幻の体
幻の体
また一人、強制的に鎮静剤を打たれたらしい。
舞台裏で控えていた看護機器が、淡々と記録している。
つい、ため息をついた。
アバターはこんな些細な仕草もわざわざ再現するので、隣の医師仲間がおいおいと声をかけてきた。
「もう疲れたのか?」
「疲れるだろう、こんなの。体に悪すぎる」
「救護室なんてこんなもんだろ。普通の、リアルアバターを使った競技よりはコレもいいんだし、そうしかめっつらするなよ」
医師は指先で金銭を示すジェスチャーを取る。
確かに、目の前で大きな怪我や事故が起こるわけではないし、バイタルを見て看護機器のマークを外れている危険人物を見つけて注意するだけ、ではある。
そうは言っても、刻々と、数々の人間のバイタルが狂っていくのを眺めているのは、神経がすり減る。
辺境惑星住まいでほとんど収入のない町医者としては、休日に仮想空間でできるいいアルバイトではあるのだが。
「つくづくよく分からない競技だ」
仮想空間の外では、これらの人々には体があり、それを痛めつけているはず。いくら看護機器が現地で監視し、何か起これば現地医療に繋ぐとはいえ──自分には気味が悪く思えた。
競技場は、さまざまなアバターで賑わっている。
今日の競技は、どのくらい脳に汗をかいたかを競うものだ。
数学が得意なら数学、論理学ならそれ。走ることに脳が興奮するならそれでもいい。
記録端末に揃いのアプリケーションを入れて、興奮を記録する。
スカイダイビングや絶叫マシン、お化け屋敷、さまざまな挑戦者と方法がある。
もちろん、うっかりすると命が削られる。興奮とは過剰すぎてもいけないから。
薬品を使わず、ライトの点滅や音源、恐怖や不安、喜びだけでそれらを再現する者たち。
ちょっとした小遣いで参加費を払い、入賞すれば賭け金が大きくなって戻ってくる。
金、なのだろうか。
体を痛めつけて得られるものは。
心臓やその他の臓器を苦しめて得られるのは、一体──。
また一人倒れた。看護機器が致命的な音を立てて、自動的に現地の医療に通報する。現地の医師たちは、そんなものを受け入れるのは嫌だろう。倒れさせるような、危険な競技はやめてくれと思っているはずだ。それでも競技者の無事を願う。
安定した興奮の数値を保とうとする人々が、指定時間を経過して、ランキングに並んでいく。
競技記録が取られ、次の大会の日程が知らされる。その後、賞金の授与があり、夜更けには会が終了した。
静かな辺境惑星では、緑の牧草地が広がっている。今やそれほど珍しくないが、昔は植物は貴重だった。ここは人が移住するには小さすぎ、動物はそれほど育たないので、植物を育てては出荷している。
緑の草を踏んで歩く。牛に似た生き物が、こんにちはと挨拶してくる。こんにちは先生。ご機嫌いかが。
君たちも。ご機嫌でよかった。返事をして、のんびりと歩く。
医師として、元々は裸の猿と呼ばれる人間を専門としているが、こうした異星人のことも勉強はしている。臓器の違い、脳内物質の違い──そもそも脳がなく、分泌物質だけで思考のようなことを行うものもいる──さまざまな事例を学び尽くすのは難しい。看護機器に頼りっぱなしだが、細かな違和感とやらを駆使して、実際事例を集めるのは、人間の仕事だ。実体の状態について、高性能スキャナでしか読み取れないものもあれば、そうでないものもある。定義の曖昧な、雰囲気というやつだ。
牛に似た惑星人の歩行のぶれに気づいて、カカトのヒビを見つける。携帯型の看護機器でスキャンし、診断を確定させてから、そえ木をする。
この間、かけっこして転んだの。気づいてくれてありがとう先生。
明るい声色は、補助器具の翻訳装置の、強制的なニュアンスのつけ方かもしれないが、自分が役に立ったような気がしてほっとした。
「大昔の、実際の肉体でもって闘技場でやり合ってた頃と、あまり変わってないのかもしれないね」
学生時代からの先輩が、仮想空間内でそう言った。
