第42話 本当のワタシは、

 抽選会も終われば、もう閉会も近い。

 仕事も少なくなってきたため、俺は隙を見て勝手に休憩を取っていた。


 外の空気を吸おうと体育館裏に出る。


 あたりはすっかり夜が更けていて、ぼんやりとした街灯があたりを照らしていた。

 冷たい残春の風が頬をなでる。


「あ〜、ひとりって素晴らしい……」


 体育館にいてもどうせボッチで立ち尽くすだけだし、これが落ち着く。


「孤高な俺…………フフ」


 おっと、卒業したはずのあの頃が再燃してしまいそうだ。

 封印した右手が疼くぜ……。


 ……べつに、俺だけ囲われなかったことを根に持ってるわけじゃないんだからね!


 発展途上な年下に囲われたって嬉しくないし。

 俺はおっぱいが大きくてムチムチボディな女の子が大好きな超健全男子なのだ。


 しばらく、この疼きと夜の暗闇に染まりながら身体を休めるとしよう。


 と、そのとき、


「————————!?」


 体育館裏の暗がりに、もう1つ、いや2つの影が現れる。


 俺は気づいた瞬間に、草葉の影へ身を隠した。


 2つの影はちょうど俺がいたあたりで足を止める。


「あれは……」


 目を凝らした先にいたのは琥珀と、立花先輩の弟である立花藍だ。


 歓迎会にも終わりに近づき、遂に行動に出たということなのだろう。


「俺、なんで隠れてんだろ……」


 これじゃあまるで覗きだ。

 女子風呂以外の場所で覗きをするなんて人生の汚点でしかない。


 しかしこうなった以上、今更移動することもできそうにない。


 俺は黙って、その成り行きを見つめることにした。


「ここでいいかな?」

「うん。まずはありがとう。僕なんかのために時間を取ってくれて」

「ううん、全然。そ、それで、話って、なにかな……」


 琥珀は男子と2人きりの状況への緊張や、その男子が数日の関係とはいえ元カレであることへの戸惑いからか、落ち着かない様子を見せる。


「そうだね。手早く話すよ」


 対して藍は悠々としている。


 俺が話した彼とは最早別人のようで、これが覚悟を決めた男の姿だとでも言うのだろうか。


「僕は、キミのことが好きなんだ」

「それは……でもワタシたちはもう……」

「うん、そうだね。だから、これからする話はそれとは違う」

「え……?」

「もっと違う関係性を、感情を、僕は見つけたんだ」


 堂々と話を進める藍だが、俺と、そして琥珀の頭にはクエスチョンマークが浮かぶ。


 それはきっと、藍の話ぶりが想像していた想いを捨てきれない元カレと乖離していたからだ。


「僕はキミを初めて見た時、運命に出会ったと思ったんだ」

「運命?」

「キミは清純で、美しくて、可愛くて、天使のような人だと思った。実際、すぐにキミはみんなから天使と呼ばれるようになる。だから、勘違いしたんだ。重なる想いの中で、違和感が降り積もっていた」


 藍は自嘲するように微笑む。


「僕が出会った本当の運命は、そんなキミじゃない。優しい瞳の奥深くには、いつも暗い何かが燃えていた。刃のように鋭利な心が揺れていた。誰もを拒絶するようなそれは人を怖がる弱さの裏返しであり、でも、それはやっぱりキミの強さだ。幾重にも重ねた仮面の裏で、決してブレない強くて弱いキミがいる」


