その棺、その仮面

鎖月リズ

その棺、その仮面

そのひつぎは初めからそこにある。

その場に当たり前のように、しかし突然現れる。

その棺は無くてもその場に存在する。

その棺は死に行く人ほど知覚することができるようになる。しかし死の直前までは存在を確認できない。しかし棺は死の直前でなくとも認識できる。


その棺はこの世の狭間に存在する。

その棺は己の目の前に存在する。


その棺は常に開いているが、こちらが干渉しようとしなければ永久に開くことは無い。


常に己の中に棺は存在し、己の外にしか存在しない。

何時でも入ることができるが、入るためには許可が必要だ。


そしてその棺には管理人が存在するが、その棺を知っているのは自分だけだ。


そして毎日誰かが入り、誰かが出ていく――――







――――――物が散乱している部屋で何かが動く。人だ。

真っ暗な部屋の中で男は目が覚めた。

男は目が覚めた瞬間に反射的に周りを見回した。


この部屋は男の部屋だ。何もおかしな所など無いはずだが、男は強烈な違和感を感じた。

いつもの部屋とは空気が違う。雰囲気が違う。

自分の部屋なら感じて当然の居心地の良さが欠片も感じなかった。

脳がこの場から即座に離れろと信号を送るが、体はいつも部屋に居る時と同じようにリラックスしきっていて、脳の命令に従わない。


ふと目の前を見ると扉があった。部屋から廊下に続く扉だ。直感的に体は扉を開けようとして、動こうとしたが、今度は逆に脳がそれを拒む。


後ろに気配を感じたので後ろを振り向くと、磔にされた人間の意匠を施された、全長2メートル程の大きな棺があった。

棺が開き、中から目元を仮面のようなもので隠したスーツ姿の男が現れた。


その仮面の男は一言も発さずに棺の横に佇む。

男もまた言葉を発さずに棺を凝視する。


幾分かの時間が流れ、男は棺に手を伸ばす。

棺に手が触れると棺はひとりでにゆっくりと開く。


棺の中は何も入っていない。しかし確実に何かがいる。

ここで男の脳と体の動きが一致する。

恐怖を覚えるでもなく、興味を覚えるでもなく、ごく自然に、そこに入ることが当たり前のように棺の中に入った。


男が棺に入ると、それを待っていたかのように仮面の男が仮面を外し棺の中に入って来る。


やがて棺が閉じ、その部屋には動かなくなった男と仮面の男が外した仮面だけが残されていた――――




――――――夜の街でか細い女が歩いている。

酒に酔っているのかフラフラと足元が覚束無い。

休憩がてら水を買うためにコンビニへと入る。


途端女の酔いは覚める。


店内の冷房が効きすぎていたか、否。

店の店員が酔いが覚める程に顔が良かったか、否。


店内に人など居らず、店の一角から異質な雰囲気を放つ何かがあったからだ。

女は異質な雰囲気に対して背筋が凍りつくような寒気と多大な恐怖心、そして僅かな好奇心を覚えた。


女はほんの僅かな好奇心のままに異質な雰囲気の元へ向かっていく。


その異質な雰囲気放っていたのはアイアン・メイデンを模した両開きの棺であった。


好奇心が突き動かすままに女は棺に触れる。

触れた途端に棺が勢いよく開き、女を中へと引きずり込む。


数分後、棺がゆっくりと開き、中から仮面をつけた見知らぬ女が現れる。

棺の中には誰も居らず、しかし誰かがいるような気配を感じる。


仮面をつけた女は引きずり込まれた女と寸分違わぬ体つき、顔つきだが、しかし別人だと断言出来る「何か」があった。


女が仮面を外し、コンビニを出る。

女が去ると店員が慌てて店内へと駆け込んでくる。

いつものように客が入ってくる。

棺は嘘のように消え、コンビニの入口に女が着けていた仮面がただ捨ててあるだけだった――――――




――――――ポーン……とピアノの「シ」の音が締め切られた部屋の中に響く。

部屋いっぱいにばらまかれた楽譜の数々。

それは「それ」が今まで作曲し、演奏してきた曲たちだ。

しかし「それ」は1度演奏した楽譜は破り捨て、踏みにじり、二度と演奏しない。

ただ独り、暗い、暗い、月の光すら入らない部屋で永遠に、同じように、繰り返すように一定のペースで「シ」のキーだけを鳴らし続ける。


ふと「それ」は立ち上がり、突然に現れた、しかし初めからそこにあった「楽器」を模した棺に向かって歩き出す。

どこから拾ったのか仮面を手に取り、顔にあてがう。

すると棺はゆっくりと開き、中から「何か」が空気に滲むようにジワり…ジワり…とゆっくりと現れる。


それはやがて仮面をつけた「それ」を飲み込み、己の内へと取り込む。

ゆっくりと、味わうように、少しづつ存在を喰らっていく。


「それ」が完全に取り込まれた後に「何か」はゆっくりと棺の中へと戻っていく。

すぐに棺は開き、仮面も何もつけていない「人」が何事も無かったかのように部屋に現れ、散らかっている楽譜を片付け始める。


全て片付け終わると、楽譜の中から1曲分を取り出し、ピアノに向かいゆったりと弾き、歌い始める。


―――この世の狭間にそれはある。

昔に、未来に、現在に。

誰にもわからぬ、その棺。

しかしてそれはここにある。

己の心のさらに奥。

気付けば後ろにそれはある。

同時に入ればこの世を去り、

入れ替われば他の何か、

元に戻るには化け物へ。


この世の狭間にそれはある。

棺を恐れず、受け入れよ。

なぜならそれはお前自身。

何があろうと逃げられぬ。

天国へ、冥府へ、あの世まで。

永遠とわに付き添い受け入れよ―――


弾き終わると「人」は楽譜を破り、しかし丁寧に鞄にしまって部屋を出た――――――




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