たまに旧時代の風習の飲み会みたいなもので、グルーミングすることが義務付けられている。看護機器からすれば、人間は何だかんだで、顔見知りと安全な会話をすることで安定するものらしいので。
「その、何スポーツだっけ?」
「競技名が曖昧なんですよ。RだったりSだったり」
そもそもが、曖昧なルールのゲームだ。興奮度合いは主催者によって決められていて、一部の判断基準は非公開。それで判定するのだから。
「結局、何かを痛めつけて騒ぎたいだけなのかも。見てる方もそうしたいし、見られてる方も楽しいんだよ」
先輩が、古代の事例を、指先で呼び出す。こちらは表示された事例を見て、肉体が損なわれることに顔をしかめた。
先輩が鼻でわらう。
「嫌かもしれないが、そういうものなんだろう、人間でもそれ以外でも」
「そうですか?」
この惑星人たちが争うところは見たことがない、けれど彼らはかけっこはするし、わくわくすることも好きだ。わくわく──興奮することが。興奮のために無茶をしないとは、言い切れない。既に自宅の機器で、あの競技に参加している者がいないとも限らない。
「誰のことも傷つけないなんて無理だよ。俺たちはものを食わないといられないし、今ここにいるだけで他を押し退けていないといられないんだから」
先輩は、口に食べ物を押し込みながら言った。アバターはそんなところも真面目にきちんと再現して見せる。
実物の先輩が学生時代から歳を取り、どのくらいの皺やシミを、揺らぎを、アバターに反映させたか分からないが、まるであの日のままここにいるみたいに、表示されている。
「ここにいるための、お役目や立場を得るためにとか、そういった話じゃない。今、ここに、同時に他の何かの分子が存在はできないんだ。お前はそこにいるだけで邪魔。でも他の奴らもみんなそう。でもそういうふうに作られてるんだから、そこに何の罪悪感やら引け目やらが要るって言うんだい。押しのけることも、それを見るのも、きっと本能的に楽しいのさ」
「楽しいことで、体を損ないすぎるのを見ているのが辛いんですけど」
「肉体を痛めつけることが? だったらサーバサービスでも利用して、さっさと過去データだけの、人工知能に利用されるだけの幽霊にでもなっちまえばいいんだ。身体至上主義め」
先輩は先輩で何かあったらしく、酔えているのか分からない酒をあおって、ぶつぶつと文句を続けた。
それから話題は他へ逸れた。近況を報告しあって、それなりに穏やかに通信を終えた。
また目の前で人が倒れる。
体は、大事に慎重に暮らしても、どこかで壊れてしまう。先天的なことや、加齢や、無理のしすぎで。
一方で、スポーツと称して体を痛めつける人がいる。そこまでの強さを持たない者は、その体の頑強さに目を見張り、楽しんだり、あるいは嫌悪を抱くこともある。
彼らを助けても、また体を損なうんだろう?
自然な老いや劣化でなく、日常の、友達とのかけっこや生活での怪我でもなく、自分の意思で、わざわざ壊す直前までいく。
助けても、彼らがより激しく壊れ直すための手助けしかできない。完全に壊れてしまう手前で、とめるためだけ。
きっと大昔の医師も、同じことを悩んだのかもしれない。
看護機器が、過去の事例を山ほど出してくる。
すべては過去にあったことで、解決されているように見せてくる──今持っているこの悩みは、大したことがないみたいに。
また新しい大会で、競技場の興奮さめやらぬ中、優勝者が笑顔で倒れる。アバターは解かれて、しばらくして、現地の医療は間に合わなかったとアナウンスがある。
興奮したままの参加者たちは話を聞いていない。
記録の狭間に残される優勝者のアバターの顔を、もう、誰も覚えていなかった。
ビハインドかぐや姫 ほか せらひかり @hswelt
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます