第19話 純真と誠実



 国の中でも南にあるこの土地は、真っ先に春が訪れると言われている。

 海の流れが暖かい風を運び、それを山がせき止めているから、この辺りは冬でも温暖な気候なのだと、土地の者は自慢するのだ。


 確かに今日はそんな陽気だと、ジェフリーは温かく降り注ぐ陽の光を、まぶしげに見上げた。


 久しぶりの大学の構内は、あの最期の木曜の日と何ら変わった様子は無く、奇妙なほどにいつも通りだった。

 庭に出て遠巻きに図書館を見ると、建物の前に人だかりがある。

 中心に居るのは、図書館の司書やその助手たち。そして、白い式典用のガウンを着た、幾人かの神学部の学生のようだ。

 皆で歌っているのだろう、神を讃える聖歌が聞こえてくる。

 ジェフリーは背を向けて、門の方へと歩き出した。


「ジェフ!ジェフじゃないか!」

 門の近くで呼び止められて、振り返る。

 友人のビルが、学生たちをかき分けて走って来るのが見えた。


「どうしてたんだよ、ジェフ!新聞には無事だって書いてあったけど、顔見せないから俺、心配して!・・・」

 ビルは走って来た荒い息のまま、一気に捲くし立てる。

 そして、大きく息を吐いて、ジェフリーの肩に手をかけた。

「・・・良かった・・・生きてた・・・」

 そう言って、泣きそうな笑顔をして見せる。


「・・・ビル」

 ジェフリーは、肩にある悪友の手に触れた。

「悪かったな。色々ありすぎて・・・ここに来る気になれなかった」

 そんなジェフリーの肩を、ビルは、いたわるように何度もさする。

「うん・・・うん・・・そうだよな、うん。でもさ、こうして学校に出て来られて良かった。今日の授業は終わりか?明日は?経済史はまだ出るだろ?」

 明るい顔を向けてくるビル。

 肩にあるその手を、ジェフリーはそっと外した。


「いや・・・今日、休学届けを出したんだ。しばらく大学には来ないつもりだ」

「いつまで!」

 間髪いれずに、ビルの固い声が返ってくる。

 だがジェフリーは、横を向いて唇を引き結んだ。

 その様子に、ビルは続けて何かを言おうとしたようだが、声に出さずに口を閉じる。


 その時、また図書館の方から、聖歌が流れてきた。

 歌声がする方を向いていたビルが、

「・・・これからデイジア=カーマイケルの追悼集会を、図書館で開くんだよ。・・・ジェフも一緒に・・・」

 振り返ってハッと口を押さえる。

 ジェフリーが真っ青な顔をしていたからだ。

「・・・ごめん、悪かった・・・」

 ビルが小声で謝る。


 ジェフリーとデイジアが恋人の関係であったのを、大学内で知る者はほとんど居ない。

 学生と職員という間柄であったので、できるだけ表立たないように、ふたりで心がけていたのだ。

 ビルは、ふたりの事を承知している数少ない人物であった。

 口止めしていた訳でもないのに、ふたりの心情を察してか、誰にも口外しなかった。


 そんな事を思い出して、ジェフリーはビルの謝罪に首を振った。

「いいんだ、ビル。お前は何も悪くない。俺が変わってしまっただけなんだ」

「そんな・・・ジェフ・・・」

 やっとそれだけを口にして、ビルは押し黙る。


「ビル、ありがとうな。お前と大学まで一緒で楽しかったよ。きちんと授業に出て卒業しろよ、もったいないぞ。お前はきっと、大した実業家になるだろうから」

 ジェフリーは悪友に笑いかけると、門の外へと歩き出した。


「ジェフ!」

 ビルの呼びかけにも振り返らずに門を出る。

「お前だって、来年、俺と一緒に卒業するだろ?するよな!・・・するって言えよっ!」

 門から身体を乗り出しているビルに、ジェフリーは軽く手を振って、停めてあった馬車へと乗り込んだ。

 扉を閉めると同時に、馬車が走り出す。

 ビルが、何かを言いながら追いかけて来るようだったが、ジェフリーは振り返らなかった。



「あの男の遺体が、浜に上がったようだよ」

 スウェイが、隣に座るジェフリーへと新聞を差し出した。

 馬車は石畳の揺れをテンポよく刻みながら、町の中心へと向かっていた。


 刃物傷の男を岬の館で狩った夜から、3日が経っていた。

 岬よりも、かなり町に寄った浜で見つかった男の遺体は、「警察により、週末強盗の犯人と断定された」と、記事に載っていた。

 なぜ犯人が海から遺体で発見されたのか、様々な憶測が書かれていたが、この先同じような馬車強盗が起きなければ、これでこの件は終わりとなるだろう。


 デイジアとアパートの家主やぬしが死亡した件は、受付の現金が無くなっていた事から、家主を殺して金を奪った犯人が、デイジアの部屋をも物色していた所、彼女と鉢合わせして殺してしまい、部屋の窓ガラスを破って逃げた。その逃走中に、姿を見られた者たちを次々に殺して行った。・・・と、いうのが警察の見解であると、数日前の新聞に載っていた。



