玻璃

深川夏眠

玻璃(はり)


 わたしは青い香水瓶。腹に湛えた後ろめたい秘密を、洒落た形の蓋で封じたビードロ細工。艶めかしいトルソに似ていると褒められたこともある。デッキテラスへ続くステンドグラスドアの一部と親戚なの。正確には上部の弦月窓で光る黒猫の瞳と。

 ここは昔、とある企業の保養所だったとか。業績が悪化して手放されたのを個人が買い取ったものの、持ち主には決まって不幸が降りかかり、二転三転、名義が変わって、今は貸し別荘になっている。

 管理人は――おいくつになられたか、銀髪をソフトにまとめてエプロンドレスをお召しになった、顔や手の皺さえもエレガントな真智子さん。お客のいないとき、彼女はわたしのじょうせきであるコンソールテーブルに椅子を引き寄せ、ティーカップを置いて話しかけてくる。だから、わたしは目の届かない場所で起きた出来事もちゃんと知っているの。

 午後からやって来たのは学生らしき騒々しい男女六人。荷物を放って水着姿で砂浜へ飛び出していったわ。波の音と嬌声が入り混じって聞こえてくる。

「もっと落ち着いたお客様ならよかったのに」

 真智子さんは小さく肩を竦め、涙滴型のペンダントヘッドを撫でさすった。それもわたしと同じ青いガラス製。

 気を取り直して夕食をこしらえた彼女はスープと肉や魚のお料理、自家製のパンなどをチェーフィングディッシュにセットして、

「ご自由にどうぞ」

 真智子さんが退出した後、わたしは若者たちがカトラリーをガチャガチャ言わせながら屈託なく語らうのを聞いていた。

 すると、彼らは大して食べもしないうちに王様ゲームを始めた――と思ったけれど、流儀が違っていた。最初に女の子の一人が赤い印の付いたスティックを引き当てた……わけではなく、全部が同じ見た目の棒で、一番手が王……いえ、女王様になると決まっていたのね。単にみことのりを発するための手順、パフォーマンスに過ぎなかったのだわ。

 金のペーパークラウンが彼女の頭に着座した。一同のげんを繋ぎ合わせると、ミキと呼ばれる彼女は、さる経営者の愛娘で跡継ぎとなる身。他の五人のうち三人は被雇用者の親を持ち、当人たちもいずれは縁故採用されるとか。なるほど、ミキは最初から女帝なのね。漢字ではと書く――って、ああ、ごめんなさい、

「今の、地震?」

 いえいえ、わたしがカタカタ音を立てて微かに揺れただけ。人間は気質のよさや能力によって評価されるべきで、容姿をとやかく言うのはナンセンスだと重々承知しているけれど、あまりに名前負けしているから、ちょっと笑ってしまったの。本人も、きっと自覚があるから鷹揚でいられず、無駄に高飛車なのね。

 は立て続けに無茶振りを繰り出し、後の五人は引きつった愛想笑いを浮かべて要求を受け入れていった。例えば手つかずだった熱々のラザニアを制限時間内に食べ切れ! だとか。

 馬鹿騒ぎが一段落すると、彼らは卓上のベルを鳴らして真智子さんにアルコールをオーダーした。美姫が一気飲みでも強要するんじゃないか、誰か倒れるに違いない、救急車を呼ぶ準備を! ……というのは早合点で、意外にも彼らはお行儀よく、しんみりとお酒を嗜み始めた。でも、時折お供のアマレッティを噛み砕く音がカリコリするのがご愛敬。

 美姫は先ほどまでとは打って変わって神妙な面持ちで、

「あたし、政略結婚させられちゃうの。信じられないでしょ。いつの時代よ、拒否権がないなんて。もう人生に絶望したわ」

 他の五人は懸命に慰めの言葉を探す素振り、でも、内心、いい気味、ザマアミロって感じているからか、デザートワインとお菓子で口を塞いでモゴモゴ。

 しばらく独演を続けた後、美姫はポツリと、

「本当に好きな人と結ばれないなら死んだ方がマシよ……って、あれ、みんなどうして黙ってるの。何か言ったら」

 三人の青年が睫毛を伏せ、腕組みしてウーンと考え込んでいる。残る二人の女の子は不安そうに彼らの様子を窺っている。すると、ややあって、青年たちは目配せを交わして立ち上がった。

