扇風機と宇宙人

かぎろ

ぼくのご主人は宇宙人だ。送風しているぼくの目の前で「我々は宇宙人だ」と言ったのだから間違いない。

 ぼくのご主人は宇宙人だ。送風しているぼくの目の前で「我々は宇宙人だ」と言ったのだから間違いない。ご主人たちのうちのひとりで、いちばん体の小さい人間――――周囲からは「ユカ」と呼ばれている――――は、ぼくを稼動させるたびに「我々は宇宙人だ」と言って聞かせてくるのだ。

 それが嘘ではない証拠に、周りは、その言葉をばかにしない。体の大きい「オトン」も、中くらいの体の「オカン」も、「ユカ」の言っていることをあざ笑ったりしなかった。もしも仮に冗談なのだとしたら、何を言っているのこの子は、などと言って気味悪がったりするはずだ。


 ぼくが迎え入れられて何度目かの夏。今夏もぼくは納戸から引っ張り出されて、ご主人たちに涼しい風を送る任を仰せつかった。オトンとオカンは、ぼくを使うとき、節電のためか風量を「弱」にする。しかしユカは決まって「強」だ。その日もぼくは「強」の風でユカの身体を涼ませてあげていた。

 ぼくのいるリビングルームには、いまはユカしかいない。


「はぁ……」


 ユカが、なにやら物憂げな様子で口からすこしの風を吹かせる。溜息というやつだ。おや、どうしたのだろう。いつもの「我々は宇宙人だ」が来ない。


「うち……宇宙人なのかもしれへん……」


 いまさらな事実だったので、その通りだよと頷きたかったが、あいにくぼくは扇風機。自分の力で首を縦に振ることなどできやしなかった。

 それだけ言って、しばらくユカは黙っていた。

 見つめていると、ユカが自分の目をぬぐい始め、僕はハッとした。

 ユカの目には涙がいっぱい溜まっていたのだ。


「みんなみたいに九九を覚えられへんし……漢字も書けへん……。ショウゴ君にアリの巣をつつくのが好きってゆーたら、ばかにされて……へんな奴や、宇宙人かよって言われて……」


 ユカは宇宙人だよ、自分でそう言ってたじゃない。

 そう指摘できる雰囲気ではなかった。そもそもぼくは喋れなかった。


「前から思てたねん。うちは周りとはズレてるって。どうしてみんなみたいにでけへんねやろ……。やっぱしうちは宇宙人なんや。宇宙人は嫌や……だって宇宙人は、足にょろにょろで、気持ち悪くて……地球人とは、わかり合えないんや……」


 ユカの苦しげな声はぼくの回る羽にぶつかり、すこし震えた。

 さっきからユカはなにを言っているんだろう。

 ユカは宇宙人だ。でも足はにょろにょろなんかじゃない。見ればわかる。

 気持ち悪くなんかない。接していればわかる。

 ましてや、地球人とわかり合えないわけがないじゃないか。

 だって、ぼくは知っている。ユカが優しい宇宙人だということを。

 ぼくがケーズデンキでまだ見ぬご主人を待っていたころ、オトンとオカンはユカを連れてやってきた。

 オトンが「ユカ、どれがええ?」と訊ねると、ユカはぼくを指さして「これ!」と言った。

 実を言うとぼくは売れ残りの扇風機だった。自分ではカッコいいフォルムをしていると思うし、がんばってご主人を涼ませてあげたいという意欲にも溢れていたのに、さっぱり買い手がつかない。売り場の隅で、大特価と書かれた値札を下げ、うなだれるような角度で羽を回していた。

 ユカはそんなぼくを選んだ。オトンが「これでええんか? もっと高いもん買えるで?」と問うと、ユカは「だって、寂しそうなんやもん」と答えた。

 なんて優しい子なんだ、と思った。

 きっと、ただのモノからさまざまなことを感じとれる、感受性の高い子なんだ。

 ユカは、とうとい。

 その思いはユカが宇宙人だとわかったときも全く揺らいだことはない。

 いま、ユカは泣いている。

 きっと、すごく寂しい気持ちなのだろう。

 なんとかしてあげたい。

 だけどぼくは、ただの扇風機だ。


「うちが宇宙人で、みんなとわかり合えないんやったら……」


 ユカが声を絞り出す。


「もう、消えた方がましや……」


 そんな。

 そんなわけない。

 そんなわけないだろ!

 ぼくはふと気づいて、首を横に振ろうとしてみた。

 できなかった。ぼくには自分の意思で体を動かすことができない。

 それでも伝えたかった。ぼくにできることといえば、首振り機能で、ユカのネガティブな言葉に「ううん、違うよ」と伝えてあげることくらいなんだ。

 動け、動け、動け。

 ユカ。

 ククができないから何だ。

 カンジが書けないから何だ。

 宇宙人だから何だっていうんだ。きみはすばらしい人だ。そのすばらしさに、ぼくは気づいている。そしてぼくが気づくくらいなのだから、きみの言う「みんな」も、きみのすばらしさにいずれ気づくよ。

 だからそんなこと言わないで。

 きみは嫌な奴じゃない。

 気持ち悪い奴なんかじゃない。

 動け。動けよぼくの首。

 ああ、神様。これきりで壊れたってかまわない。だから、ぼくにユカを勇気づける力をください。

 初めて神に祈った。

 全霊を込めて祈ったけれど。

 ぼくの首は、動かなかった。


「あっ」


 ユカが声を出した。

 ぼくの「強」の風に吹かれ、結びが甘かったユカの髪飾りのリボンがほどけて、飛ばされてしまったのだ。

 リボンはするりとフローリングの床を滑り、小さな本棚の下に入り込んでしまう。

 ユカは慌てて本棚をどかしてリボンを取り戻そうとするが、揺れた本棚から、何冊かのアルバムがどさどさと落ちた。


「あれ? このアルバム……」


 何かに気づいたユカが、リボンのことも忘れてアルバムをめくり始める。

 ぼくの角度からも見えた。

 それはユカの乳幼児期の姿を収めた写真のアルバムだった。

 ひとつひとつの写真の脇には、オトンとオカンの手によって文章が書かれている。

 ぼくには文字は読めないが、それでもわかることがある。

 ユカを愛するオトンとオカンの、愛の言葉がそこには書かれているはずだ。

 そうだ。

 ユカのとうとさに気づいている人、あるいはモノは、もう、すぐそばにいる。


「……おとん。おかん……」


 涙は乾き始めている。

 嬉しそうに、呟いた。


「こんなん、恥ずかしいわ……」


 ぼくは風を送りながら、ユカを見つめる。

 さっきまでのつらそうな表情は、もう消えている。

 そのかわりに、ゆっくりと大事そうにページをめくるユカの頬には、可愛らしいえくぼが浮かんでいた。

 きっとぼくはいずれ壊れて、廃棄になり、スクラップにされる。

 だけど、鉄くずになる日が来てもぼくは今日のことを忘れない。

 ぼくの風がほんのすこしだけ役に立った、今日のことを。


 そしていつの日か、ぼくの魂が鉄くずから解き放たれて、宇宙の一部になるときが来る。

 そのときはきっと、他の魂たちに自慢してやるのだ。


 ぼくのご主人は、宇宙人だったんだぜ。

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