多色社会のシンデレラ
乙島紅
多色社会のシンデレラ
同じ日に悪いことが重なると、この世の終わりみたいに惨めになる。
私にとっては、幼馴染の結婚式の帰りにヒールが折れた瞬間がそうだった。
「申し訳ございません。当店には灰色の靴のご用意がなく……」
仕方なく寄った靴屋の店員にそう言われ、心までもがぽっきりと折れる。
ヒールの折れた灰色の靴、とびきり地味な灰色のドレス、そして見上げれば今にも雨が降り出しそうな灰色の曇り空。
道行く人々に哀れむような視線を投げかけられながら、私はぼそりと悪態を吐いた。
色なんてなくなっちゃえばいいのに、と。
一昔前の人からしたら、今は理想的な多様性社会らしい。
あらゆる人々の権利が保護され、アイデンティティを公言するのは「勇気がいること」ではなく「当たり前」になった。
ただ、何の犠牲もなしにユートピアは形成されない。
犠牲になったのは「色の自由」だ。
性的マイノリティには、虹色を。
反人種差別主義者には、オレンジを。
ハーフや移民には水色、身体障害者には若葉色、二次元愛者には浅葱色……。
そうやって割り振っていったら、残ったのは「灰色」だけになった。
だから、主義主張を持たない人々を『グレー』と呼ぶ。
私もそのひとりで、今どき『グレー』は少数派であった。
「表向きだけでも好きな色のグループに所属すれば良いのよ」
そう言ったのは、今日の結婚式に招待してくれた幼馴染だった。
彼女は私と違って昔から生きるのが上手い。
本当は髭面マッチョがタイプのくせに、『レインボー』のグループではレズビアンのふりをしていて、同じく仮面レズビアンの女性と偽装結婚するらしい。
「ねえ、イロハも『レインボー』に入ったら。色も恋愛も選択肢が多いし」
「無理だよ。私には入る資格がないし、嘘は上手くない」
ちなみに、秩序を乱す目的で自らの主張と異なるグループに属するのは違法だ。本性がバレて通報されると、場合によっては投獄されることもある。
「相変わらず真面目ね。とにかく、当日は目一杯おしゃれしてきてよ。一日くらい別の色のドレス着たって咎められたりしないから、ね?」
……そう言われたにも関わらず灰色のドレスを着て行ったのは、無個性の私なりの抵抗だったのかもしれない。
二人の新婦は虹色の晴れ着。招待客たちは皆色鮮やかなドレスやスーツに身を包む一方、灰色を着ていたのは私一人だった。立食パーティ形式で皆が同じ色同士で集まって歓談する中、会場の隅で埃のように佇む『グレー』。無関心を装いながらも時折向けられる好奇と蔑みの視線が痛くて、披露宴のカラフルな食事はまともに喉を通らなかった。
公園のベンチで、コンビニのサンドイッチの封を開ける。ここは居心地が良かった。公共設備には色が使われないからだ。どんな人でも利用できるように全て灰色のペンキで塗られている。ゆえにドレスアップした姿でも、灰色の私は保護色のようによく溶け込んだ。
……ああ。サンドイッチが、しょっぱい。
一口ごとに今日一日噛み締めた想いが蘇ってきた。
私だって好きで『グレー』をやっているわけじゃない。
できれば何かの色を持っていたかった。
でも、分からないのだ。
自分がいったい何色なのか。何を主張して生きていたいのか。
色に染まった人たちを見れば見るほど、「ああはなれない」と亀のように首を引っ込める。
そうこうしているうちに、選べる色がなくなった。
何色も持たない、未成熟な大人になってしまった。
この先死ぬまでずっと、『グレー』のままなのかな。
今日みたいな惨めな思いを繰り返して……。
完全に背景と同化しているつもりだった。
雨もぱらぱらと降ってきてひと気が減ったから、私のことを気に留める人など誰もいないだろうと油断していた。
すぐ目の前でシャッター音が響き、はっと涙に濡れた顔を上げる。
そこには一眼レフを抱えた青年が私の前に立っていた。
唖然とする私の表情を、彼はもう一度カメラに収める。
「ちょっと、何を……!」
「あまりに理想的だったから、つい」
さらりとそう言われ、思わず口ごもる。そして自然と彼の容姿に目を引かれた。
癖のないスカイブルーに染めた髪、緋色のジャケットに虹色のTシャツ、グリーンの迷彩柄のズボンに蛍光イエローのごつそうな靴。無秩序なファッションだ。それぞれのグループに属する人たちからしたら侮辱ともとれる。それでも彼の立ち姿は堂々としていた。
私がただ呆然としていると、彼はくしゃりと笑顔を作ってみせた。
「実は僕も『グレー』なんだ」
「え?」
嘘だ。こんなにカラフルな人が『グレー』だなんて。
雨粒が強さを増して、彼は慌ててカメラをショルダーバッグの中にしまった。代わりに取り出したのはオレンジ色の傘だった。
「近くに僕のアトリエがあるんだ。少し雨宿りしていかない?」
どうしてついてきてしまったのだろう。
案内された部屋の絵の具の匂いに、私はようやく我に返った。
「さ、上がって上がって」
彼はエスコートするように玄関に佇む私の手を引く。強引だけど嫌らしくはない。不思議な空気を持つ人だ。普段ならきっとここで引き返していただろうけど、少し自棄になっていたせいか興味のままに彼の世界へと足を踏み入れる。
「あなた、画家なの?」
