恐るべきこと
ふさふさしっぽ
恐るべきこと
「どうして死のうと思ったんだい?」
「大学に落ちたんです。両親は責任のなすりつけ合いで離婚し、兄は事業で失敗して借金まみれ。恋人は四股掛けてました。相談しようと思っていた小学校からの親友はスマホアプリにはまり、度々金を無心していきます。そんなわけで、もうこの世が嫌になった、というわけです」
ふんふんと神妙な顔つきで老人は創の話を聞いていた。年は七十ちょっとくらい。死のうと思って川に飛び込んだ創を助けて自宅へ運んでくれたのだ。
「驚いたよ。散歩していたら川に君がぷかぷか浮いていたんだから。この「何でも捕らえ網」で助けられてよかった」
「なんですか? その虫取り網みたいなものは」
「虫取り網ではない。なんでも捕らえ網だ。この網の中には強い重力が働いていて、捕らえたいものをなんでも捕らえることができる」
「いつもそんなものをものを持ち歩いているんですか」
「ああ。原子レベルで分解して小さくして持ち運べるからな。私が発明した。どうだ、すごいだろう。私の名は人呼んでクリエイト・ドクター! 天才的発明を世に送り出す、時代の寵児! エイト・ドクと呼びたまえ」
創は(ああこの人はバカだ)と思ったが、口に出さなかった。ココアをもう一口飲み、
「ごちそうさま。じゃあ僕はこれで。さようなら」
この場から去ろうとした。
「ちょっと、待ちたまえ、君。本題がまだだよ」
「ああ、シャワーもお借りしたし、お礼をしなくちゃですね。すみません、僕の全財産322円です」
「違う、違うよ、君。そんなに人生を投げているなら、人生のはなむけに、つい最近完成した発明の実験台になってくれないか」
「実験台、ですか……」
「その名も違う世界線に行けるボックス! ゴートゥー・アナザーワールド・ボックス! 世にも不幸な君を世にも幸せな世界へ送れるボックスだよ」
「幸せな世界!?」
創はぱっと顔を輝かせた。「そんな世界があるなら、ぜひ行きたいです!」
「ついて来たまえ」
創はさっきまでバカだと思っていた博士に素直についていく。根は単純なのだった。
案内された部屋には大きな正方形の段ボール箱のようなものが一つ置かれたいた。
「これがアナザーボックスだ! このアナザーボックスに入って行きたい世界を思い描くだけで、その脳波を拾って、その世界に行くことが出来る」
「体育座りしないと入れそうにないですね。それでもギリギリですよ」
さっきまで興奮していた創はこの段ボール箱もどきを前に少し冷静さを取り戻した。
「騙されたと思ってこのアナザーボックスに入りたまえ。すぐにこのアナザーボックスがどんなに素晴らしい発明かわかるだろう」
見れば見るほど何の変哲もない凡庸なただの箱なのだが、創は結局その箱に入った。
創だって、本当は死にたくなんてなかったのだ。死にたくないけどもうこの世界で生きていても辛いだけだと思ったから川に飛び込んだのだ。
だから、どんなに嘘くさい話でも、別の世界に行けるとなれば、それに飛びつくのが道理。僕は一体何をやってるんだろう、なんて思ったら負けなのだ。
「創青年よ、そのアナザーボックスで思い描いた世界に行ったら、そこにとどまりたいだろうが、一度こちらの世界へ戻ってきてくれないか。そのアナザーボックスはタイムマシンと同じで乗り物なのだよ。君が別の世界に行ったらアナザーボックスはこちらの世界から消えてしまう。故に、戻ってきてもらわないと成果が分からないからね。成功だったら私はすぐにアナザーボックスを量産する。そして君にその一つをあげよう。あとは好きに使うといい。約束できるかな」
「わかりました、約束します。どうせ一度捨てたこの命ですから。必ず戻ってきます」
それを聞いて博士は「グッドラック」と言い、箱に蓋をした。創は首を折り曲げてダンゴムシのような態勢をとらなければならなかった。
真っ暗で窮屈な箱の中、創は目を閉じ、自分が行きたい世界を強く願った。
(大学合格……仲の良い家族……大金……可愛いくて僕に一途な彼女……スマホアプリにはまらない親友……)
こわごわ目を開けると、そこはさっきと同じ箱の中。
(成功したのか?)
