泣く女

悟妹

泣く女

泣き女、と言う職がある。

 

起源は遡ること古代中国、故人の葬式にて、その家族の代わりに涙を流す、と言う職種。

主に格式の為だけに雇われるので、全く認識のない人物の葬式に赴くことが大半であった。

              

故に彼ら彼女らには、感情というものが殆ど無かった、とも言われている。仕事では泣く、というのが潜在意識の中に刷り込まれていたのだと。

 

しかし、それでも血の通った人間。どうしようもない昂りの中で、感情が発露してしまうこともある訳で。

 

***

 

ある女がいた。

女の家の女性は成人すると代々、泣き女を勤めることになっていた。

 

客の中心はやはり死に行く人々。しかし時代が変われば、物事の趣意も少しは変わる。

格式とか、そう言う高尚なものではなく、もっと人間の本性に根ざしたモノ。

虚栄心とか自尊心とか、そういった下らない感情の為に涙を流していた。

 

女は原来、勤勉であった。どんな酷い客──意思疎通が困難だったり、横柄な態度だったり──な客が来ても真摯に対応する。 

 

そして一度葬式となれば、さながら本当に心底悲嘆しているが如く、両頬に一筋の透明な線を垂らす。唇を丸めて、キュッと噛む。


そこにはそれでも、感情と言うものが宿っていたなかった。

機械の様に、物心付いた時から入力されていた作業を、ただ繰り返す日々を営んでいた。


意外に思われるかも知れないが、そんな女にも唯一の友人がいた。職業は誤魔化せても学歴は誤魔化せない、という事で行かされた地元の附属高校。

感情が読みにくいと言うことで友人が少なかった女に、初めて出来た友であった。


友は、絵に描いたような優等生であった。

文武両道で眉目秀麗、更にはその快活な性格からか友人も多かった。  

それで、いつだったかは忘れたが、放課後一緒に寄ったカフェで彼女に聞いたことがある。


「なんで、私と友達になってくれたの?」


何気ない、世間話のようなものだった。だのに彼女はいつもはしないような、どことなく真剣な顔立ちでこう告げた。

 

「や、そうだね──笑顔にしたいって、そう思ったからかな」

「私を?」

「そうそう。だっていつもムッとしてるでしょ、アンタ。私が何とかしなきゃって、なんつーかそういう……自己満足だよ」

 

一転して、照れた様に笑う彼女。流石にその時には、心に垂らされた僅かな温もりを否定出来なかった記憶がある。


そう言った青い思い出に起因するのかは分からないが、高校、大学と卒業した後も、彼女との関係は続いた。

一ヶ月に二度か三度、地元の繁華街で遊び回るような、そんな気兼ねのない関係。そのありふれた邂逅がどうしようもなく、心地良かった。


前述の通り、彼女は本当に優秀だった。女に無いものを全て持っていた。

大学を主席で卒業した後、地元の一流企業に就職。その職場でもかなりの有望株らしい。

相変わらず友人は多いらしく、会う度にここ最近の出来事を面白おかしく話していた。


女はそれを黙々と頷きながら聞いていた。誇らしいな、と朧げに思っていた。こんな眩しい人に友として扱ってもらえること。

尊敬すらしていたのだろう。彼女と居るなら、口にした安っぽいパフェだって世界一の味がした。

 

そんな彼女が病気に倒れたと聞いた時は、人生で初めて心臓が早鐘を打った。

息を荒らげながら、仕事が終わった途端に急いで、彼女の親から知らされた病院に向かうと、窓際のベットで呆けているのが見えた。


陽の光に照らされたその姿に見惚れていると、やがて彼女が女の姿を捉えた。

花が咲く様な笑顔を一瞬浮かべて、何故かすぐに吹き出した。理由を探そうとして、すぐに思い至った。

 

「なんで喪服で来るの、はは」

「えと、ほら、葬儀屋の仕事が終わって直ぐに来たから」

「それでも普通着替えてくるでしょー。ほんと、やっぱアンタ面白い」


それから暫く近況を教えあって、それですぐに閉院時間がやってきた。

大手を振って見送る彼女に小さく手を振り返しつつも、一抹の不安が心を過った。

どんな病気なんだろうか、どのくらい入院しなきゃいけないだろうか、本当に大丈夫なんだろうか、とか何とか。

 

らしくないとは思ったが、結局はどうでも良くなった。無感情に見えてもちゃんと心はあるのだ。自分の気持ちに嘘はつきたく無かった。


***


女は、毎日彼女の病室に通うことにした。仕事のシフトを朝ごろに集中させ、一緒に居れる時間は出来るだけ増やした。


勿論彼女は顔が広いから、お見舞いはひっきりなしにやってくる。だから実際に会えるのは1時間とかそこらであった。それでも口の少ない女にとっては、充分すぎる時間であった。

 

話すのは仕事とか趣味とか、そう言った他愛のない話だった。とは言え女に趣味などないし、仕事も捏造したものであったからして、女は大体聞き手である。

 だから余り会話に困ると言うことは無かったが、一度だけ困ったことがあった。

 

「アンタさ、葬儀屋やってるんでしょ?」

「……うん」

「人が死ぬのを見てさ、辛くなったりしないの?」

 

