第23話 振り向いたのは家族だった

「お父さん、何かここ静かだね」

「ああ。八瑠璃やるり。ここは死者が安らかに眠る所だからね」


 冬の寒い空の下、雪を頭に乗せた優希ゆうき家の墓石の前で八瑠璃と呼ばれた女の子。

 黒髪をピンクのシュシュで後ろに束ね、見た目は幼い子供で幼稚園の黄色い制服。

 お父さんという呼び方からして、この子の育て親だろう。


「お母さんもここで眠ってるの?」


 父親はもやがかかった面構えで『そうだよ……』と優しく少女に伝える。


 ──父親の名前はひびき

 数年前、出産の期に最愛の妻を亡くし、父親一人の手でこの子を育ててきた。

 仕事と育児の綱渡りは大変だが、響は毎日をとても楽しそうに過ごしている。


 この様子だと響はもう新しい女性と付き合うことはないのかも知れない。


 目の前で愛する人を二度も失ったのだ。

 愛娘の成長を近くで微笑ましく見送る彼の姿からして、彼を知る使の目にはそう映って見えていた。


****


「優希さん、優希さん。いい加減起きて下さい」

「うーん、あとちょっとだけ寝かせてくれよ」

「いえ、そう言うわけにはいけません。休憩時間はとっくに過ぎています」


 私こと、矢奈やなはこのフィギュア専門店の店長を任され、約5年の月日が流れていた。

 店内に目ぼしいものはないが、他に変わったことと言えば、昔からバイトとして雇用している優希さんがとても駄目人間なくらい。


 私の妹、鵺朱やすという相手がいなくなって色々と忙しいのか、それともわざとなのか、あれから彼はぐうたらな性格に成り果ててしまった。


 でも私は承知している。

 彼は自分から逃げているのではない。

 そう見せかけてこのバイト先で上手く羽を伸ばしているのだ。

 現に娘の前ではしっかりとした父親を演じているように……。


 ──あれはいつだろうか。

 家計簿を片手に娘の養育費に頭を悩ませていた彼にここの正社員になって働いてみないかと誘ったことがあった。


 その方が彼の都合にもいいし、私自身も余計な心配をせずにすむ。


 だけど彼は……。


『今は娘との語らいを大事にしたいんだ』


 そうきっぱりと言い切った。

 それも私の想定外だった。


 てっきり彼のことだから稼いだ分だけ社会保険やら税金やらを払わないといけないからイヤとか言うかと思っていた。


『子供と接するのなら愛情を持って育てないとな』


 生活をするゆえでお金は確かに必要だ。

 しかし、それにより我が子に寂しい想いをさせてまで仕事に打ち込んでしまえば独り身の我が子の心は壊れてしまうかも知れない。


 お金は最小限、食べていける分だけあれば良いのだ。

 本物の愛や幸せはお金では買えないからと……。


 彼は自分のことより、子供と寄り添う姿勢でいたのだ。

 若くして両親を亡くし、独り身で過ごし、親の愛もろくに知らなかった彼が導き出した結論だった。


「八瑠璃ちゃんは幸せ者ですね」

「まあな、僕の自慢の娘だからな」

「その分だと将来彼氏ができて結婚する時に思いっきり反発しそうですね」

「彼氏も何も僕と結婚すると言っているからな」

「それ今だけですよ。中学くらいの歳を迎えたらお父さんキモいと距離をおかれますからね」

「いや、八瑠璃に限ってそんなことは断じてない」

「完全にベタ惚れですね」

「はん、言ってろよ」


 優希さんが休憩室にあるパイプベッドから起き上がり、胸ポケットにある煙草で一服をしだす。


「優希さん、ここは禁煙ですよ」

「あっ、ごめん。つい癖で……」


 優希さんは鵺朱がいなくなってから、煙草を吸うようになった。

 人生何もかもつまらないから、こんな命いつ消えてもいいと。


 当初はそのつもりで吸い始めたのだが、八瑠璃が育つにつれて、生きているうちに娘が無事に成人になり、親元を離れるまで送り届けたい考えが芽生え始めたようだ。

 