箱を出てみないと分からない。しかし……
(どうやって出るんだこれ)
さっきから頭で箱の蓋を押しているが、びくともしない。
(まさか外から開けてもらわないとダメなのか? 早速失敗ですよ、博士)
箱の中で創が焦っていると、突然蓋が開いた。
「なんだ、これは」
聞き覚えのある声がした。創が顔を上げると、そこにはしかめ面をした博士がいた。
「は、博士……?」
「アマゾネスから荷物が届いたと思ったら男が入っていた! くそ、こんなの俺は注文してないぞ!」
箱を蹴っ飛ばした。
「うわ! 何するんですか博士! 僕ですよ僕」
創は箱から這い出した。博士の部屋のようだったが、どこか雰囲気が違う。
「なんだ、お前なんか知らん! 誰だお前」
見ると博士もあのとぼけた感じではなく、雰囲気が違っている。短気な感じだ。髪型や服装も違う。これはもしや。
「ここは僕が思い描いた別の世界……?」
と、創のスマホが鳴った。
『創君、今どこ? 実は明日の講義のことで聞きたいことがあるんだけど、今からいいかな?』
創の知らない女の子の声だった。
『創君?』
「ああ、ご、ごめん。今はちょっと……」
『忙しいの? お兄さんが立ち上げた会社が軌道に乗って、手伝ってるって言ってたもんね。あ、この前の遊園地貸し切りデート、すごく楽しかったよ~、ディナーも最高だったし! それとお父様とお母様はお元気? この前初めて創君の家行って、緊張したけど、すごく優しいご両親で助かったよ~とっても仲いいし、憧れちゃう! 私もいつか……えへへ、創君、大好き!! 分かった、邪魔しちゃ悪いから別の人に聞くね。じゃあまた明日、大学で』
通話が切れた。スマホのホーム画面には創と可愛らしい女の子が寄り添っている。続いてラインが来た。
『今度サッカーしようぜ!』
そうだ。
「さっきからなに一人でにやけてるんだ! ここは俺の家だぞ! 出て行け!」
短気博士が創の胸倉を掴んでドアの方へ放った。老人らしからぬ力だ。創はその勢いのままドアの隣のタンスに激突し、タンスの上の花瓶が落下して割れた。
「馬鹿野郎! 弁償しろ!!」
「ごめんなさいごめんなさい、僕の全財産です」
創は322円を出そうとしたが、とぼけ博士の家に置いてきてしまったことを思い出した。
「警察に突き出してやる」
せっかく幸せな世界に来たのに、これじゃあ、なんにもならない。創は短気博士に事情を説明した。
聞いてもらうのに一時間かかった。短気博士は話を聞き終わると青ざめて創が入っていた箱を丹念に調べ始めた。
調べ終わった短気博士の表情かおは蒼白だった。目は虚ろで、光を失ったように見える。
「あの、博士、大丈夫ですか」
創は恐る恐る尋ねた。
短気博士は絞り出すように呟いた。
「まさか……。じゃあ俺の今までの人生は一体……」
「?」
「その箱は……新しく別の世界を創り出す装置に違いない……」
「えっ? なんですって。いや、この箱は別の世界へ移動する装置なのではないんですか?」
「それだと、もとからこの世界にいるお前はどうなるんだ? 不都合が生じる。それに都合よく望んだ世界に行けるなど、新しく世界を創り出す以外に考えられない」
短気博士はその場にくずおれ、床を何度もたたいた。
「俺は、たった今造られた存在だというのか!」
創はその場に立ち尽くしたが、事の次第を理解するにつれ、言いようのない絶望感に襲われた。
(この箱は、新しい世界を造ってしまう装置。じゃあこの世界の僕の家族も恋人も、たった今造られた存在? それを知って、僕はここで暮らしていけるだろうか。そうだ、この箱で元の世界に戻って……いや、戻れるのか? 元の世界であるようで、そのとき造られた世界かもしれない)
創は短気博士を見た。床に突っ伏し、すすり泣く彼が、哀れでならなかった。
恐るべきこと ふさふさしっぽ @69903
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