがとうございましたと、声を揃える僕達は学校に戻る。たくさん迷惑を掛けてしまった名人と施設の皆様に頭を下げた。


夢のような出来事から、現実に連れ戻すように急な坂道を登り始める。山の隙間に夕日が沈み、沢山の影が嬉しそうに後を追いかけてきた。


おい。いい加減にしろよ。


バックミラーを使い、こちらの様子を伺う父親は、僕達兄弟を睨んでいた。特に喧嘩をしていたわけでもなく、いつものように戯れあっていただけだったのだが、冗談が通じない父親はまたしても不機嫌そうにハンドルを握っていた。


僕はまた車内から、窓の外へと目線を移し。電気を発するネズミのキャラクターを、宙に浮かせて遊んでいた。


ネズミをくるくると回していると、アームレストに乗せていた右腕に痛みが走った。僕は反射的に目をやると、兄も僕と同じように窓の外を見ていた。僕は気のせいだと思い、また電線にネズミを走らせて遊んでいると、今度は先程より長めに腕を摘む感触が続いていた。


僕は痛みを我慢しながら兄の方を見てみると、口に手を当てながらほくそ笑む姿が目に映った。また大きな声で騒ぐと怒られると思い僕はいつまでも我慢を続けていたのだが、兄はつねる指を段々と強くしていき、僕の歪む表情を見ながら楽しんでいた。


待ちに待ったこの日。緊張で眠れずに過ごした夜のまま、家を出ていった。


マンションのエントランスでは班長が点呼を取っていた。いつも通りに遅れてもやってくる僕はあらかじめ人数に入れてあった。どこに行くの?と聞く低学年の子達に、おしえないよという僕はどこに行くかをはっきりとは知らない。


なんとかという場所の名前などすっかり忘れていた。日光とうしょうぐう、けごんの滝。言葉のリズムだけで覚えた場所が、とちぎ県とは結びつかないでいた。


修学旅行に行けるようになったらわかるから、楽しみに待っていたほうがいいでしょと言って、場所が聞きたいと食い下がる低学年の子達を追い払うように、校門へ着くなり走って逃げてしまった。


一度教室へ集まり、注意事項と日程を確認し、目指すはとちぎ県、と言われても、どこにあるかわからないので行き先はどうでもよかった。


校門まで戻ると、大型バスが出発の準備を整えていた。もうこの場所ともお別れかと感傷に浸り、二度とこの街にも帰ってこないのかと人生最後の風景を目に焼き付けながら、ちゃんと三日後に戻るバスに乗った。


僕は最後尾に座り、車内から見えた同じ名字を第二の実家と呼びながら、大型バスは栃木県へと向かった。


同じ風景の連続に飽きた僕はすぐさま目をつむった。聞こえてくるバスガイドさんによるとちぎ県クイズに興味が湧かず、ひたすら眠った振りをしていると、後部座席で子供達が全員寝ているとう僕達のことを指しているのが声がマイク越しのスピーカーから聞こえ、僕達は我慢できずにニヤついていた。


途中で立ち寄ったパーキンングエリアトイレを済ました後、バスに戻る前に、名前のわからない山を背景にした写真を撮ろうと、友達を無理やり並ばせ、インスタントカメラを向けシャッターを押した。この場所が栃木県だとは気付かずに、あと何時間で着くのだろうと思うまま、日光東照宮に着いた。


見たところでも興味は湧かなかったが、誰かが猿がいると言って騒いでいた。見ざる、聞かざる、言わざる。見回すと物語になっていると言うらしいのだが、僕はカワイイという理由だけで写真に収めた。続けてみた眠り猫もカワイイだけでカメラを覗いて収めた。あとは昨日のバラエティ番組を友達と語りながらバスに戻った。


華厳の滝に向かう途中にいろは坂と呼ばれる、レース場があることは知っていた。いろは歌の、いろはにほへとが看板に現れるとガイドさんは言うので窓に顔を押し付けて見ていた。


その前にいろは歌が何かわからないと思いながら、い、と書かれた看板を見つけ興奮したのだが、窓側に押し寄せられたことで、ろから探す気は無くなってしまった。バスは大きく右へ、左へ揺さぶられることで、アトラクションのような興奮が上回り、曲がってもいないのに、重力に揺さぶられた振りをして友達にタックルをかましながら頂上に向かっていった。


華厳の滝に着くころには具合が悪くなってしまい、吐きそうになる体を水しぶきとマイナスイオンが少し落ち着かせてくれた。


一日目を終え、忘れずまくら投げをしながら、頭の中では明日の夜のことを考えていた。


二日目の夜は、自由にレクリエーションを考えていいことになっており、各クラスから代表案を出し、先生達による会議の結果で内容が決まることになっていた。誰もが室内で遊ぶゲームを考えていたのだが、度胸を試すように放った誰かの余計な鶴の一声が、大きく舵を切ってしまった。


肝試しなんか、いいんじゃない。


夜なので外はダメだろうと思い込んでいた所への、余計な一言。鎖を外されたように、舞い上がっていくクラスを横目に見ながら、僕だけは最後まで反対していた。一度も入ったことがないオバケ屋敷。必ず耳を塞ぐ怪談話。テレビを見ている際に流れる心霊映画のコマーシャルはすぐさま目をつむり、手探りでリモコンを探して、すぐさま他のチャンネルに切り替えるほど、心霊系にとてつもなく僕は弱かった。


通らないでくれと、一生のお願いを使い最後まで祈っていたのだが、後日先生達による会議の結果、見事肝試しが採用されてしまった。僕はイスにもたれた力の抜けた手を友達に無理やり掴まれ、ガッツポーズをさせられた。心霊系が苦手なことを知っている友達はこの日の夜。女子部屋に行くことを忘れ、怪談話を始めた。


僕は出来るだけ聞こえないように布団の中に包まり、手のひらで耳を塞いだ。それで僕に聞こえるように、わざと大きく話し始めた声をかき消すように、僕はあああああああと言い続けて対抗していた。


眠れなかった夜は続き、朝を迎えた。二日目は日光江戸村からの始まりだった。忘れよう、忘れようと思うばかり不安になっていく頭を振り払うように、招き猫をモチーフした、今で言うゆるキャラのニャンまげの可愛さに、気持ちを落ち着かせていた。


アトラクションの一つに忍者仕掛け迷路という、回転扉などがある巨大迷路があり、すっかり忍者モードに入る僕達の行く手を阻むように、様々な仕掛けを攻略して進んでいったのだが、これ以上進む方法が見つからず、本格的に閉じ込められてしまった僕達は、壁の下を這って潜り抜けるという暴挙を使い、何とかゴールまでたどり着いた。


本物の忍者を見てみたいと次は忍者屋敷に向かった。部屋の中はとても狭く、隣の人と肩がぶつかっている状態の中で演目は始まった。客席の前にはまだ誰もいないのだが、不安を煽るように暗闇の時間がしばらく続くと、雨雲が立ち込めるようなゴロゴロと言ったつんざく音が場内に響き渡ると、いつの間にか目の間には、忍者が一人立っていた。そこからは屋根裏や部屋の下から湧き上がってくる忍者達に、僕は釘付けになっていた。そんな時、一人の忍者が登場と共に足を滑らせ、人間らしいうめき声をあげてしまい、会場が意に反して笑いに包まれていた。


昼食を忘れ、透明の刀を振りかざしながら場内を歩いていると、因縁の弓矢道場を見つけた。あの日以来僕のあだ名が弓矢に少しだけなったのだが、再び呼びだされた弓矢対決を前に、僕は親友に決闘を申し込んだ。


中に入ると、僕達が作ったものとは別物の本格的な弓矢と的が、そこにはあった。一回六百円という金額に、少ないお小遣いでは高額に見えてしまい、弓矢対決を目前に怯んでいた僕達の後ろで、陽気に鳴らす機械音が気になった。


そこにはゲームセンターによくある、クリアすると景品がもらえる機械が置いてあった。普段やらせてもらえないゲーム機に目移りし、弓矢対決をするかどうか悩んでいた。


あの時の屈辱を果たし弓矢界のレジェンドになるべきか。それとも景品をゲットし、お土産として持ち帰り、母親に喜んで貰うべきなのかという究極の選択に阻まれていたのだが、時間が経つに連れ、なぜ江戸の町に最新ゲーム機があるのかという疑問が湧いてきてしまい。冷静になった僕達は、腹の鳴ったお腹をさすりながら、お団子屋さんを探し始めた。


その時は訪れてしまった。


元気がなくなっていく僕を見て友達は笑い、喉を通らない夕食を過ごした後に、ぞろぞろと外にでた。最後まで抵抗しようと、怖くない振りをしながら歩いていく。


夜を色濃く映し出す森の中。先生達が用意してくれた街灯に連れられて奥へと進んでいき、五分ほど歩くとアリの巣みたいな森の部屋が存在していた。


僕達を部屋の中へと集め、砂利の上に座らされた。何かいるよ、何か動いたと僕に向けて怖がらせるように、友達は話していた。いつもならうるせえよと振り払うのだが、体力、気力ともに無くなった僕の顔は、誰よりも白くなっていた。


先生は語りかけるように、小さな声で話し始めた。未だに騒いでいる生徒達には目もくれず、先生はそのまま喋り続けていた。雰囲気の違いに段々と気付き始めた生徒たちの声が、一つ、また一つと消えていく。先生の声は話し始めた時と同じ大きさだったはずなのに、届く距離が広がっていく。僕は手のひらで耳を塞ぎ、じっと耐えていた。


この森は呪われてしまい、この森を救うためには勇者の剣が必要である。その剣はこの森の奥へと進まなければならない。班ごとに分かれ、みんなで協力して、この森を救おうという、ただの説明をしていたのだが、僕は勝手に脳内で怪談話に変換してしまい、耐えきれず号泣してしまっていた。


僕は崩壊したダムのように、止めどなくあふれる涙を抑えることができずにいると、僕の震える体に寄り添い手を握ってくれたのは、隣にいた師匠だった。師匠はいつまでもからかってくる友達にやめなよと一喝し、声をかけてくれた。


僕は泣きながらも、手を握れている嬉しさと、この森の恐怖との感情が混在し、師匠とは違う班であったが、手を握ったまま一緒に歩いていった。


懐中電灯を受け取り。森を進んでいく先には、街灯の変わりにコスプレをした先生たちが立っていただけで、怖くはなかった。徐々に恐怖に慣れ始め、僕の手を握る先に師匠がいることに冷静に気がつくと、恥ずかしさが込み上げてきたのだが、僕はいつまでも握っていたくて、ずっと泣いていた。


昨日まで見ていたグラウンドが懐かしく見える。卒業生となった僕は親友と母校に向かっていた。中学生になるまでの間とくにやることもなく、母校に忍びこみブランコで遊んでいた。


しばらくして、特別ゲストを呼んであるという親友に、誰だよと僕はツッコミを入れていた。


グラウンドの先から手を振る二人組が現れ、僕はまだ誰かを確認できていないのだが、迷わずに振り返す親友の横で、僕はブランコを漕ぐのをやめていた。


親友がアイスを買いに行こうと言い出し、走り出した自転車の荷台に緊張を乗せて、僕は春の風を切っていった。


暑いなあ。暑いよなあ。


ひとりごとなのか、話しかけてきているのかわからない父親の言葉に、僕は聞こえていないように振る舞った。


近所のビデオショップに向け走り出している車内で、今日は何を借りようかと考えていた。一度に三本までしか借りられないために、毎回頭を悩ませていた。といっても、トムとジェリー、チキチキマシン猛レースは必ず借りていた。残りの一本がなかなか決められず、結局はボキャブラ天国を選んでしまうのだった。


田舎特有の無駄に広い駐車場に車を止め、父親の背後を付いて行くように、店内に入っていった。


一階が雑誌、漫画、小説の書籍コーナーで。螺旋階段を上がっていくとビデオコーナーが設けられている。まずは借りていたビデオを返却し、また新たに借りていくビデオを探し始めた。


