気持ちのいい朝
私は目を開けた。あたりは先ほどまでと変わらない風景だ。目の前に魔が茫然と立ち尽くしている。いや、早く殺せよ。
「おい、情けをかける気か。それともお前はこんな小さい女を持ち帰りたがる幼女趣味なのか」
「いや、それがな」
魔が指差す先を見ると、先ほどのタクシーの運転手さんがいた。なんで? どうして?
「ダメだ運転手さん、“逃げて”!」
「君みたいな小さい子供をこんな山奥に降ろすなんて俺はどうかしてた! お金は取らないから麓まで降ろしてあげよう!」
「そこの化け物が見えないの!?」
「化け物? お嬢ちゃん、何言ってるんだい。そこには錆びた車しかないよ」
「えっ?」
見ると確かに、先ほどまでの魔はいなかった。何年も前に捨てられたように見える、錆びた車だけがあった。
何かがおかしい。
三十分しかかからない術でトラブルを乗り切って、術が切れたらどうなる? この運転手さんみたいに戻ってきたら?
退魔士の修行と退治で勉強時間が取れないのに、なんで私はクラスで一位なんだ?
母さんが十九で死んだって、私をいつ産んだ? なぜ私は母さんの得意技を知っている?
なんかところどころ現実性が破綻している。それはつまり。
「おい、小娘」
後ろから消えたはずの魔の声がする。
「ここにいたらずっと退魔士としてすごい力も使える。お金も、スマホも使い放題だ。助けてくれた人はみんなお前のことをほめるぞ。夢のような世界だろう。ずっとここにいないか」
足が止まる。けれども、仮に私が夢の中の存在でしかなくても、だからこそ魔の言うことを聞くわけにはいかない。無言でタクシーに乗り込む。表示が「貸切」になる。
知らない真っ白な天井。完全にベッドに横たわっている。体中に管が沢山繋がれている。思い出した。私は車に轢かれたんだ。
「先生、目を覚ましました!」
それからは大変だった。母さんも父さんもおじいちゃんもボロボロ泣いていた。私はすぐ退院というわけにはいかなかった。体中まだボロボロだったし、一年以上寝ていたから筋力も衰えている。体中の管がボロボロになる幻聴は、なんのことはない、現実で生死の境をさまよっていたことの反映だったのだ。でも、日を追うごとに体が少しずつ動くようになっていった。
轢かれた理由は覚えていない。母さんが言うには、たった10円を落として転がるのを追いかけてたせいで飛び出したらしい。自分がほとんどおこづかいを渡さなかったからだと泣いて謝られた。でもそれは自分が悪いと思う。犯人は捕まっていないらしい。轢き逃げだ。けれども車が怖いなんて思わない。私を助けてくれたのも運転手だったことを、私は夢の中で知っている。
退院して学校に行く段になると、ずっと寝ていたのに言葉遣いや知識が成長していると驚かれた。なんでかは黙っておくことにした。別の世界で異能を使って大暴れしてたなんて、恥ずかしくて言えない。退院した後でもね。
もう異能はない。体も小さいし、スマホも使えないし、おこづかいは月に1000円。ついでに背中には轢かれた時の傷がまだ残っている。でも、父さんも母さんも、私が傷ついたら悲しんでくれる。だからもう少しだけ子どもでいよう、そう思った。
その刀、輪を断ち切るか 只野夢窮 @tadano_mukyu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
窮する夢/只野夢窮
★6 エッセイ・ノンフィクション 連載中 73話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます