第4話

 僕はつい先日、母親に僕の時給の謎を聞いてみた。


 しかし返ってきた答えは「世の中には知らなくていいこともあるんだよ」と含みに含みまくった答えだった。


 聞き返そうにもあまりに真面目な顔をして言うのでそれは叶わなかった。


 だが母の反応で確実に僕の時給に何かあると確信した僕は恐る恐る副店長にこのことを聞いてみた。


「あの副店長。今いいですか」


「ん、なんだい?」


 倉庫で商品の整理をしていたようで手には段ボール箱を持っていた。副店長はそれを脇の地面置いて話す態勢に入ってくれた。


「あの、僕の時給のことなんですけど...」


 言い終わる前に副店長は「ま、待って」と言ってキョロキョロ辺りを見渡す。人がいないことを確認したのだろう。


「い、いくら上げればいい?」


「はい?」


 副店長は僕の耳元に顔を寄せ囁く。


「だから時給だよ。五十円か?百円か?申し訳ないが百五十円が限界だ」


 何を言っているんだ、この人は。


「あ、あの何の話ですか?」


「え?時給が低すぎるって話だろう?」


「違いますよ。高すぎるって話です」


 そう言うと副店長は「あぁ、そうか、そうだよな」と言ってへたり込む。


 そのまま「蛙の子は蛙だと」とか「鳶が鷹を産む、いや能力的には逆か」とか言った後に立ち上がって言う。


「世の中には知らなくていいこともあるんだ」


 どこかで聞いた台詞を言う。


「あの、それはどういう...」


「大人とはそういうものなんだ」


 物凄い剣幕で言う。真剣を通り越して必死だった。


 それに押され何も言えなかった。


「このことは他言無用だからね」


 僕の両肩を掴んで言う。


「は、はい」


「大人はなべて悪なんだよ...」


 そう言って項垂れる副店長の肩をポンポンと叩いた。

          ●


 そのあと僕は母親のことを母親の同僚であるパートの方々に聞き回っていた。


 副店長のあの反応を見る限り時給の謎より母親の謎を解明した方が良いと考えたからだ。


 それに母親のことを聞き回るだけなら箝口令には引っ掛からないだろうとも思ったからだ。


 しかし皆口をつぐむばかりで何も言いたがらなかった。 


 嫌われているのかとも思ったが見る限りそれは違い、何というか恐れられているが正しい気がした。


 一体僕の母親は何をやっているのか、どんな存在なのか、わからなくなるばかりだった。

 パートの中の一人の婦人がこんなことを言う。


「息子さんでしょう?貴方」


「そうですけど何か?」


「知らぬが仏というのを知っていますか」


「はぁ」


「貴方にとっての知らぬが仏は自信の母親のことです。つまりもう聞き回るのはやめなさい」


 諭すように言う。 


「えっと、それは...」


「知らなくていいことを知らなくていいとするのも大人への第一歩よ。勿論、自分の好奇心を抑えることもね」


 婦人は天を仰いで言う。見えるのは天井だが。


「そういうわけだから聞き回るのはやめなさい」


「そう言われても気になるものは気になります。何より自分の母親のことです、知っておかねばというものです」


 とりあえず食い下がってみる。


「家族だからってその人の全ての知ったり理解するのは不可能、というよりおこがましいと言えるんじゃないかしら。子供には子供の世界が、大人には大人の世界があるの、今はそれで良しとしなさい」


