海苔巻きせんべい

「海苔巻きせんべい、だぁい好きっ!」


 何度もその言葉が聞こえた。ボクは何度もそれを聞いた。遊園地の音やカフェの音、聞いていて気分のいい毛布の音が川となって、その言葉が流れてくる。ボクはその言葉、そしてその声を何度も聞いていた。


 ボクは…海苔巻きせんべいだ。


 はじめは、ボクが自力で動いたことに、目の前にいる女の子は驚いていた。でもこの女の子は怖がりもせず、むしろ喜んでいた。ボクが何か喋ると、女の子は「きゃー!」と笑顔で甲高い声を出し、パチパチと手を叩く。黄色と白のスティックライトを、左右に振ることも多々あった。

 この女の子の名前は、相模原さがみはらだ。


 お互いを知って数日後。

 ボクの海苔巻きせんべいという名前は、呼ぶにしては長すぎるからと、相模原ちゃんはボクに”せんべい君”という名前を付けてくれた。ボクはそれが嬉しかった。本当に嬉しかった。

 自分がお菓子であり、人間にとってお菓子というのはなんなのかも、ちゃんと理解していた。お菓子というのは嗜好品であり、楽しむために食べられている物なのに、相模原ちゃんは自分を、まるで人間のように、いや人間以上の存在として扱ってくれた。お菓子としての役目もちゃんと分かっている。美味しく食べられることが、お菓子にとって名誉であることも分かっている。

 けれどボクは、ボクをここまで愛してくれる相模原ちゃんに、恋の気持ちが芽生えていた。


「ねえ、相模原ちゃん!今日も、子守歌歌ってよ!」

「えぇ~?仕方ないなぁ~」

「やったぁー!」

「それで、今日はなんの子守歌にする?35曲目の子守歌が好きなんだっけ?」


 毎晩、彼女はボクのために、ボクを包む高級な毛布を優しく愛撫しながら、癒される声で子守歌を歌ってくれた。おかげでボクもぐっすり眠ることができ、毎日を幸せなまま終えることができた。

 四六時中、相模原ちゃんはボクに夢中だった。学校にボクを連れて行くことは出来なかったけど、朝や夕方、夜といった学校のない時間は、ずっとボクの相手ばかりしていた。勉強といった、彼女だけの時間は、ボクが寝た後だった。ボクがいる時間は、常にボクのことばかりだった。

 ボクの生活も、相模原ちゃんの生活も、お互いのことでいっぱいだったんだ。


 週末は、ボクを連れていろんなところに行った。遊園地やカフェはもちろん、ボクが自我を持ってからは、ショッピングモールや夜景スポットにも足を運ぶ。ボクらはまるで、恋人同士のようだった。

 ボクは彼女とキスもした。菓子袋の外側だから、ボクにとってはあまり意味のないことだけれど、相模原ちゃんはとても嬉しがっていた。ボクは嬉しそうな相模原ちゃんを見るのが大好きで、キスはボクをも嬉しい気持ちにさせてくれた。

 相模原ちゃんが好きすぎて、ボクの胸が痛くなることも多々あった。溢れ出るこの恋の気持ちが、胸の中でボクの心を弄ぶ。彼女の顔を見るたびに、もっと彼女に近づきたくなる。彼女の全てを手に入れたくなる。


 ボクは彼女が好きだ。ボクは更に知りたいんだ。彼女が学校でどんな生活をしているのかも知りたかった。相模原ちゃんに好意を寄せている男がいるのかも知りたい。そんな男は、絶対にボクが……。


 ボクはこっそり相模原ちゃんのバッグにしがみつき、学校で相模原ちゃんを見ていた。真面目に授業に取り組んでいるその姿に、ボクは再度惚れた。授業が終わってからの休み時間、幸いなことに、彼女に寄ってくる害虫はいなく、彼女と干渉してくるのは、ほんの数人だけの女友達だけ。その後も彼女ばかりを見た。1時間目から6時間目まで、ずっと相模原ちゃんのことばかり見ていた。

 放課後は、図書室に寄ってから帰るらしかった。


「これ返します。お願いします~!」

「『金貨一枚』の前編と後編ですね~…」

「ありがとうございます…!」


 彼女は2冊の本を司書に返し、近くの本棚で新しい本を探し始める。たくさんの本を目の前に「うぅーん…」と唸って、どれを借りようか悩んでいた。しゃがみこんで太ももに頬杖をつく、制服姿の相模原ちゃんよりも美しいものが、この世にあるだろうか。

