彼女は今日またこの滅びた世界で歌を歌う

リルもち

一話

 人類が地上から姿を消し、荒廃した街の中で彼女の歌声が響き渡る。

 高いビルや建物が崩れ落ち、瓦礫の山と化したその上で彼女は今日もまた、この滅びた世界で歌を歌っている。


 その行為にいったい何の意味があるのか、僕には分からない。ただ、彼女はいつも悲しそうに歌っている。

 その姿はまるで飛べない鳥がいつか空を飛んでいた時のように飛び立とうしているようだった。


「今日も来たんだ」


 悲しそうに歌っていた彼女は僕の姿に気がつくと、歌うのを止めて冷たくそう言い放った。


「君が今日も歌っているから来たんだ」


 僕の言葉に彼女は短く「そう」とだけいうと赤く染まった空を見上げた。

 何を見ているのだろうか。何のために彼女は歌っているのだろうか。


「ねぇ、あなたはこの世界をどう思う?」

「と、言うと?」


 滅びた世界に似合わないような暖かい風が僕たちを包み込む。そしてそれに合わして近くで休んでいた鳥が瓦礫の上から飛び立った。


「私たち以外いなくなったこの世界を見ての感想よ」

「あー、どうだろう。僕は元々人が嫌いだったからなぁ」


 僕の言葉に嘘はない。簡単に人を裏切り、私利私欲のためだけに生きている人間が僕は嫌いだ。そして、それを許容している社会も嫌いだった。

 だけど、そんな社会や人間もいないよりかはマシだったようだ。


「君はどう思うの?」

「私はスッキリしたよ」

「スッキリ?」

「うん。無駄にごちゃごちゃしたものが消えて、こうして美しいものだけが残った」


 彼女の前には崩れ落ちた建物の残骸や、植物がアスファルトを突き破って出てきている風景が広がっている。

 忘れられた文明というやつだろうか。


「僕にはこれが美しいとは思えないな」

「どうして?」

「だってボロボロじゃないか」

「でもこれは、元ある姿に戻ろうとしているのよ?」


 僕はこの時「そうか」と気がついてしまった。彼女はきっと無理矢理綺麗に形取らされたりしたものより、ありのままの姿の方が美しいと言っているのだ。


 滅びた文明はその象徴とも言える。個々の能力を削り、社会という枠に収める教育。協調性や社会性などという鎖に縛られた現代社会。


 それらが滅びて、自然に包まれる。つまり、自由なんだ。元々人も自由だったはずだ。それを仮初の、初めから用意された幸せを強要されて真の自由を失った。


「確かにこっちの方が綺麗かもね」

「やっと気づいたの?」


 僕は彼女の言葉に「うん」とだけ返すと、彼女と同じように赤く染まる空を見上げた。僕が見上げた頃には所々青黒くなっていたけども。


「だけど、美しくてもこの風景は寂しいね」


 僕は少し悲しげな表情をして彼女に言う。だけど彼女は返事を返さない。黙ったままだ。


 おそらく彼女も僕と同じく、美しくも人気のない風景に寂しく感じているのだろう。だから彼女は毎日ここで歌っている。「私はここにいるから来てくれ」と言わんばかりに。


「もしかすると君は寂しい以外にも何か思っているの?」

「世界を滅ぼした罪悪感」

「滅ぼした?」

「そう」


 はたして目の前にいる少女に七十億人近くの人間が形成していた文明を滅ぼすことができるというのだろうか。

 仮に滅ぼせたとしてもどうして滅ぼしたというのか。何故僕一人、生き残ってしまったのだろうか。


「聞きたいことが多すぎて逆に聞けなくなったよ」

「そう」


 彼女は無駄を嫌うかのように必要以上のことは喋らない。どこかロボットのように見える。


「どうして僕だけ生き残ってしまったんだ?」


 数ある疑問の中で唯一予想出来ない疑問だ。七十億人の中から選び抜いたというのか? こんな何の変哲もない地味な僕を? 余計に分からなくなる。


「それは……」


 彼女はそこまで言うと、口をつぐんだ。言いたくない。そう言っているようだった。

 僕はその様子を見て、諦めた。


「言いたくないなら別にいいよ」

「ちがっ……う」


 彼女の赤い瞳から涙が流れ落ちている。


「言いたくないなら……」

「だからっ!! 違うって!」


 限り人生で初めて怒鳴られた。


「あなたは……生き残ったんじゃなくて、私の大切な人を模して私に作られたのよ……」


 彼女の言葉を聞いて、僕は頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。だけど、それと同時に色々と辻褄があった。

 例えば、彼女と会うのは今日が初めてのはずなのに、ずっと前から彼女の歌声を知っているとか。


「今日初めて会ったはずなのにどうして君は……」


 今日も来たんだって言ったんだよ。


 その時、僕は思い出した。僕のモデルとなった彼女の大切な人とやらの記憶を。


 彼女との楽しそうに走り回る風景を。夕日の光を浴びながら彼女の歌を聞く風景を。彼女と手を繋いだあの日々を。


「そうか……。君が本当に会いたかったのは僕のオリジナルだったんだ」

「……」


 彼女は答えない。だけど、何となく分かった。彼女が自分はここにいると言わんばかりに歌う理由を。

 僕のオリジナルが生きていると信じて気がついて欲しかったんだ。いつか、彼が迎えに来てくれることを信じて。


 だけど、孤独に耐えきれずに僕を作った。


「じゃあ、どうして君は世界を滅ぼしたんだ?」


 彼女は俯いたまま答えない。僕を作った理由は分かった。だけど、世界を滅ぼす理由はなかったはずだ。


「彼を殺したこの社会が、世界が憎かったからよ」

「あっ……」


 だからだ。僕が作られた存在だというならば、僕が社会へ対しての憎しみのようなものを持っていたのはおかしい。つまり、これはオリジナルの感情だったと言うわけだ。


 ならば、ならばなおさら……


「彼はそんなことを望んでいないよ」

「どうして、どうして偽物ごときがそんなこと分かるのよ!!」


 彼女は僕の服の襟を荒々しく掴んで睨みつけた。だけど、僕は止まらない。


「そして、君もこんなことは望んでいなかった」

「違う! 私は、私は!!」

「だから、君は罪悪感を感じているんだろ?」

「違う違う違う違う違う違う!!」


 彼女は矛盾している。先程自分で罪悪感を感じていると言っておきながらそれを認められない自分がいる。

 おそらく彼女はそれを分かっていない。


「君は本当はどうしたかったんだ?」

「私は、私はただ……もう一度」


 刹那、僕は意識を失った。偽物であるが故の弊害だろうか。彼女の言葉を最後まで聞くことができずに意識を失った。


 僕の耳に聞こえるのは誰かの歌だ。だけど、その歌は僕の知っている悲しそうな歌声ではなく、どこか僕を包み込んでくれる優しい歌声だった。


 まぶたに日差しが差し込む。僕はゆっくりと目を開けた。相変わらず目に映るのは滅びた人間の文明だ。

 だけど、一つ違うところをあげるとしたら、それは多分彼女だ。


「今日も来たんだ」


 彼女はそう優しく言い放ったあと、再び歌い出した。彼女の周りには様々な動物が彼女の歌声を聴きにきている。


 アスファルトから飛び出た雑草の花も彼女の歌を聴いている。

 天高く僕らを眺めている太陽も聴いている。

 滅びた世界全てが彼女の歌を聴いている。


 そう、彼女は今日もまた、この滅びた世界で歌を歌うのだ。

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