喫茶店“キツネの巣”に集うおかしな者ども

Edy

“役者”とアイスコーヒー

 “キツネの巣”という喫茶店がある。落ち着いた照明とアンティークな作りの店を切り盛りしているのは、長い白髪を後ろに束ねた“マスター”だ。


 なぜこの名を付けたのか、と聞いた事がある。その問いに“マスター”はキツネのように目を細めて答えてくれた。社会に溶け込もうと化けているキツネでもくつろげる場所にしたい、だそうだ。そして、こう付け加えていた。


 “宇宙人”を初めとして人間ではないお客も多い、と。


 まあ冗談だろうが、とにかく出会う人は皆風変りで、彼らとの語らいは楽しい。それを目的に、単にフォックスと呼ばれる店で出勤前の一時間を過ごすようになった。


 ビルの谷間から突き刺すような夏の西日に追いたてられ、少しさびが浮いた中世鉄扉を押し開けた。カウンターの内側で執事にしか見えない“マスター”がグラスを拭く手を止めて会釈で迎えてくれる。


「いらっしゃい、“役者”。今日はスーツですか? ホラーハウスのアクターより、ちょっとした権力者に見えますね」


 フォックスの常連客はあだ名で呼び合う習わしで、私は仕事柄、“役者”と呼ばれていた。


 上着のボタンを外して見せたシャツには、胸に二つの穴があり、真っ赤に染まっている。


「暗殺された政治家の役なんです。お客さんは成仏できない私に驚き、殺し屋に追われて逃げ回って悲鳴を上げる。どこかで見た話ですが結構気にいってます」


 苦しげな表情を作り、胸を押さえ、助けを求めるように“マスター”に手を差しむけてヨロヨロと歩み寄る。そのままスツールに腰を下ろしてニヤリと笑うと“マスター”も口端をわずかに上げた。


「そういえばそんな事件もありましたね。いつものですか?」

「お願いします。そうそう、今度テレビで紹介されるんですよ。私もインタビューされちゃいました」

「それは素晴らしい。ああ、テレビと言えば"政治家"が出てますよ」


 “マスター”の視線を追って背後に目をやると、夕方のニュース番組で中年男性が熱弁していた。彼もここの常連だ。大臣のくせにコント動画をネットに上げてる変わり者。


 彼はフォックスで見せない仕事の顔で熱弁していた。おや? この内容は……。


「この政策って私が話していたやつですよね?」

「言われてみれば確かに。アイスコーヒー、お待たせしました」


 目の前に出てきたのはコルクのコースターに乗ったウイスキーグラス。半分ほど満たしたアイスコーヒーにロックアイスが一つで、ミルク、ガムシロはなし。伝えていないのに私の好きなスタイルで出してくれるのは、さすが“マスター”といったところか。


 それを一口含む。外が暑かったせいか、いつも以上にうまく感じた。


「ああ、生き返った気分です」

「それはそれは」

「それより"政治家"ですよ。意見を聞かれたから答えたのに、自分で発案したみたいに話すなんてひどくないです?」

「それほど“役者“の案が良かったという事でしょう。胸を張っていいのでは?」


 そう言われると悪い気がしない。


「政策を教えた私も政治家になれますね。いや、彼が大臣なら私は総理か」


 そう言って笑うと、カウンターに片ひじを付いている常連の女性が、ふふ、と笑った。


「五年後、"政治家"は総理大臣になるわ」

「“未来人”が言うと真実味がありますね」

「歴史通りになればね」


 彼女は銀の髪を耳にかけ、ストローでアイスコーヒーを吸った。何の素材だかわからないメタリックなボディスーツに身を包み、首の後ろにソケットを付けている装いはいつも通り。