「卵だよ。まだ学生」
彼はそう言って近隣の美大の学生証を見せてくれた。名前はリオというらしい。
「それで、お姉さんは?」
「イロハ。しがない公務員」
「へぇ。だから『グレー』に?」
「違う。『グレー』だから、公務員しかなかったの」
公務員は仕事中に公平な灰色を纏うことを義務付けられている。だから私にとってはちょうどいい隠れ蓑だ。一方で、アーティスト気質な人は特定の色に属していることが多い。
「あなたはどうして『グレー』なの?」
「僕にはね、色の違いが分からないんだ。赤、緑、青、黄……僕には等しく同じ色に見える。人も同じだよ。だから、色でグループ分けするなんていまいちしっくりこなくてさ」
画家を志しているのに色が分からないなんて、変な人だと思った。
でも、なんだろう。
人も同じ色に見える――その言葉に胸がすく感じ。
「イロハさん。僕のモデルになってくれない?」
彼は唐突にそう言った。生まれてこのかた、お世辞にも美人と言われたことはない私に。でも、その瞳は真剣そのものだった。
「僕は『グレー』の人たちの本当の色を引き出してみたいんだ」
部屋の真ん中にある小さな椅子に座る。
キャンバスは私。
リオが質問して、私が答える。好きな食べ物、得意科目、休日の過ごし方。それから少し踏み込んで過去のできごとについて。私が答える内容に応じて、彼は灰色のドレスの上に色を置いていく。どの答えも一つとして同じ色はなかった。多彩だ。姿見に映る色づいた自分に思わずゾクゾクする。布地からなぞる筆のくすぐったさも相まって、静かに興奮が高まっていく。それは私だけでなく、リオも同じだった。眼差しに熱がこもり、対話の速度が上がっていく。
「イロハさん。恋をしたことはある?」
「いいえ。その、怖くて」
「怖い?」
中学の時、誰かを好きになったことがないと言ったら同性愛者と決めつけられたことがあった。『レインボー』の同級生の女の子たちに囲まれ、一方的に胸をまさぐられたのだ。その時の恐怖がトラウマとなり、以来恋愛に対して拒否感がある。
思い返してみれば、主張の強い人たちや色グループを避けるようになったのもその頃からだ。どんなに好きなものも、その先に色があったら諦める。そうして私の生活は徐々に灰色にくすんでいって……。
「イロハさん。イロハさんってば」
肩を叩かれてハッとした。物思いに耽っているうちにリオの絵は完成したようだった。
最後に彩られたのは左胸の虹色のバツ印。あの時拒絶できなかった私の代わりに、堂々と咲き誇っている。それだけじゃない、全身に塗られた色という色が灰色だったドレスの上で一つ一つ存在感を放っていた。
「ほら。ちゃんとあったよ、色」
彼は私が座る椅子の後ろに立ち、満足そうに微笑んだ。
「……きれい」
自然と漏れ出た言葉。色の混沌に満ちたドレスは、不思議と初めよりも自分に似合っている気がした。
「灰色は無色じゃない。絵の具をたくさん混ぜたら濁った色になるのと同じでさ、色がない人なんていないんだ」
「無色じゃ、ない」
『グレー』に絶望する必要なんかない。『グレー』には『グレー』の色がある。そしてそれを引き出してくれる人がいる。リオの言葉に、存在に、私の目に映る世界は色を取り戻したかのようであった。
それから数年。
リオが死んだ。
あの日の私の写真をキービジュアルにした『グレー解放運動』が世の中に知れ渡り、それなりに軌道に乗り始めた矢先のことであった。
『グレー解放運動』とは、『グレー』への差別認識を改め、色の自由を訴える活動のことである。これにより個人のファッションはもちろん、公共設備にも少しずつ色の自由が戻り始めた。モノクロだった信号も、かつての利便性を見直して赤と緑が使われるようになった。
でも、皮肉にもそれが彼の死に繋がった。
彼には色覚異常があったのだ。色の違いを見分けることが苦手で、赤と緑が同じに見える。ゆえに新しい信号の色に気づかず、交通事故でこの世を去った。
葬儀には多くの人が押し寄せた。彼によって救われた『グレー』の人々である。彼らの間に生まれた灯火は簡単には消えない。むしろこれからさらに強く燃え上がっていくのだろう。
だけど私の胸にはぽっかり穴が空いてしまった。
彼の訃報に頭が真っ白になって、気づいたらあの日の絵の具だらけのドレスを着て火葬場を訪れていた。黒の喪服姿の参列者たちから訝しむような視線を投げかけられる中、私は火葬を終えた彼の傍らに立つ。彼は灰色になって待っていた。
「リオ。らしくないよ」
届くはずのない言葉が、行き場を失って虚空をさまよう。
あれだけカラフルな人も、死んだら結局灰色に還るのだ。
私も、あなたも、あの人も、みんな。
どれだけ色をまとっていても、死んだら全員同じ色。
それでも生きているうちは色にこだわりたくなるのはなぜだろう。
以前なら分からなかったけれど、今は少しだけ分かる気がする。
頭上を仰ぎ、私は笑った。
そこに広がるのは、あの日出会った彼の髪と同じ色をした空だった。
〈おわり〉
多色社会のシンデレラ 乙島紅 @himawa_ri_e
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