蝶々の夢

たぴ岡

蝶々の夢

 ひらりと舞う蝶々が視界に入った。

 私は青々とした草原の上に寝転んでそれを見ているだけ。手を伸ばしてみれば、もしかしたら蝶々に届くのかもしれない。しかし私はそれをしない。だってあの子は私のことを気にしてなどいないから。あの子の目的地は私の指ではなく、もっと暖かく包んでくれる場所であるはずだから。

 ゆっくり目だけを動かして、周りを見る。そういえばこの草原、夏になってから花が美しく映えている。紫や青、赤や橙、様々な色の花が育っている。私の目には、それらが光って見える。

「おや、まだここにいたのかい」

 どこかから男の声が聞こえた。この私だけの場所に現れる、私の嫌いな男。

「どうだっていいでしょ」

「どうだっていいことはないでしょ。君が壊れてしまったらぼくが怒られるんだから」

 私をものとしか見ていないのが許せない。こいつは毎日、私だけのこの世界を破きに来る。どうして私の穏やかな気持ちをこんなにも乱すのだろう。

「壊れるだなんて、やめてよ」

「君はわかっていないらしいがね、君の身体は脆いんだ。ぼくが今踏めば、君の腕は割れるだろうね」

 確かに、私は他の女の子たちより腕が細いらしい。実際に見たことも会ったこともないから、それが本当のことなのか、それともこいつが勝手に言った嘘なのかはわからない。いつだってこいつは嘘くさいけど。

「何だよ、その目は。本当にわかってないんだね。君が何でできているのか、知らないんだね?」

「どういう意味? 私は私よ。私はただの人間なの」

 こいつは演技じみたため息を吐いて、嘲笑うように私の顔を見つめた。

「——君は彼の作品だ」

 彼はすっとしゃがんで私の瞳に手を伸ばした。それを避けるように動いたが、想ったより強い力で腕を捕まれて逃げられなかった。

「ほら」

 私の顔から彼の手が離れたかと思えば、その手のひらの内には——。

「これが君の瞳だ」

 美しい藍色の球体があった。

「……これが?」

 それを見ている間、左目の感覚がなかった。視界が狭くなっていた。見えている左側の範囲がいつもより狭い、気がする。まさか、本当に?

「そう。たぶん、君も一度壊れて見た方が自覚できるだろうね。それなら——」

 彼は立ち上がると、大きく足を上げた。

 ガシャンと音が鳴って、左腕の感覚が消える。痛みはない。

「ほら、どうだい?」

 上体を起こして、左腕を見る。

「あぁ……あ、あぁあ」

 声が出せない。私の腕はガラスが割れたようにバラバラと破片が飛び散っていた。乳白色の美しい欠片が。

「あれ、ごめんね。君の心が壊れるとは思わなかったよ」

 右だけになってしまった瞳で彼を睨む。右だけになってしまった腕で彼を掴む。足はまだある。それに、左腕の割れた部分で殴れば。

 立ち上がって、彼を思いきり蹴る。そうすれば彼はバランスを崩して後ろに倒れる。私はその上に馬乗りになって——。


 気付くと私はさっきの草原に寝転がっていて、辺りの花畑も美しく映えている。私の視界はいつも通りだし、左腕も欠けてなんかいない。いつも通りの私の世界だ。

 じゃあ、あいつが私を壊したのも、私があいつを壊したのも、夢?

「おはよう。ごめんね、昨日は馬鹿が失礼なことしちゃったよね」

 昨日? あれは夢ではなくて、昨日のこと?

 私を覗き込んでいる男性は、あいつよりも清潔感があって、中性的で。

「先生が君を直してくれたんだ。あの馬鹿のせいでいろいろ予定が狂っちゃったんだよね」

「……予定?」

「君ね、僕たちの中で一番美しくて一番上手くできた作品なんだって」

「僕たちの中、で……?」

「うん。だから、君はもうそろそろ仕上げするんだってさ。僕たちの分も美しく生きてね」

 彼は少し悲しそうに笑った。

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蝶々の夢 たぴ岡 @milk_tea_oka

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