僕はアニメーションコーナーに入り、トムとジェリーとチキチキマシン猛レースの次の巻を手に取り、お笑いコーナーに移動した。父親はどこかに消えてしまい、一人で店内をウロウロとしていた。


ボキャブラ天国のビデオを手に取り、裏面を見て、誰が収録されているのかを確認する。特に誰が好きということは無いのだが、海砂利水魚というコンビ名の読み方がいつまでもわからずにいた。


毎日のように眺めていたグラウンドを見ながら、徒歩三分で春が始まった。見慣れすぎた校舎よりも、学ランによる首元の締め付けが気持ち悪かった。中学校からは、登校班ではなくなると兄から聞いていたのでそれが嬉しかった。


体育館に集められた生徒たちの背後に、よそ行きの格好をした親達が座って並ぶ。僕は校長先生からの未来に向けた挨拶の最中、胸元の花びらで遊びながら過ごしていた。


体育館を後に一年C組へと歩き出す。五クラスまで別れた教室に、いつもの顔といつもいなかった顔。二つの小学校が合併して中学校は誕生する。また作り直さないといけない、人間関係に嫌気が差していた。 


中学校に入る前。もう一つの小学校は、ガラの悪い子ばかりがいるという噂が流れていた。僕は恐怖に怯えながら、ハ行の椅子に座った。


やはり、これから仲良くしていこうという空気よりは、お前らに舐められてたまるかという、思春期特有の喧嘩腰のような空気が漂っていた。僕は今まであだ名で呼ばれて過ごしていたのだが、初対面にも関わらず、噂のガラの悪い生徒に、いきなりお前と呼ばれたことにショックを隠せないでいた。こんにちまで遭遇したこのないタイプの粗い言葉遣いを使う生徒達。そして今で言う、スクールカーストによるボスの存在があらわになっていた。


何部に入るのか決めていなかった僕は、親友と相談をしていた。四つ上の兄が以前ソフトテニス部だったこともあり、自然と同じ部活には入りたくないと思い候補から外していた。迷った挙句、走るのが好きだという親友に合わせ、まずは陸上部に体験入部することにした。


しかし、初日から外周をただ五週走るだけの無意味な体験をさせられ、長距離が苦手な僕は苦痛の表情を浮かべていた。三週目に差し掛かる頃には、長距離が得意な親友の背中を僕は見失い、一緒にゴールしようねという、長距離走ならではの常套句に僕は騙され、そのまま陸上部をやめた。


ニコイチの僕達は同じ部活に入るべく、新たに探し始めた。卓球部に行ってみるも、体育館を使用するために他の部活と重なり週三日しか活動していないと言われ。今更野球やサッカーを視野に入れることもできず、結局は消去法としてソフトテニス部に行ってみるのだった。


初めからコートに入れてもらうことはできず、練習用の空いたスペースを使い、先輩のラケットを借りてゴムボールを打たせてもらった。その爽快感が僕と親友は気に入り、結局兄と同じ道を選んだ。


ソフトテニス部に決めたことを母親に報告をすると、それを聞きつけた兄に以前使っていたラケットを渡された。ラケットまでお下がりかと思った僕は色が気に入らないと言って、まだ体験期間中だったが青いラケットを買ってもらい入部届を出した。


後日、下駄箱からテニスコートに向かう道中で、早くもラケットを持っている珍しさからか、僕と同じようにラケットを背負う天然パーマの生徒に話しかけられた。そして彼から何の脈絡もなく、お前のラケット見せろよと言われ、お前恐怖症に陥っていた僕だが、仲良くなるチャンスだと思い渡してみた。


盗られる、壊されるかもしれないと、最悪のケースを想像しながら身構えていた僕に、パーマくんは良いの持ってんじゃんと言いながら返してきた。


この流れからして、今度は僕の方から彼のラケットを見せてほしいと頼むと、なんでお前に見せなきゃいけないの?と思ってもみない展開をくらい。キレ気味で去っていくパーマくんの背中に、僕は殺意が湧いていた。


僕は緊張のあまり学校を一週間休んだ。


久しぶりに入ったクラスは賑やかだった。他校同士とはいえ、友達の輪はすぐにできていた。出遅れたことにより焦りを感じていたが、久しぶりに見た僕のもとへ人は集まった。この時僕は、小学生の頃と同じように、人気者だと思い込んでいた。


共通の友達を通じて、新しい友達を着実に増やしていく。授業中のおとなしさは健在だが、休み時間になればふざけだし、教室の後ろにかたまっては、架空の刀で切って切られる遊びをしていた。


クラスのボスは今日も騒いでいる。自己中心型とはボスの為の言葉で、席替えの際は最後尾を陣取り、文句を垂れていた。ボスは、ノートも取らずにただ喋っているだけなのだが、前の席に座っているやつがデカすぎて、黒板が見えないと言い始める。


そのデカすぎて、が僕のことなのだが、僕はふざけて机に伏せるように顔を押し付け、視界をボスに開けてあげた。僕を知らない子達は引いていたが、僕を知る子達はおふざけの延長だと思い、笑っていた。


この行動が功を奏し。休み時間にいつものようにふざけていた僕の元へボスがやってきて、お前名前は?と聞かれるのだった。


慣れないお前という言い方に傷付きながら僕は答えると、その日からボスは僕をあだ名で呼び始めた。授業中や用もないのに呼ばれ、休み時間も混ざって刀で切って切られて遊ぶようになった。ボスはやられる振りが恥ずかしかったのか、切る専門として、見事に切られる僕の姿に腹を抱えて笑っていた。


ボスと仲良し。クラスに漂い始めた空気に、僕の地位も上がっていった。


兄同士が同級生だったために、クラスに聞き覚えのある女子がいた。偶然、その弟である僕と、妹であるギャルが同じクラスになり。共通していることは少なかったのだが、そのギャルの妹の方から声をかけられた。


僕は突然名前を呼ばれたことに驚き、頭が真っ白になり何も反応できなかった。女子を目の前にすると、意識をするあまり挙動不審になってしまい、上手く話せずにいた。


次の日もギャルは僕が教室に入ってくるなり、おはよう、と言って声を掛けてきた。僕は頭で考える言葉が声として出すことができず、うん、とだけ言って離れようとした。それでも明るいギャルは、うんじゃなくて、おはようでしょと言って僕の肩を叩くのだった。痛いけど、嬉しい。


男友達は増えたのだが、女子とはうまく話せず友達はいなかった。しかし、ギャルが必要以上に、僕に寄り添うようになり、回りの女子も話しかけてくるようになった。


休み時間。僕はイスに座り、ギャルは僕の机の上に座るという、カップルのように近すぎる僕達の周りを女子達が囲っていた。


ギャルは僕に、手をだしてと言い。また叩かれるのではないかと思いながら手を差し出すと、赤いペンで僕の手の甲に、ギャルの名前を書いた。僕は平然を装い、黙ってそれを見ていたのだが、全身が硬直していることに気づいていた。


消したら罰ゲームだからねと言う彼女の言葉に、これが罰ゲームだからと、おどけて返したかったのだが、僕は呆然と、うん、とだけ答え。彼女が僕の背中を叩くことは無かった。


学校では珍しく僕は携帯を持っていた。使った分だけ料金が掛かるタイプだったが、安全の為にと持たされていた。


携帯に見覚えのないアドレスからのメールに本文を確認すると、ギャルからのメールで、今週暇?と書かれていた。僕は彼女とアドレスを交換した覚えがないのだが、もう一度本文を確認すると、〇〇から教えてもらったという文章も書かれていた。


勝手に教えることは、僕は気にしていないのでどうでもよかったのだが、問題はその後だ。


僕は告白されるのかと思ったのと同時に、リンチされている自分の映像も頭に浮かんでしまった。告白と称し呼び出されたあげく、陰に潜むヤンキー達が現れ、ボコボコされるのではないかと考えてしまい。僕は忙しいと言って、断ってしまった。


次の日。彼女からのいつもの、おはよう、がなくなった。内心は焦っていたが、うっとうしいから良かったと開き直り、席に着いた。


そんな僕を見つけた女子達に、何で断ったの?と問い詰められ。僕はもちろん感づいていたのだが、とぼけるような態度をふるまっていると、昨日の真実が伝えられた。


告白だった。


少しだけ残念がったのだが、付き合えなかったことよりも、付き合っていることがクラスにばれ、イジられる方が嫌だったので、気にせず過ごした。


この日を境に、二人の間に亀裂が生まれ、話しかけられなくなってしまった。


正式にソフトテニス部へ入部し、期待が高まる。新入部員は十二人で、同じ小学校にいた生徒は僕を入れて三人。残り九人は他校の生徒だった。あの日のパーマくんとはできるだけ距離を置きながら、初めての練習が始まった。


女子テニス部もあったのだが、男女ともに一コートずつしかないために、限られたメンバーのみがコートに入ることが許されていた。僕達新入部員は、コート外の空きスペースに集合し、二年生の先輩から教えてもらうことになった。


最後の大会に向けた三年生は、コートの上で練習していたのだが、その中に二年生が数人混じっていることを教えられた。顧問の独断で、素質があると見なされた生徒はコート内に入れてもらえるということも教えられた。


先輩の指導のもと、まずはラケットの握り方から教わった。僕は先輩の手元を見ながら、真似るように握る所からのスタートに対し。新入部員の中には、その工程を全て飛ばし、ボールをネットに打ち込んでいる生徒もいた。見てわかるように、ソフトテニス経験者がいることをこの時初めて知り、レギュラー及びコート上へのチケットを獲得することに暗雲が漂っていた。


その中にいたパーマくんも経験者だとわかり、僕は少し苛立っていた。初日から経験者と未経験者の優劣がつき。僕と親友は引け目を感じながら、ボールに触れることもなくラケットを振り続けていた。


二日目は声だしの練習から始まった。練習中はなんでもいいので、声を出せと言われ。そのなんでもいいという自由性を与えてくれているようで、逆にセンスがいるような振り幅のある教えに、疑問が湧いていた。


先輩達は、ウエーイやアーイなどの個性あふれる声だしをしていて、僕はものすごく恥ずかしさを覚えた。


僕以外の生徒は見よう見まねで声を出していた。活気が溢れ、盛り上がっていく雰囲気に飲み込まれてしまい。ますます何を言えばいいのかわからず、顔を赤くして狼狽えていた僕を見て、先輩からリンゴちゃんというあだ名でイジられてしまった。


僕はより一層辱めを受け、泣いてしまいそうになっていたが、せめてもの抵抗で、うるせえヒョロガリ、と内心で罵倒した。しかし、現実世界での僕の顔は愛想笑いをするのが精一杯だった。


指導してくれるのは二年生のみで、特に接点のない三年生たちとは最後まで何もないまま過ごして行くのかと思っていた矢先。三年生の一人に声をかけられ、僕の顔と名字を見て、卒業生であった兄の名前を出された。僕は、その弟だと答えると、三年生たちの態度が一変した。


三年生たちからしてみれば、僕の兄の方が先輩だったために、体育会系ならではの上下関係のもとに、僕の評価が勝手に上がっていった。


兄はとても強かったこともあり、その弟である僕も同じように強いのではないかと噂されてしまう一方で、僕はいまだに声も出せず、素振りするだけの毎日だったのだが、指導する立場のない三年生からは、その様子を見ることもなく、天才が現れたなどの冗談が膨れ上がってしまった。


その噂は広まっていき、二年生と一年生の耳にも届くと、そのノリに付いていこうとする二年生に、本当は下手な振りをしているだけじゃないのと言われ焦っていた。僕は部活内での交友関係を作ることができず、先輩は勿論のこと、未だ親友以外の同級生達とも話せずにいた。


三年生最後の試合を迎え。応援をしに会場に向かうと、バックネット越しに見える、横に連なったテニスコートに僕は興奮していた。殺伐とした大会の雰囲気と、負ければ引退のかかっている三年生達の緊張した面持ちの中で繰り返すウォーミングアップの側で、僕達一年生は、興奮による遠足気分が抜けずに騒いでいた。


三年間の努力と血と汗と涙の結晶を、この瞬間にぶつけようとしている状況もわからないまま、僕は試合が終わった後の予定を考えていた。


ろくにトーナメント表も見ずに、いつの間にか勝ち進んでいた三年生のペアを応援するよう顧問に促され、僕達をバックネットに集めた。顧問から、声出していけよ、と言われ、各々による声出しを行う最中、僕はネット越しに見える、躍動する先輩達の背中を見ながら、金網を揺らし、命乞いをする囚人の真似をして遊んでいた。


親友の家でくつろぎ、はなから行く気のない塾の時間まで、ゲームをして遊んでいると、僕の携帯電話が光だした。ディスプレイに表示される母親の名を見て、珍しさを感じた共に、そのあまりにも唐突な着信により、僕は最悪な出来事を思い浮かべてしまった。例えば、家族の誰かが事故にあったとか。親戚が不幸に見舞われてしまったなどの、死を予感させる前触れだと思い込みながら、その電話をでた。


本当にそうだった場合のことを考え、陽気に振る舞うのではなく、神妙な面持ちで声を落としながら電話に出ると、受話器の向こうにいる母親は焦った様子で誰かと話していた。僕はやっぱりかと、心の準備を整え、母の言葉を待っていた。


もしもし?家買ったからさ、帰って来られる?


