命で廻る街

黄舟屋

1-1 少女ホダカの日常

 顔をザラザラとした感触とピリピリとした痛みがなぞる。

 舌でなめられると同時に軽い静電気が発生しているような感触だ。

 不思議な感触に顔を攻められながら、十七歳のホダカは目を覚ます。

 ホダカの趣味に合わせて薄い水色に張り替えた天井と、好きなアーティストのステッカーで装飾された蒸気ダクトと見慣れた景色が視界に入る。


「いい加減顔を舐めるのやめろよチョロ…」


 電子ペットのチョロが私の顔を舐め続ける。じゃれてくれるのはかわいいけど、寝起きに軽い静電気はきつい。

 夏用のシートに身を包んだホダカが身を捩るが、一向に舐めるのをやめてくれない。

 仕方なく上半身だけ起こして顔を舐められない様にチョロを自身の上からベッドの下に降ろす。

 床に散らかった下着の上にチョロが着地する。どうせ翌日には着るからと、収納ケースに仕舞っていない結果の部屋模様だ。

 床からベッドの上の主人をチョロが眺めてくる。

 寸胴体系で体色は黄色と紫、リスのようなしっぽを振りながら主人の起床を喜ぶ姿はかわいらしい。


 十年前に両親が亡くなってから、歳の離れた兄からプレゼントされた電子ペットのチョロ。電子ペットに老いは無いので見た目も動きも十年前から変わらない。

 今一緒に過ごしている大事な家族だ。

 時間を見れば七時を過ぎたあたり、そろそろ準備をしなければ学校に遅刻をしてしまう。

 ベッドから勢いをつけて出て、ガンガンに効いた冷房を浴びながら、セーラー服に着替える。学校指定の制服は無く、自由な恰好で登校しても良いのだが、今読んでいる漫画の影響だ。夏はセーラー服という頭になっている。

 同級生のリョウギからは非常に評判が良いが、レイからは古臭いと評判は悪かった。


 実登校を一切せずに万年パジャマ女にファッションについてどうこう言われたくないんだけどね。


 洗面台に向かい顔を洗い、ショートカットの髪を整える。

 毎日見ているいつもの自分だ。これで良し!

リュックサックを背負い、蒸気スクーターのキーとハーフヘルメットを取り、

「行ってくるね、チョロ」

 ホダカはいつものように家を出た。もちろん戸締りは忘れない。

 

