瓶の虚空、閉ざされた星空を往く船に。
雨色銀水
虚空を往く船
瓶の中に、夜の空を描き出し、その中に船を浮かべよう。
そうすれば、ほら。まるで瓶の中は、閉じ込められた宇宙に見えるだろう?
かつて父は、星空を見上げながらそう言って笑った。
私は、船の甲板から夜の空を見上げていた。そうして思い出すのは過去の記憶ばかり。
私は傍らに置いたボトルシップを見下ろした。これは夜を行く船、あるいは宇宙戦艦というべきか。どこにでもある小さな瓶の中に作り上げられた、仮初の宇宙に浮かぶ船だった。
その透き通る表面を一撫でして、私は背後を振り返った。そこには無数の星々と、幾千もの銀河が輝いている。そこには閉じ込められた瓶の中と同じように、無数の星が煌めきを放ち続けていた。
「船長、時間です」
かちり、と、何かが音を立てた。ゆっくりと顔を下げると、数歩先に部下が立っている。彼は皺の刻まれた顔に笑みを浮かべ、そっと手を差し出した。
「別れの挨拶は、済みましたか」
差し出された手には、古めかしいリボルバーが握られていた。かつて、私がこの海を渡ると決めた時、共に歩む誓いとともに彼と交わした銃だった。
苦難の時も、試練の時も。私たちの誓いの証であった『それ』が、他でもない自分に向けられている。
それがひどくおかしくて、私は声を立てて笑った。
「裏切りの味は、その飴よりも甘かったかしら?」
彼は、わずかに頬を歪め、口に含んでいた飴を吐き出した。
私の船『ウィステリア』は今日、乗っ取りにあった。どこかで今も、激しい銃撃の音が響いている。だが、それもいずれすべて絶えてしまうことだろう。
私は、敗北した。他でもない、長き時を共にした――最良の相棒の手によって。
「裏切りなどとは、そんな風に考えたこともなかったですよ」
今更のように、彼は苦い笑みを浮かべた。吐き出された飴は、小さな音を立てて転がり、私のボトルシップのそばで止まる。彼の黒い瞳は、かすかに輝く瓶の宇宙を見つめていた。
「ならば、どうして? なぜ、私たちを殺そうとするの」
「それは、あなたの方がよくご存知でしょう」
男の顔に淡い笑みが浮かぶ。光を失った瞳が、真っすぐに私を捉えた。
「この船は、閉ざされた世界を漂っている」
かちり、撃鉄が上がる。彼は寂しげにこちらを見つめた、
どうして? 唇は乾ききったまま、言葉を発する前に音を失った。その意味を、私は痛いほどに『知っている』。
「あなたを殺せば、この無意味な彷徨は終わるのでしょう? そうなんでしょう? 船長!」
私がみんなをこの世界に閉じ込めたのは、そんな風な目を向けられるためじゃない。
彼の顔に浮かんだのは憎しみ? あるいは哀しみだろうか? 繰り返されるだけの日々は、確実に彼の目から光を奪い去っていた。その事実があまりにも悲しくて苦しくて、私は――そっと、ボトルシップを抱え上げた。
「あなたは、解放されたいのね」
「ええ」
「それがどんな意味を持つのだとしても、解放されたいと願うのね」
重ねて問いかける。彼は私の目をじっと見つめ、深く頷いた。
「はい」
「わかったわ。やりなさい」
少しだけの間。けれど彼はもう、迷わなかった。
引き金に手を添え、私の頭に照準を据える。この距離なら、外すことはないだろう。私は最後に、彼に向かってそっと笑いかけた。
「さよなら――私の宇宙(せかい)」
銃が火を噴く。正確無比の砲火。ボトルシップは床に落ち、ガラスの世界は砕ける。
――そして。
私の宇宙(せかい)は、無へと還る。
了
瓶の虚空、閉ざされた星空を往く船に。 雨色銀水 @gin-Syu
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