思ってもいない角度からの陽気な声とは裏腹に、僕はあまりにも不十分すぎる説明に、言葉を失っていた。とりあえず帰って来て、という母の捨て台詞に合わせ乱暴に電話が切れてしまい、受話器を耳に当てたまま動かなくなった僕に、親友は何も言わず見つめていた。


秒針の音がやけに大きく聞こえる雑多な部屋で、帰り支度をはじめながら僕は、家買ったみたいだから帰るわ、というドラマにも出てこないような台詞を吐いていた。それは僕が息を吐くように言う冗談なのか、それとも真実を伝えられない為の冗談なのかを判断できない親友は、塾行かないの?と言い、誰よりも冷静でいた。


僕はすぐさま、自転車に跨り、夜道を駆け抜けた。坂道には、六段変速ギアを四から一へ。平坦な道には、一から五へと切り替え走った。田舎特有の街道のない道を照らす自転車ライトは、漕ぐ力に合わせ、大きくも小さくもなるため、使い勝手のいいものではなかった。


行くはずだった塾を、軽やかに通り過ぎると、最後の力を振り絞り、立ち漕ぎをした。


家に着き、玄関を開け、リビングに入ると、家族で談笑していた。呑気におかえりと言った母に、僕は肩で息をして呼吸を整えるだけで精一杯だった。


僕は母が作った、夕食のハンバーグを食べながら、改めてその内容を聞いていた。


思い出したように突然一軒家を買ったわけではなく、水面下でその一大事は遂行されており。僕はハンバーグを一口サイズに切り分けながら、へえ、とだけ言った。


一軒家を買った、という実感の湧かない事実よりも。僕は真面目に塾を無断で休んでしまったことの方が、今は重大に感じていた。僕はそれを気にして、塾は?と母親に聞くと、当たり前のように連絡してあるよと言われ、正式に行かなくていいことになったことの方が今は嬉しかった。


以前は父親と母親が一人部屋に眠り。僕たち兄弟は二段ベッドを使い、同じ部屋で眠っていた。それが兄の思春期によるわがままによって、僕は部屋を追い出され、いつからか母親と同じ部屋で眠るようになった。それを不憫に思った母からの提案による、一人部屋を与えてくれる為の購入だと知った。


僕には思春期というものがやってこなかった。世の中に対し不満があるわけでもなく、ましてや親に口答えをする理由が見つからず、常に人の顔色を伺い波風立てずに暮らしていた。なので、この理由を知った時、正直どちらでも良かったのだ。


この部屋から見えていたのは、兄と父親が毎日のように喧嘩をし、言い争っている様子だった。僕は二人の背中を、布団にくるまりながら覗いては、誰よりも泣いていた。


そんな日々の中で、心の拠り所となっていたのが母親の存在だった。僕達は布団の上に横になると、眠りにつけるまでのあいだ手を握って、明日を待っていた。後になって母親から聞かされたのは、僕が泣いている母に気がつくと、頭を撫でてあげたり、涙を拭いてあげたりしたらしいのだが、あまり覚えてはいない。


引っ越し先は県外ではなく、今の場所から車で十分程離れた場所だったので、学校が変わる心配はなかった。と思ったのだが、地区から外れてしまうことがわかり、危うく転校になりかけたのだが、両親がわざわざ校長先生の所まで行き説得して貰ったおかげで、特別に転校せず済んだのだった。


毎日のように家族会議を開き、間取りを決めたりしている間、僕はあまり興味が湧かず、どの部屋でも何畳でも何色でもなんでもよかったので、参加せずに親友と遊び呆けていた。


引っ越し当日。この日だけは部活を早上がりさせてもらい、校門の前に止められていた父親の運転する車に乗り、新居に向かうことになった。親友も一緒に校門まで付いてきてくれると、最後の別れを惜しむように握手を求められた。実際は明日からも会うので、特に寂しさは感じなかった。


僕は後部座席に乗り込むと、窓を開け、そこから顔を出し、親友に手を振った。段々と小さくなっていくその姿を、僕たちは見えなくなるまで、手を振り続けていた。


授業が終わり、放課後の部活動に行くと、昨日ぶりに親友と出会った。彼から、遊びに行っていい?と言われたのだが、まだ段ボールだらけの部屋だと断りを入れた。


立ち話をしていると、親友を呼ぶ声が聞こえた。彼の背後から聞こえるその声に反応した親友は振り返り手を挙げた。目線の先には、パーマくん達がこちらに向かって手を振っていた。親友は、ごめん行くわと言ってテニスコートに向かって走っていくのだが、僕も同じ方向であるため、ゆっくりと追いかけるしかなかった。


いつのまにか親友とパーマくん達は仲良くなっていて、人見知りを遺憾無く発揮している僕は楽しそうに笑う彼らを横目に黙々と素振りをしていた。裏切り者。喋っていないで練習しろ、と毒づきながら僕は素振りをしていた。彼は家にも呼ばず、今後一切話すこともない、と自分に言い聞かせていた。


すると、親友たちがこちらに向かってくるのが見え、僕は気付いていないように素振りを繰り返し、無視をしていた。


それでも、彼が何度も僕を呼び続けるので、仕方なしに顔を向けると、親友を中心とした取り巻き達が僕を見ていた。彼はその取り巻き達に僕を紹介し始めると、各々から、あれ天才部員じゃんと言われ、イジられた。


あの日の先輩の一言から、膨らんだ噂話だけが広まってしまい、これまでの試合で誰にも負けたことがない、利き手じゃない方で優勝した、名前を聞いただけで相手が不戦勝など、よくない方向に転がっていた。


ただ悪い気はしなかったので、僕はあることないこと全部のイジり乗っかっていると、取り巻き達から、お前面白いなと言われ、話しかけられるようになった。お前という破壊力に僕は未だたじろいでしまっていたが、持つべきものは親友だなと黙って心を入れ替えていた。


休憩時間になると、彼らは漫画の話で盛り上がっていたのだが、僕はいわゆる王道漫画を見たことがなかった。アニメの方はかじっていたものもあるが、バスケ漫画、海賊漫画、妖怪漫画と、どれも見ていなかったために、あのシーンが好き、あのセリフがカッコいいと盛り上がる中で、僕はどのシーンだよと心の中でツッコミを入れて遊んでいた。


漫画話に疎いと知った彼から漫画クイズを出題された。一問も答えられる気がせず、僕は大喜利をするように、架空の名前や技名を適当に答えていた。


この世に王道漫画を見たことがないと言っている人に出会ったことがないと、その珍しさにはしゃぐ彼らは手を叩いて笑っていた。その中にパーマくんもいて、根深い恨みを持つ僕は、彼だけには笑われたくないという思いが表情として出てしまっていた。


三年生が引退を迎えると、あれだけ優しかった二年生達が如実に先輩風を吹かしてきた。


次は俺たちがソフトテニス部を引っ張っていく番だという思いが空回りを始め、口調も変わり、僕達一年生を名前ではなく、おい、と呼び始めたりした。何かと難癖が付けたくなった先輩達は、真面目に素振り練習をしている僕達を見て、ふざけているなら外周して来いと言い。ふてくされながらも校舎の周りを走る僕達は、テニスコートからは見えない死角のある場所で文句を言いながら走り続け、明確に敵とみなした頃には僕達の団結力が深まり、できるだけ耳を傾けず無視をしていこうと決めた。


吹き荒れる風に耐えながら、黙々とコートの外で玉打ちをしていると、顧問が現れ、数名をコート内で練習させるという、夢のチケットを手に入れるチャンスが舞い込んできた。


しかしあまり期待は出来ないでいた。ソフトテニス経験者がいる時点で差は歴然であり、ラケットの面でしっかり捉えられる人間と、フレームに当たりどこかに飛んでいってしまう人間の両極端しかおらず。どう考えても、未経験者は選ばれないだろうと思っていた。


四名をコートに上げると顧問は言い。一人ずつ名前を呼び始めた。一人目はもちろん経験者であり。二人目、三人目も同様に経験者だったために、僕は半ば諦めムードを漂わせていたのだが、四人目の名前に僕が選ばれていた。


喜びよりも動揺の方が圧倒的に上回り、ハイと言う返事が裏返ってしまった。唯一未経験者の僕が選ばれたことにより、本当に天才なのか、兄のおかげで優遇されただけだろ、と賛否両論の声が飛んでいた。 


僕はそれに聞こえていない振りをして、コートへの階段を上がっていると、残された生徒達による羨望の眼差しの中に、パーマくんがいることに気が付いた。彼は経験者だったのにも関わらず選ばれなかった為に、苦い顔でこちらを見ていた。僕は駆け上がった階段の上から眼中にもない澄まし顔で見下ろし、コートに足を踏み入れていった。


見た目以上に大きく感じるテニスコートに狼狽していた僕をよそに、天才新入部員という噂の真実を確かめるよう、固唾を飲む先輩達がいた。噂通り挑戦権を得て来たカリスマ。顧問のお墨付き。実は利き腕ではない方でやっているなどの、ありもしない噂をはねのけようと僕は握るラケットを振り上げた。


ボールは見事、大空へと飛んでいき。テニスコート横にあるプールの水面に落ちていった。ゆっくりと落ちていくボールの軌道はまるで走馬灯のように流れ、優雅に泳ぐ姿に誰もが唖然としていた。


大丈夫?忘れ物ない?


