“伯爵”と“奥方”とアップルパイ

 高層マンションの屋上、赤く点滅する航空障害灯のすぐ脇で巨大すぎる街を見下ろしていた。はるか下の地表では深夜だというのに光にあふれ、大勢の人間が活動している。


 それは我輩が治めていた街とはかけ離れた景色だった。思えばずいぶんと長い時を生きてきたものよ。社会は発展を続け、技術も進化し続ける。いずれは人ならざる者の居場所がなくなるであろう。


 そんな事を考えていると胸ポケットでスマホが軽快に鳴りだす。吸血鬼をモチーフにしたゲームの曲、<血の涙>というらしい。気に入っているフレーズまで聞いて通話モードにした。にぎやかな笑い声とともに、“役者”がやたら明るい声でまくしたてる。


『“伯爵”! 今、“宇宙人”と飲んでるんですけどね。来ませんか?』

「断る」

『そんな事言わずに。近くで飲んでたキレイなお姉さん方に幽霊の芸を見せたら大ウケでして』


 声は遠ざかり、向こうの会話が流れでてきた。


『あ! 駄目ですよ! その枝豆は私のですから!』


 底抜けに明るい幽霊など、長い生の中でも知らぬ。いや、一人、会ったような気もせんでもない。


「貴様、元より幽霊であろうに、自分の体質を芸とか言って良いのか?」

『大丈夫! 大丈夫です! 無礼講ですから。そんな訳で“伯爵”にも盛り上げに参加してほしいなーと思いまして』


 また電話口で、ドッと笑いが起きる。微かに聞こえた笛のような高い音からすると“宇宙人”がビームを出したのであろう。その気になれば街を焼き尽くす事もできる光線を宴会芸に使うとか何を考えておるのだ。


