おまけ バー『KAKUREGA』にて

 カララン、カラン。

 ドアベルが小気味良い音を立てる。

「いらっしゃい」

 カウンターの奥でグラスを磨いていた男が顔を上げた。

「……お、見ない顔だね。どこでも、好きなところに座って。見ての通り、今日は閑古鳥が鳴いていてね。これでも、今日もひっそり営業中だよ」

 苦笑する男の言葉の通り、小洒落た音楽が流れる店内には、客の姿はないようだ。

「まぁ無理もないよ。今日は大広間で華々しくパーティーやってたんでしょ? の一流シェフもバーテンダーもそっちに集められていることだし、飲み足りなかった面々は今頃会場に残って酒盛りしてるか、部屋で飲み直すかしてるんじゃないかな」

 そう言って男はグラスを磨き続ける。

「この店、俺の個人的な趣味でやらせてもらってるだけだから、魔王城の中にあるバーといってもマイナーもいいところでさ。知る人ぞ知る隠れ家的なバー、ってな感じの位置付けなんだ。店名もそのまま、KAKUREGAって言うんだけど……、あぁ、やっぱり? みんな看板に気付かなかったって言うんだよね。ま、、って感じもするけどさ」

 その言葉から察するに、どうやらこの店はこの男が一人で切り盛りしているらしい。

 店内の調度品は趣味が良く、落ち着いた雰囲気で纏まっていた。

 男は謙遜しているが、おそらく普段はそれなりに賑わいを見せている店なのだろう。

「ま、俺がこうして店を持ててるのも、先代サマの格別のお引き立てあってのことだから、味は保証するよ。ほぼ自己流みたいなものだけどね」

 そう言いながら男は磨き終えたグラスを棚に戻す。

「さて、何にする? ……おまかせ? そう。苦手なものとか、アレルギーとかってある? 甘みに辛み、酸味に鹹味かんみ。参考までに聞かせてよ。君の好みと今の気分ってヤツを」

 店主の年齢は窺い知れないが、目元の皺に滲み出た年齢感から、そろそろ中年と言って差し支えない年代に差し掛かっているだろうと思われた。

 無精髭が伸びているが、それなりの容姿をしている。

 人懐っこい印象の垂れ目に、緩く上がった口角も相俟って、彼が若い頃にはそれなりに遊んでいたであろうことが感じられた。

 その風貌に加えて、歳を重ねつつあるからこそ醸し出される色気のようなものを纏ってもいる。

 素直にそれを口にすると、店主は少し照れたように頭を掻いた。

「いやー……はは。俺みたいなおじさんを褒めても何も出ないよ? ……嘘嘘。嬉しいから、この一杯は無料タダでご馳走するよ。それからつまみもね。すぐ用意するから、少しだけ待っててね」


「お待たせ」

 そう言って、店主はほかほかと湯気を立てるマグカップをカウンターに置いた。

「今日はこの後もお客さんはほぼ来ないだろうから、俺も同じものを一緒に飲もうかな。……なんて。もうちゃっかり準備しちゃってるんだけどね」

 そう言って悪戯っぽく笑う店主からは、どこか少年のような無邪気さが垣間見えた。

 マグカップを満たす赤い液体を眺めていると、店主は「君が何を考えているかは、大体わかるよ」と言った。

「スープみたいだな、って思ったでしょ。……ま、その通りと言えばその通り。何も間違っちゃいないから、安心して。ただまぁ、これもれっきとしたカクテルだ。きっと君も嫌いじゃないと思うよ」

 店主の言う通り、アルコールの香気こそするものの、飲む前から漂う香りは紛れもなくスープのそれだと言ってしまっても差し支えないだろう。

 マグカップを軽く持ち上げて、どちらからともなく乾杯と呟く。

 マグカップを満たす赤い液体を飲み下す。

「……!」

「……どう、悪くないでしょ」

 どうやらこちらの様子を窺っていたらしい、店主は得意げに言う。

「ウォッカをベースに、トマトジュースと魚介類のエキス、それからハーブとスパイスを少々。冷たいのも冷製スープみたいで面白いんだけど、俺はこうしてホットで飲むほうが好みかな。まぁでも度数はそれなりだから、ゆっくり味わってよ」

 そんな言葉と共に、つまみの乗った皿が差し出される。

 カリカリに炙られたベーコンにチップスと……もう一方はなんだろうか。

 黒胡椒がかかった四角く白い塊に、スライスされたバゲットが添えられている。

「ん? ……あぁ、これは自家製のチーズ豆腐ってやつだよ。このお酒自体にも塩気があるし、しょっぱい続きだと飽きてくるだろうと思ってさ。お好みで蜂蜜をかけて召し上がれ。そのままバゲットと合わせて食べても美味しいよ」