バックミラー越しに目線を合わせ、優しい言葉をかける父親に向け、僕の隣に座る女の子は大丈夫ですと答えていた。


マンションに住んでいた頃の近所に住む女の子も乗せた車は、市民プールに向け走り出した。女の子は幼馴染というわけでもなく、同じクラスで仲が良かったわけでもなく、どういう流れで一緒に行くことになったかは覚えていない。


外面のいい父親が握るハンドルは、楽しそうに踊っていた。女の子が僕に向け話し出すと、つい声が大きくなってしまい。僕はプールバッグを抱きしめるように持ち、彼女に関わっていない振りをして視線を窓の外にうつしていた。


父親の目が光ったことに気づき。これ以上話していると怒号が飛んでくると、彼女にはいち早く静かにして欲しかったのだが、予想に反し笑いながら話を聞いていた父親は、横断歩道で道を譲っていた。


市民プールに到着すると、券売機でチケットを買い、男女に分かれロッカーに入った。僕は黙って着替えを行なっていると、父が家から持参したスポーツドリンクを手渡してきて、ぶつぶつと水分補給の大事さを語っていた。


ゴーグルを頭に装着し、外に出ると、スクール水着姿の彼女が待っていた。まだ性欲が歪み始める前の純粋無垢だった僕は、その姿に興奮することはなかった。


僕と父親だけで出かける際は、決まって母親はついて来ず。できるだけ、自由な時間を作るために、避けていたのだろうと今になってわかる。


プールから上がり、小腹のすいた僕達は、室内にあるお菓子の自動販売機に向かった。欲しい商品の番号を入力すると、眠りこける台座の機械が待っていましたとばかりに勢いよく飛び出し、その商品を取って戻ってくる。その一連の流れが見たいばかりに、わざと遠くに置いてある商品を選ぶことで楽しむ時間をのばせたりする。


僕は、パッケージにカエルの警官が描かれているスナック菓子を買ってもらい、黙々と食べていた。喉が渇くという先入観に囚われず、素直に食べたい商品を選ぶような自尊心が身に付けば良かったのにと思う。


どの向きにベッドを置くかを考えている内に、新居へ着いた。引っ越しとはいえ、遥々やって来たような感覚はない。ただ、とてつもない高揚感に包まれ、車を降りると、家の外から自分の部屋を眺めた。


一階はリビングと父親の部屋があり。二階には、兄、僕、母親の部屋があって、その真ん中にあるのが自分の住処だ。


とりあえずインターホンを押してみると、微かだが家の中からも聞こえ、楽しくなった僕は連打をして遊んでいた。


玄関扉を開けると、降り積もった雪の上を歩くような、真新しさと、汚してしまいたい衝動に駆られ結果、忍び足という空き巣を狙う泥棒スタイルを選んでしまった。


正面にそのまま二階に上がる階段があり。まだ誰のにおいにも染まっていない新居のかおりに包まれながら、自分の部屋を見に行った。


一度も話し合いに参加しなかった僕の部屋は五畳となり。兄の部屋は六畳と少し大きい。念願でもなかったが、それでも自分の部屋を見て、やはりテンションは上がった。


まだ段ボールが積み上がっているだけの部屋で、透明の家具を次々に設置してイメージを膨らませた。


マンションの頃は、畳の上に敷布団を引いて寝ていた為。僕はフローリングに変わった部屋でも同じように寝ようと考えていたのだが、絶対にベッドの方がいい、という母親の助言を嫌々信じ、購入した。


まだそのベッドは届いておらず、今晩はフローリングの上で寝ることになった。僕は最後まで争い、ベッドはいらなかったと証明してやろうと突っ放して寝てみたのだが、経験したことのない、割れるような腰の痛みに起こされ、早く届いて欲しいと願っていた。


学校までの距離が離れてしまい、今まで甘えていた分、遅刻が多くなるのではないかと懸念していた。親友とは同じクラスではないため、どこかですれ違うか、部活で会ったときに報告をしようと思う。


僕は新居に舞い上がり、突然、告白しようと思い立った。どこのクラスに行ってしまったのかわからない師匠を偶然見つけたところで、面と向かい愛を伝えることもできない僕は、メールを使い告白を決心した。


しかし、師匠の連絡先を知らなかった僕は、唯一のパイプラインである、ギャルに連絡先を聞いてみた。当然、なんで?と聞くギャルに対し、適当な言い訳も思いつかず、なんとなくと返した。


以前、告白してくれようとしていた彼女の気持ちを踏みにじっていることに気付かず、僕は彼女からアドレスを手に入れた。早速本文に、僕の名前と、ギャルから教えてもらったこと。最後に、登録よろ、と言う痛すぎる言葉で締め、送信ボタンを押した。 


飛行機の形に折られた手紙が空を飛んでいく送信画面を見ながら、次の展開を考えていた。暇な日を聞いて、学校に集合して、大判焼き屋さん行って、相模川でも行くか、という妄想デートプランを描いた。


送信完了と表示された画面を見て、緊張が一気に増した。人生を賭けた一世一代の大勝負に手元の携帯を見続けていたのだが、罰を与え嘲笑うように、待てど暮らせど、返信は返ってこない。僕は、アドレスが間違えているのかもしれないと思い、同じ文章を三回送りなおした。


テニスコートの真後ろにバレーボールコートがあり。そのバレー部に入部していた師匠の姿を何度も見たのだが、何食わぬ顔で躍動していた彼女を見て、その後にもう一度送りなおしたメールは、エラーとなって僕のもとに返ってきた。


彼女と、にけつをして買いに行ったアイスクリームから数日後。親友と大判焼きを食べながら、辺りをうろうろとしていると、ここが家らしいよ言って指さす方向に、屋敷のような豪邸が建っていた。表札は見当たらず、本当にその家が彼女の家なのか定かではないが、僕は垂れているカスタードに気付かぬまま、中の様子をしばらく伺っていた。


日々の練習が形になってきた頃。四人だけの選抜システムが終わり、一年生全員がコートに入ることになった。


今までは二年生に上がるまではコートに入れず、黙々と素振りや球打ちを繰り返すのが、一年生の定石であったようなのだが、豊作の年というべきか、ソフトテニス経験者が多かったために、異例の一年生から合同で練習させてもらうことになった。


もちろん先輩達は納得していなかったが、人数が増えたことで掛け声の量も増え、活気のある部活へと変貌していった。そのおかげで、声を出していなくてもバレにくくなり、僕は先輩や顧問に注意されたときだけ、掛け声を出していた。


公式戦も視野にいれながら、前衛と後衛に分かれた練習もしていくことになった。ボレーを中心にネット際に張り付いて得点を狙う、前衛。ストロークを中心にコート際で相手を翻弄し得点を狙う、後衛。と、イメージとしてはこんなところで、ボレーが得意か、ストロークによる打ち合いが得意かによって、自分のポジションを決めなければいけなかった。


やりたい方。得意な方。といっても明確にどちらが自分に向いているかわからなかった。僕はまだ決めきれず、両方の練習に参加した上で、得意そうな方を選ぼうと思っていたのだが、経験者達が後衛を希望し騒いでいたのを見て、僕はレギュラー争いに負けると思い、前衛を希望した。


ボールに触れる機会が少なく、相手の出どころを伺い、一撃必殺を狙う前衛と。相手と打ち合いながら、ゲームを支配していく、後衛とでは、やはり後衛の方に人気が偏った。


それぞれのポジションを意識して、まずは前衛によるボレーの練習から始まった。僕達はネット際に縦の列に並んだ。顧問が打ち込んでくる玉をラケットに当てては、また列の最後尾に並び直す。また順番が回ってきては、最後尾に並び直し、ぐるぐると入れ替わりながら、練習をおこなった。


それぞれが思い思いのプレーで練習をするなかで、ほとんどの生徒が怖がってしまい、腕を伸ばし、ラケットだけを前に出して、顔を伏せるように打ち返していた。相手との距離が近くなる分、恐怖心が増してしまう。一方で僕は、その恐怖が興奮に変わってしまうタイプだったようで、何度も打ち返せた興奮が、今度は快感に変わっていた。


家から見えていたグラウンドの壁をよじ登り、少年野球で使っていたバックネットによじ登り、木登りをして、今でいうボルダリングのようなことを、自然の中で遊んでいた。マンンションの駐輪場の屋根に、靴を落として困っていた少女を見つけた僕は、すぐさま背負っていたランドセルを自宅の玄関に放り投げ、少女の靴を取りに、屋根の上へと飛び乗ったである。


その姿を見た顧問から褒められたことにより。自信がメキメキと付いた僕は、前衛でいこうと決心したのだった。


レギュラーメンバーの決め方は、顧問が前衛と後衛に分けた順位を決めて、同じ順位になった同士が組むことになっており。上位三名までが、レギュラーとなって試合に出ることができた。


一年生と二年生、全員を含んだ中からの選抜メンバーではなく、それぞれの学年ごとに大会があるため、一年生十二人中の六人がレギュラーとして試合に出ることができた。


いわゆる弱小と呼ばれる部類の部活で、一年生の時点で公式戦に出ることが自体が、ソフトテニス部の歴史史上、異例のことだった。顧問も初めてのことに興奮していた。


その言葉通り半年が経つ頃には、先輩後輩対決の練習試合を行い、ランダムで組まされた即席のペア同士の戦いでさえも、僕達は全勝し、先輩達による傲慢な風を追い返すことができた。


肝心のレギュラーメンバーが発表されると、僕は前衛の二位に選ばれた。経験者も多い中、握り方もわからなかったあの日からのことを考えると、十分すぎる結果だった。僕は何よりも懸念していたのは、順位同士でペアを組むことにあった。実力と相性が必ず比例するわけではないため、僕が避け続けているパーマくんと組むことになったらどうしようと、そればかり考えていたのだが、パーマくんは後衛の三位に選ばれていて、組まずに済んだ喜びもあった。


三年生の引退を賭けた試合を、バックネットにしがみつき遊んで見ていた風景の中に僕達は足を踏み入れたのだが、公式戦特有の殺伐とした空気に丸々飲み込まれてしまった。白いユニフォームを纏う僕達は、誰も一回戦を突破できずに幕を閉じた。僕に至っては、度を超えた緊張によりラケットの握り方さえも、おぼつかなかった。


あれだけ盛り上がっていた出発時と比べ、誰も言葉を交わそうとしない帰宅時の電車の中で、僕の頭に、ある言葉が反芻していた。


見逃しの三振よりも、空振りの三振をしろ。ミーティングの際に言っていた、顧問の言葉だ。


僕は窓の外に映る山々を見ながら、蜃気楼のようにぼんやりと浮かぶ言葉の意味を、まだはっきりと捉えられずにいた。


学生生活を送っていた僕の人生の中で、記憶をぽっかりと抜いて欲しいのが、二年B組の教室である。


緊張していたが、それなりに楽しく過ごせた一年C組の生徒と、誰一人同じクラスにならなかった。ある程度仲の良い人達を括った状態でクラス替えが行われると思っていたのだが、担任の目には、友達がいないと映っていた可能性が高い僕だけが、基盤のできていない別のクラスに放り込まれた。


一年とほぼ同じだった様子の生徒達が騒ぎ立てている光景を見ながら、僕はひとり、絶望に打ちひしがれていた。頼みの綱であったソフトテニス部のメンバーさえも、誰一人おらず。僕が積み上げてきた一年間が、更地のものとなってしまった。


見渡すと、ヤンキーグループとオタクグループの両極端しかおらず。互いには絶対に喋りそうもない雰囲気を見て、さらに震えていた。もちろん同じ小学校の生徒もいたが、僕以外との友達を作っているため、話しかけることも、話しかけられることもなかった。


これまでの学生生活で感じたことのない、絶望感。僕の周りには常に人がいて、休み時間になれば僕はいろんなグループに駆り出されたりしていた。僕はかつて人気者だった。ただそれがいつまでも続いていると思い込み、過去の栄光から抜け出せなくなっていた。


またあの時のような日々が戻ってくる。そう信じ、教室の扉を開けても、僕をいち早く見つけた誰かが手を振ってくることもなければ。僕が席に着く前から嬉しそうに話し出す誰かもいない。僕は、か細い声による出席の返事を最後に、一言も喋らないような生活が始まった。


家でも、学校でも、話さない頻度が増えていき。引っ越してからというもの、親友の家へ遊びに行くこともなくなった。着実に交友関係を広げていく親友を見ているうちに、自然と距離を置いてしまった。偶然廊下ですれ違った場合でも、僕の知らない誰かが隣にいたりすることで、部活動以外では話さなくなった。


ヤンキーは次第にオタク達をイジり初め、僕が次の標的になるのではないかと、怯えていた。


そんな時、ヤンキー達の中にいた、同じ小学校の柔道をしていた彼から、声をかけられた。柔道くんは、影を潜めすぎていた僕が、同じクラスだったことに気付きテンションが上がっていた。親友と柔道くんの家が近所で、たまに遊ぶくらいの仲だったが、久しぶりにあだ名で呼ばれた僕は、嬉しさが込み上げていた。


そこから僕と柔道くんが友達だったと知ったヤンキー達に、話しかけられるようになった。ヤンキーグループでの柔道くんの立ち位置はよく知らなかったが、僕は目をつけられることもなく、穏やかに過ごすのだった。


