第2話
今日も今日とて僕は値引き作業に邁進している。アルバイトを始めてもう半年になる。
慣れたものだ。
この職場は時給九百五十円と高校生にしてみればかなりの高時給であり、その上、ほぼ仕事がない。なぜ僕を雇っているのか疑ってしまうくらいには。
アルバイトの先輩にこの事を聞いてみるも「働いて2年になるが仕事が増える気配もないし実際、俺一人がだけのときでも仕事は回ってたんだ。なぜおまえが雇われたのか全く見当がつかん」だそうだ。
ふと僕の母親が「アルバイトするならうちで働けば?」と言って、適当にそうしようかなと返して放っておいたら勝手に事が運んでいてここで僕はここで働くことになったのを先輩と話している最中に思い出した。
無論、先輩にはこのことは言わなかった。
コネでアルバイトを始めるというのは結構あるそうだし悪いことだとは思わないが仕事は回っていたと聞くと言いにくいものだ。
それにしても仕事もないのに無理矢理息子を雇わせるなどただのパートにしては何やら権限を持ちすぎではないか。
そういえば面接も無かった。
僕の母親は一体この職場でどんな立場なのか今度聞かなくては。もしかしたら店長のとんでもない弱みでも握っているのかもしれない。
真面目に考えるなら店長と仲が良いとかだろうか。
そんなことを考えながら値引き作業を終える。値引き漏れは無かった。
商品を眺める僕の肩を後ろから誰かが叩く。
振り向く。
「やぁ」
「み、美咲さんですか」
ビクッとした。やられてみればわかるが肩を後ろから叩かれるのはそれが知人であろうと中々気持ち悪いものだ。
服装はいつもワイシャツにジャケット、そしてジーンズだ。それが肩まで伸びた黒髪によく似合う美人だ。そして荷物は何もない。
ポケットに財布かそれに準ずるものくらいは入っているだろう。でなければ買い物が出来ない。
美咲さんとはあれから幾度か帰路を共にした。
主に僕は荷物持ちだが。
「そんな鯱張らなくてもいいのに」
ハテナを浮かべる感じで当惑の表情だ。
「驚かすほうが悪いでしょう」
「別に驚かすつもりはなかったよ。んーと、用があるのだけど」
このビビりめと思っていることがに笑いを我慢している顔で手に取るようにわかる。
この笑い上戸めが。
「用っていうのは?」
「胡椒ってどこにあるかな」
僕は黙って胸に付けているネームプレートの名前の場所ではないところを指で示す。
「畜産部門?」
「つまり管轄外です」
「場所がわからないってことかい?」
「いえ、狭いスーパーなので分かります」
美咲さんは少し黙って憐憫的な顔で言う。
「君モテないだろ」
弱点を突かれたくらいでは僕は怯みたくはない。
「僕は天然ジゴロですよ」
「ジゴロかどうかは別として天然は自分で天然とは言わないだろ」
「僕が養殖だとでも言うんですか?」
「君は何を言っているんだ?」
「...何でもないです」
怯みたくないとは言ったが怯まないとは言っていない。
傷つく言葉を吐かれた僕は怯むだけならまだいいものの動揺しきって意味のわからない言い訳をしてしまった。
ので「何でも無いです」とバツ悪く、仕切れていない訂正したわけだ。
と心の中で言い訳の言い訳をした時点で美咲さんが「それで胡椒は?」と言うのでハッとして慌てて「こっちです」と案内した。
案内している最中無言もつらいので話題をふっかける。
「スーパーの職員が部署分けされてるのは知ってましたか?」
「いんや。なんか困ることでもあるの?」
「僕はスーパーの畜産屋なわけです。それを食品屋の管轄を聞かれてもわかり兼ねるものです。」
「ふーん。でも同じスーパーの店員じゃない」
