1803年 パリ

 「フランスが外敵に脅かされるとき、必ず英雄が現れて奇跡をもたらす。かのジャンヌ・ダルクがそれを証明している」


 フランス共和国・第一執政、ナポレオン・ボナパルトの朗々と語る様が、タレーラン外相には愉快で仕方がなかった。何のことはない。自分こそがそのジャンヌ・ダルクに続くフランスの「救世主」であると言っているのだ。

 それにしても「かのジャンヌ・ダルク」などと、あたかもフランス人なら知らぬ者はいないかのような言い方だが、実際にはジャンヌ・ダルクなる娘は、故郷のドンレミや彼女に救われたオルレアンの町で静かに語り継がれていたような、言ってみれば地域の語り種程度の存在であったに過ぎない。それをボナパルトが御用新聞を動員して国民的英雄として祭り上げている。

 君主の座を狙うボナパルトであれば、それくらいの政治宣伝に務めるのは当然である。そして、実際悪くない手だとも、タレーランは思う。何しろジャンヌ・ダルクと呼ばれる娘について、分かっていることはほとんど何もない。分かっているのは、彼女がフランスを救ったことと、処女であったことくらいである。それでいて、実在していたことは間違いないのだから、フランス国家統合の象徴として、これ以上適切な人物もないであろう。

 革命を経たフランスには、貴族とか平民とかいう階級を超えた、フランス人に共通の旗印が必要だ。元々は国王、ルイ16世がその役割を担うはずだったが、愚かなジャコバン派は国王を殺してしまった。その代わりにロベスピエールが「理性の祭典」なるものを演出してみせたりもしたのだが(あれは傑作だった!中世のどんな蒙昧な野蛮人にも、あんな茶番を思いつくことは不可能であったろう!)、人は目で見たり、手で触れたりすることのできない「理性」なる概念によって一体感を得ることはできないのだ。実在の人物であるジャンヌ・ダルクに目を付けたボナパルトは、その点、やはり卓越した為政者であると言わねばなるまい。


 近代人たるタレーランは、ジャンヌ・ダルクの聴いた“声”が何であったかというようなことは考えない。今や迷信と偏見に支配された中世ではないのだ。理性と啓蒙の時代なのだ。社会は、宗教的な迷信ではなく人間の理性によって導かれなければならない。だから革命は起きた。理不尽な王政、荒唐無稽なカトリックの教義に支配されたフランスを、理性の力で救済しようとしているのがフランス大革命である。タレーランのような、革命と微妙な距離を取り続けてきた男であっても、やはり本質的には近代的理性の信奉者であって、神の奇跡などを信じてはいない。

 ジャンヌ・ダルクの所業が神の奇跡でないとすれば、なぜあのような劇的な勝利を収めることが可能だったのか。そういう疑問を、タレーランは持たない。近代合理主義にとって、人間の理性で捉えることのできない奇跡について考えることは無意味で不合理だからである。神の奇跡など無い。あったとしても、そんなものは啓蒙され、近代化された人間にとって何の意味も持たない。


 タレーランにとって、ジャンヌ・ダルクの物語などは、無知な民衆を誑かすための小道具でしかない。その小道具が、それを利用しようとするナポレオン・ボナパルトその人よりも遥かに長くその絶大な人気を保ち続けるであろうなどとは、タレーランには想像もできなかった。

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見神者 垣内玲 @r_kakiuchi_0921

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