海苔巻きせんべいに復讐される。

Liam

相模原

『私…世ノ本君が好きなの!!』


 図書室で言ったその言葉が、私の人生を絶望に変えた。


 ◆


「ねぇ…なんで?」


「今までボクに言ってくれた言葉は…全部嘘だったの?」


「君はボクじゃなくて、あの男が好きなんだね」


 あのお菓子の声が、ずっと頭の中に響く。頭痛もする。吐き気も、目まいも。

 意味の分からないこの空間で倒れ込むと、訳もなく目から涙が流れてくる。大粒の涙がずっと流れてくるから、目の前がよく見えない。しかしあのお菓子の幻覚だけは、鮮明に見える。

 私の名前は相模原さがみはら。奇妙で、愚かで、なにより美味しい呪いに引っかかった女。


 ◆


「あっ、これ美味しそう!!」


 話の発端は、私がコンビニで美味しいそうな和菓子を見つけたことであった。

 その時私は高校1年生で、親友のためにお菓子を買おうとコンビニに行き、そこで見つけたのが『海苔巻きせんべい』だった。

 親友はポテトチップスをご所望だったから、この海苔巻きせんべいは私のおやつ。


 そこで知った。海苔巻きせんべいの”呪い”の美味しさを。

 その時は知らなかった。その美味しさは”呪い”だということを。


 あれから、気付けば毎月の1日に、海苔巻きせんべいを買うためだけにコンビニに通うようになっていた。

 毎月の1日に海苔巻きせんべいを買い、先月の1日に買った海苔巻きせんべいは、新しい海苔巻きせんべいを買った後に泣きながら食べる。


 そして、1ヶ月間残している海苔巻きせんべいは、まるで人間、いや、神や仏のような人間以上の存在として扱った。

 海苔巻きせんべいの袋に埃がついていたら、手やティッシュやタオルなどで、何分もかけて埃を払い取る。保存も、ただそこに置いておくだけではなく、に買った高級タオルを使った。タオルを敷いて、上に海苔巻きせんべいを寝かせ、もう1枚のタオルを掛け布団のように、海苔巻きせんべいの上に敷く。

 そんな奇妙な愛情に疑問すら持たず、この海苔巻きせんべいの世話が生き甲斐になるほど、私の頭は変な方向に狂っていった。

 後に気付いたが、その頃の私の口癖は「海苔巻きせんべい、だぁい好きっ!」になっていた。


 週末は、高級タオルに包んだ海苔巻きせんべいを、リュックの中に入れてお洒落なカフェに行ったりもした。


「ご注文はお決まりでしょうか?」

「紅茶1つ!」

「かしこまりました」


 カフェで紅茶を注文して、勉強の休憩にそれを飲みながら、こっそり海苔巻きせんべいを食べたりもした。

 その後家に帰ってきたら、高級タオルを敷いた机の上に、新しく買った海苔巻きせんべいを丁寧に置いて…。


「今日からあなたは私の友達!私、あなたのこと大事にするね!」

『ありがとう!これからよろしくね!』

「よろしく!あ、今日ね。カフェで飲んだ紅茶がすっごく美味しかった!もちろん、海苔巻きせんべい君も美味しかったよ?」

『そうなんだ!良かったねー!』


 私が海苔巻きせんべいに話しかけて、海苔巻きせんべいが返事しているかのように、自分が声を変えて喋る。ショタボイスと言うべきか、まだ声変わりしていない小学生のような声で、海苔巻きせんべいの声を作った。

 そんな1人芝居みたいなことも、よくやっていた。


 気付けば海苔巻きせんべいは自我を持っていた。


 自分がやっているこの1人芝居で、海苔巻きせんべいに話しかけすぎたのか、気付けば自分が喋っていなくても海苔巻きせんべいが自分で喋っていて、しかも、勝手に動いている。

 最初はびっくりしたが、嬉しかったのもあり、徐々に慣れていった。

 これはさっきも言った奇妙な愛情が爆発したかのような瞬間だ。このときの私は相変わらず疑問を持たない。持とうとすらしないし、誰もが何かをこのように溺愛していると、私は思い込んでいた。