ピンチになると、助けてくれる誰かが現れる。その事実に気付かぬまま、僕自身の顔の広さが功を奏したと思い込んでいた。


僕の心の支えは、放課後の部活動に行くことだけだった。来る日も来る日も浴びてきた先輩風を避け続け、待ちに待った三年生引退の日を迎えた。


最後の試合は、もう会わなくて済むという嬉しさから、いつも以上に声を出して応援した。勝ち上がりそうな時は、ナイスボールと褒めた後に、先輩に聞こえるか聞こえないかの度胸試しのつもりで、誰が悪口を乗せられかというゲームをして遊んでいた。


本当に、本当に、残念であったが。二回戦で全員の試合が終わった。ソフトテニス部では引退を迎えた先輩達に、寄せ書きの色紙を渡すのが恒例行事だった。特に何かを寄せて書くこともなかったのだが、精一杯の感謝の言葉を綴った。中には本気で悪口を書こうとしたやつもいて、流石に良心を持っている僕達はそれを制した。


気持ちを新たに次の部長を決める話し合いが行われた。誰も率先してやりたがらないので、人一倍正義感のあった坊主頭の生徒を僕がおだて始めると、それにみんなもノッてヨイショを始めた。初めは否定をしていた坊主くんも、満更でもない顔に変わり、次は俺たちの番だと言って意気込み、部長になった。


やっとの思いで、穏やかな雰囲気を手に入れたのも束の間。新入生の部活勧誘が実らず、新入部員が五人しか集まらなかった。部活存続の危機もあったが、それと同時に訪れたのは、数少ないレギュラー争いだった。


三組以上のチームがなければ、大会に出られないという人数規定があり。その時点で一年生達がいくら努力しても、人数不足によって出られない事態になっていた。代わりに二年生が一年生の試合には出てあげられないが、一年生が二年生達の枠を使って試合に出ることは可能であった。


元テニススクール所属。小学生からペアを組み、大会を総なめにしてきた本当の最強ルーキーが、弱小ソフトテニス部に来てしまった。


仮入部の時点から、僕達と一緒にコートに混じり練習を始め。微量の先輩風でも吹かせてやろうかと企んでいた僕達だったが、圧倒的な実力の前では黙り込むしかなかった。


先輩狩りを始めたルーキーペア達に次々となぎ倒され。僕達二年生による初の公式戦では、レギュラーの座を奪われてしまった。僕はそのまま三位に繰り下がってしまい、なんとかレギュラーの座は持ち堪えていたが、四位に落ちてしまったパーマくんは呆然としていた。 


僕は持ち前の腹黒さを遺憾なく発揮しようと、パーマくんに近づき、しょうがないよ、どんまいと言って肩を叩きにいった。それに対しパーマくんは、うるせえよ、とキレながら僕の手を振り払い、帰っていった。


パーマくんが背負う、思いの詰まった乱雑に揺れるラケットバックを見ながら、僕はほくそ笑んでいた。


社交的な兄がOBとして、指導に行くと言い出した。天才事件の引き金となった僕の兄が来ると知って、同級生達はどよめいていた。その経緯を知らない後輩達は、何やら有名人がくると思い込んでいた。


部長からの集合の掛け声に向かい、皆が一斉に走り出す中で、僕はこのまま到着したくないという思いから、ゆっくりと走っていた。


集められた僕達の前には、左から顧問、部長と並び、そして最後にオールドボーイである兄が立っていた。小さな有名人を前に、同級生達はざわついていたが、僕は家族が注目を浴びているという恥ずかしさから顔を赤くしてしまった。自己紹介を始めた兄は、弟である僕イジリも交えて話していた。


練習が始まると、兄が指導をしていくと思っていたのだが。学校指定の緑ジャージを纏う僕達に混じり、黒のスポーツウェアを纏う兄も一緒になって躍動していた。いつもとは異なる空間に、胸が躍っていた部員達は、兄の行動につられるように声を出していた。


誰にでも褒めまくる兄は、一人の一人のプレーを見ては称賛をしていた。とにかく褒められまくる部員達の顔はほころび、普段褒められていないこともあって、照れながらも、いつも以上のプレーを引き出されていた。


練習が終わる頃には、すっかりみんなの心を掴んでいた兄のまわりを取り囲み、アドバイスを貰おうとしている部員達の姿を目にした。


誕生日プレゼント。大事なぬいぐるみ。友達。人気。と何かも奪っていく兄に、僕は嫉妬していた。


先輩と呼んでいた部員達も、にいちゃん、という呼び方に変え。ようやく縮められてきた友達との距離を、初日に追い抜いていく兄の姿を見て、僕はすこし嫌いになった。


ベッドに横になり眠っていると。僕はパンパンに膨らむ膀胱を抑えながら、トイレを探し回る、という夢を見ていた。暗いトンネルを歩き続け、不可思議に佇む便器を見つけると、僕は安堵の表情で、ズボンを下ろした。しかし、なかなか出ていかない尿意に腹の力を加えると、自我が働き、これは罠ではないかと気付いた。


力を加えようとする夢の中と、必死に抑えようとする現実の狭間で揺らぎ続け。諦めたように崩壊していく尿意を肌で感じていた。


まだ夢の中にいると思い続けていたのだが、圧倒的に現実世界への比率が多いと、目を瞑りながらもわかっていた。怖くなった僕は、温もりを感じる股間の辺りを触ることなく、眠りについた。


再び目が覚めると、鮮明にこびり付いている記憶が脳を駆け巡った。僕は決心をして、ゆっくり手で触れにいくと、そこには何もなかったように素っ頓狂なズボンがいた。不思議に思った僕は、敷いていたシーツにも触れたのだが、同様に何もなっていなかった。


ここで初めて、漏らしていなかった事実に辿り着き、一安心をした。


僕は確認のため、パンツの中に手を入れてみたのだがやはりまっさらだった、と、指の腹ではそう思った。しかし、手の甲に当たる粘ついた感触に驚き、急いで手を引いた。


ギリギリのレギュラーを守りつつ、全大会出場させて貰ってはいたが、緊張で思うように結果を残せず、三回戦が最高順位となっていた。最強ルーキーペアに期待を寄せていたが、同じような結果に肩を落としていた。


とにかく試合数を重ねるために、格上の中学校へ出向き、合同練習をさせて貰うことになった。道場破りしていこうぜ、と意気込む僕達の顔は随分と眠たそうだった。


現地集合のため、最寄りの駅に全員で集合してから向かうことになり。僕は、父親が運転してくれる車に乗って、駅まで送って貰っていた。最寄り駅付近のコンビニの前で車を止めて貰うと、僕はラケットバッグを手に持ち、後部座席から降りた。その際に父親から、頑張れよ、と言われ。僕は、うん、とだけ頷いた。


振り返ると、運転席に見える父親がこちらに手を振っていたのだが、僕は手を挙げるのが恥ずかしく黙って見ていた。僕はそのまま、車が走り去っていく姿を見届けてから、コンビニに入った。


どうせ緊張で喉を通らないおにぎりを念のために買って、改札まで歩いていくと、遠くからでも目立つ緑ジャージ集団が、人目もはばからず騒いでいた。僕は毎回時間ギリギリで合流すると、他校に向けて歩き出した。


部長を先頭に、行き先も行き方も知らない僕達を連れて電車を乗り継いでいき。駅に着くと今度は、部長が顧問から受け取っていたプリントアウトされた白黒の地図を取り出し、先頭を歩いていた。


全て部長任せの、無責任な僕達は暇だと言って妄想話に花を咲かせていた。頼りになるのは白黒の地図だっただけに、道に迷うこともしょっちゅうあった。携帯電話では、道のりどころか現在地すらもぼんやりとしか出ないような能力しかなく。僕達はそんな時でも呑気にふざけていて、焦り出す部長をろくに助けようともせず、調べてこいよと責めていた。


だったらお前らが調べてこいよと言い返され、キレだす部長を面白がって、何度も言い合うノリをしながら、無事学校に辿り着くのが恒例だった。


校門を潜るたびに、教室から覗き込む生徒や、すれ違いざまにジロジロと見てくる生徒達の目を見て、今にも喧嘩が始まりそうな雰囲気が漂っていた。という、厨二病全開の妄想が膨らみ、集団で乗り込んでいくという構図も相まって興奮していた。実際はそんな雰囲気を微塵も感じることなく、相手の部長と顧問から丁寧に挨拶をされ、テニスコートまで連れて行ってもらった。


案内をされたテニスコートは、もちろん形は同じはずなのに、場所により大きくも小さく見えるサイズ感や、ボールの弾み方、会場の空気の違いに、アウェイでの戦いの厳しさを肌で感じていた。


試合の結果が振るわないことに、固定されていたペアを解消し、新たな組み合わせの中で相性のいいペアを見つけ出す、という課題を受け取り、練習試合が行われた。


勝敗に関係のない試合では、プレッシャーを感じることがなく、普段以上のプレーが炸裂し、格上相手にも物怖じせず、どのペアでも勝つことができた。


今日が公式戦なら間違いなく優勝している。いつからか言われ始めた、練習試合最強の中学校。僕達に貼られたレッテルが剥がれ落ちるのは、まだ先のことである。


新しいペア候補としてパーマくんと組むことになり。無敵状態だった僕は、さすがに相性の悪さは影響するだろうと、この試合だけは期待していなかった。


相手は名の通った、決勝常連ペアに決まった。僕は負けてもいいか、と軽い気持ちで臨んでいた。


試合が始まると、僕がここに打ち込んで欲しいと思い描く動きと、パーマくんが打つ方向の違いに戸惑い、次々と点数が取られていった。僕は早く終わらせたいと思い、取れそうなボールでさえも、演技をして点数をあげていた。


なぜか、諦めの悪かったパーマくんは、声出していこうぜ、とひとりごとのように言っていた。僕は心の中で、ハイハイ、と答えていた。そしてある一球のボールが、僕達の運命の中心を切り裂いていった。


僕のイメージと、彼のイメージが、重なった。


よっしゃあと喜んだパーマくんから、僕はハイタッチを求められた。点数を決めた際に、手を重ね合う振りをして、手の甲に返すという遊びが流行っていたなかで、僕達は素直に手のひらで弾きあうと、コート上に、バチン、と音が響いた。


今まで組んでいた相方も、僕と同様に緊張をしてしまい。負けそうになると、萎縮し、動きが悪くなり、共倒れしてしまうことが多かった。


それに比べて、諦めの悪い鋼鉄の心臓を持つパーマくんに乗せられた僕は、動きを取り戻した。結果は負けてしまったが、初めて心の底から湧いた感情があった。


くやしい。


その試合を見ていた顧問から声をかけられ、その場で、次の大会はこのペアでいくと言われた。まだ素直な気持ちになれず、むず痒かった僕達は、ゆっくりと顔を見合わせ、固い握手を交わした。


二年生最後の試合は、結局プレッシャーに押しつぶされ、二回戦で負けてしまった。パーマくんの熱い気持ちに答えられず、本当に申し訳ないと涙ぐんでいた僕の元に来たパーマくんから、三年で見返そうぜと言われ、温かい紅茶を手渡された。


練習試合最強の中学校。と、異名付けられた僕達は、悔しさをバネにして、桜の開花を待つのだった。


休み時間になれば、自然と僕のまわりに人が集まる。そんな日常が当たり前だった。席替えをしても、教室移動をするときでさえも、必ず誰かがいる。必ず一緒についてくる誰かがいる。


輝きを放っていた小学生時代を知る者は少なく、孤立状態のまま時間は過ぎていった。


そんな時、転校生が来ることになった。しかも、女の子が来ると知ってより騒がしくなった。転校生というワードでさえも盛り上がるところに、女子という上乗せボーナスもされていて。さすがのヤンキー達も、どうせ可愛くねえだろと言いながら、興奮を隠しきれていなかった。


教室の扉が開き、騒ぎ立てていた生徒達にも緊張が走ると、一瞬にして静寂に包まれた。その合間を縫うように、担任と並んで入ってきた転校生の姿を見た僕は、心を奪われた。


かわいい。おそらく茶々を入れようと企んでいたヤンキー達も、その圧倒的な美貌に心を奪われ、黙りこくっていた。


転校生の自己紹介が終わると、担任から、じゃあそこの席に座ってと言いながら指をさした方向が、僕の隣の席だった。もちろん最初から空席だったわけではなく、席は埋まっていた。気持ちは、すごくわかる。毎日来るのが嫌になってしまったのだろう。