 海苔巻きせんべいのボクがこんな感情を抱くのは変だけど、彼女に対する好きという気持ちが、今爆発するかのように増えていくのをしっかりと感じた。

 その時だった……。


「雪屋敷…ゆ…ゆ…。あ、いや、作者名だからか。ろ…ろ…」


 この図書室にもとからいた1人の男が、本を探して相模原ちゃんに近づいてき、そして、相模原ちゃんに気付かず、しゃがんで本を探す相模原ちゃんに足がぶつかってしまった。

 ボクは激怒する寸前だった。思わず「ボクの大切な相模原ちゃんを蹴るな!!!」と叫び、この害虫この男の顔に体当たりをしようとしてしまった。でもそれは相模原ちゃんの迷惑になりそうだからと、必死になって自分を抑える。今でしゃばったら、相模原ちゃんに軽蔑されそうで怖い。彼女が舌打ちをしながら、ボクをポキッと折ってゴミ箱に捨ててしまうと思うと、ボクは身を震わせ、攻撃しようにも彼を攻撃をすることが出来なくなった。

 本当は、今すぐぶん殴りたいのに……。


「あ、ごめんごめん!本探すのに夢中になって、気付かなかった…!」

「いやいや、私こそごめんね!邪魔なところにしゃがんじゃって!」


 相模原ちゃんを謝らせるなんて、なんて許せない害虫この男なんだ!!

 相模原ちゃんはすぐさま立ち上がり、害虫この男と目を合わせる。


「あれ、その声…。もしかして、相模原?」

「そうだよ!高校に入学して数か月しか経ってないのに、もうみんなの名前覚えたの…!?」

「ううん、君って放送委員だろ?声よく聞くもんだから」

「あぁ~…」


 人の女と勝手に喋んな…!!

 でも、相模原ちゃんはお昼の時間に教室から出ていき、他の部屋に入っていった。その数秒後に、相模原ちゃんの声が天井から聞こえたのも、忘れるわけがない。

 真面目にやるべきことをやっているなんて、本当に感激だなぁ…と、その時ボクは感心していた。


「俺、世ノ本ね」

「世ノ本君か…!よろしく~!」


 世ノ本はそう言って、相模原ちゃんに向かって微笑みかける。

 相模原ちゃんのその時の顔。見惚れているかのような、恋するかのようなその顔は、数日経っても頭から離れなかった。

 ショックだった。ボクという存在がいながら、いけ好かないただの男に、恋するような目を向けるなんて。海苔巻きせんべいというのはただのお菓子で、ただの嗜好品にすぎないけれど、ただ食べられるだけのお菓子にはもう戻れない。彼女に捨てられたかのような気分だった。本当に、怖いんだ。


「ただいま~!」

「お、おか、おかえり~!!ま…ま…!待ってたよぉぉー!!」


 普段のテンションを演じるのが苦痛ですらあった。声を震わせずにはいられなかった。目の前に世ノ本がいる相模原ちゃんを見てから、ボクはずっとこんな状態だった。


 忘れろ…!!忘れろ…!!あれは悪夢だ!今までずっとボクにばかり夢中だった彼女が、今更1人の男に溺れるわけがない!!


 ボクの心の中は、それを繰り返すばかりだ。


「ねえ、せんべい君」

「どうしたの?相模原ちゃん!」

「もし、私がほかのお菓子を好きになっちゃったら~?」


 相模原ちゃんは、あれから数日経ったここ最近に、そんな質問をしてくるようになった。


「そんなことあるわけないよ!」


 ボクはそう言った。そして分かっているよ。君の言っているそのお菓子は、ボクらのようなただのお菓子じゃない。世ノ本のことだ。相模原ちゃんは世ノ本のことを言っている。相模原ちゃんが世ノ本のことを好きになるわけがない。絶対に。


「絶対に!!」


 絶対に!!


 他の日も、同じような質問をされた。


「もし、私がほかのお菓子世ノ本君を好きになっちゃったら~?」

「そんなこと…ありわけないよ…!!」

「えぇ〜?ほかのお菓子世ノ本君も食べてみたいのに〜」

「絶対に!!」


 毎日そんな会話そんな会話をした。ボクはそれを訊かれる度に、相模原ちゃんが世ノ本と付き合うことはないと信じ、同じ反応ばかりをした。彼女はそれに飽きたのか、そんな質問をすることはなくなった。


 1年経った。

 1年の間に、いろんなことが起きた。相模原ちゃんのボクへの愛の色は、薄くなっている。前はボクのことばかり気にしてくれていた彼女だったが、今はボクから遠ざかるように感じた。避けているでもなく、彼女とボクは自然と会話をしなくなった。