「我輩は忙しい。妻を待っておるからな」

『あちゃー。それは仕方ありませんね』

「うむ。“宇宙人”に言っておくがいい。調子に乗って巨大化するではない、とな」

『もちろん。こんな所で巨大化されたらみんな潰されちゃいますからね。私は死んでるので問題ありませんが。それではまたフォックスで。“奥方”によろしくお伝えください』


 通話を切って、フッと息を吐く。世界は変わり、人間も変わった。人ならざる者もだ。変わらぬのは我輩と妻ぐらいか。


 首を巡らし雲ひとつない空を見上げた。地上が明るすぎて星は見えず、海外へと飛び立っていく旅客機だけが見える。その方角に白い点がポツリとあった。我輩だけの星だ。


 それは緩やかに近づいてくる。白い髪、白い肌、白デニム姿の妻、テレーザがふわりと降り立った。


「ごめんなさい。遅れたわ」

「構わぬ。我らにとって時間など些細ささいな問題であろう」

「そうだけど謝りたいのよ。んー何て言ったっけ。尊敬の証、みたいな言葉」


 ビルの縁を歩きながらテレーザが顎に手を当てている。


「リスペクト、か?」

「それ! リスペクトしてるわ。ルーノ」


 彼女は顔をほころばせながら、指をパチンと鳴らした。


「笑いながら言われても真実味にかけるわ」


 そう言いつつも喉の奥から込み上がる笑いをこらえきれそうもない。それは彼女も同じで、クスクスと肩を震わせていた。


 やがて落ち着きを取り戻したテレーザは静かに口を開いた。その口調とは異なり、赤い瞳の輝きは強い。


「ところで、ルーノに話があるんだけど」

「聞こうではないか」


 我輩は知っておる。テレーザがこういう目をしている時は無理を言ってくると。


「最近、人助けしてないわよね」

「仕方あるまい。人間の悩み、問題は大きく変わったからな。ほとんどの対処は金で済まされ、金でしか解決できぬ。特に、この国ではな」


 我らは、はるか昔より人間の助けとなってきた。それこそトラブルのほとんどが剣で解決できた頃よりだ。しかし、強さの象徴が金になった今、できる事は少ない。


「そうね。でも他の方法もあるわ」

「ほう。教えてくれ」

「まずね、人間の悩みは外じゃなくて、内側に向けられるようになったと思わない?」


 待て、いきなり飛躍ひやくしすぎであろう。一瞬、ほうけたではないか。


「説明を頼む」

「ほら、今って顔を会わせなくても話せるじゃない? 電話、ネット、会いに行くにしても1日あれば海だって渡れるわ」


 テレーザはビルの屋上を囲むフェンスに飛び乗り、両手を広げて軽やかに歩く。飛行機のつもりであろうか。端まで行くとクルリと回り、我輩と向きあった。


 何が言いたいのかわからず、先を続けるよううながす。


「命の心配より、他人との関係で心を痛めるようになったって事よ」

「なるほど。しかし、それこそ何もできぬ。まだ金で解決する方が簡単であろう」

「そうでもないわ。話をするだけでいいの。言葉を交わし、心の拠り所になれる、そんな場所を用意すればいいと思うの」

「人ならざる者がいこいを求めてフォックスに集うように、悩む人間がいやしを求めて集う場所をつくるか。ふむ、面白い」


 生き死にに比べれば対人関係などとるに足らぬ。話しを聞くだけで済むだろう。なにより、テレーザがやる気になっているなら試してみるのも悪くない。


「でしょ! 良い思いつきだと思うのよね」

「して、具体的に何をするのだ?」

「山あいの避暑地でペンション! 美味しいコーヒーと焼きたてのアップルパイで迎えて、凍った心を溶かすの。と言いたいけれど私たちには無理よね。昼間は外に出れないし」


 彼女は顔を輝かせたあと、すぐに曇らせた。


 諦めさせているのは太陽ではない。人間の技術は凄まじい進化を続けておる。その中で最も偉大な発明は日焼け止めだ。数時間なら太陽の下に出る事も可能となった。


 では、何がかせだ? 決まっておる。我輩だ。


 握られている手を開く。今まで多くの人を救ってきたが、全て破壊によるものだ。我輩にはそれしかできぬ。先日、“役者”を守るために銃弾を受け止めたが、それとて、より強い力でねじ伏せただけと言えよう。


 破壊しかもたらさぬ血色の悪い手をポケットに突っ込んだ。


 テレーザはフェンスから飛び降り歩み寄ってくる。悲しげな目をしたまま、ほほ笑みを絶やさずに我輩の頬に触れた。


「ごめんなさい。ひどい事言ったわ。ルーノの手はたくさんの命を救ってきたというのに。違う方法を考えましょ」


 言葉などなくても思いは筒抜けだった。それがうれしくもあり、気恥ずかしくもある。何も言えずにいると、頬を滑らせて指先が離れた。


「私も考えてみる。ちょっと街を出るわ。数日、帰って来れないと思うけど寂しがらないでね」


 テレーザはふわりと宙に浮いた。


「どこに行く気だ?」

「秘密。ちゃんと連絡するわ。帰ってきたらルーノの考えを聞かせてね」

「わかった」


 またね、と飛び去る姿が見送りながら思う。何かできる事があるのではないか? それはきっと変わる事に違いあるまい。


 スマホを取り出してコールする。相手はフォックスの“マスター”だ。頼みを了承してもらい、我輩も夜の闇へ飛び上がった。


 ハハッ! テレーザを驚かせてやろうではないか!



 数日が経ち、満月の夜を一人で飛ぶ。両手で持つクーラーボックスが揺れないよう、慎重にしているせいか、速度はゆっくりとしたものだ。


 いつもの高層マンションの屋上に近づくと、すでにテレーザの姿があった。無機質なコンクリートにカラフルなピクニックシートを広げ、折り畳みのキャンプテーブルでくつろいでいる。


 近くに降り立ち、ゆっくりと歩み寄った。


「済まぬ。待たせたな」

「全然。早速だけど見せたいものがあるの」


 テレーザはテーブルに置かれたバスケットに手を伸ばしたが、その手をつかんで止めた。


「駄目だ。我輩の話を先にさせてくれぬか?」


 テレーザはクスクスと笑う。


「またルーノが先なのね。いいわ。どうぞ伯爵様。お話をお聞かせください」

「では、姫。こちらをどうぞ」


 テレーザの調子に合わせてうやうやしく腰を折り、クーラーボックスからランチクロス、白磁の皿、シルバーのフォークとナイフを取り出しながら彼女の前に並べた。


 テレーザがキャンプテーブルを持ってきてくれたのでコンクリートに並べずに済ませれたから良かったようなものの、詰めの甘さはどれほどの時を過ごしても変わりそうもない。


 何を始める気だろうと、赤い瞳が輝いているが構わずに続ける。きっちり並べ終えたのを確認し、仕上げとして丸い紙の包みを皿の上に置いた。五感が鋭敏な吸血鬼ゆえ匂いでわかったのだろう。頬が緩み、目が細まった。