 ところがそこが煙草の由縁。

 急には止められない禁断症状に襲われて否応にも抑えられず、こうやって娘に隠れてこそこそと喫煙している。


「そんな調子で八瑠璃ちゃんの前でパカパカ吸ってないでしょうね?」

「ああ、それは断言できる。子供には悪い代物だからな」

「いえ、大人になっても悪い物ですからね」

「何なら矢奈も一本吸うか?」

「人の話を聞いてましたか?」


 優希さんが頭をポリポリと掻きながら、『あれ、僕、何か悪いことを言ったか?』みたいなお惚けぶりを見せる。

 この彼の天然ぶりは今にスタートしたばかりではないけど……。


****


 数年前……。


「響、お待たせ」

「お疲れ様、鵺朱」


 産婦人科による、いつもの診察を終えてきた妻の肩を優しく支える。

 鵺朱は大きなお腹をさすりながら、『あっ、今ボクのお腹を蹴ったよ』と幸せに満ち足りた顔をする。


「ねえ、この子の名前どうしようか?」

「邪馬台国のある日本に生まれたにちなんで卑弥呼ひみこなんてどうかな」

「響、一生を左右する名前なんだよ。真面目に考えてよ」

「ああ、ごめん。矢奈と鵺朱ときてがらみで瑠璃はどうかな? ただの瑠璃じゃインパクトが薄いからさ」

「へえー、素敵な名前だね」


 鵺朱が僕に笑いかける度に心に誓う。 

 僕は刹那の時と同じように鵺朱を精一杯愛そうと……。

 その翼の片割れはこうしていなくなったのだけど……。


****


「──お父さん、泣いてるの?」


 粉雪が舞い散り出した墓所での八瑠璃の無垢な問いに僕の目頭が余計に熱くなる。


「ああ、ごめん。目にゴミが入ってさ」

「お父さん、今日そんなに風は吹いてないよ?」

「そうなんだよ。どうしてだろうな。涙が止まらないんだ」


 涙と鼻水の混じった赤子のような顔で自身の感情を黙ってぶつける。


「お父さん、お母さんがいないから寂しいの?」

「えっ?」

「だって、いつもお母さんのお墓の目の前で泣いてるんだもん」

「えっ?」


 いつもお墓の前で……。

 比喩的に我が家の鵺朱の仏壇の前でという意味か。

 娘はこんな小さな体で震えていた僕の大きな背中を黙って見つめてきたのか。


「まったく、八瑠璃に隠し事はできないな……」


 そう誤魔化して娘を前にしゃがみこんでいた僕の体が優しく抱擁される。


「八瑠璃、これは何のつもりだい?」

「お父さん、八瑠璃がいるから寂しくないよ」

「や、やるり……」


 八瑠璃の小さな体が僕の体にすっぽりと包まれる。

 僕はその身になりながらもただ赤ん坊のように泣くことしかできなかった……。


****


『わたしのお父さんはとても誇り高い人です』


 あれから長い年月が過ぎ、二十歳を過ぎた娘の結婚式の披露宴。

 母となった彼女は新郎の横で僕宛の手紙を読んでいる。


『お母さんがわたしを産んでこの世からいなくなっても他の女性と付き合うことはありませんでした』


『お父さんはそれほどお母さんのことが好きでした。忘れられない存在でいつも仏壇の前で涙を堪えていました』


『それを見て、わたしは気づきました。だったらわたしが影から支えて、お母さんの代わりに幸せにしてあげようと』


『お父さんはわたしに人を愛する幸せを教えてくれました。そんなお父さんは、いつまでたってもわたしの自慢のお父さんです』


 場内に拍手が響き、八瑠璃が父親であり、一人の男でもある僕に感謝のお辞儀をする。

 僕はウエディングドレス姿の娘の晴れ舞台に涙が溢れて止まらなかった。


「八瑠璃ありがとう。父さんはな。八瑠璃を育ててきて本当に幸せだったよ」

「お父さん、幸せが過去形になってるよ」


