あのアパートに向かって

鯖缶/東雲ひかさ

第1話

 ひとつ、またひとつと値引きする商品を手に取り、バーコードをスキャン。


 そして機械から出てきた値引き価格の印字されたシールを貼る。


 あ、これ買お。と思ってもアルバイトが終わる頃には買われてしまって買えないのが常の商品に思いを馳せる。


 スーパーのアルバイトのあるあるだ。因みにあるあるを話し合える同年代、つまり高校生は周りにいないので本当にあるあるかどうか検証したことはない。


 後はアレだ、全くもって違う場所に戻されている商品にキレる。


 丁度お手本を見つけた。


 豚肉と牛肉の見た目の区別もつかないのか豚挽肉コーナーに燦然と輝くは逆さまに置かれた牛カルビのパックだ。


 お客様のおめめは腐っておいででしょうか?


 しかし逆さまであるところを見るとこれを置いた客は天邪鬼ゲームなるものを決行しているのかもしれない。


 上にある物なら下に置き、右であるなら左といった具合にこれもそういうことだろう。


 牛カルビの反対は豚挽肉とはいいことを知った。僕もこのゲームをするときに参考にするとしよう。


 だがこの客は詰めが甘い。


 本当に天邪鬼ゲームを極めるのであれば牛カルビを豚挽肉コーナーに持ってきてそれを逆さまに、これでは足りない。


 その後中身が見える側を下にしておかなければ真に反対とは言えない。


 僕のほうが一枚上手だ。


 不埒の客よ、敗北を噛み締めるがいい!


 そんなことを考えながら牛カルビのパックを裏返して少し眺めた。


 少しして元の場所に戻した。


 そして値引きの作業に戻る。


 暫くして、話しかけられる。女性の声だ。


 そちらへ首を向ける。


「どうかしましたか?」


 そこには小っ恥ずかしい言葉で言えば美しく凛々しい女性がいた。二十代前半か。


 肩の下あたりまですらりと伸びた黒髪。すらりと長い足。ジーンズを纏う。小さなショルダーバッグを手にぶら下げている。


 上はワイシャツにジャケットだ。背は僕と同じくらいに見えるので百七十前後だろうか。


 お姉さんと呼びたいところだがどちらかといえば姉御だ。


 因みに滅茶苦茶タイプである。


「これって安くなりますか?」


 豚バラのパックだ。はい、安くなりますよ。そう言ったつもりで僕はいる。実際は豚バラを持ったその指に見蕩れていた。


 ピアノに似合う指グランプリがあるなら間違いなく優勝するだろう。


「あのー聞いてる?あ、私に見蕩れてるとか?」


 図星を突かれてやっと何も言っていないことに気づく。常人ならこんな時慌てふためくだろう。まして相手が美人だ。


 だがしかし僕はこんな時のために心臓を超合金にしておいたのだ。うまく切り返す。


「申し訳ございません。ぼーっとしてました。えっとこれですよね?安くなりますよ。

 あと高校生にその絡みは酷だと思います。姉御」


 演技混じりに返す。最後の姉御は超合金云々関係なく口が滑った。


「あはは、面白い子だなぁ。よかろう、姉御と呼び給え」


 少し大きめに笑う。


 多少変わってはいるようだが、怒ってはいないようだ。


 そして手渡された豚バラを値引いて手渡し返す。


 そして姉御は値引いた豚バラを豚バラコーナーにその長い足を駆使し三歩で向かい元に戻した。


「買わないのかよ!」


 思わず突っ込む。


「あははっ、突っ込んだから少年の負けね。他のお客さんにそんなこと言っちゃだめだよ?」


 そう言うと姉御は置いた豚バラを持って颯爽とその場を立ち去った。

 なんだあの客、心底思った。


         ●


 今日は値引きが終われば退勤なので二十分もしないですぐ、帰る準備に入った。


 更衣室で着替える。


「なんか微妙な顔してんな」


 横見ると先輩がいた。男に興味はないので容姿を説明するつもりはないし説明しても映えるような容姿はしていない。


「お疲れ様です。いやー滅茶苦茶綺麗でタイプのお客さんがいたんですけど...」


「眼福じゃないか」


「でもですね、話した感じなんか滅茶苦茶変わってるんですよ。多分」


 アレを会話と呼ぶにはまぁまぁな差し支えがあるがとりあえずいいだろう。


「偏見だが、美人って何かと変わってる人が多い気がする。見た目か、人間性か、どちらを取るかって感じだな。...勘違いするなよ、自分が選べるほどの身の丈じゃないのは分かってるからな」