 勢いに驚いたのか、女の子の一人が小さな悲鳴と共に椅子ごとガタッと後ろに下がって助けを求めるように手を伸ばした。その指がわたしを載せたテーブルセンターのレースを払いのけ、捲り上げたので、しゃが掛かった。

 ぼんやりした光景に被さる怒声、罵声。かなりろうな言葉遣いだったから、忠実に再現するのは差し控えたい。要約すると、自分たちを下僕扱いしてきた美姫への意趣返しで、おぼうきちの言う「おれが殺してやろう、なんの造作もねえことだ」を実践するってワケ。

 取り押さえて後ろ手に縛り、誰かが持ち歩いているを呑ませた模様。意識を失わせ、自殺に見せかけて命を奪う算段だわね。さっきの美姫の自死を仄めかす発言を抜け目なく録音していて、役に立てようという魂胆。

 一同は人事不省に陥った彼女を抱えて外へ。扉は開け放たれたまま。しゅうしゅうまつの淋しいむせび泣き。

 真智子さんが入ってきて、視界を覆うヴェネツィアンレースをそっと元に戻してくれた。彼女は新しいグラスにヴィンサントを注ぎ、器の縁をわたしの肩に軽く触れさせ、チンと高く澄んだ上品な音を響かせた。唇を湿らせた後、酔ったわけでもないでしょうに、珍しいお戯れ、美姫の頭から落ちた金紙の王冠をに飾って、

「僅かな追加料金を惜しむりんしょくどもが、目の上の瘤を取り払ったって大成するとは思えないが」

 あらあら。知らぬは姫様ばかりなり。今度の件は打ち合わせ済みだったのだわ。あの五人が気前よく割増金を払っていれば、真智子さんが積極的に関与して、余程うまい手を繰り出してくれたでしょうにね。

 おっとっと。急に揺さぶらないで、ビックリするじゃない。チャポン、チャポンと、どこか滑稽な水音が恥ずかしい。

「フフフ。おまえの中身を使うまでもなかった。俗な連中にはもったいないさ。苦痛を与えず、一晩かけてじんわり血管を巡り、朝方にはきれいな死体に変えてしまう秘伝のヴェレーノは――」

 そうね、ロミオとジュリエットみたいに切羽詰まったカップルの情死に役立つ方が劇毒冥利に尽きるってものかしら。

「あたしとしてはコンに骨が増えれば増えるほど愉快なんだけど」

 あら、あんなにたくさんあっても満足していないなんて、欲張りね。

ネクリスと呼ぶには、まだまだ不充分だろう」

 やれやれ、黒装束の魔女がひときわ形の整ったを拾い上げ、かつては鮮やかな光を宿していた暗い眼窩を覗き込むやら、張りのあるひたいに口づけするやら、そんなおぞましい情景が、わたしの中の冷ややかな液体に反射して揺らめいたわ。見かけは年老いても意気軒昂な地獄の門番は、これからも密やかに仕事に勤しむのでしょう。

 ああ、海風が冴えてきた。真智子さんは星明りを透かして七色に煌めくガラス戸を閉め、わたしのデコルテにそっとおやすみのキスをして出ていった。




                 vetro【fine】

                         *2021年8月 書き下ろし。



*雰囲気画⇒https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/ZiHw1jZf

*縦書き版は

 Romancer『掌編 -Short Short Stories-』にて無料でお読みいただけます。

 https://romancer.voyager.co.jp/?p=116877&post_type=rmcposts


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玻璃 深川夏眠 @fukagawanatsumi

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