いつからか空席の場所に転校生が座ると。わからないことがあれば隣の彼に聞いて、と担任から完全にイジられてることに気付きながら、僕は笑ってごまかした。よろしくねという意味を込めて、僕は横に振り向き、転校生に目を合わせにいったのだが、僕がその場所に存在していないかのように、彼女の視線はまっすぐ黒板に向いていた。


僕は窓の外に視線をはずし、はなから校庭の犬を探す奇人を演じて、何事もなく、姿勢をただした。


引っ越しをしたあのとき。学区外で転校をしかけたあのとき。もし僕が転校生として、この学校に来ていたらどうしていただろうか。話しかけることもできないため。転校生の特権を使い、話しかけられ待ちをしていただろう。もしくは、最悪クラスで作る友達は諦め、部活に専念していけば楽しく過ごせるかもしれない。


そう考えていると、今の僕は、転校生とまったく同じ状況にいた。


ただ一つだけ違ったのは、授業が始まると、勝手に同じ境遇にされていた彼女から教科書を見せられ、ここの問題わかる?と聞かれた。まとまりのないクラスに放り込まれた彼女に対し、僕にはまだ知り合いがいた分、彼女を不憫な転校生だと下に見ていた顔面に、顎を食らわせられた。


一人部屋を手に入れた代償として、勉強に力をいれなくなった僕は、あっという間に成績が下がっていった。やっている雰囲気を出す為に、黒板の文字をノートに写すだけの作業をして、頭の悪さをごまかしていた。


わからないことがあれば隣の彼に聞いて。


その言葉を鵜呑みにした彼女は、騒いでいる教室に目も暮れず、黙々とノートを取っている僕を見て、賢いと思った様子だった。


彼女の顔が僕にグッと近づき。その瞳に吸い込まれてしまい、頭が真っ白になりそうな僕は、脳みそをフル回転させ、そこまだやっていないところだと思う、と誇らしげに言った。


彼女がいた学校と授業の進み具合が違うはずだ、と勘づいた僕の言い訳を前に。困惑する転校生は、ご当地キャラクターの付いたシャープペンシルで、黒板をさした。


授業は今まさに、転校生が気になっていた問題を解いてあるところで、その答えになる意味がわからず困っていた隣で、何も疑うことなく写し終えた僕に、詳しく聞きたいと思い話しかけて来たのだった。


僕は手元のノートを見返すと、しっかり写し終えていた。それなのに、まだやっていないところだと思う、というあまりにも滑稽な姿を前に、彼女は自ら手をあげて質問をしていた。


その時期に重なって、ソフトテニス部に入部してきた一年生がいた。随分と中途半端な時期での入部希望に驚いていると、女子ソフトテニス部の方には、転校生の彼女がいた。後になって、姉弟だったことを知り。あわよくば運命の赤い糸が僕と結びついたらどうしようと、勝手に興奮していた。


そり立つ性器を、携帯電話の画像検索で調べたグラビアアイドルの水着姿を見ながら、家のトイレで自慰行為をした。


携帯電話には、グラビアアイドルごとに付けたフォルダの名前があり。そこに眠る、何百人の女たちが、僕の手のひらで転がされている。今日はどの子で抜こうかなあ、と考えながら性器を弄っていると、意図していない白い塊が僕のからだに目掛けて飛んできた。


僕はそのまま左手を上下に動かし擦り続け、連続でオーガズムに達した。訪れる気だるさや虚無感に襲われながら、体にまとわりついた精子をトイレットペーパーで拭いた。


僕は射精を迎える瞬間に、ティッシュやトイレットペーパーを性器に被せるタイプではなく、自分の体を器として、受け止めていた。僕の利き手は右手なのだが、自慰行為をするときだけは左利きに変わる。言わばレフティーとなって、右手に携帯電話を持ち行為に及んでいた。


傷心しきっていたクラス替えに、少しの花が咲いた。三年C組の教室には、ソフトテニス部の部員がいて、しかもパーマくんがいた。逆にゴリゴリのヤンキー、通称ゴリヤン達はおらず。そして、一年生の時に同じクラスだったボスがいた。


ボスは見ない間に、しっかり学年全体のボスと化していて、ボスを囲む取り巻き達が、気をつかい話しているのがわかった。


僕とボスは同じクラスだった。そんな記憶は、彼の頭の中にはもうないのだろう。それでも、僕とボスの間に繋がりあることを取り巻き達に見せつようと、当時の記憶のまま話しかけにいってしまった。ボスからは、お前マジ何なの?と、一言目にしては相応しくない言葉で罵られ、それ以上関わらなくなった。


それでも二年生と比べ、幾分かマシになったクラスに安堵していた。三年生最後の試合を目前に、パーマくんと同じクラスになれたことで、すっかり意気投合した僕達は毎日のように話し合った。


小学生の頃にあまり話をしたことのない、三つ編みの女の子が隣の席になった。同じクラスだったような、曖昧な記憶しかなかったが、三つ編みちゃんからやたらと話しかけられた。


授業中も、休み時間も関係なく話していた僕達を見て、パーマくんから、付き合ってんの?と言われた。僕はどう答えていいのか分からず、あしらうつもりで適当に相槌を打ったのが悪く。勘違いを起こしたパークくんに囃し立てられ、僕は顔を真っ赤にしていた。


三つ編みちゃんが、バレーボール部にいることは知っていた。テニスコートの背後で練習を重ねる、告白の返事を忘れた師匠を、僕はいつもチラ見していた。すっかり大人びた師匠とは、小学生以来一言も会話を交わしていない。その中で揺れる三つ編みは、視界の隅に入っていた。


また、いつものように話しかけられた僕は、無視をするのも悪いと思い、相槌に徹して会話を進めていた。すると開いたままの教室の扉から、同じクラスではない師匠が入ってきた。もしかしてあの時の返事が、と硬直していた僕を素通りし、三つ編みちゃんに話しかけていた。


蚊帳の外に飛ばされた僕は、腕を枕代わりにし、机に伏せて寝始めた。バレーボール部の打ち合わせを始めた彼女達は、談笑を始めた。本当に寝るつもりなど微塵もない僕はメガホンのように広げた聞き耳を立て、彼女達の会話を一語一句噛み締めるように聞いていた。


彼女達の声が遠くなっていくのを感じ。席から離れていったと思った僕は、顔を上げるつもりで腕の隙間から覗いてみると、表情は見えないが、二人のからだが僕の方に向いていた。


一年の時さあ、アドレス教えてないのにメール来て、しょうがないからアド変してさあ。


研ぎ澄ましすぎた耳にコンクリートのような悪口を流し込まれた。聞こえるか聞こえないかの絶妙な音量による陰口は、僕の耳をいたずらに舐め回していた。年月を重ね、じっくりコトコト煮込んだあの時の返事を、今更ながらされている。初恋の彼女からされている。おそらく三つ編みちゃんも困惑している。僕は顔をあげるタイミングを失っている。何も聞こえていなかった振りをしてこの先の人生を歩んでいかなければならなくなっている。寝たふりと言いつつ、このまま眠りにつきたいと思っている。


知恵の輪のように絡まった腕の隙間から、彼女が教室を出ていくのを確認すると、何事もなかったように顔を上げた。寝ぼけ眼とは違う呆然とした表情をする僕に。三つ編みちゃんは、中断されていた話を、同じように喋り始めた。


いよいよ敵なしとなったボスの傲慢振りは加速していった。自分に害があれば全ての物事を暴力で解決するという、頭の悪さが引き起こしてしまった事件を、僕達は目の当たりにしていた。


技術の授業中。来て間もない新人の先生が授業を進めていると、落ち着きのないボスだけがいつまでも騒いでいた。先生は気にせず進めていたのだが、ボスの声が授業を妨げてしまい、たまらず先生は静かにと優しく注意した。


しかし、これが怒りの引き金となってしまい。ボスは、授業で使う予定の各自に配られた木の板をつかみ、先生の背後に回っていくと、お前が静かにしろよと言って、頭をおもいっきり叩いた。


ボスは当然のように笑いが起きると思ったのか、教室全体を見回しながら笑っていた。


先生は殴られた衝撃で意識を失い、その場に倒れた。悲鳴が湧き上がり、パニックに陥る生徒達を見て、ボスはさらに笑いながら、俺のせいじゃないと言い続けていた。流石に庇いきれない取り巻き達が、慌てて教室を飛び出し、職員室に向かった。


数日後、ボスの姿が教室にはなかった。事件のその後に起きた流れを担任の口から説明された。


新任教師は病院に運ばれたこと。その治療費を払うためにボスは父親の会社で働いていること。全て払い終えるまで、学校には戻れないこと。


僕はこの話を神妙な面持ちで聞いている生徒達を見て、その空気に耐えきれず、吹き出してしまった。慌てて口元を隠したのだが、目元との皺は隠せなかった。


確かに治療費のために働くのは偉い。しかし、美化してどうする。そもそも人の頭を殴るという行為をしなければ、よかっただけの話なのだが。生徒の中には涙ぐむ人もいる一方で、僕は肩を揺らしていた。


後になって先生による脅し文句として、数週間後に戻って来ることがわかるのだが、僕はボスがいなくなった喜びに浸り、羽目を外していた。


タバコの煙が夜空へと舞っていく。僕は父親の隣で、楽しそうに笑っていた。


マンションの三階に上がりきったすぐの踊り場で、父親はタバコを吸っていた。そのことがわかると、僕は家を出て、父親の所へ向かった。


階段の途中から見える父親の背中には哀愁が漂っていた。僕は明るく振るまい、声をかけるのだった。特別何かを話したような記憶はない。僕は短くなっていく時間を、めいっぱい繋いでいた。多分、学校で何があったとか。こんなことをして遊んだとか。


父親はタバコを携帯灰皿にいれると、夜空を少しだけ眺めてから帰路についた。


引退を賭けた三年生最後の公式戦を迎えた。勝ち続ければ、引退までの期間を延ばせ。負ければ、その瞬間引退となる。


試合に勝ち進めれば、引退時期が長くなる。後輩達はどう思っていたかわからないが、少しでも長くソフトテニス部にいたい僕達に、最後となるかもしれない試合が訪れる。


二年生エースを中心として動いていた部活も、最後は三年生だけで出ようと、順位が一つずつ繰り上がり、万全の態勢で挑んだ。


僕は全試合出場させてもらっていたのにも関わらず、未だ緊張が解けないでいた。悔しかった二年生の頃を思い出すが、それでも緊張は解けないでいた。


一回戦を突破し、二回戦に当たる対戦相手を見に、トーナメント表が貼られている、建物に向かった。特別名の通った相手ではなかった為に、勢いに乗り倒そうと気持ちを高めていた僕達の元に、黒のユニフォームを纏った選手二人が近づいてきた。


もしかしてと身構えた僕を横目に、パーマくんはその内の一人に、久しぶり、と言って声をかけた。何やら繋がりのあった彼らは、負けた方が土下座だからな、と言って騒いでいた。


ラケットバックを背負い、コート上に足を踏み入れた僕達は、大きく深呼吸をした。ラケットバックをバックネット下の壁に立て掛け、白いラケットを取り出した。このラケットは三本目のラケットで、一本目は最初に買って貰った青いラケット。二本目はこの白いラケットなのだが、練習中に上手くいかずストレスが溜まってしまった僕は、このラケットを地面に叩き付け壊してしまった。とても使いやすかった為に、ダメ元で交換の手続きに行ってみると、不備という形で運よく無料交換して貰えたのが、今の三本目のラケットである。


