最終話・許嫁、遂げる。
「氷浦、それ……」
冷たく降り
そんな中しばらくグラウンドで佇んでいた私達は、着衣水泳の後と言っても違和感がない程のずぶ濡れに。
校舎に入って着替えを手にして更衣室へ駆け込むと、他の生徒はとっくに着替え終わっているらしく、私と凛菜さんの二人きり。
体操着を脱いだ私の体を見て、凛菜さんは至極申し訳無さそうに言います。
「ごめん、私、全然気づかなくて……」
視線を落とすと、私の腰――凛菜さんの手が添えられていた部分――に、内出血のような青黒い痣が色濃く刻まれていました。
「いえいえ、お気になさらないでください。私も気づきませんでしたので」
凛菜さんが気に病む必要はどこにもありませんよ~っとお伝えするために柔和な口調を心がけていましたが……
「っというか! もしかして!!」
ハッと。反射的に凛菜さんの体操着を
「あわっ……あわわあわわわわ……わ、私はなんてことを……!」
嫌な予感は残酷な程に的中してしまい、そこには堂々と、私と全く同じ色の痣が残っていました。透き通るように白い肌と対照的で、痛いくらいに目立ってしまっています。
「氷浦」
動揺の波に揉まれ慌てふためくことしかできない私の――痣に、そっと手のひらを重ねて、凛菜さんは柔らかく微笑みました。
「お揃いだね」
「……はい」
荒ぶっていた鼓動は徐々に落ち着きを取り戻し、私も手を伸ばして触れるか触れないかの距離で凛菜さんの痣を、指先でなぞります。
「痛くないですか?」
これは、私達が、同じ力で、同じように縋り合った証。凛菜さんが肯定的に受け入れてくれたおかげで、なんだか誇らしく、愛おしく思えてきました。
「くすぐったいくらい。もっと強く触っていいよ」
「こう、ですか?」
「んっ……」
中指の腹が沈むまで力を入れると、凛菜さんの表情が歪み、苦悶の声が零れます。
「す、すみませんっ!」
「ダメ、やめないで。全然足りないよ……。痛くていいから……もっと……もっとたくさん、氷浦を感じさせて?」
囁くような声音。雫の滴るまつ毛。そして濡れた髪から漂う甘いシャンプーの香りと全力疾走の残り香が、梅雨と夏の狭間の湿気と混ざり合って、理性は溶かし尽くされて。
幸福な味のする疲労感に身と思考を任せ、凛菜さんの体をきつく、抱き寄せました。
×
進行状況やグラウンドの状態を踏まえ、結局は中止になってしまった体育祭。
どちらからともなく自然に手を繋ぎ、雨上がりの澄んだ空を眺めながら歩く帰り道。
凛菜さんの体温と、香りと、微かなハミング。
きっと私は今日この日をいつまでも覚えていて。社会に出て大人になってもおばあちゃんになっても、仕事中や布団の中や夜空を見上げながら、ふと、この光景を思い出すのでしょう。
×
家に着いてお風呂が沸くと、凛菜さんから「先に入ってきて」と先手を打たれてしまいました。
急いで出て早く凛菜さんにも温まっていただきたい気持ち、そして風邪を引いて心配をおかけしてはいけないという気持ちを戦わせながら入浴を終えましたが、凛菜さんはご自身のお部屋にいらっしゃるようです。
「凛菜さん、お風呂、ありがとうございました」
「えっ、はやっ。ちょっと待って」
ノックをして呼んでみると、ドアを一枚を隔てて慌てている様子が声や物音からありありと窺い知ることができました。
「ん、よし。氷浦……入って」
「いいのですか!?」
「いいから」
この一ヶ月間、一切の侵入が禁止されていたので妙に緊張してしまい、生唾を飲み込む音が脳内に響きます。
「失礼しますっ!」
意を決してドアノブをひねり勢いよく開いてみれば、そこは――
「っ。すごい……これ、どうしたのですか?」
――海色の光が部屋中に満ち、可愛らしくデフォルメされた魚影が壁の上をゆったりと泳ぎ回っています。さらに落ち着いたヒーリングミュージックも流れていて、時折爆ぜる、気泡の音。
今まで二人で足を運んだどの水族館よりも、目を奪われ、癒される空間がここにありました。
「とりあえずこっち来て」
私が問うと同時に手招きされ、ベッドに座る凛菜さんのお隣に失礼すると、私の両手が温かい両手に包み込まれました。
「誕生日おめでとう、氷浦」
「………………へ?」
「それ、去年もおんなじリアクションしてた」
あっ、あぁ……そういえば……そういえばそうでした! 六月三十日……私の誕生日じゃないですか!!
