毒蛇の愛

 未だ怯えた様子の金森紫雨に微笑みかけながら、私はベッドの端に腰を下ろした。

「そんなに怖がらなくても良いじゃあないですか。金森さんを傷つけるつもりは微塵もありませんよ」

「部屋から出られないように妙な呪いをかけておいて、どの口が……!」

「だって、そんな怪我で外に出られても困るでしょう。私が助けた直後なんて、全身ボロボロで身動きも取れなかったのに。そのくせ私の血を飲もうともしないですし」

「飲めるわけないだろ、怪異の血なんて! 本当に、何が目的なんだ……朽縄」

 傷だらけの体を自分で抱きながら、金森紫雨は虚勢を張るように威嚇の視線を私に向ける。それが無謀であることなど、彼女自身がよく分かっているだろうに。

 約一週間前の夜、もしも私が割って入らなければ、彼女は別の怪異に嬲り殺されていたはずなのだ。本当なら感謝の一つもしてほしいところだが、敵わないと分かっている相手に対して気丈に振る舞うその態度もいっそ愛おしい。

 私は金森紫雨の問いを一旦無視すると、彼女の姿を真似ていた擬態を解いて、朽縄凛音の姿で金森紫雨と向き合った。

「そう心配しないでください。金森さんが望んでいる通り、私は誰にも危害を加えていませんよ。殺してやりたい人間はいくらでも居ますけどね、本当に殺してしまったら金森さんは悲しむでしょう? 本当に、どうしようもない。実の娘が怪異に成り変わられていても気づかない、薄情な家族すらも守りたがるなんて。金森さん、貴方は本当に強い人だ。嗚呼、本当に、化けの皮を剥がしたくなる」

「な、何を言って──」

「下手くそな嘘を続けるのはやめにしようと言っているんです、金森さん。私を心の底から恐れているのなら、命乞いでもなんでもすれば良いんですよ。ここには貴方の弱さを咎める家族も、貴方を恐れる同級生も居ません。いつまでを続けるつもりですか。貴方がそう振る舞うことを望んでいるのは、貴方自身ではないでしょう」

「っ……!」

「分かっていますよ。金森さんが本当に怖がっているのは私じゃあない。私が金森家の退魔師に敗れ、貴方が家に連れ戻され、その後に受ける折檻を恐れている。怪異に敗れ、怪異に付け込まれる隙を与え、刺し違える覚悟もなかったと咎められることを恐れている。本当は、どれだけ挑発しても私が貴方を傷つけることはないこと、理解しているのでしょう? まあ、それは確かにその通りなんですけれど」

 私の指摘を受けて、金森紫雨は言葉を失ったようだった。口をぱくぱくと動かしているが、声は一切出ていない。図星なのだろう。正直、金森紫雨に化けて金森家の人間と関わった今となっては、彼女の気持ちを分からんではない。あの一族は異常だ。退魔師として戦えるか否か、その基準でしか家族の価値をはかれない人間の集団で、金森紫雨はあまりにも「普通」すぎる。

「金森さん、私が貴方を気に入っているというのは、嘘偽りのない本心です。友達になりたいとも思っています。だからこそ、私は金森さんを苦しめるものを許せない」

「く、朽縄……やめろ、やめて……こ、来ないで……」

「貴方がこんなに傷ついて、苦しんで、耐え続けても、貴方を守ってくれる人なんてどこにも居ないじゃないですか。本ッ当に……救いがたい奴らばかり。でも、私なら金森さんを救えます。ただ一言、貴方の口で『助けて』と言ってくれれば、私は貴方の望む通りに、誰も殺さず、誰も傷つけず、金森さんが求めるを与えることが出来るんです。ねえ、金森さん。私に貴方を救わせてください」

「……ほ、本当に、そんなことが出来るのか? 本当に、私の家族を傷つけず?」

「ええ、出来ますとも。信じてください。私は、金森さんの味方です。貴方が悲しむようなことは、決してしません」

 これは私の本心だ。私は、強くて弱い金森紫雨という人間を愛している。この子に好かれたいと望んでいる。洗脳なんかでは意味がない、彼女の本心を問いたい。その為には、金森紫雨を悲しませるわけにはいかなかった。

「わ、私が悪いんだ……私がもっとちゃんとしていれば、父上を失望させることもなかった。家族の誰かが悪いわけじゃない。私が期待に応えられなかっただけ。私が弱いから怪異に負けて、生傷の絶えない理由をこじつける必要があった。だから朽縄、誰も悪くないんだ。私が悪いんだ。私が、助けを求める資格なんて……」

 金森紫雨のが解けた。強くあらねばならぬと自らに被せた彼女の仮面が砕け、本来の金森紫雨が──弱くて脆い、普通の少女が──私の前に現れる。

 そんな泣きっ面の彼女を抱き寄せて、私は精一杯優しい声色で語りかけた。

「弱いことの何が悪いと言うんです。弱いからこそ助けを求めるのは道理でしょう。私を信じてください。これでも私は、他人と交わした約束を破ったことは一度もないんです」

「そう簡単に、信じられるわけがないだろ……怪異が人を騙すなんてよくある話だ」

「それを言ったら、人を騙す人の方がよっぽど多いじゃあないですか」

「もし、もしも失敗したら……私はきっと、今まで以上に……」

「侮らないでください、私がそうはさせません」

「朽縄……どうしてお前は、私にそこまで」

「何度も言わせないでください。私にだって恥じらいの感情くらいあるんですよ」

「……本当に、お前は、私の為に?」

「ええ、その通りです。さあ、金森さん。一言、たった一言です、私に貴方の望みを聞かせてください」

「……朽縄、私を……助けて」

「……ええ、分かりました」

 金森紫雨は助けを求めた。呪いそのものである、私に願った。であれば、私がやるべきことは決まっている。

「さて、そろそろ戻らねば。帰りが遅いと、金森さんの父上は恐ろしいですからね」

 そう言って、私は金森紫雨からそっと離れると、ベッドから立ち上がって玄関へと向かった。背後の彼女は無言のまま、私の背中を見つめているようだ。

「……今夜中に、全て終わらせます。待っていてください」

 私が部屋を出たとき、空は雲一つなく星を輝かせていた。

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