考えた事も無かった。依頼人に対しては、「金をくれる人」くらいの認識しか持ち合わせて居なかった。涙を流す時もただの作業感以外に感じたことはない。

だけどこれを捏造するのも何か違うと思い、恐る恐るだけれども正直に答えることにした。


「……わからない」

「と言うと」

「あくまで仕事だから、特に何も感じないかな──血も涙もないって、そう思う?」

 

女が少し緊張しながらそう言うと、彼女はしんみりとした顔で首を横に振った。

 

「皆んなそんなもんじゃないかな。アンタも他の人も、あくまで仕事としてやってる訳だしね」

 

彼女がこんな話をした理由は、数週間後に漸く分かった。


「私、難病なんだって」

 

余命一ヶ月。その単語だけがグルグルと頭の上を飛び回っている癖、一向に理解に収まろうとしない。

時間に取り残されて閉口する女を見て、彼女は小雨の様に言葉を紡ぎ始めた。

乳ガン、ステージⅤ、抗生剤治療、髪。つらつらと羅列されていく単語は、次第に霞んでいく。

友の目からは大粒の涙が流れていた。目を真っ赤に腫らして、それでも女の方を見据えていた。


予感はしていた。余りにも長過ぎると思っていた。なのにいざ現実を享受すると、どうにかしてそこから逃げようとしている。

  

「あのね、アンタにお願いがあるの」

 

くぐもった声で、友は唐突に告げた。それこそいつも浮かべているみたいに、朗らかに。

尚も未練がましく無言にしがみつく女に笑いかけながら、彼女はこう告げた。

 

「私が死んだらさ、アンタが私を葬儀してよ」

 

意味がわからなかった。今度こそ思考が止まるかと思った。だから女は、無意識のうちに叫んでいた。


「できる訳ない……!」

 

こんなに大きな声は出した事ない、遅まきながらぼんやりと思う。女は息を荒らげていた。感情云々じゃなく、本能的なモノが反応していた。

 

「私さ、結局アンタを笑顔に出来なかったじゃん」

 

女の言葉に微笑みすら浮かべながら、友は寂しそうに呟いた。

 

「だからさ、流石に私が死んだら、少しは悲しんでくれるのかなって──せめて、アンタの無感情の中に私の影を落としたいって、そう言う身勝手な願い」

 

「そんなの、」

 

出来るわけない。反駁した言葉の最後の方は、自分でもわかるほど弱々しかった。

 

「頼むよ、これが私からの最期の願い」

 

久しく取った友の手は細く、白かった。けれどそこには、確かな熱量が籠っていた。


切実であった。声を震わせながら、必死に気丈に振る舞っていたのだと悟った。

だから女は頷いた。何度も何度も、目頭が熱くなるのを堪えながら。

 

***


結局、彼女は余命宣告通り、きっかり一ヶ月後に亡くなった。勿論女は葬儀屋では無いので、一般の参列客として、彼女の葬式に参加した。


嗅ぎ慣れた線香の匂い。それから、花やら何やらで華美に彩られた遺影を見て、ああ、死んだんだなと思う。今回は仕事じゃないけど、泣いてもいいんだよね。

 

やはり、と言うべきか、参列客は溢れかえる程だった。式場の中で最も広いスペース。そこを埋め尽くすほどの人。

その全員があの日の友の様に目を腫らし、嗚咽を必死に抑えていた。

 

やがて式が始まった。一番後ろの列の、丁度左端。参列者全員が目に入る。

聞き飽きた経、思い出語り、それからそれから、やり飽きた諸々のこと。しかしその全てが、普段のそれとは全く異なっていた。胸に何か、感じたことが無い波が押し寄せていた。


そうこうしている内に、とうとう告別式の時間にになってしまった。列を成していく参列者に連なるように、列の後ろに並ぶ。

全員、嘆いていた。彼女と言う価値ある人間の死を。ある者は棺桶にしがみついて泣き叫び、ある者はその場で崩れ落ちた。


ならば私は、どうなるのだろうか。女は思慮した。彼女の死を前にした時、どれほどの悲しみを背負うのだろうか。

そう思うと怖く感じる一方で、安堵する気持ちもあった。ようやく、ようやく人間としての感情が手に入る。彼女の願いのお陰で。

 

入り乱れた感情を捏ねくり回している内に、女の番がやってきた。見えない膜を突き破るようにして、一歩ずつ踏みしめる様に震える足に鞭を打つ。

それで、花に包まれた、色白い肉体が見えた。心臓の鼓動が五月蝿い。どうしようもなく冷たいモノが背を這っていた。

 

ふと友の透き通った顔を見て、それで限界だった。

 

初めて、初めてだったのだ。心の器から何かドロドロとしたモノが溢れ出してきた。だから女は、止めど無い美しい液体を──

 

「──あ、れ」

 

何度頭の中を空っぽにしても、横たわった現実は変わらず女を嘲笑い──頬は乾いたまま、涙腺は冷え切って、あとは、あとはもう、本当に。

 

「なん、で」

 

やめろ、やめてくれよ。本当に、どうしようもない現実が擦り寄って。


「あ、ああ、あああああああ──」

 

だって彼女は自分にないモノを全て持っていて、しかも私の一番大切な人で、それから、それから──

 

だから。

 

「──ぁ」

 

やがて、涙が流れた。それは彼女に対する激情なのか、


それとも。             

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泣く女 悟妹 @gomai_HS

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