さよなら

 どうせなら、もっとあいつに迷惑のかかるような終わりを選びたい。だってどう考えたってあれは冗談でも、ジョークでもなかった。それなのにあいつは、あいつらは主張を変えなかった。おれがどれだけ辛い思いをしているのか知らずに、笑ってばかりで。悪いとも思っていないだろうな。おれがいなくなっても代わりを見つけるんだろうな。その人には申し訳ないけど、おれはもう無理だ。だから少しだけ、ほんの少しだけ、あいつにも冗談をふっかけてやろうと思う——。


 あいつはいつも通り遅刻ギリギリで登校して、それからクラス中の冷たい視線をかっさらってへらへら笑い始める。あいつは面白いと思っているらしいが、そう思っているのなんて当人だけだ。取り巻きのふたりもあきれているだけで、楽しくて笑っている訳じゃない。馬鹿だから気付けないだろうけど。

 そしてまた始まるおれへのいじめ。あいつは自覚していないらしいが、ふたりは完全にわかっていて見て見ぬフリをしている。というかスズトはそれを面白がっていて、ハヅキは胸くそ悪いと思っているくせに止めようとしていない。なあ、お前らさ、どういう気持ちなのかおれにも教えてくれよ。

 くだらない話と称しておれの悪口を言い、購買までおれを走らせ、それから授業中もメッセージでおれに「命令」をしてくる。隣の女子に教科書見せてもらえ、教師に見つからないように紙飛行機を飛ばせ、もちろんノートは見せてくれ。どうしてこんな人間と一緒にいなくてはならないのだろう。おれはどの段階で間違えたのだろう。もう嫌だった。

 おれが悪いのではないのに、クラス中の視線は哀れだとおれに言ってくる。おれだけが不良みたいに思われている。おれだけが頭のおかしい奴だと思われいてる。たぶん少しの被害妄想は入っているだろうが、そう思えてならなかった。苦しかった。

 今日も奴らのお守りがおれの仕事。今回は自動販売機まで走れ、だと。リョウタはコーラでスズトは無糖コーヒー、それからハヅキはりんごジュースだったかな。

 おれの家はそこそこの貧乏家族で、母が夜遅くまで働いてくれているから成り立っている。しかしそれでも足りない分はおれが放課後にバイトで稼いでいる。飲食店のウェイターから夜中のコンビニ、それにスマホでできるちょっとした小銭稼ぎまで。それでも弟や妹たちが大学までいけるかはわからない。

 それなのに、おれはこんなところで金を使わなくてはならない。どうせ今日も金を返す気はないのだろう。

「おいタカオ! 早く来いよ!」

 スズトの声が聞こえた。両手に三本のペットボトルを抱えて、落としそうになりながら少し急ぐ。早かったところで「遅い」と笑われ、遅ければ「何してたの? 馬鹿なの?」と怒鳴られる。どちらも地獄。おれの居場所はここじゃないのに、それだけはわかっているのに。

「あ、ちょ、ちょっと待ってね、ごめん」

 それでも従わなくてはならない。

「はい、これがリョウタのコーラで、こっちがスズトの無糖コーヒー。で、最後がハヅキのりんごジュース」

 でも、どうしておれはこんなクズに従っているのだろう。いつからこうなったのだろう。だって初めはただ気の弱いおれを気にかけてくれたリョウタに尊敬してついて行っていただけなのに。どうして主従関係ができたのだろう。おれは、どうして奴隷になったのだろう。

「おっ。サンキュー、タカオ!」

 今日こそは勇気を出して聞いてみる。

「ね、ねえ、お金って――」

「おいハヅキ! 今日お前の声聞いてないぞ?」

「……うるさいなぁ、リョウタは」

 やっぱりこうなるんだ。おれのことはただのパシリとしか思っていなくて、面白い玩具でしかなくて。この社会の中では、おれには人権がないのだ。

 放課後、おれは死を覚悟であいつらに本音を言ってみることにした。たぶん意味はないだろうが、おれの気持ちを知ってくれるだけでいい。それから思い切り裏切ってやれば、これでお前らがおれの玩具になるんだ。

「あ、あの……さ」

「おやおやぁ、タカオくん、今日も小さいですねぇ?」

「おいリョウタ、良くないぞ。まだタカオくんは小学生なんだからさ?」

 いつものいじりだ。こんなに真面目なことを話そうとしているのに、どうして雰囲気で伝わらないのだろう。この馬鹿はおれのことを本当に理解していない。どうしてこんな奴ら程大切にされるのだろう。おれの方がよっぽど良い人間なのに。

「——その、それもおれ、ホントは嫌なんだ」

 やっと気付いたのか馬鹿どもは黙って、歪んだ苦笑いを見せた。どうしてまだ笑っているのだろう。おれはお前のその顔が嫌いだし、その考え全てが憎い。殺してしまいたいくらいに。

 どうせ今日もまた同じように笑ってくれるとでも思っていたのだろうが、おれはもうその手には乗らない。お前たちの思い通りに行かせない。おれはおれだ。お前たちと対等な人間なんだ。

「パシリみたいなこととかさ、金貸しても返してくんないし、それにチビいじりも。殴ったりとかじゃないからこそ、タチ悪いと思う……んだよね」

 口を開けたまま閉じないリョウタは滑稽だった。考えたこともなかったらしい。おれに嫌なことがあるだなんて、初耳なんだろうな。おれは何でもかんでも受け入れてくれる、面白い玩具だもんな。

 スズトも同じだ。だけど、ハヅキだけは違った。「俺は関係ない」みたいによそ見をしていた。お前も同罪だろう。お前だけはわかっていると思っていたのに。おれが辛くて苦しくて死にたいって、わかっていると思っていたのに。いや、きっとわかっているんだ。わかった上で、関係ないと思っているんだ。

 何だよ、おれに助かる道はどこにもなかったのかよ。

「これってさ、いじめ……じゃないの」


 訳がわからない。どうしておれの本心を聞いてもまだ「あれは冗談だ」とか「あんなの本気じゃない」とか言えるのだろう。狂っている。苦しんでいる人間がいることを理解していない。世界は自分を中心に回っていると思っているのだろうか。

 ずっと前から準備していた縄をタンスから出す。

 この部屋を見渡してみれば悲惨なものだった。あいつもここに来たらわかるんじゃないかな。おれの苦労と辛さが。

 あの日、母が父を殺した日。あれからおれたち家族の時間は止まっていた。赤黒く染まった畳、放り投げられたままの錆び付いたナイフ、倒れているクソ親父。母は自殺した。弟のふたりは親戚に預けたし、妹は家出をしたまま帰って来なくなった。もうここにはおれしかいない。

 天井に取り付けた縄を見て、頷く。これでおれも逃げられる。これでおれも開放される。大好きだった母にも会える。たぶん。

 縄に首をかけて……。

 いや、その前にすることがある。

 おれはスマホを取り出して、リョウタに電話をかける。それから「決めたよ」とひとつ、ふたつ。

『なあ』

『なあ』

 おれはさ、どうしたらお前たちと対等になれたかな。呟いてから雷の音を聞いた。

 これで終わらせる。これで終われる。おれはもう大丈夫。だってあれの準備もしたし、きっとあいつらは泡を吹いてびっくりして、最後には死を選ぶ。

 おれと同じく、首に縄をかけるんだ。

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破れた青春の一ページ たぴ岡 @milk_tea_oka

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