 まだ、ボクを高級な毛布で包んでくれるけど、子守歌を歌うよりも先に、携帯でファッションについて調べるようになった。それを実践することも多い。いろんな道具で、自分の顔を変えるメイクというのも増えた。

 次に相模原ちゃんは1人で出掛ける機会も増えた。そして、帰ってくる度に、相模原ちゃんのどこかに変化がある。髪型が短くなっていたり、肌が前よりも白くなっていたり。もともとブレザーを着ていた相模原ちゃんなのに、今はセーターやベストをよく着るようになった。


 おかげで前よりも可愛くはなったけど、相模原ちゃんとは別人のような可愛さだった。それは、相模原ちゃん本人が持つ輝きに、邪念が覆いかぶさってくるようだった。その邪念は美人だ。美人で、可愛くて、どす黒いピンク色のオーラを放っていた。


「あっ、もう行くの?いってらっしゃー……」


 ガチャンッ!!


 ある日、相模原ちゃんはボクに「行ってきます」を言わなかった。ボクはその場に立ち尽くすだけであった。


 その日はいつも以上に帰るのが遅かった。ボクが相模原ちゃんの学校での様子を見に行った日から帰るのは遅かったけど、今日はいつも以上に帰ってくるのが遅い。たった1人の時間が増えるのも慣れたもんだと思っていたけれど、ボクはやっぱり慣れていなかった。


 午後6時。

 相模原ちゃんは部活に入っていない。もはや、自分から迎えに行かないといけないと思った。相模原ちゃんに嫌われてしまってもいいから、とにかく相模原ちゃんの安否を確認したかった。

 ボクは窓から外に出る。今自分が出せる全力で、相模原ちゃんの通学路を走る。幸いなことに、その道に人はいなかった。

 ある時、道を間違えて、全く違う場所に来てしまった。車道の幅がとても広い大通りに出た。そこにも人はいない。

 でも、ボクの後ろには人がいた。


「相模原じゃん」


 ボクはその声を聞いて、バッと後ろを振り向いた。

 そこにいたのは、ボクの真上を見る世ノ本だった。


「どこに…相模原ちゃんが…いたの?」

「えっ?いや、俺の目の前にいんじゃん。でもおかしいな。最初に図書館で会った時と、同じ見た目だ。ブレザーで、長い髪。メイクも違うように感じる」

「いいや、ふざけるなよ…。嘘つくなよ!!!」


 ボクは思わず叫んだ。今まで出したことのないような怒鳴り声だった。


「きゅ、急にどうしたって!相模原、何をキレてんの?」


 世ノ本は何を言っているのか、ボクには分からなかった。でもまぁ、ついでに丁度いいか…。

 世ノ本と話す機会なんて、これが最初で最後だ。相模原ちゃんにはボクがいる。それをしっかり思い知らせてやらないといけない。


「相模原ちゃんにはボクがいるから…」

「だからッ」

「相模原ちゃんにはボクがいるから!!勝手に手を出してくるな!!!」


 ボクは思わず浮き上がった。ボクの目の前に、世ノ本の顔が映る。こうして見てみると、世ノ本は整った顔をしているのが分かった。相模原ちゃんではなくとも、女性を惚れさせるのは容易だろう。


「…俺の目に映るのは相模原だ。君が自分を相模原じゃないと言うなら、君は誰?」

「…ボクは海苔巻きせんべいだよ。信じてはくれないだろうけど」

「相模原の大好物かぁ…」


 その時、世ノ本はニヤリと笑って、こっちに近づいてきた。


「短い髪が、すぐに長くなるかい?いいや、ならない」

「は、はぁ?」

「もし君が本当に海苔巻きせんべいなら、きっと俺は、君の中身を見ていると思うぞ」


 世ノ本はボクに手を伸ばしてきた。

 ボクはその手をどかそうと、体当たりをしようとした…………つもりだった。


 ◆◆◆◆


 この感覚は、人間じゃないと感じれない。お菓子が感じれるほど、単純な感覚じゃない。


 ボク…ボク…いいや…は…。


 この世に戻った。ううん、お菓子から人間に戻った。海苔巻きせんべいの呪いから解放された。私の名前は、相模原さがみはら


「はっ……!!」


 世ノ本君が私の顎をクイッと持ち上げていた。

 人間だった時の長い記憶が、私の頭をこじ開けて入ってくる。今までの思い出を全部、今ここで、1秒もかからずに思い出した。その瞬間に私の体が元に戻った。長い時間を、海苔巻きせんべいとして過ごしてきたんだ。

 今の私には、私の記憶とせんべい君の記憶の2つがある。


「やっぱり、君は海苔巻きせんべいじゃない」

「…あはは、ごめん。私は相模原だよ。さっきのは忘れちゃって!」


 世ノ本君の一言に苦笑する私。やっぱり、人間のほうが生きてる気がして気持ちが良かった。


「だが、君がさっきまで海苔巻きせんべいだったのは信じてる」


 世ノ本君はそう言って、私の足元を指さした。そこには、今まで何度も見てきた袋が落ちていた。これは、海苔巻きせんべいの菓子袋…!!