「開けてくださらないの?」


 丁寧に紙をはがすと丸いパイが現れる。前に食べてみたいと言っていたリンゴをそのまま使ったパイだ。


 しかし、オーブンから出したばかりの時は完璧の出来だとうなずいたものだが、改めて見ると不格好だった。ふくらみすぎてデコボコではないか。


「いや、すまぬ。これは無しだ」


 ばつが悪くなり、急いで包みなおそうとした手を握られる。


「これ、ルーノが作ったの? 今まで料理した事ないのに? 貴族が自ら料理するなどありえん! って言ってたのに?」

「う、うむ。フォックスの“マスター”に手を貸してもらった。しかし、この様だ。我輩には無理だったのだ」

「ねえ、どうして作ろうと思ったの?」


 ほんの気まぐれよ、と答えると握る手の力が強まった。テレーザは真っすぐに我輩を見つめ、ささやくように言う。


「本当は?」


 ごまかし通そうと考えたが、降参だ。どうせお見通しであろう。彼女は、わかった上で我輩の言葉が聞きたいのだ。


「テレーザは代わりゆく世界に順応しようとしておる。その中でやれる事は何か、と考え続けておる。我輩は……置いてきぼりにされたくなかったのだ。せめて、手助けできれば、とな」


 彼女の手は我輩から離れ、包みを乱暴に破る。


「ばかね。最初からうまくいくわけないじゃない。これからは一緒に練習しましょうよ」

「うむ。そうしよう」

「それで、食べていいの? 駄目なの?」

「構わぬ。口に合えばいいが」


 テレーザは月にかざしたパイに言った。この国の言葉ではない。はるか昔、我輩たちが最初に覚え使っていた言葉で、いただきます、と。


 白い牙がパイに突き立ち、果汁と共に甘い香りがあふれた。


「美味しい。これは砂糖じゃないわね。ハチミツかしら?」

「うむ。“マスター”は言っておった。テレーザの好みに合わせるなら、ハチミツを使うべきだと」

「さすが“マスター”ね。負けてられないわ」

「そうだな。ところで数日間、どこへ行っておった?」


 忘れてた、と彼女はバスケットに手を突っ込んだ。


「はい、お土産」


 渡されたのは二枚の絵ハガキ。一枚はヨーロッパだろうか、古い町並みの写真で、もう一枚は黒と白で描かれた二人の人が空を飛んでいた。


「これは我輩たちではないか! となれば、この街は!」

「そう。私が生まれて、ルーノと出会った街。ちょっと前にテレビでやってたのよ。黒い妖精と白い妖精が街を守ったっておとぎ話が残ってるそうよ」

「ふん。妖精ではない。吸血鬼だろうに」


 鼻を鳴らす我輩を見てテレーザが笑う。


「もう。大事なのはそこじゃないでしょ? 二人のおかげで街は存続できたって言われてるところよ」


 守り切れずに街から逃げ出すはめになったではないか。そう切り返そうとする我輩の口をテレーザの指が押さえた。


「最後まで言わせて」


 うなずくと指は離れ、テレーザはほほ笑みながら後退る。我輩はともかく、月灯りに照らされる彼女を妖精と比喩ひゆするのに相応しかった。


「これがルーノの手が守った街。それだけじゃない。大勢救ってきたわ。その手が生み出すのは破壊だけじゃないの。今だってアップルパイを作った。そうやって、たくさんのものを作っていきましょう。これからずっと」


 テレーザの指は踊るように流れ、アップルパイにたどり着く。小さな口を大きく開けてかぶりつくと、その目は満足気に細められていた。


「私、これ好きよ」

「それは良かった」

「でも、飲み物が欲しいわね」


 そう言われると思い用意してきたのだ。クーラーボックスを開けて、アイスコーヒーの水筒を出そうとすると、ない。


「しまった! フォックスに忘れてきたではないか!」


 慌てる我輩を見て、テレーザはクスクス笑い、ふわりと浮き上がった。


「やっぱり詰めが甘いわね。良いわ。今からフォックスでお茶にしましょう」

「同意したいところではあるが、先に片づけをだな」

「後でいいわよ。どうせ誰も来ないわ。それとも私を干からびさせる気?」


 我輩は知っておる。テレーザがこうなれば意見を変えさせるのが不可能だと。


 諦めて浮かび上がり、彼女の手を取った。屋上は遠ざかりキャンプテーブルが遠ざかっていく。

 

 我輩は知っておる。我輩は一人ではないのだ。恐れるものなどない。

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