顧問の元に集合し、色々と話を聞いていた。その後ろでは、後輩達がそれぞれの声援で鼓舞をしてくれていた。


試合開始の合図を前に、僕達は肩を鳴らすために、乱打を行う。言わばウォーミングアップのことで、適度に打ち合い、相手の調子や腕前をここで測ることが出来る。


審判から集合の合図が掛かると、僕達は中央のネット付近に集められる。そこで行うのが、ラケットトスだ。ラケットを回し、グリップエンドに付いているメーカーのマークが表か裏かを言い当てる方法で、サーブかレシーブまたはコートの選択権が与えられる。サーブレシーブの得意な方を選ぶか、風や日差しの向きを考慮しコートを選ぶか。ソフトテニスの神様が微笑む方に、この選択は与えられる。と、いつもならこうなる流れなのだが、この試合だけは違った。


パーマくんと知り合いである高身長の男が再び顔を合わせると、負けた方が土下座だからな、と先程の賭けをぶり返し始めた。僕は愛想笑いをして誤魔化していると、高身長くんから、お前らに選択権やるよ、と言われた。流石に部外者であった僕も、舐めた態度の前に、冷静さを失っていた。


冗談だとはわかっているが、段々とイライラが募ってきた僕は、その言葉に耳を貸すまいと、ラケットトスを行おうとした。しかしパーマくんは、じゃあコートで、と言ってにこやかに選んでいた。


太陽の光によってボールが消えたように見えてしまう為に、僕達は照りつける日差しを背にするように、コートを選んだ。準備に取り掛かる際、代わりに熱くなってしまっていた僕に対し、これがあいつのやり口だから乗せられるなよ、と言ってパーマくんは誰よりも冷静でいた。


審判が試合開始の合図を叫ぶと、サーブ権を選んだ相手チームからの攻撃で始まった。僕は前衛に付き、パーマくんは後衛に付く。メガネをかけた彼は後衛に付き、高身長の彼は前衛に付いた。


メガネくんによるサーブが自陣のコートに入ると、パーマくんが球を打ち返し、その球を高身長くんがボレーをする。僕はすかさず球を取りにいくが、スピードを殺されたゴムボールは、地面に二回跳ねた。


六ゲーム一セットで行われる試合は、早くも五ゲームを相手に取られてしまい、僕達は一ゲームも取れず衰退していた。


僕達が打つ球を、華麗に高身長くんに捌かれてしまう。後衛であるメガネくんにもゲームを支配され、どこに打ってもポイントを取られるような気にされてしまっていた僕達に、残された点数はあと四点だった。


この点を奪われると、僕達の戦いはここで終わる。


チェンジコート中に顧問の元へ集まり、アドバイスや言葉を掛けてもらう時間があるのだが、突破口を見出せない僕達は意気消沈していた。いくら言われても、顧問の助言や後輩達の鼓舞が身に入らず、僕達は顔を合わせることもなく、お互いにそっぽ向いていた。


そんな状況を打破しようと、顧問はひとこと、こう言った。


見逃しの三振より、空振りの三振をしろ。 


一瞬の静寂に包まれた僕達の耳に、相手チームである高身長くんの声が聞こえた。


よっしゃあ。土下座見られるぞ。ハイ、ど、け、ざ。ハイ、ど、げ、ざ。ハイ、ど、け、ざ。


僕達は振り返り、その騒ぎを遠くから眺めていた。すると、沸々と湧き上がる思いが、からだ中を駆け巡り、僕達に巻かれていた鎖が、すさまじい音を立て、地面に落ちていくのを感じていた。


僕たちの想いは一つになった。アイツだけ狙って潰そうぜ。


メガネくんから始まるサーブに、パーマくんは有無を言わさず、高身長くんの体に目掛け当てにいった。球は相手自陣に吸い込まれ、点数を獲得した。続けて、僕のコートに来た球も同じように、高身長くんの体に目掛け当てにいくと、先ほど同様に球は相手自陣に吸い込まれた。


このまま試合が終わってしまうくらいなら、あいつを潰してから帰ろう。その怒気が生んだ友情によって、僕達の背中に追い風が吹き始める。


高身長くんは、返せなかった球を拾い、まだ余裕をかましていた。僕達はその態度も含んだ怒りをぶつけるためだけに、全ての球を、彼に目掛けて打つことに専念した。


二球連続で取れなかったことにより、僕の中にある疑問が生まれていた。僕は相方に声を掛け、三球目も同じ様に打ってくれと頼んだ。パーマくんの放った球がまたしてもコートに吸い込まれると、僕は相手チームの監督が苦い顔をした瞬間を見逃さなかった。


これで疑問は確証に変わった。チーム内の弱点を知っているからこそ、監督は表情にでてしまった。高身長くんは、胸元に飛んでくる球に弱い。


そこからも、打ってくるとわかられている上で、しつこく高身長くんに当て続けた。僕達は、一ゲーム、二ゲーム、三ゲームと取り返していくと、時々高身長くんを狙わないという選択も織り交ぜることで相手を翻弄していった。


気が付けば、僕達にマッチポイントが掛けられた。何度も狙っていたことで高身長くんにも耐性がついてしまい、拾われてしまう場面も増えてしまった。それでも、最後の一球まで必要以上に狙った球は、宙を舞った。


僕は、その球を追いかける中で迷っていた。


そのまま地面に落ちる前に、空中で拾いスマッシュを叩き込むか。それとも、一度地面にワンバウンドさせ、アウトになるかを確かめるべきなのか。前者は、空中で拾うという難しさから、ミスをしてしまう可能性がある。後者は見誤ったことで変に力んでしまい、ミスをしてしまう可能性がある。前者は勢いで得点を得ることができる。後者はアウトになることで得点を得ることができる。


僕は体力の底がつくように、途中で追いかけるのをやめた。目線を上から下へと動かすと、コート外へとこぼれていく景色が目に映っていた。


会場の歓声がからだに染みていき、優勝をしたかのように飛び跳ねた。大大大逆転勝利を収めた僕達は、顧問と後輩達の元へ走り出し掛け、審判に咎められた。対戦相手に敬意を払うため、試合が終われば挨拶をする。興奮のあまり、スポーツマナーを完全に忘れていた。


相手チームがどんな表情をして、握手を交わしていたかは覚えていない。ただ覚えているのは、冷静さを取り戻そうとしてくれた顧問の言葉と、一瞬の静寂に飛び込んだ土下座コール。この二つが重なり合わなければ、あのまま負けていた。


僕達は勢い乗って、初の準決勝を迎えた。この時の相手は、同じ中学の元相方だった。彼らもペアが変わったことで、何かが生まれていたのかもしれない。初の準決勝から、初の決勝を賭けた、同中対決に視線が注がれた。


僕達は三位と書かれた賞状を受け取り、少し高い位置にいる彼らを横で見守っていた。


引退時期を伸ばした僕達は、各ブロックの三位までのチームが集まり、関東大会出場枠を決める予選に出ることになったのだが、悔しさも残らぬような現実に、儚く散っていった。僕達は帰路の途中で号泣してしまい、足を止めていた。後輩達は、次の部長を決める話題で盛り上がっていた。


部活動を引退し、僕は暇になった。その後になってテニスコートに集められた僕達は、伝統行事である寄せ書きの色紙を一人ずつ受け取った。円を描くように書かれた後輩達による色とりどりの言葉に、また涙を浮かべていた。


これからは、将来のこと、進路のことを考えなくてはいけなかったのだが、唯一決まっていたのは高校への進学を視野に入れていないことだった。ソフトテニスを続けるために、強豪校へ行くという選択もあったのだが、それと同時に頭の良さも必要なため、オール二の狭間で揺れ動く僕の成績では難しかった。


ソフトテニスと勉強を天秤に掛け、どちらも捨てた。行きたい高校もない僕は、就職が頭に浮かんでいた。 


三者面談まで後回しにすると決めた僕は、自分にだけ課せられた宿題を放課後にやり始めた。あまりに成績が悪い僕に、俳句を作ってこい、短歌を作ってこい、作文を作ってこいと担任から言われ、仕方なしにやっていたのだが、これはオール一を免れるための、担任なりの助け舟だった。


しかし、いくら考えても思いつかない。書き出すこともできず、一向に筆が進まないと頭を悩ませていたところに、教室の外から入ってきた、三つ編みちゃんとショートカットがいた。


彼女らは別の場所にいた模様で、教室に戻ってくると今までいなかったはずの僕が、引退をしたことで残っていた。思い付かない俳句を前に天を仰ぐ僕に近づき、何しているの?と茶化されるのだった。


三つ編みちゃんの方は、鬱陶しいぐらい知り合いだが、ショートカットの方は見たことがない。どこのクラスかも、名前もわからない彼女は、二人でいるという強みからか、単純にノリがいいからなのか、初対面でも気軽に話しかけてきた。


三つ編みちゃんがいるおかげで僕は普通に話せているが、もしショートちゃんと二人きりなら、確実に黙り込んでしまう。僕はこれ以上話しかけられないように、俳句作りに集中を注いだ。まだ上の句すら進んでいない現状に、横から覗き込んでくるショートちゃんから、一緒に考えてあげるよと言われた。


おお考えてよ、と澄まし顔で答えた僕は、また恋に落ちていた。


何の理由もなしに、手伝ってくれるなんておかしい。一緒になって考えてくれるなんておかしい。これは好きだということか。答えを教えて欲しい。自分に好意を寄せる人をすぐ好きになってしまう僕は、雑音が頭を駆け巡っていた。


僕の妄想をよそに、彼女達は勝手に盛り上がっていた。真面目に考える気はなさそうで、字を余りまくって作ったり、ご飯の名前だけで作ったりと、ただ遊んでいるだけだった。


これで提出しなよと渡された俳句は、あ、だけ書かれており。冷めた目で呆然としている僕を見て、彼女達は手を叩いて笑っていた。ちゃんとやってくれよと僕は嘆くようにツッコんだのだが、内心はめちゃくちゃ楽しくて、宿題が無かった日も、わざと教室に残り彼女達を待っていた。


ありしもない作文を考えながら、頭を悩ます振りをしていると、彼女達はまたやってくる。次は何しているの?と茶化され待ちの僕は、緊張していた。


それから放課後に三人で集まり、雑談をするだけの時間も生まれたのだが、僕は意識するあまり段々と話せなくなってしまい。恋に落ちることを恐れ、すぐ帰るようになってしまった。


筆箱を開けると、包装されている板チョコのような物がパンパンに詰められていた。僕は誰かに見られることを恐れ、取り出せずにいた。シャープペンシルを取り出そうにも、ギチギチに詰められた板チョコの前では、拾い上げることもできなかった。僕は周りの男友達に声をかけ、シャープペンシルを貸して貰った。


誰だ。誰からのプレゼントだ。僕の脳内には、三人の女性が駆け巡っていた。


結論から言うと、これは男子全員に仕掛けられていたドッキリであり。それぞれの机や筆箱などに忍びこませていた、男子が唯一そわそわしてしまう日の、サプライズプレゼントだった。


その事に気付かない男子全員が、自分にだけ与えられたチャンスだと思い込み、やたらと無口になっていた。


僕の家で朝までゲーム大会をしようと、親友、パーマ、兄、僕の四人で遊ぶことになった。弟の友達と遊ぶという、兄の距離感を疑いながら、ゲーム大会と呼ぶにふさわしいメンバーで幕を開けた。しかし、コントローラーの数が足りなく、三人しかできないでいた。家には三つしかないからどちらか持ってきて、と送ったメールに両方とも持ってこなかった。


負けた人が交代をする、というルールで始めてみた。白熱はしていたが、やはり一人が見学しているという状況を見かねて、パーマくんが取りに帰ると言った。


それにつられ、兄がニケツして行こうと言い出す。テンションが上がっていた僕達は、自転車に跨り走り出した。兄とパーマ、僕と親友の前後に別れた自転車が、コントローラーを目指し、夜道を進んでいった。


無事にパーマ家に辿り着くと、再び僕の家に戻った。今度は逆に乗って帰ろうと、パーマと兄、親友と僕に前後を入れ替え走り出した。僕はこの時、進行方向ではなく、親友と背中合わせになるように逆を向いて乗っていた。


