妹に「死ね」と言われたので遺書を書いた。
バネ屋
妹に「死ね」と言われたので遺書を書いた。
朝、目が覚め、重い頭を上げてスマホで時間を確認する。
起きるか、と少し自分に気合を入れて、ベッドから起き上がる。
自室から出てリビングを通り、キッチンの食卓に座る母親と妹のミドリに「おはよう」と挨拶をする。
母親は「おはよう」と返事をするが
妹ミドリは「チッ」
返事の代わりに舌打ち
精神的ダメージを負いながらもいつものことなので、特別文句を言うこと無く食卓に着いて朝食を食べる。
食事中は無言。
空気が重いのもいつものことなので、誰も気にしていない。
さっさと先に食べ終えてシャワーを浴びる。
シャワーを終えて脱衣所である洗面所に出ようとすると、妹ミドリが鏡に向かってドライアーを使い髪型のセットをしていた。
お風呂場から顔だけ出してタオルを取ると「死ね」と一言。
コッチが先に使ってたのに後から来てなんて言いぐさだ!と言ってやりたいが、これもいつものことなので、精神的ダメージを受けつつも、グっと我慢で何も言い返さずにお風呂場の扉を閉める。
これが我が家での日常の朝の風景。
妹は僕のことをカタキの様に憎み、二言目には「死ね」と言う。
ここまで憎まれるのには訳があるのだろうけど、正直言って心当たりが無い。
母親にそれとなく聞いてみたことがあるけど、「ただの反抗期よ」と言って、重くは考えていないようだった。
妹とは2才離れており、僕が高校2年で妹は中学3年生。
妹が小学生の頃は、まだ兄として頼りにされていた記憶があるが、中学に入学したころから今の様に憎まれる様になった。
ある日の夜、アルバイトを終えて帰宅中にコンビニによった際に「たまには妹のご機嫌取りでもしておくか」とコンビニスイーツを数種類購入して帰った。
帰宅して、リビングにいる母親に「デザート買って来たから冷蔵庫に入れとくね。ミドリと食べて」と伝えて冷蔵庫にしまっておいた。
翌朝、朝食の時に母親が「お兄ちゃんがミドリちゃんの為にデザート買ってきてくれたから、冷蔵庫に入っているからね」と妹ミドリに伝えると、「うざ。私いらない」と言われた。
いつもならスルーするが、イラっとしたので「わかった」とだけ返事した。
いつもの様に学校へ登校し授業を受けていたら、急にお腹が苦しくなって頭がぐわんぐわんと目が回り出した。
座ったまま倒れたらしく、気がついたら保健室のベッドで寝ていた。
起きたあと、養護教諭に連れられて病院に行ったが、「詳しいことはまだ解らないが極度のストレスによるものではないか」と言われた。
思い当たるのは妹ミドリに対するストレスしか無かった。
この日は早退し、自宅に帰ると、一人自室で大人しく寝ていた。
何時間か眠ったあと目が覚めると喉が渇いていたので、キッチンへ行ってお茶を飲むことにした。
キッチンへ行くと、丁度妹ミドリも帰宅したところで、「おかえり」と言うと「死ね」と言われた。
僕は「わかった」と一言返し、お茶を飲み終えると自室に戻った。
机に座ると新品のノートを取り出し、ページを開いて書き始めた。
◇
家族へ
もう疲れました。
「死ね」と言われ続けて我慢してきたけど、僕の体はもう限界の様です。
お望み通り死ぬことにしますので、後は好きにして下さい。
アオイ
◇
机の上にそう書き残したノートを開いたまま置いて、ノートの上にスマホを置いた。
リュックに下着やTシャツなんかを詰め込めるだけ詰め込んで、財布に全財産入れた。
家の中の様子を伺うとリビングには今だれも居ない様なので、こっそり部屋から出てそのまま玄関から家を飛び出した。
友達などの家だとすぐ捕まりそうなので、どうしたものかと考え、駅に行って電車にのった。
2駅分移動して降りると、コンビニで食事と飲み物を購入し、駅裏にあるラブホに飛び込んだ。
翌日、目が覚めると、シャワーを浴びて、コンビニで買ったおにぎりを食べて、ベッドに横になりながらぼーっとして何もせずに過ごした。
10時前にラブホを出て、マックに行ってドリンクだけ注文し、再びぼーっとして何もせずに過ごした。
