第43話 幸福の証明。
————およそ一年前。
今日も今日とて、入院している祖母のお見舞いに行く。
自分には放課後に遊ぶ友達もいなければ、夢中になるような趣味もない。
時間は有り余っているから、その時間の限りを祖母のために使いたかった。
「ねえ琥珀。琥珀は今、幸せかい?」
病床に伏せる祖母は、いつもより少しだけ色の通った笑みを浮かべる。
今日は少しだけ、調子がいいみたい。
「わかんない」
「じゃあ、幸せになる方法は知ってるかい?」
「方法? …………わかんない」
幸せってなんだろう。
生まれて初めて、そんな問いが頭に浮かぶ。
でも、自分にはどうでもいい気もした。
「おばあちゃんもね、琥珀くらいの歳の頃はよく分からなかった。人付き合いも得意じゃなかったし、いつも1人だった」
「おばあちゃんが?」
「いつも苦しくて、寂しくて、怖くて……楽しいことなんて、何ひとつないと思ってた」
祖母はいつもワタシに優しい。
いつも頭を撫でてくれて、口下手なワタシの話し相手になってくれて、凍える心を温めてくれる。
母以上に、父以上に、自分を理解してくれる。
そんな祖母が、ずっと大好きだった。
「でもね、琥珀。おばあちゃんは今、幸せだよ。ずっとずっと、幸せだったんだよ」
「……え?」
どうして?
病に伏せって、毎日苦しい思いをしているのに。もう……死んでしまうかもしれないのに。それはとても、悲しいことで、不幸なことなのに。
どうしてそんなことが言えるの?
祖母は微笑んで、ワタシの頭を撫でる。
「琥珀が、いるからだよ。だから、おばあちゃんは幸せ」
「ワタ……シ?」
「ええ。おばあちゃんね、我武者羅に生きてきた。ただただ、笑って生きている人たちが羨ましくて。自分みたいな人間だけが暗い顔して生きているのが我慢ならなくて。自分は、変わるんだ。明るい場所で生きるんだって、決意した。それからずっと、ずっと、それが正しかったのか、間違いだったのかも分からない道を歩いてきたけれど……迷ってばかりだったけれど……」
まるで愛しむように、祖母はワタシの頭を、頬を撫でる。
その手は昔より冷たくて、小さくて、すぐに崩れてしまいそうで。
だけど、肌よりももっと深いところ。
心が燃えるように熱くなる。優しい炎が灯る。
「娘が、灯莉が生まれて……そして、孫の琥珀が生まれて……分かったんだよ」
ついに祖母はくたびれた身体を起こす。止めようとするが、それよりも前にワタシはふわりとその両手に包まれた。
温かさが、さらに全身の奥へと伝播していく。
「琥珀……あなたが、おばあちゃんの幸福の証明。おばあちゃんが、何も間違っていなくて、幸せになれたっていう証だよ」
「おばぁ、ちゃん……?」
「生まれてきてくれて、ありがとう。おばあちゃんに、幸せをくれてありがとう」
「あ、ああ……ああぁぁぁぁ…………!」
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
涙が溢れて、止まらなかった。
祖母の声は今まで聞いたどんな声よりも優しくて、温かくて、嬉しくて。
それなのに、ワタシはもうすぐ、この温かさを失ってしまうんだ。
その瞬間、祖母のいない、そう遠くない未来の景色を見た。
そこは、ワタシのセカイにあったほんの一筋の光さえなく、冷たく、真っ暗な場所。
ああ、そっか。
ワタシは、今まで幸せだったんだ。
祖母がいてくれれば、幸せだった。
ずっと、幸せな陽だまりに守られて生きてきた。
小さな小さなワタシのセカイには、それだけで他に何もいらなかった。
おばあちゃんがいないと、ワタシは……幸せでいられないよ……。
「泣かないで。可愛い可愛い、私の天使。大丈夫。大丈夫だから。琥珀ならきっと、大丈夫」
泣きじゃくるワタシを宥めるように、祖母は背中をさする。
「人との関わりを、交わりを、大切にするんだよ。それが、それだけが、人を幸せにする道標だから。人を幸せにできるのは、人だけだから」
祖母のか細くも強い言葉が、体に染み入っていく。
ワタシは泣いて、泣いて、泣いて、泣いた。
こんなにたくさん泣くことは、きっともうこの先一度もないだろう。
————幸せに、なってね。
祖母は、最後にそう言った。
何が正しくて、何が間違っているのか。
どこで、何をして、人はそれを幸せというのか。
ワタシにとっての幸せとは、なんなのか。
大切な人を失ったこのセカイに、それはもう一度煌めくものなのか。
何もかも、分からないけれど。
それが、祖母の願いだと言うのなら。
ワタシは、小さな小さな檻の中から抜け出そう。
それは怖くて、不安で、逃げ出したい気持ちでいっぱいになるけれど。
大丈夫。
この心にはたった一つ灯が、道標が宿っているから。