 どうやらチーズと豆乳を混ぜて練り固めたものであるらしい。

 店主の言葉の通り、塩気はほとんどないが、滑らかな舌触りでありながら、どことなくもっちりとした食感をしている。

 なるほど、黒胡椒やバゲットによく合う。

 蜂蜜をかけてなお、良い酒の肴になる。

 蜂蜜の代わりに、甘い貴腐ワインと頂くのも悪くないだろうという印象だ。

「あー……お出汁の風味とスパイスが沁みるねぇ……。これね、先代サマのお気に入りでもあったんだ。……ふふ、なんだか懐かしいな。今の魔王サマは酒自体滅多に飲まないから」

 同じものを飲みながら、店主はどこか寂しげにそう言った。

「……? あぁ、今の魔王サマとバアル様、それからアスタロト様の力関係?」

 そうだなぁ……、と店主は自らのマグカップに目を落とす。

「じゃんけんみたいなものだと思えば良いんじゃない? ほら、ちょうど三人だし」

 店主はそこで言葉を切り、チップスを口に運んだ。

 カクテルだけでなく、つまみも同じものを用意していたらしい。

 なるほど、ちゃっかりしている。

「まず、魔王サマはバアル様を振り回して楽しんでる。正反対のタイプだから、なんだかんだ言ってお互い良い刺激にはなってると思うよ。……ま、バアル様はちょっとお気の毒だけどね。れっきとした王子サマだったのに、よりによって素性の知れないニート気質の男の世話を焼く羽目になって」

 そこまで言ってから、店主は「……あ、今のはオフレコで頼むよ」と悪戯っぽく笑った。

「お城の偉い人に知られたら、色々面倒だからさ」

 そう言って、彼はホットカクテルを一口。

「魔王サマとアスタロト様は……まぁ、仲は険悪だよね。同族嫌悪もあるのかな。バチバチな割に、息は合うんだよね。ここの力関係は、どちらかと言えばアスタロト様のほうが強めかな」

 そこまで言って、店主は肩をすくめた。

「そうは言っても、おじさんには魔術のことはわからないし、物理的な強さも比較できるほどよく知ってるわけじゃないから。あくまでもふたりの会話を聞いていて、俺が受けた個人的な印象でしかないんだけどね」

 店主は再びマグカップを傾ける。

「バアル様とアスタロト様は実の兄妹だけど、アスタロト様がバアル様を狙ってるのは有名な話だよね。実際、魔族の家では時々あるんだってね、血族婚」

 どことなく血液を思わせる液体が揺れる。

「まぁ、流石に二親等じゃ近すぎるとは思うんだけどさ。名は体を表すとも言うし、あれはある種の宿命みたいなものなのかもしれないね」

 店主はそこで言葉を切り、カリカリのベーコンを口に運んだ。

「あまり大きな声では言えないけど、さ。……おっかないよねぇ、アスタロト様。まず威圧感がすごい。基本的にはいつも笑顔だから余計怖い。迂闊にバアル様に近付くのは、命知らずの馬鹿の所業だよ。アスタロト様、ああ見えて……パワー系って言うんだっけ? 実力行使を躊躇ためらわないし、とにかく容赦ないよね。昔、バアル様にちょっかいをかけようとした馬鹿な奴がいてさ。……いやぁあの時のアスタロト様は怖かった。まだ子供と言って良い年齢なのに、あの笑顔で……返り血もヤバ……おおっと」

 遠い目をしていた店主は我に返ったように慌てて口をつぐんだ。

「……今の話、誰にも言わないでね。俺、シメられちゃうから……」

 ぶるりと身体を震わせて、店主は続ける。

「えっと、何の話だったっけ。……そうそう、押しも強ければ力も強い、お兄様第一だから精神面もびっくりするぐらい頑丈なアスタロト様だけど、そんな彼女の唯一と言ってもいい弱点がバアル様なんだよね。彼女、当然ながらバアル様にだけは甘いし」

 とろりと垂らされた黄金色の液体が、白い塊──チーズ豆腐を覆う。

「バアル様もバアル様で、シスコンのくせしてド天然だから、アスタロト様のおっかなさも好意も全然ピンと来ないみたいで。そんなの魔界広しと言えどもバアル様ぐらいのものでしょ。天然記念物ばりに希少だよ、あの鈍さは。守られてるのは間違いなくバアル様のほうなんだけど、あのアスタロト様のペースを崩してるあたり、天然もあそこまでいくと一周回って強いんだなって思わされるね」

 空になったカップを目に留めて、店主は「お」と声を上げた。

「気に入ってくれた? ……そう、それは良かった。……ん、あぁ、カクテルの名前?」

 少し考えるような素振りを見せた店主は、ややあって苦笑した。

血染めの皇帝ブラッディ・シーザー──いや、ここではこう呼ばれているよ」


血染めの魔王ブラッディ・デーモンロード

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

元魔王子は、ぐうたら魔王を倒したい。 宮代魔祇梨 @AmaneMiyashiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