「デパートで考えてみてください。他の店の事を別の店の店員に聞きはしないでしょう」
胡椒のある棚の前に着いて、僕は棚の下段を指差し言う。
「それもそうなのかな」
美咲さんはしゃがんで胡椒を選びながら答える。
「まぁ、スーパーの店員なら担当の店員までお客さんの要望を回すのも仕事なんですけどね」
「それなら文句を言うんじゃないよ」
呆れて言う。
「一度愚痴ってみたかったんですよ。その商品はこことは真反対の場所だし担当でもねーよ、ってのがこの前あったんです」
そしてこのあと「それなら私も愚痴ってもいいよね」の台詞を皮切りに真の社会人による本物の愚痴を十分ほど聞かされいつもより疲れてタイムカードを切った。
●
空はもはや秋空といった感じで心地よい気温の夕方だ。まだ九月の中旬になったばかりだというのに季節は結構せっかちなようだ。
秋は嫌いではないので困りはしないが。
「やぁ。また会ったね。奇遇というやつだね、うん、奇遇奇遇」
僕が着替え終えて駐輪場に自転車を取りに来ると美咲さんが出待ちしていた。
「また大荷物ですね」
両手に物いっぱいのビニール袋を持っている。
当然美咲さんの原付には載りきらない。
独り暮らしだと言うのになぜこんなに物が必要なのか、聞くのは野暮だ。
「悪いね、ホント」
そう言う美咲さんから袋を受け取り自転車のかごに入れる。
「いえいえ、美人にたぶらかされる僕が悪いのです」
捻くれ言う。
「そう言うなよ。別に都合のいい奴だなんて思ってないよ。君と話すのは中々楽しいからこそだよ」
私は悪い美人じゃないよアピールをしてくる。それは充分わかっている。
だが美人を否定しないのは癪だ。
しかし本当に美人なのでどうにも文句は言えない。
「僕と話すのが楽しいなんて相当娯楽に飢えてますね」
駐輪場から出ながら言う。美咲さんも原付を押して着いてくる。車道側が僕の並んで歩いて帰るいつも通りの田舎の帰路に就いた。
「飢えている気はないけど、なんか落ち着くみたいな?相性がいいのかもね」
言われて心底嬉しいのが表情に出ていないだろうか心配になり、僕は自転車が倒れないよう一瞬だけ自分の頬に触れた。
「そういうのは彼氏さんに言ってくださいよ」
「マママ、まぁ、そうだね。うん、そうするよ。はは」
当然彼氏持ちだと思っていたのだが反応を見る限り違うようだ。焦りようは此方も困るほどだ。美人ほど恋愛面に関して困るのは本当だったらしい。
「美咲さん、お酒、お好きなんですね」
ビニール袋に入っている沢山のお酒を見ながら言う。仕方がないので此方から話題を変えた。
「あぁ、それは太平を得るためさ」
「そういえば実家に美咲さんでも悠々入れる水瓶がありますよ」
「...やめ給えよ」
まさか本気でやると思っていなかろうか。
本気でいやな顔をしている。
「でも娯楽に飢えてるのが冗談でも歩いて帰るなんて仕事終わりに疲れるし、面倒じゃないですか?相当暇なのかなと思ってしまうんですけど」
話題も変え終わったので気になっていたことを聞く。美咲さんの家まで歩いて三十分とちょっとで結構な距離だ。
少し面倒だとしても毎日スーパーに来て原付につかるくらいの買い物で済ませ、原付で五分掛からず家に帰った方がよっぽどいいと思うのは自然だ。
「言ったろ、君と話すのは楽しいと」
「だとしてもですね、」
遮って言う、
「美人と並んで帰るのは嫌かい?」
「いえ、そんな滅相な」
即答する。
「お姉さんが良いことを教えてあげよう」
「お姉さんではないです」
思わず即答した、してしまった。
「どういう意味かな?」
ちょっと怒っているか?