「そ、それは……」


 琥珀は混乱し、後ずさる。


「安心していいよ。僕が気づいたのは、たまたま。変わろうと決意した僕らがちょっとだけ似ていたからだ」


 だからそう簡単にその仮面の裏は見えない、と藍は優しげに笑みを浮かべる。


 不思議な気分だった。


 俺ではない、たった数日の恋人関係だった人間が、俺以上に俺の幼馴染のことを理解しようとしている。


「僕は、そんな本当のキミを見て、見つめ直して、気づいたんだ。僕の本当のキモチ。僕がキミに求めていた、本当の関係……」


 ああ、これでいいのかもしれない。


 藍になら、任せていいのではないだろうか。


 こんなふうに、一度も本心に触れずともあの気まぐれ猫のことを分かってやれるんだ。


 藍に任せておけば、きっと琥珀の願いは果たされる。


「猫村さん」

「は、はい」


 藍に呼ばれて、琥珀は背筋をピンと伸ばす。


 そして藍はというと、腰を曲げるとそのまま膝まで折り畳み、地べたに座り込む。


 ……え?


「猫村さん、いえ……ご主人様」


 藍は地面へ頭を擦り付け、土下座の態勢を取る。


 そして……


「僕を、あなたのペットにしてください!!」


 心のままに、勇ましく叫んだ。



 ・


 ・


 ・


 

 数秒の沈黙。


「「は…………?」」


 俺と琥珀の口から、素直な呟きが漏れる。


 慌てて口を塞ぐが、琥珀と重なったこともあり2人の耳には届かなかったらしい。


 安堵して、突如明後日の方向へ飛び去ってしまった会話の行く末を見守る。


 スーッと、琥珀の瞳が死んでゆくのがわかった。


 まるで汚物を見るような目に。


「ああ!? それ! その瞳です! もっと! もっと僕を蔑むように見つめてください!! その鋭く燃ゆる瞳で貫かれたうぃぃひぃぃぃぃ!!?!?」


「なに…………キモ……」


「あふぅん!? あ、ありがとうございしゅぅぅぅ!」


 のたうち回るように悶える藍。


 そこにはもう、覚悟を決めた漢の姿はない。ただの、拗らせた変態だ。


 俺、もう帰っていいかな……。


 しかし色んな意味で身体が動かなかった。


 ごめんなさい立花先輩。

 こんなことになるとは思わなかったんです。まさか、あんなに初々しく初恋を語っていた少年が実はドMの変態だなんて思わないじゃないですか。

 しかし俺は変態の心を後押ししてしまったようです。あなたの弟に変態への一歩を踏み込ませてしまいました。


 でも、俺はやっぱりこう叫びたい。

 お、俺は悪くねえよ!?


「そうだ! ぼ、僕を踏んでください! その御御足でぐりぐりとぉ!!」

「え……」


 思いがけない提案に、恐怖で身じろぐ琥珀。


「さぁ! さぁはやく! さぁさぁ! 遠慮はいりません! さぁさぁさぁ!」

「う、うん……」


 急かす藍に抗えず、琥珀は一歩近づく。

 そして、ゲシッ、と琥珀が藍の身体に小さな足を置いた。


「もっと強く、お願いします!」

「こ、こう……?」

「はい! もっと、もっともっと! ぺしゃんこにするつもりで!」


 琥珀がさらにチカラを込める。


「あひいいいいん!? そうでしゅ!? グボホッ!? ブッ!? きもちいいいいい!?」


「なにこいつ……ほんとキモ……キモちわるい……」


「ありがとうございますぅぅ!!」


「(ぐりぐり。ぐりぐり)」


 何度もイキ果てる藍。


 そんな藍を追撃するように、琥珀は自ら脚を押し付ける。


 その表情に、かすかな高揚が浮かぶのが見てとれた。頬が上気し、艶かしい笑みを貼り付け、息遣いは荒くなっていく。


「ほら……これがいいんでしょ……?」

「あひぃ!?」

「もっと、鳴いて……!」

「ああ、やっぱりあなたこそ、僕のご主人様ぁぁぁぁぁぁぁ!!?!?」


 藍の恍惚に満ちた悲鳴が体育館裏に響く。

 まさか楽しいパーティーの裏でこんな狂気の沙汰が行われているなんて誰が想像するだろう。


「(うぅ…………)」


 寒気がした。


 幼馴染の中の、サドな部分が開花していく。


 2人の一年生の輝かしい進化を、俺は見させられていた。


 