 海苔巻きせんべいは名前としては長いから、私は海苔巻きせんべいのことを”せんべい君”と呼ぶことにした。


「ねえ、せんべい君」

「どうしたの?相模原ちゃん!」

「もし、私がほかのお菓子を好きになっちゃったら~?」


 せんべい君は、この質問にいつも「そんなことあるわけないよ!」と答えている。時々「絶対に!!」と念を押すこともあった。そのうち、それしか言わないんだと思って、これを質問するのもやめた。

 あれから1年。私は高校2年になった。


 カフェで勉強するのはやめて、図書室を使うようになった。学校はお菓子を持ってきてはいけないから、この図書室にせんべい君はいない。

 図書室を使うようになったのは、いつもここに好きな人がいるから。


「よっ、相模原さんは今日も?」

「うんうん!ここ、静かだし」


 私の好きな人は、別のクラスの世ノ本よのもと君。

 久しぶりに図書室行ったら、世ノ本君がいたから、私は世ノ本君に会うのを理由に図書室へ来ている。

 せんべい君のことは気にせずに、世ノ本君と話していると、正直、物凄く落ち着く。お菓子ではなくて、人間と話してるんだって気がして、なんだか安心するのだ。

 海苔巻きせんべいを溺愛していた高校1年の時は、海苔巻きせんべいを愛しすぎたせいで、友達はとても仲のいい親友以外に1人もいないし、人と交流をするというも、親友との会話を除けば全くなかった。


「最近っていうか、ずっと前から、海苔巻きせんべいが好きなんだよね。私」

「海苔巻きせんべい?美味しいよなあれ。俺もたまに食べる」

「へぇ、そうなんだ!」


 世ノ本君と私は、意外と共通点があったりする。根は真面目だけど成績は悪かったり、運動はまぁまぁできたり。

 しかも、仕草からして、世ノ本君は私が好きだと思っていた。脈アリサインがまとめられているウェブサイトにあった仕草は、世ノ本君がよくする仕草とほとんどが当てはまっていたから、自信過剰ではない。

 何より、世ノ本君は積極的に私に話しかけてくる。


「あ、私ここ曲がる」

「おっけー、じゃあなー!」


 せんべい君が気付けば喋れるようになっていたのと同じように、気付けば私達は一緒に帰る仲になっていた。

 …本当は自我を持たない、持ってはいけないお菓子を相手に会話をするのではなく、人を相手に会話をするのが、私はとっても楽しかった。

 私は世ノ本君と一緒の空間にいると、自分の胸の鼓動がドキドキして、少しでも次に進みたいと言っているように感じられた。世ノ本君と話せば鼓動は速くなり、世ノ本君が自分の服の袖や自分の腕を掴むと、1回1回の鼓動は強くなる。

 慣れることなく、時間が過ぎてゆく。

 何日も何日も過ぎてゆく。

 もう、もはやせんべい君のことなど忘れてしまう時間のほうが、多くなってゆく。

 好きなが、変わっていく。


 私はいよいよ、告白を決意した。


 私の頭の中は、世ノ本君でいっぱいで、せんべい君のことは気にかけていなかった。高級タオルで埃を拭き取るルーティーンも、せんべい君の味をしっかりと味わうのも、段々と適当になっていった。

 世ノ本君のために今までよりもずっと可愛いメイクを覚えてみたりした。図書室での会話中に知った好きな女性のタイプに合わせようという努力もした。

 おかげで、私はせんべい君と出会うときの私とは全く違う見た目をするようになった。ブレザーを着ていたのが、セーターやベストに変わった。髪を切って、髪型も変えた。メイクも変わった。一見すればただの女の子だった私は、世ノ本君のための女の子となってしまった。

 …もはや、せんべい君なんてどうでも良かった。


「司書さん、いないね」

「さっき、帰ったよ。でも、君が来ると思ってたから開けてもらってる」


 本当は屋上に呼ぶ予定だったけど、チャンス。私はそう思った。


「あの、今のうちに言っちゃうんだけどさ」

「ん?どうした?」


 その時の私は顔がすごく赤かったはず。でも気にせず世ノ本君に気持ちを伝えた。



「私…世ノ本君が好きなの!!」



 顔を赤らめて「ちょっと待ってくれ」と言ったきり図書室を出ていった世ノ本君。嫌われたかなとずっと思って居ても立っても居られなかったが、世ノ本君は意外と早く戻ってきてくれた。

