夏が燻る

@chauchau

知恵熱で煙る


「理不尽だよ、こんちくしょうッ!!」


 彼は小声で叫ぶ器用さを持ち合わせていても、夏休みの課題を計画的に終わらせるという真面目さを備えていなかった。

 彼に付き合って図書室に入り浸らざるを得ない私の方が叫びたくなるというのに。


 夏が、

 終わる。


「授業でやってねぇよこんな範囲」


「教わった上に期末テストの範囲だったよ」


 動くのは頭を掻きむしる左手だけ、シャーペンを持った右手は一向に動かない。

 暇を潰すための小説の山が積み上がっていく。本日だけですでに四冊目。この三日間で読書欲は充分すぎるほど解消されている。


「なあ」


「駄目」


 久方ぶりに動いた彼の右手を叩く。

 私ではなく、私が持っている宿題の答えを求めた彼の右手を叩く。全く以てまったくだ。


「おばさんに怒られるよ」


「未来を気にして今を乗り越えることが出来るのか?」


「格好付けても駄目なものは駄目」


 七月は私がおばあちゃんの家に遊びに行っていた。

 八月の前半は、彼が部活の試合で忙しかった。


 ようやく、二人きりで会えると思ったのに彼のお母さんから宿題の監視を頼まれた。優等生で通っている私がサボりの提案なんて出来るはずがない。


「そこの主語は単数形だよ」


「……だから?」


「三人称だよ」


「……もう一声」


「動詞が現在形だよ」


「なるほど、分からん」


「三人称単数現在形のやつ」


「意味ないだろ、動詞にS付けるとかさぁ」


 本当はesを付けなくてはいけないタイプの動詞ではあるけれど、そこは黙っていようかな。教えてあげても良いんだけど。どうしよう。


 音を上げては会話して、ヒントを上げれば少しだけ解けて、少し問題が進んでは音を上げて。

 繰り返して繰り返す。


 彼の顔を見ているだけで幸せになれる。

 そんな漫画のようなことはない。見ているだけで幸せになれはしない。満足なんてしてあげない。


 もっと話したい。もっと近くに居たい。

 もっと触れてみたい。


 手を伸ばせば届く距離。

 私から触れると驚くだろうか。怒るだろうか。喜んでくれるだろうか。


 学校の課題なら簡単に解けるのに、いつまで経っても解けやしない。

 うじうじ悩むのは私の悪い癖。もっと考えずに行動すれば良い。分かっていても出来るかと問われれば難しいですと逃げ出す弱い自分。


 だから、


「頑張るから」


 私に触れることが出来る貴方が羨ましい。

 これだけ悩んでいる私の何歩も先を簡単に走り抜けてしまう馬鹿な貴方が羨ましい。


 頭に乗せられた彼の手に。

 雑に、適当に、それでいて大切に触れてくれる彼の手に。


 同時に悔しいと思える程度には。


「プールに行きたい」


「良いな、これだけ暑いと」


「だからさ」


 私は優等生ではない。


「水着着て来ちゃった」


「んんんッ!?」


 少しだけズラした胸元に吸い寄せられた彼の視線。

 司書さんに怒られる彼を尻目に私は別の小説を探しに行く。彼が宿題を解ききってくれるのを待つために。

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