 先輩は中々苦しそうに付け足す。


「...あんなになら僕は見た目を取りますね」


 僕は自分の身の丈を棚に上げて主張する。


「どんなにかは知らんが俺もそうする」


 先輩も棚に上げて同意した。


「それにギャップ萌えというやつもありますしね」


 そして僕の身も蓋もない台詞で会話は終わった。


         ●


 着替え終わり、タイムカードを切る。


 そして裏口から外に出る。そこで先輩と別れた。


 夏らしくまだまだ明るい夕暮れだ。

 だが山の向こうには夜を引き連れた藍色がほんの少しだけ見える。


 自転車を止めてあるスーパーの駐輪場に向かう。


 駐輪場が近くになってきたところで気づいた。


 そこには姉御がいた。もといさっきの女性だ


 原付の席の後ろのキャリアに荷物を載せようとしている。うまく載らないようでそれに夢中だ。


 不器用なのかもしれない。自分の中でギャップ萌えが沸き立つのを感じる。


 原付に乗っているのは概ね僕のイメージ通りだ。


 しかし見つかるのは少し面倒だ。


 きっと顔を覚えられているだろうしさっきの絡みの調子できっとまた絡まれるに違いない。


 そろりそろりと自分の自転車へ向かう。


 通路挟むよう自転車を止めるタイプの駐輪場で姉御の反対側、姉御より少し入り口に近いところに僕の自転車が止めてあった。


 都合がいい。


 音を立てないよう盗難防止のチェーンの鍵を外す。そしてそれをハンドルに付け替える。


 スタンドを外し、入り口、もとい出口を向き、僕は逃げだそうとする。


「不覚だな!少年!」


 そう両手を腰に当て、胸を張って叫ぶ姉御が出口への道を塞いでいた。


「あ、姉御...」


 しかしまわりこまれてしまった!


         ●


「いやー悪いね。荷物持ってもらっちゃって」

   