 赤面して出ていき、この図書室に入ってきても未だに赤面し続けていた。ただ、表情はさっきとは変わって普段と同じ世ノ本君だ。きっと平常心を取り戻したのだろう。

 私は、少し嬉しくなったのと共に、少し悲しかった。これで幻滅したわけではないけど。


「ごめんごめん。トイレ行きたくなって。はは」

「絶対嘘だよ。だって、私こんな恥ずかしいもん」

「あの!返事なんだけどさ」


 私は間を開けて、大きく頷いた。


「俺も、相模原が好きだったんだ。実は、今日司書さんいないから、俺も言おうと思ってて…」


 本当に偶然だった。今思えば、なんでなんだろう。私と世ノ本君は、本当によく似ている。

 夕日が照らす私達の肌がすごく綺麗だった。夕日に当たっている顔の左側は、夕日と同じオレンジ色に染まり、夕日が当たらない顔の右側は影が出来ている。

 それが、とても綺麗だった。いつ見てもかっこいい世ノ本君の顔が、今日はもっとかっこよく見えた。


「明日は土曜日だっけ?」

「どこか、一緒に行く?私、明日時間あるよ!」

「うん、俺も時間ある」

「じゃあ明日、一緒に行きたいところあるんだ!!」


 初デートも約束した。その時は最高に幸せだった。


 そして、全てが変わったのはここからだ。

 世ノ本君と一緒に帰って、家に戻ってきて、そしたらせんべい君がいない。もう夕暮れだから、単純に見えてなかったのかと思い、電気を付けてみたが、やっぱりいない。高級タオルの中にうずくまっているわけでもないし、せんべい君の定位置である机の上にもいなかった。 


「あれ?せんべい君?」


 声を出してせんべい君を探してみたが、やっぱりどこにもいない。これは不自然だ。朝は確かにこの家にあったのに。

 まぁ、そのうち戻ってくるのだろう。

 どうせ、自我を持った海苔巻きせんべいなんて、気味悪がられるに違いない。


 突然、玄関から物音がした。物が落ちる音。


「せんべい君……かな…?」


 スタスタと玄関まで歩き、電気を付けた。よく見なくても分かった。靴箱の真下に、せんべい君がいる。

 なんでこんなところにいるんだろうと少しだけ疑問を持ったが、もうどうでもいいことなので、私は気にせずにせんべい君に話しかけた。


「あ、せんべい君。こんなところにいたんだー」

「…………」

「そういえば、今日は1日だよね。食べて、新しいの買おうか」

「…………」

「楽しみだなー。せんべい君を食べるの」

「………なんで」


 私には聞こえなかった、小さな声。


「ん?せんべい君?何か言った?」


 突然、せんべい君がその場でガタガタと動くから、私はちょっと驚いた。様子が変だ。なぜだろう。


「ねぇ…なんで?」

「んー?何がー?」

「今までボクに言ってくれた言葉は…全部嘘だったの?」

「嘘じゃないよ。なんでそうなるんだよー」

「君はボクじゃなくて、あの男が好きなんだね」

「えっ…?」


 バァン!!


「うわぁっ!!」


 突然、せんべい君が破裂したと思ったら、その場に浮いていた。


「え…?せんべい君、なんで宙に浮いてるの…?」


 私は思わずそう訊いてしまった。今まで、せんべい君は歩いたことや喋ったことはあるけど、宙に浮いたことはなかった。

 でもせんべい君は一切何も答えず、喋り続ける。


「そうなんだ。君はそんな人なんだ。初めて知った。いやいや、前から薄々気付いてた」

「え?ど、どういうことなのせんべい君!」

「あの男!!!!君はボクじゃなくてあの男を選んだ…」


 せんべい君は、海苔巻きせんべいとは思えないくらいの大きな声を出して怒鳴った。

 どうやら、せんべい君は世ノ本君のことを知っているらしい。それは、なぜ…?なぜ…!?