「・・・受付の金をどうした?」

 向かい側の席のシャラに、ジェフリーがたずねる。

「町の孤児院に寄付した」

 抑揚無く、するりと言われた答えに、ジェフリーは思わず吹き出した。

「孤児院って、教会の直轄だろ?そこにヴァンパイアが寄付だと?なかなかキツイ冗談だな」

「貨幣のままだと、強欲な神官どもを喜ばせるだけなので、全て菓子に換えて寄付した。子供らは存分に甘いものが食べられるだろう」

 やはり平坦な口調で、シャラは話を付け加える。


「教会直轄の場所に涼しい顔で出入りできるって方が、冗談だと思うね。・・・デイジアの追悼集会の聖歌が耳に入るだけで、頭痛がした俺からすれば、だ」

 自嘲を含んだ笑いが、ジェフリーから漏れる。

「けど、これは俺がまっとうにっているってあかしなんだろ?」

 少々自慢げに胸を張るジェフリーに、スウェイが微笑みを返した。


「・・・その、デイジアの事だけどね、ジェフリー。君の願いを受けて、彼女の実家を訪ねたよ」

 続いた言葉に、ジェフリーは神妙な面持ちでスウェイを見た。


 ジェフリーの紋章が初めて現れたあの夜、ジェフリーはスウェイにふたつの願いを申し出ていた。

 そのひとつが、デイジアの実家に金を届けて欲しいという事だった。


 デイジアの実家は農業をしているが、父親が病で働けない。

 そのため、デイジアが仕送りをして、家族を支えていたのだ。


 ジェフリーは、デイジアの給金のおよそ一年分ほどの金額を準備して、スウェイに託していた。

 大学からの「見舞金」という事にして、デイジアの家族に渡して欲しい、と。


「君から預かった住所に、カーマイケルという家は無かった」

「えっ?」

 思いもよらない事に、ジェフリーは固い声を返した。


 スウェイは淡々と話を続ける。

「近在の者にも訊ねたが、そんな名の家も、デイジアという名の娘も、父親が病の農家も無いと口を揃えた。村役場と教会にも足を運んでみたが、結果は同じだったよ」

「嘘だ!」

 叫んだジェフリーの首に、突然、朱色の鎖が巻きついた。


 向かい合わせのシャラが、今にも鎖を絞り込もうとする手付きで、鋭くジェフリーを見る。

「何すんだよっ!」

 首を絞められる理由は無いと、ジェフリーは怒りあらわにする。


 だが、シャラはあかい瞳でジェフリーをきつく見据えたまま、

「ご主人様への無礼は許さないと言ったはずだ。あまり調子に乗ると、このまま首を引きちぎるぞ」

 変わらない平坦な物言いではあるが、込めた威圧は充分に感じられた。

 本人が快諾した事とはいえ、スウェイを使いだてしたジェフリーに、大きな不満があったようだ。

 スウェイから軽い笑い声がもれる。


「ああ、そうだった。ジェフリー、君にはまだ盟主めいしゅ真名しんめいの事を説明していなかったね」

 ごめん、ごめんと、暢気のんきにスウェイは笑っている。


「ジェフリー、私たち盟主はそれぞれ必ず『真名』を持っている。盟主は強大な力を与えられているが、その代償として『禁忌きんき』を背負っているのだよ。真名はその盟主の本質を表すものであり、背負う禁忌を示唆しさするものだ。禁忌とは、決して成せない事。つまりはその盟主の弱点と言えるものなので、声高こわだかに名乗らないのが常なのだよ」


 言われて、ジェフリーはスウェイの真名を思い出す。

 「シンケールスのスウェイン」

 シンケールスとは、古語で「正直」とか「誠実」という意味だ。

 スウェイは確かに、「容易たやすく口にしないで欲しい」と言っていた。


「私は『誠実』の名の通り、真実しか語る事ができない」

 そう語るスウェイに、ジェフリーは腑に落ちないと言うような、複雑な表情を返して、

「・・・それって弱点なの?」

 と、逆に問う。

 スウェイは、その端正な顔に美麗な微笑を浮かべて、

「それなりに」

 と、答えた。


 それでもにわかに信じられない話ではあった。

 デイジアが自分に嘘をついていたと言うのか・・・。

 なぜ?どうしてそんな必要が・・・?


To be continued.

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