「はぁ……はぁ……もう、オワリ。もう疲れた」


 しばらくすると、琥珀はまるで玩具を捨てるように、脚を収める。


「あ、ありがとうごじゃいましたぁ……」


 藍は仰向けに横たわり、まるで犬のように服従のポーズをする。


「こ、これからもよろしくお願いしましゅぅ……」


「え゛…………」


 琥珀は嫌悪を一ミリも隠さない声を漏らす。


 が、やがて考えを改めたようにほんのりと笑みを見せた。


「わかった。ワタシが立花くん————ワンちゃんの飼い主になってあげる」


 クセになっちゃったんですかね。


 琥珀の表情はなんとなく、楽しそうだ。


「とりあえず疲れたから飲み物貰ってきて」

「は、はいぃぃ!!」


 すぐさま藍は立ち上がり、体育館の方へと消えていく。


 ペットというよりは、召使いとして便利に使う気満々らしい。


「で、そこのもう一匹のワンちゃん…………駄犬? も、踏まれたいの?」


「俺は犬じゃねえよ!?」


 つーか気づいてたのかよ!?

 気づいててあんな狂気を見せたの!?


 俺は茂みから姿を現す。


「やっぱりいた」

「やっぱり、じゃねえよ……」

「覗きはスズメの得意技」

「ちげえよ!? 昨日もしなかったでしょ!?」

「でもしようとはしてた。ヘンタイ」

「あ、はい。すみません」


 否定はしない。

 覗き穴がない銭湯なんてクソだ。燃やしてやる。


「なぁ」

「なに」

「良かったのか? あれで」

「イイ。というか、あっちが全部壊した」

「それな」


 琥珀ちゃん悪くないね!


「……反省、してる」

「え?」

「あの子のこと。結局、色々な思い違いとか、あったみたいだけど、ワタシが恋人関係を続けられなかったことに変わりはない。ワタシは逃げた。ワタシの軽率な行動で、傷つけた」

「だな」


 まぁ、今の藍にとってはそれさえご褒美なのかもしれないが。


「あとで謝る」

「そうしろ」

「うん」


 頭を撫でると、琥珀は珍しく素直に、チカラを抜くようにして微笑んだ。


 俺からすれば琥珀の方がペットなんだけどなぁ……解釈違いですよ藍さん。戦争かな?


 俺はドMじゃないから蔑む視線など効かないのです。

 蹴られたってちょっとしか気持ちよくなかったもんね!


「でも、今回のことで分かったこともある」

「なんだ?」

「それは……言葉にし辛い」

「そか」


 口下手さんには厳しいらしい。


「……本当のワタシは、どれなんだろ」

「あん?」

「たまに分からなくなる。生徒会にいるのはすごく楽。でも、クラスでの自分が楽しくないわけでも……ない……かも」


 ポツポツと心情を吐露するように言葉を編む琥珀。


 そんな幼馴染を見て、俺は撫でるチカラを強めた。


「いいんじゃないか、それで。藍が言ってたろ。どこまでいってもオマエの芯はブレない。そのまま、オマエが生きやすいように変わればいい」


「うん」


「そうして、オマエは……」


 自分だけのソレを見つければいい。


 世に生きる人間はみんなしていること。

 仮面を被り、キャラを作り、グループに混じって、自分の住み良い場所を探す。


 そして、


「ワタシは……幸せになる。ならなきゃ、いけない……」

「おう」


 ワタシは、幸せになりたいの。


 春休みに聞いたその言葉が、俺を、琥珀を突き動かす。


「それが、死んだおばあちゃんの願いだから————」


 それは孤独を選んで生きてきた少女が、世界で一番大切な人のために綴る、優しい物語だった。

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