昼になり、チーズバーガーとポテトを追加で購入し、昼食を終えると店を出た。
チェーン店の古本屋に入り、文庫本を数冊購入して、今度は喫茶店に入りコーヒーを注文した。
喫茶店では文庫本を読んで過ごし、夕方6時になると店を出た。
再び昨日と同じように、コンビニで食事を購入してラブホに戻った。
5日同じような生活を繰り返し6日目の夕方、ラブホに入ろうとしたところを警察に補導された。
派出所に連行されて、聞かれたことを正直に話した。
名前、年齢、住所、親の名前、学校の名前、いつから、お金はどうした、理由は、等々。
派出所で出してもらったお茶を飲みながら警察官と談笑をしていると、1時間もしないで両親が派出所に現れた。
母親には泣かれたが、特に罪悪感は感じなかったし、涙も出なかった。
家に帰ると、妹ミドリに泣きながら謝られたが、スルーした。
自室に戻りスマホを確認すると、履歴が凄いことになっていた為、うんざりして電源を落とした。
翌朝から「おはよう」と言うのを止めた。
「ただいま」「おかえり」「おやすみ」も止めた。
スマホを持ち歩くのも止めて、ずっと部屋に置きっぱなしにしている。
1週間ほど経つと、夜中に妹ミドリが僕の部屋を訪ねてきた。
泣きながら色々言われたが、聞くのが面倒になって「わかった。好きにして」と返事をしてベッドに横になった。
妹ミドリはまだ何か言っていたけど、スルーしてそのままガチ寝した。
学校では、家出していたことは広まっていたけど、誰もその理由はしらない為、腫物扱いになっていた。
仲の良い友人たちには、親とケンカした、と適当な理由で誤魔化した。
同じクラスで、よくお喋りをする女子には泣かれた。
「何度も電話しても繋がらないし、心配で心配で辛かった」と。
遺書を書き残した話は学校では知られていなかったけど、家出したというだけでもショッキングな事件だったようだ。
そして、何故かその流れから告白されて付き合うことになった。
アルバイト先では、事前にシフトを変わってもらうように連絡していたので、特に問題にはならなかったけど、家出のことは笑われた。
1か月ほどすると、妹ミドリから「おはよう」と言うようになった。
最初、声が小さくて何言ってるか判らなかったが、翌日も同じように「おはよう」と言われて、何て言っていたのか判明した。
僕は目を合わせることなく、スルーした。
母親が小言を言って来たけど、「じゃぁ、「死ね」と返事しましょうか? 「ウザい」「キモい」のがお好みですか?」と返したら、何も言わなくなった。
◇
高校を卒業後、就職の為に家を出た。
アパートを借りて一人暮らしを始めた。
20才の年に、高校から付き合っていた彼女と籍を入れた。
22才で父親になった。
奥さんの家族には良くして貰った。
僕の家族との関係も理解してくれていた。
奥さんが色々と手を回してくれてたらしく、正直とても有難かった。
実家の家族とは、高校卒業以来顔を合わせていない。
相変わらず電話は持ち歩かなかったし、高校卒業後に住んでいたアパートは結婚を機に引っ越ししていたので、家族からは連絡手段が無かったはず。
僕自身も、実家の事を思い出したり考えることは、ほぼ無くなっていた。
生まれたばかりの子供のことや、奥さんのことばかり考えて、幸せな毎日だ。
今ならわかる。
家族と言えども、合わない相手、ストレスを感じる相手と一つ屋根の下、強制的に同居することが、どれほど異常なことなのか。
お互いをキズ付け合い、ボロボロになってまで維持すべき物なのか、いっそのこと離散した方のがお互いの為になること等。
結局、妹が僕のことをあれほど憎んでいた理由はよく分からないままだけど、どうせ大した理由じゃないだろう。
その後、僕が家族たちに対して冷たくしたのだって、大した理由じゃないし。
お終い。
妹に「死ね」と言われたので遺書を書いた。 バネ屋 @baneya0513
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます