30話 除夜の鐘は鳴らせない

 俺たちの町には立派な寺がある。年末年始を問わず大勢の人が集まる格式高い寺だ。大晦日おおみそかの夜は夏祭りのようににぎわうし、屋台が立ち並ぶ。


 しかし翔太を連れてきたのはそこではない。近所にある古い寺だ。と言っても実際に歩くと意外に距離がある。小学生の時は全く遠いと思わなかったのにだ。


 訪れたのはその時以来だったが境内はほとんど変わっていない。本堂も鐘楼も昔のまま。成長しているはずのけやきですら記憶のままに思えた。


 境内では暖を取るために火が焚かれている。キャンプファイアのごとく組み上げてある材木から立ち上る炎に参拝客は手をかざし、炎を中心として彼らの影が放射線状に伸びていた。そんな様子を翔太は静かに見つめている。


「たくさん集まってるね。みんな煩悩を消したくて来てるの?」


 除夜の鐘の本質まで調べていたとは、よほど楽しみだったに違いない。そのわりには落ち着いて見えるのは、いつもなら寝ている時間だからだろうか。


「どうだろうな。イベントとして楽しんでいる人の方が多い気がする」


 鐘楼では若いカップルが鐘を鳴らしていた。披露宴のケーキカットをしているような二人は煩悩に悩まされているとは思えない。俺の言葉を裏付けする彼らを見て、翔太は調べた事との食い違いに納得がいかなそうだ。


「そんなのでいいの?」

「宗教行事を厳格に行うのは宗教家に任せておけばいい。例えばクリスマスも宗教行事だが、大智だいちの家でやったパーティは堅苦しくなかっただろう?」

「うん」

「つまり楽しめたらいいんだ」


 翔太はわだかまりが解けていないようだったが、寒さで頬と鼻を赤くしていたので焚き火の方へ導く。輪に加わると、それほど近づいていないのに顔が熱くなった。翔太もまわりと同じく両手をかざす。


「暖かいね」

「ああ」


 うなずいた途端に木材が爆ぜた。パンと乾いた音を立て火の粉が大きく広がる。参拝客はどよめき、翔太も驚いて後退った。


「びっくりした。でもきれいだね」

「そうだな。これも大晦日の醍醐味だいごみだ」


 火の粉は熱気にあおられて高く舞い上がり、真っ暗な夜空に消えていった。


「楽しみ、といえばいいものがある。少し待っていてくれ」

「どこに行くの?」

「大晦日の気分を盛り上げてくれるものだ。すぐに戻る」

 

 翔太は不安そうだったが、その顔を喜びに変えられると確信して輪から離れた。


 たしか奥の方にあったはず。昔の記憶を頼りに進むと寺務所の隣にそれはあった。会議卓を並べただけのブースに酒蔵ののぼりが立てられている。はっぴを着たスタッフの後ろに鎮座しているのは甘酒のたる。ここでも列ができていたが、待たされるのは数分ですんだ。


 笑顔を絶やさない老婦人に小銭を渡して紙コップを二つ受け取る。そこまで温かいものではないが、甘い香りは優しくて癒やしがあった。


 早く届けたい思いが足を早める。翔太は言われた通り一歩も動かずに待っていた。紙コップを渡すと匂いを嗅ぎ、きつねにつままれたような顔をする。


「これは何?」

「甘酒だ」

「子供が飲んでもいいの?」

「もちろんだ」


 そう教えると翔太は慎重に口をつけた。


「甘くて不思議な味だね」

「クセが強いと感じるかもしれないが、翔太には飲んでもらいたかった」


 そう伝えると、翔太は不思議そうな顔をした。


「どうして?」

「これに使われている米は、この町で作られているんだ。町に流れてくる水を使い、ここで生まれ育った人たちが情熱を注いでいる。そういう酒だ」


 ここは翔太の故郷ではない。一時的に身を置いているだけだ。それはわずか一年しかなく、残りも少ない。春には離れる事が決まっているし、おそらく二度と戻ってこないだろう。


