エピローグ
朽縄凛音が学校に再び姿を見せるようになってから、今日で三日が経った。どうやら周囲の人間は、金森紫雨を別人が演じていたことには全く気づいていないようだ。私に対して奇異の目を向ける者は増えてしまったが、むしろ彼女から目を逸らすにはそれも好都合と言える。
「それにしても、いやはや、なんというか……こそばゆいですね、こういうのは」
「やめてよ、私まで恥ずかしくなるでしょ」
昼休み。私は紫雨と互いの机を向かい合わせにくっつけると、彼女の取り出した二つの弁当箱を見て唾を飲み込んだ。
「私の特技なんて、料理くらいだからさ。凛音の口に合うかは知らないけど」
「いえいえ、嬉しいですよ。いかにも友達っぽいじゃあないですか」
紫雨の差し出した緑色の弁当箱を受け取り、蓋を取る。下の段がご飯で、上の段がおかずというふうに分かれているらしい。リクエスト通り、野菜少なめの肉弁当だ。
「では早速、いただきます」
「はい、どうぞ。……どう?」
「うん、美味しいですよ、私好みです。叶うなら毎日作ってほしいくらいです。流石にそこまでは要求しませんが」
「それは良かった。毎日は流石に私もしんどいけど」
そう言うと、紫雨も自分の赤い弁当箱を開けた。彼女の腕にはまだ包帯が残っているが、傷の具合から見て、来週にはもう取れていることだろう。私としては、健康な彼女の姿を見るのも密かな楽しみだった。
「ところで、紫雨さん」
「なに?」
「家族の様子はどうですか? 上手くいっているのなら良いのですが」
「ああ、うん……それなんだけど、凛音、皆になにをしたの?」
「……一応、紫雨さんの希望通り、手荒な真似は避けたのですが」
「あの日以来、家の皆が私に対してやたら腰が低くて、怖いんだけど……」
不安そうに問いかける紫雨の顔を見て、思わず私は苦笑する。この期に及んで家族の心配とは。
「毒を、仕込んでおいたんですよ。毎日の食事や風呂場のお湯にね。それも、ただの毒ではありません。ある一定量を越えて体内に蓄積すると、私の合図一つで体の自由を奪って傀儡に出来る、呪いを込めた毒です」
「ちょ、それって……」
「ああ、心配しないでください。紫雨さんが思っているようなことはしていません。私はただ、彼らの退魔師としての力を大幅に削り取っただけです。少なくとも、彼らが出来損ないと言って虐げていた貴女にも劣るくらいには、ね。代わりに、私の匂いが染み付いた彼らには、そこら辺の怪異は近づこうとしないでしょう。無謀にも退魔師として挑むと言うのであれば、話は別でしょうけれど」
本来ならば、こんな生易しい手段をとるつもりはなかった。「死んでいないし、傷ついてもない」という、紫雨との約束を守った上で最悪の結果を与えるつもりでいた。しかしそれでは、今以上に紫雨が退魔師としての役割を求められてしまいかねない。これは、私にとって妥協に妥協を重ねた回りくどい解決策だった。
「とまあそういうわけで、紫雨さんとの約束は破っていないつもりなのですが」
そう言って私は、紫雨の反応を窺う。これでも、私としては最善の策をとったつもりだ。これで満足してもらえなければ、どうしようもない。
しかし、そんな心配は杞憂だったようである。目を向けると紫雨の顔は穏やかで、少し疲れ気味ながらも柔らかな笑みが浮かんでいた。
「……そう。ありがとう、凛音」
「ああ、いえ、礼ならばこのお弁当で十分です。むしろ、こうして友達になってくれただけでも、私は幸せですから」
「恥ずかしいこと言わないでよ。……まあ、知っての通り私も友達少ないから、凛音が友だちになってくれるのは、その、嬉しいんだけど」
照れくさいことを言い合いながら、私と紫雨は顔を見合わせて苦笑する。奇妙な組み合わせに見えるのか、周囲の同級生がちらちらとこちらの様子を窺っているのが感じとれるが、気にするものか。他人の目を気にして自分を偽るのは疲れるのだ。それは、私も紫雨もよく分かっていることだった。ただでさえ私たちは、他人に対して隠しごとを抱えているのだから。
そういえば。私が擬態を解いた怪異としての姿を、まだ紫雨には見せていなかった。自分で言うのもおかしな話だが、朽縄凛音の姿に比べれば、いささか醜悪な姿である。また彼女を怖がらせてしまうだろうか。怯えられてしまうだろうか。いいや、きっと彼女は今と同じように接してくれるだろう。私が、真に彼女の友であるなら。
金森紫雨の弱さを私は知っている。それを覆い隠せる強さも、私は知っている。何もかもを暴いておきながら、私が怖がっていては仕方がない。
彼女にだけは、本当の私を見せよう。いずれ来るであろうその瞬間を内心恐れながら、私は、穏やかな紫雨の顔を見て満たされるのだった。
ただ君を救いたくて 桜居春香 @HarukaKJSH
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