 “未来人”はコーヒーを飲むために二百年後から来ていると言っていた。彼女の時代でカフェイン飲料の販売は重罪だとか何とか。


「私が出馬したら総理になれますか?」

「知らないわ。私は史実を知ってるだけで預言者じゃないもの」

「すみません。そうでした」


 頭を下げると、彼女は、いいのよ、と首を振った。銀髪が踊り、照明を反射して七色に変化する。


「でも、そうなったら面白いわ。前代未聞よ」


 ホラーハウスのアクターが総理になるのはそれほどイレギュラーとは思えない。大統領になった俳優もいるし。


 何が前代未聞なのか聞く前に“未来人”はアイスコーヒーを飲み干し席を立った。


「美味しかったわ」

「ありがとうございます。またお越しください」


 ミステリアスにほほ笑む彼女を見送った。きしむ音を立てる扉が閉まったあと、“マスター”に向き直る。


「前代未聞って何がですかね?」

「さあ。彼女の言葉を考えても答えは出ないでしょう。心で感じるまま受け止めてみては?」

「難しい事言いますね」


 腕を組んでしばらく考えてみたが答えは出ず、空になったグラスが下げられ、おかわりが出てきた頃に扉が開いた。彼らも常連で、吸血鬼だと言っていた。


「おはよう! 本日も良い日であるな!」

「おはよう。ごめんね、いつもうるさくて」

「おはようございます。“伯爵”、“奥方”」

「我輩はアイスコーヒーを。妻にはホットを頼む」


 テーブル席につく二人に、“マスター”はうやうやしく頭を下げ、かしこまりました、と答える。


 いつ見ても不思議な夫婦。夫は黒ずくめの紳士で少々言葉遣いがおかしい。まあ異国の人ならうなずける。奥さんも同郷の人だろうか。肌も髪も真っ白のアルビノで、若く、美しい。対照的な二人だが共通点があった。真っ赤な目をしているのだ。


 今年はどこに旅行しようか? 夏と言えば海しかあるまい、温泉宿が良いわね、と聞こえ、二人の浴衣姿を思い浮かべて頬が緩んだ。


 そしてまた扉が開く。ごく普通のビジネスマン、知らない顔だった。男は緩みかけているネクタイを直し、スツールに腰を下ろした。


「いらっしゃい。“殺し屋”。お久しぶりですね」

「はい。仕事で海外に行ってました。大変でしたよ」


 ビジネスマンに見せかけての殺し屋とはありきたりだな。他の常連に比べればだが。そんな事を思う私もずいぶん毒されてきている、と気づいた。


 “マスター”が私たちの間に立つ。


「彼は凄腕のヒットマンの“殺し屋”。こちらはホラーハウスでアクターをしている”役者”。接点がなさそうな二人の出会いは偶然ではなく、運命かもしれませんね」

「どうも“役者”です。もう撃たれちゃってます」


 胸の銃跡を見せると、“殺し屋”は目を大きく開いて固まった。エアコンの効いた店内だというのに汗が頬をつたうのが見えた。


 彼はどうしたんだ、と“マスター”に目でうったえかけるが、私にもさっぱり、と言いたげに見える。


「どうされました?」


 努めて穏やかに発した問いへの返しは、辛辣で、衝撃だった。


近江おおみ純一じゅんいち! 貴様は私が殺したはずだ!」


 何だって? あれか。自己紹介的なやつか。のっておくと盛り上がりそうだ。


「私には使命がある! 志し半ばで死ぬわけにはいかない!」


 スツールから下りて、血に染まったシャツをつかみ、前屈みで彼をにらみ上げると、“殺し屋”の顔から表情が消える。


 おお、なんて迫力だ。こういう展開もいい。演出家に提案してみようかと考えていたら、“マスター”が口をはさんだ。


「純一さんですか。良い名前ですね」


 そういえば、“殺し屋”が私の名前を知っているのはなぜだ?


 場は静まり返ったまま。吸血鬼の二人も何が起こっているのかわからないという顔をしている。


 いや、待て。私は知っているかもしれない。“殺し屋”の顔には見覚えがある。


「どこかでお会いした――」


 “殺し屋”は最後まで言わせてくれず、滑らかな動きで拳銃を抜き、ためらいなく撃った。


 雷鳴のような音で思わず目を閉じて身を固くする。ああ、私はまた死ぬのか。んん? また? 何でそう思った?


 そーっと目を開けると、目の前に“伯爵”の背中があった。付き出された彼の握られた拳から一筋の白煙。


「いきなり撃つやつがあるか、愚か者め」


 開かれた手から金色の銃弾がこぼれ落ち、“殺し屋”はあぜんとして銃口をおろす。


 驚いたのは私もだった。いつの間にか移動して、銃弾を受け止めた? あり得ない。まさか“マスター”の話は冗談ではないだと?