車が一台も通らない夜道で、右へ、左へ、と自転車を揺らす。僕の見えている景色は体感以上に早く流れていく。笑い声が響き渡る夜道を、調子に乗った自転車は勢いのまま、全速力でカーブを曲がろうとした瞬間からの、僕の記憶はない。


目が覚めると、一定のリズムがする機会音に包まれ寝ていた。僕を囲うように広げられた白いカーテンが目に映っていたが、どこにいるのかわからなかった。再び眠りにつくと、僕はどこかに運ばれていた。周りには白い服を着た人間が数人見え、ここではじめて、病院、の二文字が浮かんだ。


僕が運ばれた部屋には誰もおらず。広い空間の中で、付かないテレビを眺めているうちに、眠ってしまった。


僕が目を開けると、目の前には両親がいた。しっかり、両親だと気づけた記憶に、消失したあの出来事が思い起こされる。


あの日自転車はカーブを曲がり切った。しかし、バランスを保てず、左右に揺れ動く自転車は、地面に叩きつけられた。運転をしていた親友は手をつくことができたが、後ろ向きに乗っていた僕は、そのまま頭から倒れた。


夜道に響き渡る叫び声に気付き、先頭を走っていた兄たちが折り返してきて、安否確認をおこなった。僕はその時、大丈夫、と何度も返事をしていたそうなのだが、カーブを曲がってからの記憶が全て抜けている僕は、他人事のように両親の話を聞いていた。


後日親友がお見舞いに来てくれ、お詫びと言って本を三冊貰った。何度も謝ってくれたのだが、僕も悪かったと言って慰め合った。


数日が経てば退院できると、僕は勝手に思っていたが、医者からは二週間前後と言われた。あまりにも長い日数に、元気であることをアピールしようと、体を動かそうとしたのだが、実際に歩いてみると、自分の足ではないような浮ついた感覚に苛まれた。点滴に繋がれたままの自分が、トイレに行こうとベッドから降り、歩いてみたのだが、一歩を踏み出すのがやっとで、途中で倒れそうになりながら、嘘でも元気だと言えば日数が短くなると思い、もうろうとしたまま、トイレにたどり着いた。


病院での生活はとても暇で、両親が替えの下着を持ってお見舞いに来てくれたりもしたが、特別やることもなく。僕は、交番に勤務する警察官が巻き起こすドタバタギャグ漫画を買ってもらい、読んで過ごしていた。しかし、何巻かに一回訪れるエロい表紙に興奮し、いつまでも静まらない性器に焦りを感じていた。看護婦に頼めば抜いてくれるという噂を聞いたこともあったが、もちろん解明はできなかった。


二週間が経ち。支えもいらずに真っ直ぐ歩ければ退院していいよという医者の言葉に、僕は健康を見せつけようと真っ直ぐと歩いてみせた。が、実際は倒れてしまいそうなくらいフラついていて、足がからだに付いていない感覚に陥っていることを隠し、無事ではないが退院をした。


病院を出るまでの間は何もないように過ごしていた。倒れてしまってはベッドの上に逆戻りになると思い、僕は歯を食いしばっていた。


病院を出ると、限界を感じていた僕は、迎えに来てくれた母親の肩を掴んだ。歩いて帰ろうと思ったのだが、病院から離れたバス停の前で足が止まってしまった。母親からバスに乗って帰ることを勧められたのだが、僕はバス代を払って貰うのが申し訳なくなり、このまま歩いて行こうとした。


僕が大丈夫と何度も言っていた、数分後に両親が迎えに来てくれた。両親は救急車を呼ぼうとしていたらしいのだが、僕は救急車は嫌だと言って、記憶の外で抗っていた。それは、救急車に乗せられる恐怖ではなく、救急車を呼ぶことにより高額な請求をされると思い込んでいたからだ。


母親の肩を掴みながら、一緒にバスに乗った。免許を持っていない母親は、歩いて病院まで迎えに来てくれた。空席の目立つ車内で、最後尾まで歩いていき窓側に座った。振動が直に感じる車内は頭にとても響き、僕は外の景色に心労を逃していた。


おーい。できたぞ。


そう言って、兄のいる部屋に向けて、父親は呼んでいた。僕が兄と暮らしていた部屋を追い出されてからと言うもの、使っていた二段ベッドの二段目を取り外され、悠々自適に兄御殿を作りあげ暮らしていた。それに伴い、父親との喧嘩も絶え間なく。家の壁や扉にへこんだ穴の数が増えていった。


おーい。できたぞ。


そう言いながら、兄のいる部屋の扉を、父親は何回かノックした。足元には、父親が蹴ったことによりへこんだ穴があいている。


僕と母親はリビングに座り、ミートソーススパゲッティを食べながらその様子を見ていた。何ヶ月かに一回、父親が料理を作る日があった。本当に気分によるものなのだが、台所に立つ父親を時々見ていた。


おーい。できだっていってんだろ。


そう言いながら父親は兄のいる部屋の扉を開けた。早く食えよと言って兄をリビングへと誘導させようするのだが、兄はいらないと言って拒んでいた。


父親の語尾が強さを増していき、またいつものように言い争いが始まった。親世代がご飯に対してうるさく言うのはなぜだろうと僕は思っていた。一日三食を必ず守り。その一食が抜けようものなら、まるで死んでしまうかのように言い寄られる。兄を擁護するつもりはないが、食べないと言っているのであれば、それでいいと僕は思いながら見ていた。


感情が昂ってしまい歯止めが効かなくなった父親は、お前なんか一生飯食うな、と言って乱暴に扉を閉めた。その足で台所に向かうと、兄の分である、お皿に乗ったミートソーススパゲティを持ち上げ、横にあるゴミ箱に向けて投げつけた。


グシャ、という沈む音と。パリン、という割れる音が、リビングに響き渡った。僕と母親は、何も起きていないように黙々と食べ続けていた。


父親は冷静さを取り戻すと、ゴミ箱の外に漏れたスパゲッティを手で拾い始めた。あちいなあ、というもはや誰に対しての文句なのかわからない言葉を呟いていた。


その様子を見ていると、投げつけた際の標準が定まっておらず、ほとんどが外に漏れ出していた。僕は食べ終えそうなスパゲッティを、噛み締めるように、咀嚼していた。


小学生の頃に動物係だったことを思い出した僕は、畜産科学科のある駅前の高校に進学をしようと決めていた。しかし、体験入学の際に行なった小テストで0点を叩き出してしまい、僕はやはり就職を望んでいた。


勉強をする気もなければ、高校に行く気もない。結局何も考えず三者面談を迎えてしまい、半ば諦めたように就職することを打ち明けた。しかし、その覚悟はすぐに打ち砕かれる。


就職をするにも高卒じゃないと厳しい、と母親に咎められ。応戦するように、せめて高校は出ときなさい、と担任も言う。


最後の砦として残していた就職もできないとわかり、僕は口をつぐむ。夕焼けが差し込む教室に、担任が鞄から分厚い封筒を取り出すと、僕に手渡される。中身を開けると、高校のパンフレットが敷き詰められていた。


もし高校に行く気があるなら、推薦で行かせてあげることもできる。推薦を使えば、入学金が免除になったりする。ここは私立の高校なんだけどね。といろいろ言っていたが、公立と私立の違いもよくわかっておらず、加えて推薦の意味もよく知らなかった僕は、混乱していた。


再び悩みだした僕に、あと三年間掛けてまた決めればいいと、担任は言う。


僕はうなだれながら、開いたページを捲っていくと、初めて目にする駅名が書かれていた。おおわ駅、と心の中で読んでいた僕に、担任はやまと駅までの行き方を説明していた。


推薦というのは、筆記試験を行わず、面接試験だけでいいと言われ。仕方なく就職の為に、あと三年我慢しようと進路を決めた。


後日。両親から、一度高校を見に行ってみようと誘われ。最寄り駅まで歩いていき、両親と一緒に大和駅に向かった。電車内で僕は、両親のそばから離れ、ドアに身を寄せていた。ポケットからMDラジカセを取り出すと、五人組ヒップホップグループによるタンポポを題材にした曲を聞きながら、車内から見える景色を眺めていた。


成人式にはいかなかった。中学校の同級生とは、卒業以来一度も会っていない。僕以外は地元の高校を選んだらしく。久しぶりに連絡してみようと送ったメールは、全員送信エラーとなって返ってきた。


高校を卒業してからの僕は、結局就職も進学もせずに、家の中でひきこもっていた。そんな時に、三つ編みちゃんから同窓会のお知らせが届いた。僕は、部活動以外で会いたくなるような人達がいなかった為に、無視をしてしまった。


僕の携帯電話がスマートフォンに変わった頃。部長からメッセージアプリに連絡がきた。相原駅でソフテニのメンバーと飲むんだけどこられる?と彼から言われ、僕は行けるよと返信した。


相原駅周辺にある居酒屋に向かった僕は、店の外から着いたことを連絡した。五年ぶりに会う彼らは、いったいどうなっているのか。僕は、緊張を隠すように辺りをウロウロしていると、店内のとびらが開き、面影のある部長が出てきた。


挨拶もそこそこに僕を店内へと連れ出すと、大勢のグループが酒を酌み交わし騒いでいた。部長は酔っ払い達に目もくれず、店の奥へと突き進んでいくと、一際大人しいグループがこそこそ喋り合っていた。


向かいの席に座っている人がパーマくんだと気付いた僕は、緊張が悟られないように顔を作り直した。背中越しに見える、スーツの姿の彼とチェックシャツ姿の彼が、脳裏に浮かぶ映像と結びついていなかったが、僕達はあの頃のように顔を合わせた。


五年という歳月をかけた歓声が上がると、僕は想像していた。しかし彼らはスマートフォンに目を向け、こちらを一瞥すると、おう、とだけ言った。


肩すかしを食らった僕は席に着くと、やることもなく辺りを見回していた。部長から他のメンバーもやって来るかもしれない、と言われ、僕は頼みの綱である親友の行方を聞いたのだった。


話はそれから、お互いの近況報告に変わった。就職をしたやつ。大学に行っているやつ。仕事帰りで直接ここに来たやつ。それぞれの道を歩む中で、僕はいまだに家の中にいた。


そのことを隠すように、旅人をしている、マジシャンの卵をしているとホラを吹いて、あの頃と同じように戯けるのだった。


道化者になった僕を、みんなは揶揄してくれ、笑いに包まれたのだが、僕の目には大人になった彼らが映っていた。


ソフトテニス部での出来事は、はっきりと思い出せるのだが。学校全体で巻き起こった事件や、先生の名前を挙げていき、それにまつわるエピソードを話す時間になると、僕はどの事件も誰の名前も、さっぱりわからなかった。覚えていないということでもなく、起きたことすらも知らなかった。


あまり咲かせられなかった思い出話から、今度は通っていた高校の話になり。これこそついていけなくなった僕は、テーブルに置いてあるメニュー表を拾い上げ、端から読み始めるのだった。


五年分の全部を話し終えると、僕以外がスマートフォンをいじり始めた。時に真面目さが出てしまう僕は、こういった酒の席で機械をイジる行為を不愉快に思ってしまう、頭の固さがあった。


部長が誰かと電話をし始めると、いるから変わるよ、と言って、僕のもとにスマートフォンを手渡された。誰かを何度も確認したのだが教えてくれないまま急かされてしまい、僕はおそるおそる電話に出てしまった。


甲高い声だった少年は、その影を落としていた。ただ色濃く映しだされたのは、抑揚や言い回しによる特徴で、僕はあいつの声だと、気づけた。


小学生頃に埋めたタイムカプセルを、成人式の日に開けると言っていた気がする。ひとりひとりが教壇の前に立ち、将来の自分に向けたメッセージを、目の前のビデオカメラに話していた。


僕は怪我するなよ。彼女作れよ。結婚しろよ。お金持ちになれよ。と言ってみんなの笑いを誘っていた。結局掘り起こしたかどうかもわからない過去からの期待に、どれもこたえられていない。

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後部座席 長谷川雄紀 @hasegawayuki

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