Episode 6

 息を呑む音が、やけに大きく響く。それは光への驚きか、或いは目の前の怪異故か──。

 見開かれた瞳が、揺れている。

「……エルダイン、さま?」

 震える声が戦慄く唇から漏れる。

「エルダインは、故郷での名だ。人の世では、グレーザーと名乗っている」

 淡々と、彼は告げた。

「……グレーザー、さま? ……あの、蒼月騎士団の、竜騎士……」

「ああ。竜人と知られたくなかった故、名を偽った。すまない」

 ソフィアは目をはっきりと開いたまま、固まってしまった。その視線が痛い。

「エルダインさま……いえ、グレーザーさまが、治してくださったのですか?」

「さあな」

 肩を竦めた。しかし、彼の無表情も、流石にこの奇跡を偶然として誤魔化すには無理がある。目を開けろと言っている時点で、怪しいに決まっている。

「絶対に、そうです……私だって、誰もいないときに、目を開けてみることはありますもの。ついさっきも……そのときは、見えませんでしたもの」

 グレーザーにも、何が何でも自分の仕業ではないと言い張る気はなかった。他人に知られさえしなければ、良いのである。

「人には言うな、何度もできることではない。医者に仕立て上げられたら、困るのだ」

「はい。……見えます、夢みたい……」

 ソフィアは未だに信じられないといった様子で、ぱちぱちと目を瞬かせている。何度瞬いても、暗闇は訪れない。

「もっと早く治して差し上げるべきだった。騙していて、すまなかった」

「騙していただなんて、そんな。何とお礼を言ったらいいか、わかりません」

 今や、ソフィアの顔から憂いの色は完全に消えていた。青白かった顔も血色を取り戻し、薄く染まった頬はこの上なく愛らしく、薄幸そうな面影はどこにもない。幸せな一人の少女の笑顔だった。

(これで、良い)

 言おうと思っていたことは、他にもあったはずだった。だが、一刻も早く彼女の視界から消えたいという思いで、彼の心は破れそうになっていた。

「……それでは、俺はこれで。……幸せに、なってくれ」

 心做しか、声が硬くなった。立ち上がり、彼女から視線を引き剥がしてきびすを返しかける。

「えっ?」

 グレーザーが寂しそうに、と言うよりは痛みを堪えるように笑ったのがちらと見えた。まるで、これが最後だと言うようだ。

 歩き去るグレーザーの手が、ドアノブに掛かる。

「待ってくださいっ」

 思わず叫んだ。

 彼は逡巡の後、振り向いた。ソフィアがベッドから降り、彼の方に向かおうとしてよろめくのを見て、慌てて駆け寄って支える。

「どうしてですか。もう、お会いできないのですか」

「ああ。俺はもう来ない」

 静かに答える声は沈痛な響きを隠し切れていない。問い詰めるソフィアの声も、また。

「どうしてですか……戦いですか?」

 ソフィアの目に、涙が浮かび始める。グレーザーはそれを敢えて見ていない。

「いや、戦ではない。恋人でもない、貴女が疎ましくなった訳でもない……ただ、貴女の幸せのために」

「どうしてっ……」

 グレーザーは一瞬言葉に詰まる。が、吐き捨てるように言い返す。

「貴女の美しさが憎い。俺とは違って美しい貴女を見ていると胸が灼ける。見てみるがいい、己の姿を」

 細い肩を掴んで、窓の方を向かせる。硝子に映った二人を、激しい厭悪の焔を宿した瞳でグレーザーは睨み据える。

「美しいものを見て貰いたくて、治したのだ。決して俺の姿を貴女の瞳に映したくて治した訳ではない。……見ないでくれ、頼むから」

 爪が食い込みかけて、彼女の肩から手を離す。代わりに握り締めた拳が震えた。

 ソフィアが俯いている。黙り込んでしまった彼女の顔は見えない。

(これで、いい────)

「嫌ですっ」

 いきなり怒鳴られて、グレーザーは面食らった。このか弱い少女から、そんな大声が出るとは思わなかった。

「それがどうして私の幸せになるのですか」

「俺といれば、不幸になる。弾かれ者の俺といれば、世に誹られる」

「……そんなの、今に始まったことではないです」

 拗ねたようにソフィアは呟いた。

「前、両親が話しているのを聞いてしまったことがあるんです。お母さまが、私の将来を案じて、どこかの貴族の子弟に縁談を持ちかけたらしくて……目が見えなくて身体も弱いような女の面倒は見られないって、一蹴されたらしくて」