姉御ですと言いたかっただけなんです。
姉御トラップ恐るべしだ。
適当に誤魔化した。
美咲さんは咳払いをして、
「楽しみや幸せというのは実は買うこと、交換することができるのだよ」
「お金なんて言わないでくださいね。嫌いになります」
「君も水を差すのが得意だな」
「いえいえ」
美咲さんは溜息をして言う。
「それは時間さ。あとは労力かな」
「哲学ですか」
「そうだね。お金が幸せだというならどんな仕事だって何億年と働くことができれば小金持ちくらいにはなれるとは思わないかい」
「まぁ理論上は」
「どんな才能が無くたって何億年とそのどんなを続けられればそれなりにはなると思わないかい」
「どうでしょうか」
「なんだか張り合いがないな。まぁいいや。要するに時間が有限だからいろいろ不自由で不幸せなのさ。お金がないから、才能がないから、ではない。時間が無いから、もとい死ぬまでが短すぎるからさ」
話を聞いていろいろと考えてみたが直近で言えば期末テストまでもう少し時間があればもう少し良い点を取れていたはずだ。
美咲さんの言う時間の有限とは少し違うのだが。
「ま、そういうことで幸せや楽しみを得るには時間を浪費するしかないというわけさ。」
美咲さんの言わんとする事がわかった気がした。
「つまり楽しみや幸せを得ようとすると相当暇に見えるし、歩いて帰る労力が必要だと言いたいわけですね。何せ時間と交換でそれを得ているんですからね」
「そういうわけさ。急いでいたり、焦っている人を見ると大変そう、辛そうっていう風に見えるのはそのせいだね」
満足げに空を見上げて言う。
要するにこの暇人がと言われたのが気に障ってこんな長ったらしい言い訳を用意した訳だ。
「それにね、運動したあとの一杯の美味さなんたることか」
空を見上げたままニヤニヤしている。
そんな気持ち悪い美咲さんも美しいと思ってしまうあたり僕はかなり美咲さんに毒されている。
僕もそれをみてニヤニヤしていた。
美咲さんに見られる前にそれに気づけてよかった。
「君も時間を有用に使うように」
「ええ、いま真っ最中です」
ちょっと口説いてみる。
「嬉しいけれども、その顔は気持ち悪いな...」
失敗した。自分のにやけ顔に気づいたのはいいものの顔を直せていなかったようだ。
美咲さんも、と言いかけたがやめておいた。
くだらなくて楽しい雑談が少し続いた。
「そろそろ着くね。いつもありがと」
「どういたまして。こちらこそありがとうございます」
「何が?」
「いえ、何でも」
美人とご一緒させてもらえるなんてと言わなくてよかった。本当に。
少し先に三階建てのアパートが見えてくる。三階奥が美咲さんの部屋だ。
「今日は荷物が多いので部屋の前まで持っていきますよ」
「いやー、ホント悪いね」
いや、この顔は最初から運ばせるつもりだった顔だ。別にいいけど。
美咲さんはアパート奥に原付を止め、僕はアパートの前に自転車を止めた。僕は美咲さんの後ろを着いて外階段を上る。
勿論、僕の両手にはビニール袋だ。
「またご利用のほど宜しくお願いいたします」
部屋の前に着き、鍵を開けた美咲さんに荷物を手渡しながら言った。
「うむ、そうさせて貰おう」
両手に荷物を持ってはドアを開けられないので足で開いたドアを一旦押さえながらの応答。
つくづくノリのいい人だ。
「気にしてるかもだから言っておくけど本当に話すのが楽しいからだからね。悪い、悪いオトナじゃないからね。嫌なら断ってくれていいんだからね」
そう言いながらドアの中に消えた。
ドアが閉まってからも言っていたが如何せん両手が塞がっているので半分近くは叫び気味だった。
「わかってますよ」
そう誰に言ったわけなく呟く。
元来た階段を降りながら美咲さんが今日は笑わなかったことに気づく。
笑い上戸であるのに珍しい所ではない。
明日は天変地異か。
もしかしたらせっかちな季節と結託して次の夏を持ってくるつもりかもしれない。
いや、にやけ顔は拝めたか。それを思い出し、僕もにやけ顔になる。
毒されているにもほどがある。
というよりはこれは恋か?まさか。
幼稚園の先生ぶりだぞ。
しかし多分、これは恋だ。
根拠のない確信をなぜか僕は得た。
それと僕は二度年上に恋をした。
偶然というのは二度続かない。
つまり僕は年上趣味だったらしい。
「まぁそこはどうでもいいか」
それにしても男子高校生の純情を奪うとはやはり悪いオトナではないか。
「まぁそれもどうでもいいか」
僕は日も短くなりもう暗い空を見上げた。
そして、満腔の恋心を満足げに抱いて、ニヤニヤした。
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