 子供を宥める大人の顔だった。


 僕は何も言い返せなかった。


“大人”とは何なのだろうか。


          ●


「おい!聞いているのか!」


「はい、お客様。つまり焼き芋を食べて口の中を火傷をしたということですよね」


「あぁ、そうだ。なぜ焼き芋が熱いから気をつけろと勧告しなかった」


「そう言われましても焼き芋は焼いているいるから焼き芋なわけでして...」


「口答えするのか!」


「いえ...」


 僕は“大人”への第一歩のあと、いつも通り値引き作業をしていたのだがいつの間にか中年男性のクレーム対応にすげ変わっていた。


「訴えてやる!」


 怒髪天に言う。ステラ賞でも取る気だろうか。


 そんなとき目に入ったのは美咲さんだった。

 男の肩越しに見える。


 僕を見て笑っていた。声は出ないようにしているが体をよじらせかなり楽しそうに笑っていた。


 怒る教師の後ろでふざける男子中学生か何かだろうか。


「えぇ...」


 これはふと大人とは思えない美咲さんを見て漏れてしまったものなのだが当然ながら男の気に障った。


「貴様!なんだその態度は!大人としてどうなんだ!」


 美咲さんがいっそう笑う。


 このままでは埒が明かないし美咲さんが笑い死ぬと思ったので先輩を呼んでなんとか事なきを得た。


          ●


「いやぁ、災難だったね、少年」


 僕の左隣で原付を押し歩きながら言う。

 それと言わずもがなニヤニヤしている。


「おおよそ笑い死にしそうになっていた人のセリフではありませんね」


「いやはや」


 僕はあの後、話があると言って美咲さんと帰路を共にする約束を取り付けた。


 美咲さんも「それなら少し多めに買おうかな」と言って買い物かごいっぱいに食料品を詰めていった。そしてそれを僕の自転車のかごに詰めた。


 外は雪は降ってはいないがもう冬で早いこの時間でも暗い。そして肌を舐めるような冷たい風が吹くととても寒い。


 それで僕は厚着をしていたし美咲さんもいつもの装備に紺のマフラーと厚いトレンチコート、手袋を身につけていた。


 そして今はそんな寒々とした帰路の最中だ。


「それで話ってなんだい?」


「いえ、ええと、はい」


 何から話せばいいものかと言い淀む。


「なんだよ。恋愛相談かい?」


「違います」


 恋愛相談もしておきたいところだが意中の相手にそれをするのは中々滑稽というものだ。


「ええと、」


 そして少し黙考して母親のことはややこしくなるので言わないことにした。


 そもそも美咲さんに相談してもどうにもならないし僕のしたい話の核ではなかった。


「僕って働いてるじゃないですか、バイトですけど」


「そだね」


「働いている以上は高校生だろうと大人扱いされるんです。さっきみたいに」


「すごく怒鳴られてたね。大人としてとかどうとか」


 美咲さんのせいですとは言わないでおいた。


「でもやっぱり僕は子供なわけで子供扱いされることもあるんです」


 僕は婦人との会話を思い返していた。


「高校生は子供か大人かって話?」


「いえ、大人って何なのかなって。何がどうなったらその人は大人なのかなって」


「うーん」


 美咲さんは唸って答えを探してくれている。

 少しして僕の方を見る。


「何人もそれでないことを言いきれないもの、裏を返せばどんな人でもそれであることを強制されるもの。これが大人じゃないかな」


「それじゃあ、何を以て大人なんですか?」


「少年、君は何を以て子供扱いされる」 


「まだ高校生とか未成年だとかですかね」


「立場とか年齢で言えば君は子供ってわけだ。でもさっきのおじさんが言ってたとおりバイト中は大人であることを要求される」


「僕が言いたいのはそういうじゃなくて...」


 遮って、

「君、兄弟いる?あ、下のね」


「下はいません。姉ならいます」


 美咲さんは穏やかな少し哀れむような表情をする。


「私にはひとつ下の弟がいるんだ。あるとき、私が四歳で彼が三歳の時だ。私は取っておいた大好きなおかしを食べようとしていた。がしかし弟が私の取っておいたおかしを食べたいと言い始めた。当然ながら喧嘩になるよね」


「何か関係があるんですか?話の流れに」


「せっかちだなぁ、最後まで聞き給え。それでね、親に言われたんだ“お姉ちゃんなんだから我慢しなさい”って。理不尽じゃないか。それでおかしは弟のものさ。私が大事に取っておいたおかしなのに、私のおかしなのに。齢四歳にして初めて人を、弟を恨んだね」


