第20話 最終話 安らかならぬ永遠の命



 デイジアが自分に嘘をついていたと言うのか・・・。

 なぜ?どうしてそんな必要が・・・?


 そのジェフリーの心持ちを察したのか、スウェイが言葉を付け加える。

「大学の職員名簿に書かれていたデイジアの連絡先は、君から聞いた住所と同じだった。毎月どこかに送金していたのも事実で、何人かの同僚がその場に行き会っている」


 それはつまり、デイジアはジェフリーだけでは無く、周囲の全てに嘘をついていたという事だ。

 そうであるのなら、彼女が本当にデイジア=カーマイケルという人物であったのかさえ、不確かに思えてくる。

 ・・・だから彼女は、自分との結婚を承諾しなかったのだろうか・・・。


 ジェフリーは目を閉じた。

 彼女の、デイジアと呼んでいた恋人の姿が胸によみがえる。

 金色に輝く髪、夏の海のような青い瞳、アルトの声。

 こんなにも鮮やかだと言うのに・・・


「私の事も知ってほしいの。・・・恐れずに・・・」


 はっ・・・と、ジェフリーは目を開く。

 あの夜のデイジアの言葉。

 あれは・・・。


「・・・もし君が望むのなら、もっと詳しく調べる事はできるよ。どうする?」

 スウェイが静かに言った。

 それは、「彼女が本当は何者だったか知りたいか」と、聞いているのだ。

 人の手ではあばけない真実も、つまびらかにできる、と。


「・・・いや、いい」

 ジェフリーは首を振った。

「結局、俺はデイジアを何も知らなかった。・・・いや、知ろうとしなかった。何も分かっていない、ただのガキだったんだ・・・」

 ギュッと拳を握り締める。

「彼女が・・・恐れずに真実を語ろうとしたその口を、永遠に閉ざしたのはこの俺だ。彼女の口から語られなかった事を暴く権利など、この俺にあるはずが無い。・・・彼女は、俺が何者になってしまっても抱きしめてくれると言った。だから俺も、デイジアがデイジアで無かったのだとしても、そのまま抱きしめていたい・・・」


 ジェフリーがそう言った時、ギィィと車輪をきしませて、馬車が停車した。

 御者が車室の扉を開けると、人々が行きかうにぎやかな声と、遠く汽笛の音が聞こえてくる。

 鉄道の駅に到着したのだ。


 先んじてシャラが降りようとすると、

「おい待てよ」

 むくれ顔のジェフリーが呼び止めて、自分の首を指差した。

 朱色の鎖が巻きついたままで、その端はシャラの手の中にある。

「ああ」

 と、今更気づいたふりをして、シャラは鎖を消した。

 そして何食わぬ様子で、馬車を降りる。

 小声でブツブツと、シャラへの文句を言いながら、ジェフリーもそれに続いた。



 駅は、旅立つ者と訪れた者、見送る者と迎える者、到着した荷物と積み込まれる荷物、辻馬車、荷運び、菓子や軽食を売る者などが、入り混じりすれ違い、どこか日常とは違った、華やかな活気にあふれていた。

 プラットホームには出発準備を整えた蒸気機関車が、重々しく蒸気を吹き上げている。


 ジェフリーがスウェイに願ったふたつ目は、

「この地から離れた場所で、しかるべき力を付けたい」

 と、いうものだった。

 それを受けてスウェイは、国の西の端にある屋敷へ行く事を決めたのだ。


 一等車両の個室コンパートメントに腰を落ちつけて、まだ動かない車窓を眺めながら、ジェフリーが言った。

「言い出したのは俺だけどさ、なにも国の端まで行く事は無いのに。もう少し近くに俺の親父が残した別荘があるから、って思ってたんだけど?」

「全くゆかりの無い場所に、新たに結界を張るのは骨が折れるからね。私の屋敷ならば、その心配は無い」

 スウェイの言葉に、ジェフリーは眉根を寄せた。


 実はこの盟主は、ただの無精者ぶしょうものなのかもしれない。

 そう口から出そうになって、あわてて自分の隣を見た。

 シャラは相変わらず、感情の読み取れない顔つきをして、

「・・・お茶を頼んでまいります。しばしお待ち下さいませ」

 と、スウェイに向けて頭を下げると、個室を出て、食堂車の方へ歩いて行った。


 それをしっかり見送ってから、ジェフリーはスウェイに向き直って文句を言う。

「その屋敷の事だけど、あの山は俺の祖父さんの持ち物だぞ。勝手に屋敷なんか建てるなよな。結界張って、人を近づけさせないようにしているからって、もしあの山が俺のものになったら、借地料を取り立ててやるからな」


 だがスウェイは、嬉しそうな様子を見せて、

「ああ、君の土地になるのなら面倒が無くていい。人のなかにも時々、感覚が鋭いやからが居てね、見つかってしまう事もまれにあるのだよ。地主が君ならば、しばらくは安心できる」

 そんな事を言った。

 やっぱりコイツは、ただの横着者ではないかと、ジェフリーは改めて思った。



 発車時間を知らせる鐘が大きく鳴り渡り、汽車の汽笛が高く響く。

 力強く蒸気を噴出す音が立って、ゆっくりと景色が動き始めた。

 車窓に目をやりながら、スウェイが静かに話し出す。


「国の端まで行こうと思ったのは、少しの間、君の故郷の街から距離を置いた方が良いからだよ。私はテレンスの旧知であるし、君はテレンスとその花嫁に近すぎる。テレンスの座を狙っている様子のヴァンパイア、君の叔父君、いろいろと複雑すぎる。せめてもう少し見通しが立つまでは、距離が必要だ」

 ジェフリーはそれを聞きながら、

「・・・そうか・・・」

 と、答えた。


 ウィルトン家の全てを手に入れるために、馬車強盗を仕立てて、ジェフリーの命を狙った叔父、ケイン。

 両親の不慮の死も、叔母夫婦の事故死も、ケインがヴァンパイアを使って行ったのだと、今ならば確信できる。

 そして、残るウィルトン家の相続者は従妹いとこのアメルだけであり、ケインはきっと次にアメルの命を狙うだろう。

 テレンスが昔から、自分とアメルのそばに居たのは、そのヴァンパイアから守るためなのか?