「ボク、見たんだ。全部理解した」

「何を見たの…?何を理解したの!?」


 私も思わず強気で怒鳴ってしまう。こんな声、今まで出したことはなかった。


「最近、君はボクに適当になってきたんだ。なんでかな?それは、君があの男に夢中になっているからでしょ?」

「なんでそれを知ってるの…?君が私の人生の支えになるとでも思ってるわけ!?」

「…そうだよね。お菓子は人の人生そのものを支えることはできない。ただ、少しの時間の幸せを作れるだけ」

「なら、私のことなんて放っておいていいじゃん!!これでも、私はせんべい君にたくさんのことをしてあげたんだよ!?それだけでもいいじゃん!なんで私を自分のものにするわけ!?」


 出来る限りの声で叫んだ。でもせんべい君は、混乱せずにそのまんま平然としている。


「うん。じゃあ、なんで?なんで君は、お菓子なんかに、そこまでいいことをしてきたの?」

「なんでって、それは私がせんべい君のことが好きだから…」

「好きなら、適当に放っておいちゃ駄目だよね??」

「…!!」


 頭をガツンと殴られたような気分だった。

 食べれるなら、すぐ食べてやりたい。狂人だと言われてもいいし、ヤバい奴と思われてもいいから、この海苔巻きせんべいの袋ごと、全部食べてやりたい。そしたら、この鬱陶しい声も消えるかな?


「…お前のこと、すぐ食ってやる!!」

「無理だよ」

「食う!!食う!!」

「さんざんボクをほったらかしにして、終わりにしたかったら食べる?もう君が食べる海苔巻きせんべいはないよ」

「絶対に食べる!!食ってやる!!私の胃の中で、大人しく消化されてろ!!」


 家じゅうを散らかして、せんべい君を掴もうとした。

 でも、なかなか掴めない。せんべい君の言う通り、私が食べれる海苔巻きせんべいはもうないのかもしれない。


「君は本当に自分勝手だ…ため息が出るよ」

「うるさい!!」

「そんなに食べたいなら、自分が海苔巻きせんべいになったらどう?」

「はぁっ?」

「好きだと言われたのに適当にされたこの屈辱、ボクは君に味わせることができるんだよ?」

「…やってみなよ。出来るなら」


 私にはもう、生きる気力すらなかった。

 何が何でも、海苔巻きせんべいの攻撃を弾こうとしたのに、気付けば目の前が変わっていた。意味の分からない空間。

 真っ黒なのに、いろんなところにせんべい君が見える。これは、幻覚?


 ◆


「ねぇ…なんで?」


「今までボクに言ってくれた言葉は…全部嘘だったの?」


「君はボクじゃなくて、あの男が好きなんだね」


 あのお菓子の声が、ずっと頭の中に響く。頭痛もする。吐き気も、目まいも。

 意味の分からないこの空間で倒れ込むと、訳もなく目から涙が流れてくる。大粒の涙がずっと流れてくるから、目の前がよく見えない。しかしあのお菓子の幻覚だけは、鮮明に見える。

 私の名前は相模原さがみはら。奇妙で、愚かで、なにより美味しい呪いに引っかかった女。


 いや違う。


 目の前の景色が変わった。ここは、商品棚の中だ。


 あ、目の前にがいる。


「あっ、これ美味しそう!!」


 この言葉、たしか自分が言ったような。でも、言葉の聞こえ方がおかしい。こんなに怖そうに言ったかな?

 まさか、せんべい君は本当に、私に屈辱を味わせようとしている?

 時間を巻き戻して、人格を入れ替えて、せんべい君が私を買って…。


 嫌だ。


 嫌だ嫌だ。


 嫌だ嫌だ嫌だ。


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。


「買っちゃおーと」


 なるほど。これはせめてもの復讐だ。今度は、私がせんべい君になる。

 せんべい君になって、私になったせんべい君を苦しめる。

 私になったせんべい君を苦しめて、必ず私は世ノ本君と…!!


 だから、今は我慢我慢。


 ボクの名前はせんべい君。奴に呪いをかける、なんの変哲もないただのお菓子。


 ………ボクは、美味しいよ?

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