16
「呼び出して悪かったな」ヒサシは手すりを擦りながら女に話しかけた。
「呼び出したかと思えば、そんなところで何やってるんですか!」女は自分を落ち着けようと自らの両肩を抑えるようにヒサシに叫んだ。
無理もない、ヒサシは地上20メートルの建物の外壁の縁、似たような場所で例えると駅のホームの際、と言った感じの、死と隣り合わせの場所にたっていた。
「もう1回会って話しがしたくてよ」
「話したいならそこから降りてきてください。いくらでもしますから」
「それは誰のためにだ? 俺か?死んだ弟のためか?それとも石原サチか?」
「私は、わたしは……」
「俺はもう死んでもいいんだ。別にこの世に未練なんて残ってないしな。お袋も死んじまったしな」
「お母さん、タケル君の友人に殺されたって、ニュースで知りました」
「ニュースなんでその程度でしか情報を与えない。死に際の言葉だって誰一人として知りえない」
「何か、聞いてたんですか?」
「リョウが、お前のことを犯してどうやら死に追いやってしまったと言ってたが、それは本当か?」
「私は、石原サチではありません」
「だろうな、お前は市橋サラだろ」
「はい」
「どうして俺に名前を偽った」
「私は石原サチに憧れてたんです。タケルがいつも私に話してたから。彼女の容姿や振る舞いが、すごく好きだって」
「タケルが惚れてた女って事か」
「石原サチさんか亡くなったってニュースを見て、タケル君が心配になりました。すぐに電話したんだけど繋がらなくて……」
「その頃には、あいつも死んでたからな」
「だから、タケルくんの大好きだった石原サチに私はなりたかった」
「なんのためにだよ。なんのためにお前は石原サチになろうとしたんだよ」
「タケルくんが、好きだからです」
「どいつもこいつも、タケルタケルかよ」ヒサシは自分が惨めだと感じた。
「でも、今は違います!」
「何が違うんだ?」
「自分に素直にならなきゃ、もうタケルくんは居ないから」
「そうだな、アイツはもう居ない。いつまでも執着してもいいことないだろ。オマエシッテルカ?あいつの女々しさったらありゃしねーぞ。ガキノトキなんて俺がゲームやるためにテレビのリモコン奪ったらすぐにおふくろに泣きつきやがってよ」
ヒサシは走馬灯のように流れてくる小さい頃の思い出に、不意に涙を流していた。
「失って気付く痛みは、誰にでもあります。もう戻らないこと、引き返せないこと、そんなことをあとから知っても意味がないんですよね。お兄さんも、本当はもっと家族でいたかったんですよね」
「知ったようなこというんじゃねーよ!!」ヒサシの絶叫が自分の身体の平衡感覚を失わせた。
手すりから手がするりと離れてしまった。
緩やかに時が流れる。スローモーション。家出を決行したあの夜、物音を立てないように上着を抜き取ったハンガーをクローゼットに戻すような、そんなゆっくりとした慎重さが思い出される。
必死に伸ばしたては手すりに届かず空を切った。
『コレで終わりか』
「だめーー!!!!」時間が静止する。身体は傾いたまま、身体を揺らすように風が吹き付けてくる。
どうやら時間が止まっている訳では無いようだった。
市橋サラが両腕をめいっぱいに伸ばしヒサシの左腕を掴んでいた。
「お願いだから、もう死なないで」市橋サラは涙ながらにそう懇願している。「私の大好きなタケル君の家族が全部失われるのなんて
ヤダ」
市橋サラの手に力がこもる。全身を収縮するかのように腰を引き膝を曲げる。綱引きの傾きかけた勝負の行方が、今や市橋サラの方に部がある。
ヒサシが手すりに手を掛けた時、猛烈な突風がその背後を通り抜けて行った。それはさながら特急列車の通過ような、肝が冷える瞬間だった。
「死ぬかと思った」
「死んじゃえばよかったのに」
2人は手すりに背を預け、並んで腰掛けていた。
「お前さ、一つ勘違いしてると思うぞ。アイツな、多分お前のことが好きだったと思うよ」
「どうしてですか」
「『いしはらさち』を入れ替えると『いちはしさら』になるんだよ。なんかあいつ小説のようなものを書いてて、その履歴書にお前の写真貼ってあったぞ。わざわざ卒アルの写真切り抜いて貼り付けるくらいだからな」
「あの小説読んだんですか?!」
「は? 読んでねーよ。てかなんで知ってるんだ? あ、お前もしかして、四面楚歌か」
「……はい」
「お前らそんな近くにいて告白しないなんてめんどくせーな」
「お兄さんだって、近くにいたのにどうして家族の気持ち分からなかったんですか」
「家族の気持ち?」
「タケル君、私によく話してくれてました。『兄貴にはかなわねー』って」
「どういう意味だよ」
「お兄さんが家出したことは聞いてました。三日三晩家に帰ってこなかったって」
「家出だからな。3時間後に帰ったらそりゃお出かけだろうが」
「家出する晩にタケル君に気付かれたんですよね?」
「覚えて、ねーかな」
「タケル君、お兄ちゃん、どこ行くの?って聞いたらしいんですけど、そしたら、『冒険に決まってんだろ』って言われたみたいで、ゲーム出来なくて本当の冒険に出かけるんだって本気で信じちゃったみたいで」サチは笑いをこらえている。
「馬鹿正直なところがある家系みたいだなウチは」
「でも、お兄さん帰ってこなくて、心配で1人じゃベットで寝れないってお父さんとお母さんと一緒に寝ることにしたんです」
「どっちも爆睡だろう」
「そしたら、ご両親はずっとリビングで起きてお兄さんの帰りを待ってたから、結局タケル君は1人で寝ることになったんです。そんな不安そうなご両親を見てタケル君がワンワン泣いたって、早くお兄ちゃんが帰ってきてくれって祈ってたそうですよ」
「そんなの、デマカセだろ」
「私大切な写真を預かってました」
サチはポーチから一枚の写真を取りだした。
複数の警察官に囲まれて母親とヒサシが抱き合いタケルがヒサシに縋るようにくっ付いていた。父親はおおらかな表情ながらも家族を大きく抱き抱えている。
ヒサシは背面のみで顔は見えないが母親の胸に顔を埋めて離れまいとしがみついてる。その母親は溢れんばかりの涙を流していた。
新作のプロット公開 月野夜 @tsukino_yoru
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