 娘の指摘の意味がいまいち分からない。


「いい? これからはわたしがお父さんを幸せにするんだからね!」

「お父さん、よろしくお願いします」


 新郎がキザな素振りで僕に握手を求めてくる。


「何だよ、君にはワシの娘はやれんよ」

「おっ、お父さん。何か悪いことでも?」

「さっきから馴れ馴れしいんじゃ、己はぁぁー!!」


 父親としての威厳で新郎のタキシードの首根っこを掴む。


「お父さん、みんなが見ている式の場だよ。落ち着いて!?」

「八瑠璃はな、父さんと結婚する予定だったんだぞー! それなのにこの男は!」


 興奮に乗じて、新郎の動きを止めようとする。


「ぐっ……苦しい。酔ってるのか、このジジイは!?」

「ほお、やっぱりそれがお前さんの本音だなー!!」


 新郎の暴言に僕の怒りが頂点に達する。

 瞬く間におめでたい会場は緊迫のストリートファイトと化した。


「こらっ、喧嘩はいけませんよ」

「優希さん、お気を確かに」


 ラウンド1のコングが頭に鳴り響くなか、僕らを止めようとする矢奈さんと刹那の母である順子さん。


 冷静に考えればせっかくの娘の晴れ舞台が最悪だ。

 僕は二人の大人な熟女の引き止めに拳を下ろし、新郎にガツンと忠告する。


「お前さん、八瑠璃を泣かせたら承知しないからな。幸せにしろよ」

「はい。おっしゃるとおりです」

「だから今度ロースカツ丼1杯おごれよ。とびっきりウマイやつだからな」


「おい、それワシにもくれんかの?」


 僕のちょうど後ろに喋るフランス人形のダディーがいた。

 これには何も知らずな新郎と順子さんがビックリして目が点になっている。


「人形にカツ丼が食えるもんじゃないだろ?」

「なになに。そん時は優希と頭をぶつけて入れ替わったらいいんじゃ」

「おい、その設定はまだ健在なのか!?」

「フフフ。冗談じゃよ。それじゃあ、ここらへんで天界に帰るとするかの」

「ダディー?」

「娘さんの家族と末永く幸せにな」


 その言葉を最後にダディーが座り込み、静かに目を伏せた。

 それからそのフランス人形は2度と口を開くようなことはなった……。


****


「お父さん、晩ご飯できたよ」


 八瑠璃の声で畳の部屋から目を覚ます。


 いつの間にか寝入っていたようだ。

 暗い部屋の廊下に電気を点け、そそくさと声のした美味しそうな味噌汁の香りがするリビングに移動した。


 八瑠璃の旦那と共に八瑠璃が笑顔で迎え入れてくれる。

 僕の両親が建てたボロかった家は綺麗にリフォームされて住みやすい建物へと姿を変えた。

 今は八瑠璃と彼女の旦那の三人で仲良く暮らしている。


「お父さん、お母さんにご飯持っていって」

「おう、了解!」


 僕は八瑠璃からご飯の盛られた小さな器を受け取り、仏壇にお供えする。


「鵺朱。この生活も中々捨てたもんじゃないぜ。お前も見守っていてくれよ」


 そう呟きながら僕は思った。

 鵺朱も刹那と一緒で僕にとってはかけがえのない存在だったと。


「お父さん、何してるの。ご飯冷めちゃうよ」

「ああ、ごめん。今いくよ」


 刹那、鵺朱。

 こんな僕に愛を教えてくれてありがとう。

 これからも二人との出会いは忘れない。


 いつかまた出会えることを願って……。


 fin……。

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ネットの編み目から再会した彼女は物言わぬ花束になっていました……。 ぴこたんすたー @kakucocoro

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