「あのー詰まるところ?」


「私は四歳にして大人になることを求められたんだ。こんなことがずっと続くんだ。一歳しか違わない弟のためにね」


 あの表情は僕の姉に向けてのものだったらしい。 


「大人は我慢するってことですか」


「違う。大人は概念だ。存在じゃない。四歳の私ですら姉という立場なら“大人”であることを求められた。でもそれ以外の立場なら普通の四歳児として扱われる」


「場合によって“大人”の条件は変わる。そういうことですか」


「そゆこと。年齢で大人にされてしまったり、私は子供の頃から背が高かったから無条件で大人っぽいとか言われてたな」


 美咲さんは思い出に耽るように空を見上げる。


 雲ひとつなく星々が見える。田舎らしい空だ。


 僕も見上げて耽る。


 婦人の言った大人の世界の“大人”の条件とは何だったのだろうか。


「そんなにショックだったの?あのおじさんの大人発言」


 美咲さんが僕の顔を心配そうに見ていた。

 僕はぼーっとしていたようだ。


「いえ、どうなったら大人になれるのかなって考えてました」


 美咲さんは吹き出した。


「ふくくっ、言ったろ?大人ってのはその時々で形を変えるんだ。真面目に考えるようなものじゃないよ」


「でも僕は、その、“大人”なれるのかなって、思うんです。皆の求めるような“大人”に」


 大人がなんなのか、なんとなくわかるにつれ少し心配になった。自分が何かに誰かに求めるような人間になれるのかと。


「そこが君の子供の部分なんじゃないかな。君は君の思う大人になればいい。その理想とか目標を、自分の求める“大人”にさ」


 僕は美咲さんを見ていた。

 一転、真面目な顔の美咲さんを見ていた。

 僕は美咲さんが好きだ。


 でもそれ以前に“子供”の僕には美咲さんは果てしなく“大人”だった。


「迷えばいいさ。迷うのが学生の本分だ。どんな大人になるのかとことんね」


 美咲さんは「臭いかな」といって笑う。

「そうですね」と言って僕も笑う。

 程なくしてアパートが見えてくる。


「あんがと」


 美咲さんは言う。


「お役に立てたかな」


 付け足して言う。


「はい、大いに。こちらこそありがとうございました」


「いやぁ」


 美咲さんは照れるように言う。


 アパートの前に着き荷物を手渡す。


「それじゃ、何かまた相談事があれば相談してくれ給え」


 そう言って外階段を上っていく見送る。

 僕は考えていた。僕のなりたい大人とはなんだろうか。影も形も見えないが少しだけ目標を見据えていた。


「美咲さん!」


 僕はアパートの三階の外廊下にいる美咲さんを呼ぶ。美咲さんは少しビクッとしていた。


「僕は美咲さんみたいな“大人”になりたいです!」


 自分でも吃驚した。美咲さんにそんな要素がどこにあったろう。


 でも僕はそう思った。“大人”とは背中で語るようなそんなものなのかもしれない。


 勝手に憧れを引き連れるような。

 美咲さんは僕の恋心も引き連れているが。


「私はそんなに立派じゃないよ」


 笑顔で言う。


「なんか格好いいと思ったんです!それに好きだってのも理由かもしれません!」


 要らぬものを付け足したと言ってから思った。

 美咲さん風に言うなら“血”迷っただ。


「面白いこと言うなぁ」


 本気にはしてくれなかったようで僕としては幸いだ。


「思い思いの大人になればいいと思うよ私は」


 少しの間の後


「らしくないことばっか言ってたらなんか恥ずかしくなってきちゃったよ」



 そして「じゃまたね」と言いながら美咲さんは自室へと消えていった。


 僕も家に帰る。少しUターンして家へ向かう。


 少しだけ大人になった気がした。

 しかし大人になると思うと少しだけ寂しくなるのも事実だった。


          ●


 後日談、いや蛇足だ。


 美咲さんとはあれからもお付き合いを続けさせてもらっている。


 お付き合いと言っても“お付き合い”ではないので悪しからず。


 僕も少し大人になり大学生になった。

 中々キャンパスライフというのは楽しい。

 あと二年すればいつかの後輩君も現れてくれるだろうか。


 そして気になっているでだろう母親問題だが一応解決した。僕の中では。


 一言言わせてもらえば“世の中には知らない方がいいこともあるんだよ”と言いたい。


 大人理論を以て言い訳させてもらえば世の中正解や答えが必ず出るとは限らない。知らなくていいことを知らないままで良しとするのも“大人”と言えるのではないだろうか。


 これで納得して頂ける“大人”がいることを願うばかりだ。


 掘り下げても言うことはないのでここでこの話題はやめにする。


 総括、僕はこれからも大人になり続ける。

 いろんなことを知って、何か楽しくなったり、何か汚れたりすることもあるかもしれない。


 そう思うと少々大人とは面倒な気もするがやはり大人であることは何時でも何処でも求められるものだ。


 いつになれば“大人”なれるのだろうかと思い、鑑を、美咲さんを眺める日々はまだまだ当分続くであろうことは想像に難くない。

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あのアパートに向かって 鯖缶/東雲ひかさ @sabacann

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