丑三つ時

 その日もいつもと同じような一日だった。学校上がりに魔が出現したと連絡を受けて、タクシーを捕まえる。場所は同じ県だけども、山を三つ超えたような遠い場所で、タクシーでも2時間以上はかかりそうだった。

「お父さん、こんな遠い場所だったらもっと近い人がいるんじゃない?」

「いや、それが一番近いのはうちみたいだな」

 父さんやおじいちゃんは、退魔士の寄合に所属しているらしい。私はまだ早いと言われて集まりには参加させてもらえない。私だって魔を倒してるのに呼んでもらえないのはひどいと思う。でも、たぶんああいう大人の集まりってお酒を飲むのが目的だったりするから、私みたいな小学生を入れないことが全部間違いと言うわけでもなさそうな気がする。

 それはともかくとして、魔が出るとその寄合から父さんやおじいちゃんに連絡が来る。私じゃ手に負えない規模の時や、子供が活動するのに何かと不便な深夜や早朝、学校をやってる時間帯の時は父さんとおじいちゃんで対応する。それ以外は父さんから私に連絡が来て、私が対応するようになっている。遊べないことも多いけど、別にかまいっきゃしない。私ぐらい大人びていると、“同級生なんて子供すぎて一緒に遊んでもつまらないわ。”


「……このあたりのはずね。よし、ここで降ろしてください」

「ええ、お嬢ちゃん、こんなところで降りるのかい? 周りには何もないし、山の中だから危ないよ」

 タクシー運転手さんが心配するのも当たり前だ。明らかに山中のねじれにねじれた道の中、子供が一人、夕方に降ろしてくれというのだから。

「大丈夫よ、“私は大丈夫”だから」

「うん、でも…………そうだ、あなたは大丈夫ですね。はい、じゃあ2万5600円になります」

「はい」

「まいどあり」

 私が魔力のこもった言霊を発すると、タクシー運転手さんは濁った眼をして私の言うことを聞いてくれた。退魔士としての基本的な術の一つ、人心操作。

 いくら深夜や早朝に出勤しないようにしていても、帰るころには夜中になっていて補導されそうになることもある。今のようにタクシー運転手さんに怪しまれることもあるし、何より私みたいな子供が「化け物が暴れていますから逃げてください」と言っても信用されない。だから、一般人に短時間言うことを聞かせる術は便利だ。三十分程度で術は自然と薄れるから、後でトラブルになることもほとんどない。


 最低限レベルで舗装された、ギリギリトラックがすれ違える程度の山道をさらに逸れて丸々と太った木の間の獣道をかきわけていくと、いきなり視界が開けた。半径百メートル程度、木が全く生えておらず下草が生えている程度の平場だ。かつては山道の旧道に関する施設でもあったのか、別の用途に使っていたのか、それは私にはわからないが、山中のそこだけ明らかに人工を感じさせた。そこに今回の討伐対象である魔がいた。

 おおむね人間の形をしてはいる。見る人が見れば、そのボサボサの黒髪、隆々たる筋肉、いかにも体育会系ですというような自信に満ちた面構えをイケメンと評価してもおかしくはない。ただし身長は3メートルを優に超えているし、腕は右上、右下、左上、左下に4本の腕もくっついている。どの手にも金属製の輪っかのようなものを持っているのが武器なのだろう。

「おお、退魔士がもう来たかと思えば、お前のような小さな子供をよこすとは、この時代の退魔士はずいぶん人材不足と見える。久しぶりに復活して強者と手合わせしたいのだ、お前のような小娘は食っても腹にたまらん。土下座して謝るなら見逃してやらんでもないが」

「それで土下座する退魔士なんていないよ。秘剣創造:模造村正ウォーロードキラー・レプリカ!」

 私の構えた手に、魔力で生成された片手剣がすんなりと馴染む。と言っても私の身長よりは長いから、魔力で筋力を増強してなおギリギリ扱える範囲だ。街中で武器を携行するわけにもいかないし、不意打ちされることもある。それに第一、普通の武器は魔に傷一つつけられない。だから、退魔士はみな自分の武器を魔力で生成する。剣、槍、銃、棒、その他もろもろ。片手剣にしたのは、一番扱いやすいというのもあるが、父さんもおじいちゃんも剣を使っているので教えてもらう時に都合がいいというのもある。別に盾を持つわけでもないから普段は両手持ちだが、時折片手持ちにして機転を利かせられる(空いた片手で魔力を練ったり敵の武器を拾ったり)のも便利だ。私の剣は徳川将軍家を呪った村正を再現していて、かつて高貴だった人物の慣れの果てのような魔には相性がいい、と言うおまけもついてくるが、どう見ても高貴じゃないこいつには意味がなさそうだ。

「おお、立派な剣じゃないか。だが一本しかないのではな。見ればわかるだろうが、俺には腕が四本あるぞ」

「見ればわかるわよそんなのっ!」

 瞬間的に全身の筋力をブーストさせ、急激に距離を詰める。相手がどんな技を使ってくるかわからない以上、まずは基本的な攻撃を、すぐに回避できるような距離で放って出方を見る。あえて踏み込まない浅い斬撃をアッパーで放つ。下左手の輪っかだけでガキンと受けて、にやりと魔が嗤う。

「なるほど、俺が片手で受けると痺れる程度には鍛えているのか。だがそれでは勝てないことぐらいわかるだろう」

 右上腕と左上腕が振り下ろされる。両方剣で受け止められないと判断して地面を蹴って転がる。

「地面を転がる感触はどうだ?」

「うるさ……イッ!?」

 背中に激痛を感じる。そうだ。左下と右上と右下。一本空いている左上手に、輪っかがない。ということはつまり、私が転がる先を読んで投げておいたのが綺麗に背中に刺さったのだろう。