 さっきまでは明らかに落ちていなかった。落ちていれば、せんべい君だった時に気付くはず。でも、私が人間になってから、ここにせんべい君の菓子袋が落ちている。


「でもなんで、せんべい君だった時の私が、人間の相模原に見えたの?」

「え?あぁ、そんなの簡単だろ」

「教えてよ!本当に分かんない!」


 すると、世ノ本君は1歩後ろに下がって言った。


「俺は、呪われたお姫様を救う王子様だからな」


 意味分かんないカッコよさに、私は思わずふふっと噴き出す。世ノ本君は、こんなこと言う人だったんだ。タイプの女性とかは知ってるのに、なんでこんな単純なことは知らなかったんだろう。


「なにそれ、ロマンチック」


 私達は互いの顔を見て、もう1度笑った。


 ◆


 さっきまでせんべい君だった私はここにいる。ならば、ボクを買ったが本当のせんべい君のはずだ。

 あの時の記憶を鮮明に思い出す。せんべい君に復讐される私が帰ったのは6時30分。そして今は、6時20分!


 人間に戻った私が、人間と化しているせんべい君に復讐する!!


 私は予備の鍵を使って家に帰ったが、せんべい君相模原ちゃんはまだ帰っていない。それを確認し、玄関の靴箱の真下に頭を置いて寝転がった。


 ガチャンッ!!


 家のドアが開く。


「あれ?せんべい君?」


 ただいまも言わず、せんべい君相模原ちゃんは帰ってきた。きっと、ボクが「待ってたよー」って言いながら迎えに来てくれると思ってたんだろうな。

 そして、やっぱりせんべい君相模原ちゃんは、ボクが海苔巻きせんべいに見えているんだ。そりゃそうだ。もともと私はそう見えたのだから。

 それが確認できれば、さっさと終わらせよう。私はせんべい君になって、あの時を繰り返すんだ。


 ボクは下駄箱の上にある家の鍵を、床に落とした。


「せんべい君……かな…?」


 玄関の明かりがつく。せんべい君相模原ちゃんボクを見て、海苔巻きせんべいが落ちていることに気付いた。


「あ、せんべい君相模原。こんなところにいたんだー」

「…………」

「そういえば、今日は1日だよね。食べて、新しいの買おうか」

「…………」

「楽しみだなー。せんべい君を食べるの」

「………なんで」


 せんべい君相模原ちゃんには聞こえないように言った、小さな声。


「ん?せんべい君?何か言った?」


 突然、ボクがその場でガタガタと動いたから、せんべい君相模原ちゃんはちょっと驚いていた。様子が変だ、なぜだろう、とか思っているのかな。


「ねぇ…なんで?」

「んー?何がー?」

「今までボクに言ってくれた言葉は…全部嘘だったの?」

「嘘じゃないよ。なんでそうなるんだよー」

「君はボクじゃなくて、あの男が好きなんだね」

「えっ…?」


 バァン!!


「うわぁっ!!」


 私は勢いよく起き上がった。せんべい君相模原ちゃんには、せんべい君が浮いているように見えているはず。


「え…?せんべい君、なんで宙に浮いてるの…?」


 せんべい君相模原ちゃんは私にそう訊く。海苔巻きせんべいは、今までせんべい君相模原ちゃんの前で宙に浮いたことはなかった。

 でもボクは一切何も答えず、喋り続ける。


「そうなんだ。君はそんな人なんだ。初めて知った。いやいや、前から薄々気付いてた」

「え?ど、どういうことなのせんべい君相模原!」

「あの男!!!!君はボクじゃなくてあの男を選んだ…」


 ボクは、今出来る限りの怒鳴り声でそう叫んだ。

 せんべい君の正体は私だから、せんべい君は世ノ本君を知っていた。あの時はおかしいと思ったけど、ちゃんと繋がってたんだなとしみじみする。


ボク、見たんだ。全部理解した」

「何を見たの…?何を理解したの!?」


 せんべい君相模原ちゃんが強気で怒鳴る。


「最近、君はボクに適当になってきたんだ。なんでかな?それは、君があの男に夢中になっているからでしょ?」

「なんでそれを知ってるの…?君が私の人生の支えになるとでも思ってるわけ!?」

「…そうだよね。お菓子は人の人生そのものを支えることはできない。ただ、少しの時間の幸せを作れるだけ」

「なら、私のことなんて放っておいていいじゃん!!これでも、私はせんべい君相模原にたくさんのことをしてあげたんだよ!?それだけでもいいじゃん!なんで私を自分のものにするわけ!?」