 僕は右に自転車を、姉御も右に原付を据え手で押しながら歩く。


 案ずるな紳士諸賢よ。無論姉御が歩道側だ。まぁ、控えめに言って田舎なのでそんな配慮も要らないほどの車通りなのだが。


「原付に載りきらないくらい買い込まないでください。大体、どのくらいまでなら載るか見当がつくでしょう?」


 そう言って僕は自転車のかごを見やる。そこには袋に入った“姉御が買った”商品の数々が満載してあった。


「でもさ、レジで会計して手持ちが足りないよりはマシだよね」


 きっと一回いや、何回かやらかしているのだろうと思わせる口ぶりに僕はため息をつく。


「まぁ、別に運んであげるのはいいんですけどね。ところで家はどの辺りですか?」


 バイト終わりに美人と散歩というのも中々乙なものだし断る理由も特になかった。


 何より僕のポリシーとしては困っている女性を放ってはおけない。


「ん、下原のほうだよ」


 小石を蹴り運びながら言う。


「なら丁度いいです。僕の家も下原ですから。あと子供っぽいですよ。それ」


 でも可愛いなぁとは言わなかった。


「子供に言われたくないなっ」


 そう言って小石を蹴り上げる。


 そして何がどうなったかは知らんが僕の頭めがけて小石が降ってきた。


「痛って!」


「あはは!運が悪いなぁ君は」


 他人事のように大笑いする。あんたのせいだろ。あんたの。


「そうですね。姉...御...に出会った時点で僕の運はお察しですね」


 また口が滑ってしまった。姉御トラップとでも名付けようか。

 そのせいで口ごもりながら言う。


「ホントに姉御呼びするなよぉ。恥ずかしいなら言わなきゃいいのに」


 笑いながら言う。薄々気づいていたがこの人は笑い上戸だ。


「あなたがそう呼べって言ったんじゃないですか。」


「冗談に決まってるだろう?ピュアなんだから、もう」


 まだ笑う。笑い上戸極まれりだな。

 あとピュアではない。姉御トラップだ。


「じゃあなんて呼べば?」


美咲みさきと呼び給えよ」


「なぜ下の名前」


「私の趣味だ」


「どんな趣味ですか」


「年下の男の子に下の名前呼ばれるってよくない?」


 どこかの作家が言っていたこんな話をご存じだろうか。


 妄想力とやらが存在しそれは筋肉と同じで使えば使うほど鍛えられるものだと。


 これは真実である。


 我々思春期の男児というのは妄想の連続だ。日々教室を不審者から守ったり、異能力やらに目覚めたり、好きか好きでないかに関わらず女子とのあれこれを妄想する。


 これらの妄想は日を重ねる毎に彫りが深くなっていく。


 最初の頃は起承転結の起だけであったのが回数が重なるほどに承、転、結と増えていき、果てには犯人の悲しい過去、異能力の正体、様々なシチュエーションへの対処、そんなものまでをものの数秒で妄想出来るようになる。


 今回もコンマ二秒もかからず妄想する。


 僕は大学三年生。成績はそれほどよくないが落単するほどではない。人数が少なくすごしやすいサークルに入り楽しくしている。

 そこの友達と飲み会を行ったりもして所謂順風満帆。


 ただ彼女がいないのが問題か。


 季節は春だ。


 新入生を何気なく眺めていると近づいてくる女子新入生がいる。見覚えがある。高校の時の後輩だ。


 そんな後輩がこう言う。

「○○先輩。ついて来ちゃいました」


 妄想の世界から戻って答える。


「それは最高ですね。美咲さん」


 僕の場合は女の子だが差異はないだろう


「そうだろう、そうだろう」


 美咲さんは深く頷く。


 その後は理想の後輩年下議論に発展した。


 この議論は白熱を極め、周囲の温度を少なくとも一度は上昇させた。


 最後には異性であり尚且つ自分を慕っている。そしてカワイイ系で自分より背が低い方がいい。


 そして言わずもがなだが下の名前呼びだという結論が出た。


「少年はひとつも当てはまってないね」


 美咲さんは残念そうに言う。


「名前呼びしてるじゃないですか。あと僕は男ですよ、“美咲さん”」


 これ見よがし言ってやる。


「うーん、それ以外の条件を満たすから名前呼びが生きるのであって少年が言っても大人をおちょくってるようにしか聞こえないなぁ。あと君を“男”としては見られんよ」


「男としては見られないは男としてちょっとショックです。仕方ないですけど」


 ように聞こえるんじゃなくておちょくったんですよ、と言うのは我慢した。


 美咲さんはまた笑う。やはり誰かが笑っているとこちらまで明るくなるなとふと思う。


 そして間髪入れず、


「そろそろだなー。ほらあのアパート」


 美咲さんが指さす。そこには三階建てのアパートがあった。


「それじゃ、ありがとね」


 自転車に載った袋を取ろうとする。


「いいですよ。僕の家、アパートの先ですから」


「そう。じゃ、お言葉に甘えて」


 あぁ、紳士だなぁ。僕は。

 ナルシストではないのであしからず。


 アパートの前に着き商品を手渡す。


「それじゃー、ありがとね!少年のお店にはお世話になるからー」


 アパートの外階段を上った先で僕に向かって言う。どうやら三階に住んでいるようだ。


「我々も美咲様のご来店を心よりお待ちしておりますー」


“精一杯の接客”をする。


 あははっ、と笑う。本当によく笑う。嫌いじゃないが。僕は手を振る。


 美咲さんは奥へと進み背を向けながら手を振る。


 僕は美咲さんが部屋に入ったのを確認したあと少しUターンして帰路に就く。


 夏で日が長い。

 空はまだ少し明るい。

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