 にらみ合う“殺し屋”と“伯爵”。硝煙を漂わせる銃を持つヒットマンと、その銃弾を軽く受け止めた吸血鬼は、本物としか言いようがない。今まで、あだ名の通りの役を演じていると思っていた。そういう遊び、だと。


 混乱している間に、冷静さを取り戻した“殺し屋”は淡々と言う。


「邪魔しないでください。“伯爵”」

「フォックスで騒ぎは許さぬ。我輩と妻の憩いの場であるからな」


 それに、と言葉を続けて私に振り返る。


「二度も撃たれるのは気の毒であろう」

「これは仕事なのです。完遂したと報告し報酬を受け取った以上、ターゲットを生かしておけません」

「そうは言うがな……」

「話は終わりです。邪魔をするのであれば貴方とて容赦しない。近江元総理。今度こそ殺します」


 “殺し屋”は再び銃を構え、私はあわてて“伯爵”を盾にした。


「“伯爵”! 助けてください!」

「こら、服を引っ張るな! “殺し屋”も待て! 我輩は撃たれても平気だが痛いものは痛いのだ!」


 まごつく私たちを尻目に“マスター”がのんびりと手を打った。


「暗殺された近江元総理とは“役者”さんでしたか。殺した者と殺された者がフォックスで私のコーヒーを飲んでいるとは感慨深いです」

「何をのん気に! なんとか……し……て? 私、死んでるんですか?」

「そうだ! 貴様はとうに死んでおる! 撃たれてもこれ以上は死なぬ! だから放せ!」

「今度こそ死ね! 近江!」


 収拾がつきそうもなく、私の腕が当たったグラスが吹き飛んで、ガシャン、と割れた。もみ合う私を銃口が追いかける。


 ああ、もう駄目かも。諦めかけた時、“奥方”がピシャリといいはなった。


「静かにしなさい! いい大人がみっともない!」


 見れば、大きな丸テーブルを頭上にかかげていた。それも片手で。まるでコーヒーソーサーのように軽々と。


「これ以上続けるなら投げるわよ」


 威嚇するようにテーブルを振ると、つられている照明にガツンガツン当たる。


「その通りだ! 冷静にだな!」

「貴方こそ落ち着きなさい」

「う、うむ」


 茶番のようなやり取りを見せられている内に私も落ち着きを取り戻してきた。


 衣装に開けられた銃跡に指を入れる。そこにあるのはリアルに感じられる肉と、生々しい二つの穴の感触。その縁をなぞると忘れていた記憶が呼び覚まされた。


「……私は……あなたに撃たれて死んだんですね」


 懐から出した手は、その時の記憶通りに血で塗れていた。“殺し屋”はそれを見て眉を寄せる。


「死んでいる? 幽霊がコーヒーを飲み、ホラーハウスで働いているのですか? そんなおかしな話が……」

「目の前にあるではないか。我輩は吸血鬼ゆえ死者は匂いでわかる。思えば“役者”もあわれな男よ」


 “伯爵”がしんみりつぶやくと、“殺し屋”は勢いよく頭を下げた。


「申し訳ありません。私の早合点から騒ぎにしてしまいました。もう撃ちませんのでご安心を」

「あなたは私を殺したいのでしょう?」

「正確には、仕事を完遂したい、ですね。幽霊なら問題ないです。死後は契約に含まれていませんので。あ、その節はご迷惑おかけしました」

「いえいえ、おかげでのびのびできてます。それこそ死ぬ前よりずっと生きている感じですね。改めて幽霊の“役者”です。今度とも、どうぞよろしく」


 道化のような、かしこまったお辞儀をしてみた。生前やってた政治家だって道化のようなものだし、いずれ過労死してただろう。そう思うと感謝したいぐらいだ。


 私からも、お騒がせしました、と頭を下げて、この件は終わり。にはならなかった。


 “伯爵”が居心地悪く、“奥方”を見ていたからだ。正確には振り上げられたままのテーブルを。


「早く下ろせ。その……皆が怖がっておる」

「そうね。忘れていたわ」


 彼女はクスクスと笑いながら下げるが照明に引っかかり、手から離れて落ちた。私は衝撃音に備えて耳を塞いだが、テーブルはすんでのところで静止する。まるで見えない手につかまれたかのように。


「危ないところでした」


 振り返るとカウンターの内側で“マスター”がテーブルに向けて手をかざしている。手のひらをクルリと上に向けるとそれに合わせてテーブルが回り、ふわりと元の位置におりた。


 ああ。“マスター”とはそっちのか。店主が風変わりなら、変わった者が集まるのもうなずける。


 私は笑いをこらえながら、言った。

 

「こんな私ですが、これからもアイスコーヒーを飲ませてくれますか?」


 もちろん、と“マスター”は右手を掲げた。


「フォックスと共にあらん事を」

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