 では、祖父は?祖父がテレンスをヴァンパイアの盟主と知って、使っているのだろうか?

 祖父は、ケインの凶行を知っているのだろうか?


「ならば・・・俺がヴァンパイアになった意味があるって事だよな・・・」

 ジェフリーの呟きに、スウェイが視線を向けてくる。


「人のままじゃ、きっと真相にたどり着けなかった。・・・うん、それなら良いさ。先に進める。安らかならぬ永遠とわの命とやらに意味が見出せるのなら、切り捨てた戻り道に未練があっても悔いは無い」

 両手の指をギュッと組んで、ジェフリーはきっぱりと言った。


 自分の館があり、通う大学がある町から離れたいと思ったのは、このままでは人であった自分を捨てきれないからだ。

 そんな半端な事をしていれば、親しかった誰かを狩るような事態になるかもしれない。

 それにおびえて取り繕う日々を過ごすならば、いっそ離れた方が良い。

 もう二度と交わらない道に進んでしまったのだから。


 ・・・けれども、そう決心したとしても、きっとこれからも人であった自分を未練がましく思い出すだろう。

 けれど、それでも・・・。


 そんなジェフリーを見ながら、なぜかスウェイは額に手を当てて、重いため息をついている。

「・・・これは、本気でテレンスを怒らせるかもしれないな・・・」

「へ?何であいつが・・・」

 言いかけてジェフリーは、さっきのスウェイの言葉を思い出した。


「・・・ちょっと待てスウェイ。俺はテレンスとその花嫁に近すぎる、って言ったよな?テレンスはともかく、花嫁って何だよ?あいつの嫁さんなんか俺は・・・」

 そうスウェイに言いながら、ジェフリーの頭の中で何かが光る。

 みるみる顔色が青ざめて行く。

「・・・え、まさか花嫁って・・・まさか・・・」


 スウェイが苦笑を返した。

「夏ごとにテレンスは、岬の君の館に小さな花嫁を連れて来ていただろう?彼も気配を抑えていたから、私も顔を出さなかったのだが。彼の盟約者が誰も随従ずいじゅうしていなかったし、まぁ事情があるのだろうとは、思っていたけれどね・・・」

 話を聞いているジェフリーは、目も口も大きく開いている。


「君はただの人だったから、それだけの気配しか感じていなかった。だからね、あの崖で見た時はそうと気づかなかったのさ。君が岬の館へ帰った事を知って、ようやく理解したのだよ」

 ジェフリーのそんな様子にかまう事無く、スウェイは話し続けた。


「なるほど、と思ったよ。あれほど強く呼ばれたと感じたのは、君がテレンスに縁があったからだ、とね。本来であるなら、君と盟約を結ぶのはテレンスだったかもしれないな・・・って思ってね」

 でも、仕方無いよね・・・というような事をスウェイは付け加えていたが、ジェフリーの耳には届いていない。


「あいつの花嫁って、アメルの事か?あいつ、アメルを嫁にしようとしているのか?」

 事の次第をようやく飲み込んで、ジェフリーの顔色は、青から赤へと変わって行く。

「アメルという名前か。気配だけは感じていたが、姿は見ていないのでね。・・・ああ、今度、君から紹介してもらおうかな」

 のん気なスウェイの返答に、ジェフリーの顔はますます赤くなる。


 ジェフリーにとって、アメルは実の兄妹きょうだいと変わらない存在だ。

 アメルの両親である叔母夫婦が亡くなってからは、兄として自分がアメルを守るのだと心に決めていた。

 アメルが幼い頃からテレンスに懐いていて、「お嫁さんになる」と言っていたのは知っている。

 知っているが・・・まさか・・・まさか!


「嘘だーっっっ!」

 ジェフリーは声の限りに叫んだ。

 そこへ、個室の扉がバンッ!と荒々しく開かれる。

「まだ言うか、このクソガキがっ!」

 今にも武器を出しそうな勢いで、怒るシャラが立っていた。


「うるせーっ!俺は信じないぞ!そんな話は嘘だっっ!」

 ジェフリーも負けじと叫ぶ。

 大切な妹分が、ヴァンパイアの花嫁だなんて、にわかに信じる事はできない。


「黙れこのド阿呆めが!その口、今すぐ塞いでくれようか!」

 シャラの指がかんざしにかかる。

「させるかよ!」

 ジェフリーも身構えて、引きそうに無い。


「・・・やれやれ・・・」

 肩をすくめてため息をつきながらも、どこか楽しげなスウェイが、シルクの手袋に包まれた手を軽く振る。

 すると個室の扉がカチャリと閉まって、外の音が一切聞こえなくなった。


「くれぐれも列車を壊さないでくれたまえよ」

 そう言ってスウェイは、車窓に目を向ける。

 線路沿いの草原に、暖かい陽射しを浴びて、たくさんの白いひなぎくの花が揺れているのが見えた。


END

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深紅の紋章0(ZERO) ひなぎくが咲く 矢芝フルカ @furuka

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