 小学生の記憶など大人になれば忘れてしまうかもしれない。しかし、ここで過ごした時間はなかった事にはならない。できれば覚えていてもらいたい。そんな願望を甘酒にたくす。


 それは俺の押し付けでしかなかったので味わってくれとは言えなかった。だからできれば飲んでもらえたらと思いつつ鐘楼を指差す。


「そろそろ並ぼう。鐘つきが目的だからな」

「うん」


 鐘を鳴らすための列に加わるために移動すると、翔太は大人しくついてくる。時折、振り返って様子をうかがうが、甘酒に口をつける気配がなかった。


「苦手なら無理しなくていい。残りは俺がもらおう」

「ここにしかないんだよね。だったら全部飲む」


 そう言うと、翔太は一気に飲み干す。


 俺の意図を伝えていなくても、感じ取ってくれた事がうれしい。


 そして、ふぅ、と長く白い息を吐いていた。


「きっと慣れたら美味しいんだと思う。でもお酒だと思うと緊張するね」

「いや、甘酒にはアルコールが含まれていないから酒ではない」


 隠す必要がないのに、なぜか気持ちを悟らせなくてぶっきらぼうな言い方になってしまった。そのせいなのか翔太の興味は甘酒に向けられている。


「本当に? でもお酒みたいな匂いがするよ。それになんだかふわふわしてきた」


 まるで酔ったかのように体を揺らしていたので吹き出しそうになった。しかし顔が赤くなっているのは間違いない。


「大丈夫か?」

「うん。平気だよ」


 そう言っているが違和感がある。それは今の翔太にではない。甘酒を飲む前からだ。楽しみにしていた除夜の鐘だというのに大人しすぎる。いつもなら大げさに喜んでいるはずだ。


 もしかしてと思い、額に手を当て首にも触れる。


 翔太はくすぐったいのか首をすくめて笑いをこらえていたが、俺の違和感は伝わってくる熱で確信に変わった。


「体調が悪いのはいつからだ?」

「悪くないよ」


 翔太は後退り、弁明するように両手を振る。その手をつかむと顔を伏せられてしまった。


「本当にか?」

「……うん」


 顔を上げないのはうそをついているやましさだろう。それを確かめるべく膝をつく。俺を見下ろす形になった翔太の目にはおびえの色が浮かんでいた。


「無理をしてまで鐘がつきたいのか?」


 その問いに答えは返ってこなかった。それでも視線をそらさないのは話を聞く意思はあるはず。


「以前、坂木さかきが熱を出した時に翔太は心配していたな」


 反応を待っていると、わずかにうなずいてくれた。


「それと同じように俺も心配なんだ。ただの風邪ならいいが、こじらせて重い病気になるかもしれない」


 気遣ったつもりだったが正しく伝わらなかった。


「心配かけてごめんなさい」

「心配させてもいいんだ。そのために俺はいる」


 また、焚き火の木材が爆ぜる音が聞こえる。その明かりは離れていても大きくて、翔太の横顔を照らした。


「迷惑じゃないの?」

「迷惑なら初めから招き入れてない。いや、違うな」


 俺の思いは自分でも説明できない。当然、言葉にするのは難しい。複雑に絡み合ったプログラムを整えるように、ひとつひとつまとめていく。しかし正しく伝えられるとは思えず、気持ちをそのまま吐き出した。