「ほんっっっとうに自分のことに興味ないね」
私の反応が予想通りだったのか、
「いろいろ考えたんだけどね、最近ほら、一緒に水族館行けてなかったから。えと……こういう感じに、してみた」
青く照らされているにもかかわらず、凛菜さんの頬が少し赤らんでいるのがわかります。一生懸命……考えてくれたんですね、私のことを。
「でね、これ……その……プレゼントなんだけど」
「えっ!?」
こんなに素敵な空間を作っていただいた上にプレゼントがあるのですか!?
「目、瞑って」
「は、はい……!」
目を瞑るということは……え、あの、この天国のような世界で今からそういう……?
……なんでしょう、布が擦れる音……!? もしかして……凛菜さん!? 凛菜さんやっぱりもしかして!?
「っ」
「痛く、ない?」
「大丈夫、です」
閉ざされた視界の中、突然訪れた頭部への感触に驚いてしまいましたが、痛みはありません。……髪飾り、でしょうか? それともカチューシャ? ……っ。違います。これは――。
「開けていいよ」
言われるがままに瞼を持ち上げると、視界は純白に煌めいていました。やっぱり。
凛菜さんが懇切丁寧に付けてくださったのは――。
「なんだかわかる?」
「ウェディング、ベール……です」
あぁ。私――。
「正解。……その、て、手作り、だったり……する」
「……はい」
――どうしましょう、こんなに。こんなに幸せな気持ちにしてもらったのに。
「部屋に入ってきて欲しくなかったのは……途中のやつ見られたくなかったから。あとよく電話してたのは手芸教室の先生で……作り方とかいろいろ教わっただけだからね? 実際に縫うのは全部自分でやったよ?」
「…………はい」
――なんで、こんなに。伝えたい想いがたくさんあふれているのに。
「もー、氷浦……泣き過ぎ」
――言葉にすることができないのでしょう。
もっと、この美しいベールを通して世界を見たいのに。凛菜さんの瞳に直接、感動と感謝を伝えたいのに。涙が溢れてくるたびに、瞼が勝手に降りてきてしまいます。
「す、すみません……せっかくのベールが……汚れちゃいます……」
「そんなこと……こうすればいっか」
凛菜さんはそっと摘んでベールを持ち上げると、額と額を合わせて、再び覆い被せてくださいました。
青い光が細かく差し込む、純白の世界に、二人きり。
「本当は二枚作る予定だったんだけど間に合わなくって……。でも、ちょうど良かった」
「はいっ」
「氷浦と一緒にいるとさ、普段は落ち着くのにね、たまにこう……『これだけは成し遂げる!』って思うことが浮かんでくるの。こんなだらけてる私がだよ? 不思議だよね」
「私も同じです。私も……凛菜さんの傍にいると癒やされますし、他の何でも得られない安らぎを感じられます。同時に、理論や理性じゃどうしようもできない情熱が込み上げてくるのです」
「そっか。良かった。今日はなんだか、たくさんお揃いが見つかるね」
「はい。これからもきっと、たくさん見つかります」
「だね」
たくさんのお揃いを、たくさんの違いを、これからたくさん見つけ合って、認め合って、許し合って。
そんな未来を二人、同じ視線で見られることがこんなに幸せだなんて。凛菜さんと出会わなかったら決して知ることはできませんでした。
「よし、ベールも作ったことだし、ついでに予行演習しておこっか」
「予行演習、ですか?」
んんっと喉を鳴らした凛菜さんは、絵本を読み聞かせるように優しく紡ぎます。
「病めるときも健やかなるときも「誓います!!」
「ちょっと、そんな食い気味で言ったら雰囲気台無しでしょ」
朗らかに緩む凛菜さんの頬が愛おしくて、無意識のうちに、手のひらを添えていました。
「待って」
瞳を閉じて唇を合わせようとした私は制されてしまいました。その美しい、人差し指一本で。
「病めるときも健やかなるときも……暴走したりされたり嫉妬したりされたり……他にもいろんなことがあると思うけど」
私の口元を抑えていた凛菜さんの手が、するりと頬へ移動して。とくんと、甘い熱を心臓が全身に届けます。
「あなたを――氷浦帷を、一生愛すると誓います」
今にも全てが溶け合ってしまいそうなほど、近くにあると感じました。体だけでなく、心も。
「ねぇ氷浦。このまま、私と添い遂げてくれる?」
「はい。ずっと、ずっと。あなたの傍にいさせてください。凛菜さん」
澄んだ世界へと沈んでいくように目を瞑り、私達は――何もかもが違っていた私達は――何度でも伝え合うのです。唇をとおして、お揃いの想いを。
許嫁、爆ぜる。~無口でクールな許嫁が感情を爆発させた理由~ 燈外町 猶 @Toutoma
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