(どこの誰だ、そんなことを言った奴は)

 彼女はそれを聞いたとき、どれだけ傷つき、生きていく希望を奪われたことだろう。グレーザーには良く分かった────社会の不適合者としての、その痛みが。

「私、その話を立ち聞きしてしまったって、後でお母さまに打ち明けたんです。そうしたら、きっとどこかに、あなたのことを好きになって、一緒に生きていってくれる人はいるって……だから、信じて待ちなさいって。お父さまも、お前の代わりに必ず見つけてくるから、待っていなさいって」

 電撃が走った。──アーノルドはあの日、初めからそのつもりで彼をソフィアに会わせたのではなかろうか。

「……それが俺だと、貴女は思うのか」

「はい」

「…………」

 その想いを、受け入れなければならない気もする。しかし、目が見えるようになった今、彼女が人に疎まれる理由はどこにもない。身体の調子もすぐに良くなるはずだ。伴侶など、幾らでも見つかる。

「竜人だって人間だって、同じですよ。両方初めて見るんですから」

 グレーザーの迷いを見透かして、言い聞かせるようにソフィアは優しく言う。

「しかし、俺は……」

「醜いとは、思いません。それに、あのとき仰ったじゃないですか……見えるものだけが全てではない、と」

 真っ直ぐ自分を見つめてくる、澄んだ瞳にはっとした。

 恐れ気も、蔑みもない。ただ素直な、美しい目。全てを受容する広さを持ち、慈愛に満ちた、母なる大海の青──。

「私の、竜騎士さま」

 小さな手が、竜人の誇りとも言うべき角に触れる。苦しさが、すっとほどけて消えていった。彼という存在が、許された瞬間だった。

「……もう一度、海に連れて行ってくれませんか」

「……ああ。何度でも」

 きらきらと輝く宝石のような涙を零しながら笑うソフィアの、今まで見た中で一番美しく、愛しい笑顔が霞んだ。

──払うことになった代償も全く、惜しくないと思えた。


「おいおいグレーザー卿よ、お主、とんだヘタレじゃねぇか」

 後日、ソフィアと出会ってからの経緯を、他の騎士団長たちに語る羽目になったグレーザーであった。

「そのお嬢さんもお嬢さんだよ。二人ともおんなじこと輪っかみてぇにグルグル考えてて、しかもそれが噛み合ってねぇじゃねぇか。繋がるための切れ目がなきゃダメだろうが、継ぎ目を閉じるのは繋がった後だよ」

「……」

『恋愛には全く縁のなさそうな騎士の代表格』であったグレーザーだが、実はそんなこともなかったというのが噂になり、嵐のような質問攻めに遭ったので仕方なく語ったのだが、いざ話してみれば怒濤の批評である。

「しかもあんた、相手のためと言いながら相手を泣かせてるじゃないか。酷い奴だ」

「鈍感にも程があるわ、間抜け」

 皆、笑いながら口々に言ってくるが、内容は全く遠慮がない。

「そうか……後で謝っておく」

 率直すぎる、手厳しい言葉をそれは沢山投げつけられ、少々落ち込むと同時に、反省した彼であった。

「でも結局は得してやがる。どういうことだよ、おい? 試合だ。腹が立つ!」

「……逆恨みと言うのではないか、それは」

 ぼそりと呟くグレーザーに、どっと笑いが起こる。

「うるせぇ、早くしろよ! たったの一戦だろ、相手してくれよ」

 血気盛んな奴らはこれだから困る、と溜息をつきながら剣を取る。

 こうして騒ぐ同僚たちができたのも、喜ぶべきことではあった。


 数十合打ち合った後に相手を下し、剣を収めて息をついた。

「やっぱり敵わねぇな。諦めもつくわ……しかしグレーザー卿よ、嫁を貰って腕がなまったか? いつもの切れがないぞ」

 からかわれたグレーザーは、穏やかに笑って言った。


「何、目が半分見えなくなっただけさ」





[完]


お読み頂きありがとうございました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

竜騎士の願い 戦ノ白夜 @Ikusano-Byakuya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