「俺がそうしたいからだ。だから一緒に暮らしている。ここに来たのも、甘酒を飲んでもらいたかったのも、翔太を心配するのも。全部、俺のわがままだ」

「……変なの」


 翔太はそう言って笑みを浮かべた。声色も少し明るくなった気がする。


 それはそれとして、変とは言いすぎだ。だから俺も笑いには笑いで返す。


「ああ。しかし炬燵は翔太がねだったからで俺はそれほど必要としていない。まったく、体調を崩されるなら買わなければ良かった。これで寝込まれるようなら片付けないとな」

「え!」

「それが嫌なら帰って暖かくするんだ。年明け早々病院に行きたくないだろう?」

「絶対に嫌」


 翔太の頬を膨らます姿がおかしくて、つい吹き出してしまう。そんな俺を見て顔をそむけてしまうが、手をつなぐとしっかり握り返してくれた。


 そうして寺を離れ、二人並んで街灯の少ない田舎道を歩く。二人の影だけが長く伸びており、誰もいないのだと認識させられた。そのせいで余計に寒く思える。


「寒いか?」

「少しだけ」


 強がりもせず正直に答えてくれるのはありがたいが、悪化しているのは間違いない。歩みも重くなっていた。しかし家まではまだ遠い。


 今できる事は限られているので、手軽で効果的な方法を選んだ。


 着ていたレザージャケットを脱ぎ、翔太に羽織らせる。そして背を向けて腰を落とした。


「背負ってやる」

「いいの? きっと重いよ」

「翔太を背負うぐらい問題ない」


 そう言うと翔太の腕が首に回される。遠慮がちで力が入っていなかった。


「しっかりつかめ。落とされたくないだろう」

「うん」


 背中に体重がかけられたところで腰に手を回し、立ち上がった。人を背負うのは初めての事だったので足元を確認しながらゆっくり歩く。街灯が作る影は一つになった。


「そんなに鐘がつきたかったか?」

「え?」


 疑問だった事を尋ねると耳元から翔太の声が聞こえる。


「体調が悪いのを隠してまでつきたかった理由が知りたい」

「昨日調べてたら、除夜の鐘が煩悩を消してくれるって書いてあったんだ。だからどうしてもやりたくて」


 背負っているから顔色はうかがえないが、これだけ近いと恥ずかしさが伝わってくる。


「翔太は払わないといけないほど欲まみれとは知らなかった」


 意外な答えに笑ってしまう。しかし、言葉を続ける翔太の声は真剣だった。


「僕は良い子でいないと駄目なんだ。お母さんにも、幸二さんにも、迷惑ばかりかけてるから」


 翔太は母親の重荷になっていると感じとっているのか。同じように俺の顔色もうかがっている。ついさっき、体調の悪さを確認した時に怯えた目をしていたのは迷惑をかけたくない一心だったのだろう。


「それは翔太が気にする事ではない」

「でも」


 翔太の体が離れた感じがしたので背負い直す。俺たちの間から隙間が消えて、より体温を感じた。


「いいか。俺も田上も大人だ。体も心も強い。子供ひとり背負うぐらい問題ない。しかし翔太は違う。大人を頼っていいんだ」

「いいの?」

「ああ。そのために俺がいる」

「うん。ありがとう」


 言葉は短かったが、首に回された腕に力が込められた。


「幸二さんって、おんぶしてくれたり、いろいろ教えてくれたり、お父さんみたいだね」

「弱っているからそう感じるだけだ」

「そんな事ないよ。僕はお父さんがどんな事をするのかわからないけど、幸二さんみたいにしてくれる人だと思うな」

「……理想の父親が俺か? 坂木にも同じ事を言われたが、もっと高い理想を持った方がいい」


 そう言うと、背中で翔太が吹き出す。熱を持った息が耳にかかった。


「ひとみさんは大人なのに、幸二さんがお父さんって変なの」

「まったくだ」


 そうやって笑いあってはいたが、心の底では別の事を考えていた。


 きっと翔太は俺を父と呼びたいのだろう。しかし自分からは言い出してこない。だからと言って俺からも提案できない。


 翔太と暮らせる時間が限られているのに、それはあまりにも無責任だ。


 頼れと言っておきながら、距離をとろうとしている事に矛盾を感じながら家路を進める。


 除夜の鐘はまだ聞こえていたが、俺の煩悩は払ってくれそうもなかった。



【次回予告】


 新年を迎えた幸二の家に訪れたのは田上だった。田上は我が子に伝える。ここでの暮らしは春までだと。それを知らされた翔太は何を思い、何を選ぶのか。そして幸二は胸の内を明かす。


 次回

『お前らの存在が重すぎて俺のタスクが破綻する』

<デシジョン>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お前たちの存在が重すぎて俺のタスクが破綻する Edy @wizmina

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