 せんべい君相模原ちゃんは出来る限りの声で叫んだ。でもボクは、混乱せずにそのまんま平然とする。


「うん。じゃあ、なんで?なんで君は、お菓子なんかに、そこまでいいことをしてきたの?」

「なんでって、それは私がせんべい君のことが好きだから…」

「好きなら、適当に放っておいちゃ駄目だよね??」

「…!!」


 頭をガツンと殴ってやったような気分だった。せんべい君に勝ったような気分だった。

 わーるい顔で勝ち誇ったように、私は目の前にいるせんべい君相模原ちゃんを見下した。


「…お前のこと、すぐ食ってやる!!」

「無理だよ」

「食う!!食う!!」

「さんざんボクをほったらかしにして、終わりにしたかったら食べる?もう君が食べる海苔巻きせんべいはないよ」

「絶対に食べる!!食ってやる!!私の胃の中で、大人しく消化されてろ!!」


 せんべい君相模原ちゃんは家じゅうを散らかして、ボクを掴もうとした。

 でも、せんべい君相模原ちゃんははなかなかボクを掴めない。ボクの言う通り、せんべい君相模原ちゃんが食べれる海苔巻きせんべいはもうないのかもしれない。


「君は本当に自分勝手だ…ため息が出るよ」

「うるさい!!」

「そんなに食べたいなら、自分が海苔巻きせんべいになったら戻ったらどう?」

「はぁっ?」

「好きだと言われたのに適当にされたこの屈辱、ボクは君に味わせることができるんだよ?」

「…やってみなよ。出来るなら」


 せんべい君相模原ちゃんにはもう、生きる気力すらなかった。

 私はせんべい君相模原ちゃんの顔に思いっきり手を突っ込む。すると、私の手には小さな菓子袋を握る感覚があった。何度も触ったこの感覚、やっぱりそうだ。

 その菓子袋に入ったお菓子を、少し乱暴に取り出す。その瞬間、私の目の前に映るせんべい君相模原ちゃんはパァッと消えていった。


 私は、自我のないただの海苔巻きせんべいせんべい君を持っている。


 ◆


 私はあれからずっとそこに立ち尽くしていた。

 そのまま「疲れたー」とか言いながら、海苔巻きせんべいを片手に伸びをする。伸びをして気が付いたが、私は結構、肩が凝っているようだった。それも仕方がない。ずっと呪われていたら、肩くらい凝る。

 さっさと、このお菓子をゴミ箱に捨ててしまおうか。私はそんなことを考えながら、ゴミ箱へ向かったが、それはなんだか気が進まなかった。


 せんべい君の記憶も持っている私だ。流石に、せんべい君を捨てて、早く髪を切りに行こうとするほど無神経ではない。今は、せんべい君が私に怒った理由も分かる。胸が痛くなって、意識せずとも、せんべい君に対する申し訳なさが体の隅々に行き渡る。


 私はせんべい君の菓子袋を開け、黒と茶色のそのお菓子を口に運んだ。


 醤油味のせんべいが海苔とマッチし、海苔巻きせんべいだけが持つ味わいを引き出していた。

 食べた途端に、涙が頬を伝う。せんべい君の走馬灯がよぎる。せんべい君に高級な毛布をかけてあげたこと。せんべい君と1日中笑い合って話したこと。せんべい君の菓子袋に、私がキスをしたこと。せんべい君がしたことは、全て今ここで見えた。

 大声を出して泣いた。世ノ本君に尽くした自分が馬鹿みたいだった。自分が世ノ本君に熱中しているなか、せんべい君はずっと1人寂しく私を待っていたんだ。それを考えるだけで、私の「申し訳ない」という気持ちと涙は、ただ増える一方だった。


 髪が急激に伸びるのは不自然だから切ったけど、メイクはやめた。タンスからブレザーを取り出し、セーターとベストをしまった。せんべい君の思いは大事にする。せんべい君のためにも、私はせんべい君が好きだと言った時の私を貫いて生きていく。

 海苔巻きせんべいに復讐される?うん、確かに復讐された。けど悪いのは私だから。


 私の名前は相模原さがみはら。もう、何にも惑わされない。何にも呪われない。


 ………せんべい君、美味しかったよ。




 【完】

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海苔巻きせんべいに復讐される。 Liam @LiamAlexander10281376

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