 今日も忙しなく蒸気発電機が蒸気を吐き出し、街を霧で満たし、その霧を原料に電気を生み出し電気を生み出す永久機関。

十七年前に唐突に生まれた蒸気発電機とそれに合わせる形で生活圏に満ちた霧はそれまでの生活を一新し、文字通り世界を変えたという。

各家庭に一台発電機が設置され、街は不夜城へと姿を変えた。

 日の光を観るには都心部から離れて自然の多い地域に行かなければならないが、それ以上の恩恵を得ることが出来ていた。


 この蒸気はどういう訳か微量ながら電気のようなものを帯びているらしい。

 のようなもの、と言うのは正確には電気ではない未知のものだった。

 この電気のようなものを蒸気発電機は霧から抽出し、蒸気のみを輩出する。

 この蒸気が改めて電気のようなものを帯び、永久にエネルギーが循環する仕組みだ。

 この霧は街にしかなぜか発生しなかったため、自然と各地の人々がこの街に集まることになった。人口の増加に伴い街は複雑に入り組んだ形となり、路地も細くなっていった。


 街の名前は“スゴロク”。ホダカが生まれ育った蒸気の霧に包まれた街だ。


 家から学校に行くには住んでいる学生集合住宅地域から商店街を抜け、施設街に向かう必要がある。

 ホダカはいつものように薄い黄色の蒸気スクーターで商店街を通り抜ける。霧が常に出ているのでヘッドライトは常時点灯している。


 朝の早い時間だ、開店準備を進める飲食店や商店の仕入れで大人たちが忙しなく働いている。

 まだ暑くなる前、スクーターで切る風は心地がいい。商店街を抜け施設街に繋がる路地に入る。大通りから外れた路地は、スクーターが横に並んで二台通れる程度の幅だった。

 当然大型の車両が通ることが出来ないが、学校への最短ルートはこの路だった。


狭く入り組んだ路地ではいつ人が出てくるかもわからない、速度を出す事は出来ないが十分な風が身体を冷やしていく。

 また、路地裏は狭い事もあって商店街よりも霧が濃い。濃霧と言うほどではないが、注意するに越したことは無い。

 いつもと変わらない景色、いつもと変わらない風。

 そのいつもが唐突に変わる。

 塞がれる景色、急な風と圧迫感。


「うわっ!」


 疑問よりも先に反射が勝った。突然目の前に何かが飛んできた。

 ブレーキをかけながら身体をスクーターごと大きく横に反らし躱す。転倒しなかったのは蒸気スクーターに姿勢補助システムのおかげだ。証拠に蒸気スクーターはこれまで聞いた事のない駆動音を響かせていた。


 ―――一体何が飛んできたんだ!


 事故にしろ故意にしろ、持ち主には何かしら請求してやる!

 完全に停止して背後の飛来物を確認した。


「え?」


 反射よりも疑問が勝った。

 そこには宙に浮いた蒸気発電機があった。そんな機能は蒸気発電機には備わっていない。


「いたっ」


 呆けているホダカのヘルメットに何かがコツンと当たった。一的には後頭部だ。まったく痛くはないが反射的に声を上げてしまう。

 背後から飛来した何かはそのままホダカの視界に入る。

 それは幼児向けの電気駆動するおもちゃだった。発電機同様、宙に浮いている。

 一拍を置いて、発電機とおもちゃはホダカに向かって飛んできた。


「うわあああ!」


 スクーターの向きを正し、飛来する発電機とおもちゃから逃走する。


「どうなってんだ、これ、なんで発電機とおもちゃが浮いてんだよ!」


 逃走先に振り向いたと同時にホダカは次の光景に再度声を荒げた。


「なんで当たり前の様に浮いてるんだよ!お前ら!」


 振り向いた先には無数の物が浮いていたのだ。

 咄嗟の事でお前らと表現したが、浮いているのは同様に電気駆動のおもちゃや端末も浮いていた。


 発電機よりは危なくない!


 ホダカは出来るかぎり前傾姿勢を取り、ヘルメットとスクーターで身を隠した状態で、浮遊群に突撃した。

 視界はヘルメットとスクーターのハンドル部でかなり狭まり、腕に多少の痛みはあるものの、顔面に直撃を受けるよりかは何倍もマシだ。

 出せる限り速度を出して、路地裏を駆け抜ける。進んだ距離的と今の速度的にあと三十秒も進めば施設街の通りに出ることが出来る。

 だからと言ってこの事態が解決するかはわからない。だが、進む以外に道は無い。


 (でもこの速度で通りに飛び出たら、事故るかもしれないな。発電機で圧死から蒸気車両で圧死に代わるだけ!通りに出る前に止まる暇もないし、考えてる時間ももうない!)


「あーもうなるようになれぇ!」


 通りに出る直前にホダカはブレーキを強くかける。スクーターからは大きなブレーキ音を響かせながら減速する。タイミング的に通りに飛び出る事は確定している。

 さらに減速と同時に身体と車体を大きく傾ける。姿勢補助システムが稼働し先ほど以上の駆動音を響かせる。

 減速によって発電機との距離も当然縮まる。まさに発電機とホダカがぶつかろうかと言うその時、


「曲がれポンコツスクーター!」


 スクーターの傾きは転倒直前まで左に傾き、ホダカの左ひざが地面すれすれを駆け抜ける。ホダカの取った選択肢は、姿勢補助システムまかせで転倒を避けての角ギリギリのコーナーカーブだった。

 うまく行けば通りに車両がいても、その横っ面に沿ってギリギリをぶつからないだろうという賭けの選択だった。


 その選択は、功を奏した。

 発電機がぶつかる直前にスクーターは建物の角に姿を消し、発電機は必然建物に衝突した。

 背後からの大きな破砕音を聞きながら、ホダカは振り返ることなくスクーターを走らせその場を去った。


 心臓が暴発するのではないかと思うほど大きく鳴っている。曲がれたという安堵と直前まで死ぬ思いをしたことで頭の中は真っ白だ。

 いや、それ以上にホダカの心を占めていたのは昂揚感だった。

 未知への遭遇、未知の体験。デジタルからの受動的な刺激では味わえないリアルの衝撃。

 ホダカは、自然と笑みを浮かべていた。本人の気づかぬうちに。


 


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