ビハインドかぐや姫 ほか

せらひかり

ビハインドかぐや姫

 かぐや姫は不死だという。

 ならばと、帝はかぐや姫を深海に沈めてみた。人魚や深海魚たちを尻目に、炭素繊維でできた丈夫な鎖で繋がれたかぐや姫は、海底探査機とともに水底に沈んだ。そして海底探査機が浮上しようとしてもびくとも浮き上がらず、いったいどうしてだと帝に喚かれても、うんともすんとも答えなかった。

 海底探査機の燃料が切れ、深海は再び闇に包まれた。

 静かな水底に、ゆらりゆらりと、ときおり死んだ生き物のかけらが降る。

 かぐや姫は不死なので、骨と皮になっても生きながらえていた。

 そうして何年も経った頃、新たな海底探査機が、水底に降りていった。

 かぐや姫は不死だったが、腹が減らないわけではなかったので、鋼鉄でできた探査機にかじりつき、噛み砕き、よくよく咀嚼してから飲み込んだ。美味しくはないが、月での主食よりは味がある。月では霞ばかりで、その微細な味わいの違いを競うようなところがあった。そんなものより、探査機はよほど味わいがある。

 次々に海底探査機がおりてきて、かぐや姫に食べられた。残骸もしばらくのうちに消え果てた。

 やがて、立て続けにおりてきた彼らのうちの一つが、何回かのトライアルの末にようやく、前の探査機がどんな目に遭っているのかを逐一報告することができたため、ついに地上にかぐや姫の生存が知らされた。

 当然のように帝は代替わりして、もう幾年も経過していた。かぐや姫のことは、もはや草書のふるい文書に残されているだけであった。

 あれから数代を重ねた今の帝は、未解明ファイルが大好きだった。まだ幼い帝は、地上のあらゆることを知りたがり、雪男や吸血鬼や何らかの怪獣のことを解明しようと、多くの学者を野に放っていた。

 学者たちは、あらゆる怪奇現象を調べ、時には失踪して帰ってこなかった。雪女と婚姻し氷柱になって戻った者や、海辺で亀に拉致され異界で拘束された者、黄金の枝を見つけたものの、炎を吐く怪鳥に襲われて戻って来られない者もいたらしい。

 帝は、かぐや姫の伝説も知っていた。そのようなひとが海底にいてよいものだろうか。いや、それはない。

 帝の判断は早かった。それよりも早く、予期していた侍従が、立ち上がった帝から潜水服を奪いとると、学者を放ちましょう、と進言した。

 帝は、かぐや姫のために、ひとのための食糧を大量に運ばせた。無論深海に届くまでに圧縮され見る影もない。それでも、それらの食糧は徐々にかぐや姫の飢えをみたし、海底探査機がのべつまくなしに食われることは減っていった。

 海底探査機のいくつかは、生き残って海底を探査できるようになった。探査機は喜んだが、すぐそばに、ゆらゆらと揺れる人間に似た者をセンサーが捉えるたび、怯えて、不可解な数値を記録に残した。

 さておき、腹がくちくなると、かぐや姫は海底探査機越しに地上と会話をするようになった。

 さまざまな食糧を与えられ、かつての美しい姿を取り戻したかぐや姫は、帝に請われるまま、海底探査機に掴まって海上へとひきあげられた。

 そのままの姿で。

 深海魚であれば目玉も腹も飛び出して破裂するであろう、深海と地上の水圧差など、まるでないようなものだった。

 深海に沈んだときも、月に連れ去られるよりは、沈んで忘れ去ってもらうほうが面倒が少なくてよいと考えただけなのだ。月へ戻ると、また霞の話ばかりするようになる。うるさくて仕方ない。かぐや姫は、極度の面倒くさがりだった。面倒だったので、帝の猛烈なアプローチがうるさくて仕方なく、実物と会えば興味をなくすかもしれないと、一度顔を見にいくことにしたのだった。

 久々に見る地上は前と同じような、どこかが違うような感じがした。月は変わらず、空にあった。

 浦島太郎が苦しんだようには、かぐや姫は思わなかったが、遠い気持ちにはなった。あらゆるものが遠い気がする。

 帝による、度重なる実験につきあい、飽きた頃、かぐや姫は宇宙に行くことになった。スプートニクのライカの例を思うが、かぐや姫は帝に頷いた。

 片道でも、出かけてみてもいいだろう。どうせ死なないし。断ろうとする方が、この帝はうるさくなるのだ。従っていれば、駄々をこねられないで済む。

 それに、月から迎えが来なければ来ないで、それでは月は今どうなっているのか、少しばかり気になっていた。

 かぐや姫は月を回ってから、太陽系を出て、星の間を抜けてブラックホールの観測に出かける。

 あれほど過酷な実験をしたくせ、帝はかぐや姫にたいそう過保護な装備をつけさせた。たくさんの食糧、たくさんの歴史書や遊び道具。あまりに多い、船の装備。

 まずは月だ。月には月の民と、他の星々の民が暮らしていた。月でさえ、もはやかぐや姫のことはほとんど知られていなかった。

 なんだ、そんなものか。

 かぐや姫はそのまま、暗がりを進む船に身を任せた。

 やがて地上との通信は途絶え気味になり、かぐや姫は深海にいたときのように、眠りがちになる。腹が減っても、もう船は食べないように気をつけたいとは思っている。

 遠い未来が現在になる頃、船もいずれ朽ち、かぐや姫はその鮮やかな色彩の衣を翻して、真空をものともせず、ひとのかたちを保ったまま宇宙空間に踊るだろう。

 時間の経過をこえて、すべてが同時に見られるなら、闇の中に、かぐや姫の軌跡が蛇のように伸びていく。

 その色は、かぐや姫にはきっと見えない。

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