3
少年の言葉が、声が、僕の頭の中で反芻する。
僕が今、右手に握りしめている赤い頭巾は、未来の科学兵器。
それも、己の身を滅ぼす諸刃の兵器。
「そんなものが……。どうしてそんなものが、この時代にあるんだ?」
僕は、震える右手に力を込めてそう言った。
「まぁ、簡単に言うと、どの時代にも犯罪者はいるってことさ。使用禁止となったその帽子を盗んで、改造して……、効力を試す為に過去の人間に手渡した。それのせいで、いろんな時代で、沢山の人間が命を落とした。僕は繰り返される悲劇を止めるために、今ここにいるんだよ」
少年はそう言ってから、スッと立ち上がった。
「さぁ、もういいだろ? お兄さんは僕にそれを渡す。僕はそれを抹消する。これで一件落着さ」
少年は笑顔でそう言った。
けれど、僕は……
この頭巾を少年に渡せば、一件落着?
少年の言葉に僕は、不思議と笑いが込み上げてきた。
「あ……、はは、確かに……。君がこの頭巾を破壊すれば、これ以上の犠牲はなくなる。けれど……」
僕は、熱くなる目がしらを押さえる。
心の中に、様々な思いが込み上げてくる。
目の前の少年が、未来から来た者だということは、信じられないが信じるしかない。
僕に起こった出来事が信じ難いことのように、少年の話も信じ難いことだ。
信じ難い者同士、信じ合うしかない。
その少年が、この忌々しい頭巾を、僕には始末できないこの頭巾を、この世から抹消してくれると言う。
それは、どんなに嬉しいことだろう。
もう、僕のような犠牲者は二度と生まれないこととなる。
それは、とても喜ばしいことだ。
だけど……
「僕はこのままだ。このまま……。このままの状態で、生きていくことなんてできない。それなのに……、君はそれを、一件落着と言うんだね」
僕は、嬉しいやら、悲しいやら、悔しいやら……
どうしてもっと早く、僕がこうなってしまう前に、少年はこの帽子を抹消してくれなかったのだろう?
そんなことを考えてしまっている。
「ねぇ、何か勘違いしてない? お兄さん、僕の心の声、聴こえてないでしょ?」
少年が、俯く僕の顔を覗きこむようにしてそう言った。
僕は、ハッとして顔を上げる。
滲んだ視界に写り込んだ少年は、笑顔だった。
「聴こえて、ない……。でも、それは君が特殊だからじゃないのか?」
僕は、少年の瞳をじっと見つめる。
じっと見つめて、心の声を聴こうと集中する。
しかし、少年の心の声は、最初からずっと、今もずっと、何も聴こえてこない。
「僕はそこまで特殊じゃないよ。ただ、僕は時間を操れる。さっき、お兄さんに話し掛ける少し前に、お兄さんの脳の中の発達しすぎてしまった部分を、少し時間を巻き戻しといたんだ。だから、もう何も聴こえないはずさ。大丈夫」
少年は、にっこり笑ってそう言った。
「本当に……? 本当に大丈夫なのか? もう、何も……、聴かなくて済むのか?」
僕はまだ信じられずに、瞬きすらできずにそう訊ねる。
少年は、笑顔のままで頷く。
「僕は……、うっ、僕は……。生きていけるんだな?」
僕の言葉に、少年はもう一度、深く頷いた。
僕は、嬉しさのあまり、その場に泣き崩れた。
しばらくの間、僕は泣いた。
そして気がつくと、東の空に光が射し始めていた。
僕は立ち上がり、隣に立っている少年に、右手に握りしめている赤い頭巾を差し出す。
もう、迷うことはない。
苦悩することはない。
少年は笑顔で頷いて、赤い頭巾を受け取った。
「ありがとう。救われたよ。本当にありがとう」
僕は少年に、心から感謝の気持ちを伝えた。
「いや、お礼を言うのは僕の方だ。今まで、いろんな時代を探し回って、見つけては見失って……。今回これを手にしたのが、お兄さんのような、話がわかる人で良かった」
そう言った少年の顔は、僕よりもずっと苦労を重ねてきたような表情をしている。
「実を言うとね……。この帽子には中毒性のようなものがあって、一度手にすると、手放すのが惜しくなってしまうんだ。欲に目が眩んだ人間なら尚更ね。でも、お兄さんは違った。お兄さんはきっと、正しい道を歩めるよ」
少年の言葉には、十歳くらいの少年とは思い難い、重みがあった。
「で、どうする?」
少年の言葉に感動している僕に、少年が訊ねた。
「え……? どうするって、何を……?」
今の僕は、頭巾の呪縛から放たれた開放感で胸がいっぱいで、少年の言葉の真意なんて全くわからない。
素っ頓狂な返事をしてしまった。
「お兄さんがこれからどうするかって話。もちろん、このままこの時代で生きていてくれて構わないけど……、記憶は残る。僕は、脳の活性化した部分を、活性化する前まで時間を戻しただけで……、それ以上のことはできない。お兄さんが体験してきた事の記憶は、僕には消せないんだ。ただ、一度未来に来てくれれば、それは可能になる。記憶を綺麗さっぱり消し去ることができるし、その後でこの時代にお兄さんを帰すこともできる。どうする?」
少年の話は、やはりぶっ飛んでいる。
いや……、逆に、もはや驚くこともない。
世の中、理解できないことの方が多いものだ。
僕は、ぼんやりとした表情で、どうするべきかを考える。
朝日が少しずつ昇って来る。
もう、僕の頭の中には、誰の声も響いてこない。
そんな事が、普通なら当たり前の事が、こんなにも清々しいことだなんて……
そして、僕は決断した。
「いや……。僕は、記憶を消さない。平凡な毎日が、平凡な自分が、いかに幸せかを知ることができた。僕は、この記憶を持ったまま、生きていくよ」
僕は、笑顔で少年にそう言った。
「そう。僕はそれでいいよ」
少年はそう言うと、静かに僕に背を向けた。
緩やかになった川の流れを見つめながら、ゆっくりと歩き出す。
「おっといけない……、忘れてた」
少年は、最後に振り向いて……
「お兄さんの名前、聞いてなかったね。教えてよ」
そう言って、ニコリと笑う。
「あぁ。僕の名前ね……。僕の名前は……」
完
聴きみみ頭巾 玉美 - tamami- @manamin8
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