第30話 気付け(4)

 松葉や藤田たちとのミーティングを終えて、明日以降のプランを立て終わった君島と東は鈴木の部屋に集まり、気晴らしに各々の専門分野を語り合っていた。それは彼らにとって、知的好奇心を満たしつつ仲を深めるのに絶好の手段であった。

 鈴木の部屋はデフォルトとそう変わらない。違っているところといえば、リビングに頑丈そうな木の机とやけにクッションが分厚いオフィスチェアが何脚かあるくらいだ。


 「次は僕ですね……」

 東が神妙な口ぶりを取った。

 「君島さんの話とちょっと繋がりますけれども、少し眉唾な話です。前に教授と居酒屋に行ったときにですね、酔った教授が話してくれた、焚書にされたレポートの話です」


 「焚書ですか」

 君島が短く言った。


 「ええ、経緯は教えてもらえなかったのですが、とにかくそういうものがあったそうで、今は知る人も少なく緘口令も敷かれているという、うさん臭いものです。学問の自由とは何なのか……、まあ、半信半疑な話です」

 2人は自然に集中していた。東の顔に翳りが差している。彼は息を吸って、瞬きをした。

 「そのレポートによると某山奥深くにある集落には人肉食、中でも子供の肉を食べる風習があるそうです。それも、誘拐拉致した他所の子供を、です」


 その秘密のような作り話のような台詞を東は言い切ると、2人の目を交互に見た。

 「なぜ子供の肉かというと、村でしばらく育ててから食べるのが習わしだからです。そう言ったわけで非力で騙しやすい子供を狙うのです。実際、その村の近くでは誘拐拉致事件がそれなにり起こっていました。ただ他の地域でももっとひどいところはあるので、何とも言えませんが」


 「何故、そのような風習が存在するのでしょうか?」

 君島が穏やかな声で尋ねた。しかしその目は静かに光っている。


 東はその眼光に怯み背筋を伸ばした。それでもすぐに口を動かした。

 「何でも教授が言うには、他人を食べればその人が受けるべきだった幸福を得られるという信仰が基になっているらしいです。ただ次第にその意味は薄れて、レポートが書かれたころには単なる嗜好となっていましたが」


 「だから……残りの寿命が長い子供、それも他人の子供というわけですか……」

 鈴木は重々しく言った。


 「ええ、それもあります。集落内の遺体を食べないのは、死んだ者に奪う幸福は残っていないのか、死後の世界があって身内の幸福を取るのが憚られるのか。後者の可能性が高いのですが……他のところの子供だけが対象になっているということです」

 東は淀みなく答えて、話を続けた。

 「それで、頃合いになったら殺して、調理して、食べるそうです。肉は各家庭に分配されるのですが、内臓は家毎に食べる部位が決まっている……と言っても、実際はその家で調理したものを集会で振る舞うから、始めの一口だけが家毎に決まっているということです」


 「こうなった理由はよく分かっていません。もしかしたら、単純に料理を交換する感覚、バリエーションを楽しむ感覚なのかもしれませんが、倫理の崩壊した彼らの思考を受け入れることは決してできないでしょう」

 最後に東は今までの説明口調を止めて、そこに蔑みを込めた。


 「全くその通りです」「ええ」

 君島も鈴木も同意見であった。

 カニバリズム自体は法律で禁止されていない。しかし、傷害罪や死体損壊・遺棄罪に該当するが、そもそも嬉々としてそれを行う人物に好感を示すことができる人間は多くない。ほとんどの人はそれを禁忌だと思っている。

 だいたい、それ以前に、拉致監禁して人を殺している時点で重罪である。


 東はコップに入った水を飲み干して、喉を休めると、小さく気合を入れた。

 「レポートはこれで終わりですが、それで……、君島さんの話通りなら、そこだけCJD患者の割合が高かったりするのかと思ったのですが……どうでしょう?」

 彼がこの妙な話をしたのは、話のネタが尽きたからではなかった。ちょうど先に君島が話した内容と繋がるかもしれないと思ったからである。もしそれが正しければ、その集落を発見できるかもしれない。


 「確実なことは言えませんが、CJDで亡くなった方の脳を食べた方は感染するリスクが増大しますから、その集落内で人食が巡っていればあり得ない話でもないと思います。感染した方の脳を食べて感染し、その人がまた食べられて感染を広げる、といった具合です」

 君島は冷静に事実を解説する。

 「ですから、食べられる脳が集落外から来ているものだけであれば、その集団に蓄積することはまずないでしょう」


 東は目を伏せると弱々しく口を開いた。

 「そうですか……。教授が、未だにこの習慣は残っている。明るみにならないのはその集落が出自の大物議員がいるからだなんて、酔っぱらって言っていましたから、見つけられたらと思ったのですが……」


 君島はその落胆した様子を見て「鈴木さんもお詳しいと思いますが、いかがでしょう?」と話を振った。しかし彼の答えもそう変わらないことを君島は知っていた。


 「ああ、私の場合は、先ほども言いましたが、BSEのことですね。感染した牛の脳から人もプリオン蛋白に感染すると知られています。vCJDと呼ばれていますが」

 鈴木は首をすくめた。

 「ですから、見解は君島さんと同じです。その集落が仮に今でもあったとしても、疫学的調査で目立った結果は、少なくともその病気に関しては、ないでしょう」



 東は自分の部屋に戻ると、一直線に洗面所へ向かった。そして、備え付けの高級な歯ブラシを手に取って、歯磨き粉を乗せると口に入れた。

 (僕たちが今、していること……、もしくは……世間、で行われていることと、彼らの行動はどちらも自分たちが幸せになるために誰かを犠牲にするということに変わりはない)

 鏡の中の目は淀んでいるように見える。


 (違うのは、僕たちはやらなければ自分が死ぬ、ということだ。ニニィにとっては遊び半分なのだろうが、僕たちは生きるためにその選択をしている。彼らはただ意味もなく殺している……。幸せになれると本気で信じているなら、彼らにとっては意味のあることだけれども)

 歯を磨きながら彼は考える。

 (それは、誰それが不正を働いて、誰かを陥れて、何かを隠蔽するのと同じだ。ただ生きるためではなく贅沢に生きるために、他人を犠牲にする。同じ薄汚いやり口なのに、割と世間では一般的なことになっていて、取り沙汰されない)

 法に触れなければ何をしてもいいのか、と世の中を見て彼はいつも思っている。


 (生きることは競争だ。それは動物としても、資本主義社会に生きる人間としても、そうだ)

 彼はは口の中の物を洗面台に吐くと、コップに水を注いで口に入れた。

 (それならば、どこまでが許容されるのだろうか)

 口を何度かゆすぐと、驚くくらいに白い歯が鏡に映った。


**



 五感


 実はみんなの五感にはヌンゲルハロラケッチャ族によって生まれたときからフィルターがかけられているんだ。知っていた? 例えばニュースを見ているときなんかは、みんなは真実でも、真実ということにして流されている情報でもなくて、ヌ族に加工されたものを見ているにすぎないんだ。ヌ族的には自分たちは支配者だから(←違う)都合の悪いことをオミットして、ギリギリまでぼかして、都合のよいことをみんなの脳に刻み込む権利があるらしいよ。嘘でつくられた極彩色! でね、そのフィルター、取り外そうとすると、いつの間にか後ろにヌ族が立っていて脳を吸い出すんだ。あ、正体を知っているだけでもダメだった。ごめんね。防ぐには「ニニィちゃんかわいい!」と心を込めて呟くのだ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

透明な殺人鬼ゲーム 第3章 Mors certa, hora incerta. Kバイン @Kbine

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