きっと、わかる日が来るはずだから。
ワタシは————猫村琥珀は、自分の幸せのために生きることにした。
◇◆◇
「ねえスズメ」
今一度心情を吐露した琥珀は、夜風に黒髪を揺らしながらふっと笑みを見せる。
「ん?」
「これから、練習しよっか。ふたりで抜け出すの」
「はぁ? 何言ってんだオマエ。バカ?」
意味わからんと罵倒すると、琥珀はあからさまに機嫌悪そうに顔を顰めた。
「バカじゃない。ただの、ジョーダン」
「冗談かよ……オマエの冗談はマジで分かりにくいからやめよう……?」
「ふん」
琥珀はぷいと顔を背けると、ふらふらと俺の前へ出る。
「練習は、もうやめる」
「やめる? それまた突然だな」
琥珀の無表情フェイスに、そこはかとなくマジメの色が見える。
おそらくだが、今度は冗談じゃない。
「いいのか?」
「うん。もういらない」
「そか」
妙にあっさりと、春休みから続く関係は終わるらしい。
といっても、結局一回しかしていないけれど。
「なに? もしかして、ちょっと残念?」
「は? は? 何言ってんのオマエ?」
「ホントは、ワタシとしたかった?」
「ちっげーよ。もうちょい胸育成してから出直してくれます?」
「ヘンタイ」
にぃっと、琥珀は意地の悪い笑みをみせる。
「いや、おい。俺の反論ぜんぶ無視してるよね!? なんで俺がオマエとセッ○スしたかったみたいになってんの!? ねえ!?」
「……フンッ!」
「いってぇ!? 今度はなんだよ!?」
久方ぶりに足を踏まれた。
「おっきな声でそういうこと言わないで。この前も言った」
「ああん!?」
なに? もしかして恥ずかしいんでちゅか?
もう怒った。いくらでも言ってやらぁ!
「セッ○ス! セッ○ス! セーッ○ス! セッ○スサイコー! ————ってこれじゃ俺が変質者みてえだろうがぁ!?」
「ぷ。……バカ。ぷふ」
「笑うなぁぁぁぁああ!?」
俺が叫べが叫ぶほどに、琥珀は忍び笑いを大きくしていく。
クソ、俺の自爆とはいえ益々我慢ならん。
どうやって分からせてやろうか……。
「ねぇスズメ」
「あん? なんだよ俺は今嫌がらせ開発で忙しい————は?」
気がつけば、琥珀が目と鼻の先にまで接近していた。
「少し、しゃがんで」
「なに? 嫌なんだけど……」
「いいから」
グッと身体を引っ張られる。
そして……
「ちゅ」
唇と唇が、出会った。
仄かな甘さが体を満たす。
「は? は? は? なに? なんなのんですの!?」
「練習。これが最後。自分からするの、したことなかったから……」
緊張していたのか、琥珀は赤くなって口元を隠すようにしながら視線を流す。
「ホントに、これでおわり」
「お、おう……」
「だから……だから、ね……」
言い淀み、耳まで真っ赤に染まったかと思うと、琥珀はこちらに背を向けた。
月明かりが照らすその天使姿は、妙に神々しい。
認めたくないが、美しさすら感じた。
「だから、なんだよ?」
黙りこくる琥珀に、続きを促す。
「……もしスズメと……次があったら、それは練習じゃない……かも、ね」
「え……?」
「じゃ、ワタシ戻るから!」
「あ、おい琥珀!?」
言葉の意味を問い返すよりも早く、琥珀は走り去っていく。
「次が、あんのか……? は? 琥珀と?」
いやいや、そんなわけないだろう。
いくら練習相手で、初めての相手だと言っても、俺たちはただの幼馴染同士以下の存在。
自他共に認めるおっぱい星人な俺もそうだが、今や学園の人気者の琥珀が、幼馴染に恋するわけがない。
ましてや、本来恋人が行う行為に至るなどあり得ない。
今までがイレギュラーだったのだ。
でも、もし、幼馴染に他の誰かとは違う何かがあるとしたら。
それに気づく日が来るのだとしたら。
幼馴染という関係は、恋人関係にだってなり得るのだろうか。
そんなアニメや漫画も、たくさんある気がする。
「ま、俺にとってはせいぜいペットか妹だよ。可愛い可愛い猫ちゃん琥珀ちゃん」
気を取り直して、俺は先輩や姫咲の役に立つべく体育館へ向かった。
そして勝手に休憩していた件についてお叱りを受けたのだった。
「めっ、よ。スズメくん。休憩したいなら、ちゃんと私に言ってね?」
「……はい。ごめんなさいでした……」
先輩に怒られるのならご褒美である。
そうして、お試し生徒会の初ミッション、新入生歓迎会は成功に終わり————
ゴールデンウィークがやってくる。
好きでもない幼馴染とえっちの練習をしてから美少女にモテ始めたけれど、幼馴染がなぜかクーデレる。 ゆきゆめ @mochizuki_3314
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