 痛みを遮断する術の上から主張する傷を、術の重ね掛けで黙らせる。今は痛がってる場合じゃない。泣いても父さんは来てくれない。考えようによってはチャンスだ。相手が投げた輪っかを取り戻す前に攻撃をかけないと。

「ほう、まだ立ち上がるか。いいぞ、それでこそ退魔士だ。案外前菜にはなるかもしれんな」

「ぬかせ!」

 まだ全然戦える。相手の戦い方はわかった。要は近接武器としても、投擲武器としても使えるあの輪っかを臨機応変に組み合わせて戦うのだろう。けれども、投げることにデメリットがなければ、出会い頭に4つとも投げればおしまいのはずだ。そうしないのは、要は魔法で呼び寄せることができないのか、いや、呼び寄せられないのは不便すぎる。呼び寄せの術に時間や魔力がかかって隙が大きすぎるとかそんなところだろう。つまり、確実に大けがさせられると読んだ時しか輪っかは投げない。あと2回、いや1回輪っかを投げさせれば、かなり有利になる。でもそのためには隙を見せないといけない。

 浅い踏み込みで剣を振り下ろす。弾かれたところを後ろに飛びのく。ほんの少しの隙を作るための何分にもわたる剣戟。つまり、魔のほうが有利だ。背中を流れるのは汗だけじゃない。私の体力は背中の傷から少しずつ流れ出ていく。長期戦はじりじりと不利だ。

 つまり、相手が輪っかを投げるという失策に期待することはできない。口では私を舐めたようなことを言うが、実際戦い方は堅実だ。

 それなら。

 後ろに飛びのくと、平場のギリギリまでじりじりと下がる。そして私の刀は切り裂いた。

「おおっと」

 切ったのは外周ギリギリに生えている太い木だ。自然と魔に向かって木が倒れる。が、それは本命じゃない。その木の陰、魔の死角になる位置から弧を描いて突き刺さるように拾っておいた輪っかを投げる。これも陽動。

 本命はさらに私自身がコの字に迂回しての背中を狙う斬撃。

 魔が初めて、少し焦ったような顔をした。左上手で木を受け止める。投げ返された輪っかを右上手の輪っかで弾く。ビンゴだ。やつの左下手には輪っかがない。私の一撃を迎撃するのに使えるのは右下手しかない。武器が一個と一個なら負けない。腕を三本まで無効化してやった。


――――腕が四本ある――――ことに注意を惹いてからの綺麗な前蹴り――――が私の柔らかい腹に綺麗に突き刺さる――――まるでサッカーのトゥーキックのように――――る返りくっひが界視の私――――


平場の端まで吹き飛ばされ、木に背中から衝突して体中がバラバラになったかのような激痛が走った。蹴られた時にプチプチと音がしたのは脂肪か子宮かそれとも致命的な臓器か? あげく輪っかを取り返させてしまった。

「うん、今の攻撃は悪くなかったぞ小娘。前菜などと言って悪かったな」

 これでもダメならやることはどちらか一つだ。奥義で逆転を狙うか、逃げて救助を待つか。だが、複数人で戦っていて誰かにしんがりをお願いできるのならまだしも、一対一で背中を向けたら死ぬしかない。

 つまり、分はかなり悪いし、体はあちこちが痛いけれども、ここが勝負どころだ。次の一撃が躱されたら私の負け、すなわち死。

 あえて刀をしまう。鞘があるわけではないけれど、鞘があるかのように納刀の構えを取る。

「……ほう。まだ諦めないのか?」

 自分の魔力のみならず、大地に接する足裏からも爆発的に魔力を取り込む。体の中で暴れまわる霊脈の流れを制御し、押さえつけ、エゴのために消費する。血管がボロボロになる幻聴がする。この技を得意とした母さんは十九で死んだ。けれどもここで死ぬよりはマシだ。

「行き行きて、生きては帰らぬ―異能一刀流奥義、一筆切りノーリターン

 いわゆるギアスと呼ばれる言霊の重ね掛けだ。一筆書きのように、絶対に後退しないという縛りと、生還にこだわらないという縛り。つまり今みたいなどうせ逃げられもしないし生きて還るのも難しい状況で使えば、デメリットを踏み倒せるってわけ。体中の痛みが、魔力の爆発的奔流の前に掻き消える。普段の倍の負荷が足にかかり、成長期の骨が撓む音がする。どうせ生きて還ったら術で治せる。

 剣が大河のごとき、広く光る魔力の帯となる。それを全力で振り上げる。反応する間もなく、魔の左下腕がストン、と落ちた。

「しまった」と声を発したのは私だ。

「がはは、見事なり。しかし我の勝ちだ」

 最後の大技で腕の一本程度しか落とせなかったのでは私の負けだ。そもそも魔は、例え人型でも心臓や脳みそが普通の人間と同じ位置にあるわけではない。だから大技で一撃必殺というよりは、ボロボロに切り刻んで動けなくして倒すのが望ましい。けれども一撃にかけたのは、やつは必ず右側の手と左側の手を同時に動かしているからだ。だから、片方の腕を二本とも落としてやれば動きが鈍る、少なくとも平気ではいられないだろう、という読みがあった。それを一本しか腕を落とせなかった。ダメだこりゃ。

 気が抜けて膝がガクンと落ちる。魔力が切れて体中の傷が主張を始める。揺らめく視界の中で、ゆっくりと歩いてきた魔が、輪っかを振り上げる。

 私は目を閉じた。

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