朽縄凛音
私が『朽縄凛音』として生き始めたのは、今から三年前のこと。いじめを苦に自殺を図った当時中学生の朽縄凛音に対し、復讐の代行を果たす代わりに肉体を譲り渡すよう契約を持ちかけたのが始まりだった。
今でこそ私は私自身を『朽縄凛音』だと認識しているが、それ以前、私には名前と呼べるようなものがなかった。人が人を呪う為に生贄として殺された蛇と、その呪いを返す為に身代わりとして殺された蛇、それらの恨みが本来の呪いさえも飲み込んで生まれたのが私という怪異である。人を呪い殺す為に生まれ、人を呪い殺す為の力を持って生まれた私だが、しかし、私を生み出した薄汚い人間の欲望に比べれば、私が抱く願いなど可愛いものだ。
私は、ただ生きたかった。死にたくなかった。私を生み出した呪いに関わった者は一人残らず皆殺しにしたが、それで恨みを晴らせても、私が消えることはなかった。あとに残ったのは、蛇でも人間でもない怪異としてただそこに存在し続けるだけの、空虚な時間だけ。ただ生きることを願った私は、それを叶えてなお、孤独に耐えかね苦しむことになった。
そんな折に出会ったのが朽縄凛音という少女である。恨みを抱え、孤独に殺され、生きたいと願いながら自殺した彼女は、私と縁を結ぶのにこれ以上無い人間だった。
呪いにも満たない彼女の怨念を食い尽くし、その体を譲り受けた私は、生前の彼女を日常的に虐げていた七人の同級生を呪い殺すと、そのまま『朽縄凛音』として人間に紛れて生きることを選んだ。ほかの怪異と違い、私は積極的に人間に危害を加える理由がない。人間に擬態して生活を送るのはさほど難しいことではなかったし、それまで孤独に苛まれていた私にとって、人間を装い生活を送る日々は、退屈とは無縁の楽しい時間だった。
もっとも、高校の入学式で金森紫雨と出会ったときは、肝が冷える思いだったが。
何を隠そう、私が生まれるきっかけとなった呪いと呪い返しのうち、呪い返しを行ったのは金森の退魔師なのだ。以前呪殺を企てたときにも、最も抵抗が激しく苦戦した相手なので記憶には強く残っていた。もしも私が怪異であると見抜かれたなら、たとえ金森紫雨を返り討ちにできたとしても、私が『朽縄凛音』として生きる日々は終わってしまう。それだけは、なんとしても避けなくてはならなかった。
しかし、金森紫雨を警戒し、観察していくうちに、彼女に対する認識は徐々に変化していった。
退魔師の家系に生まれたとは思えぬほど退魔の力は未熟で、怪異退治の任務は失敗続き。一族の宿命とやらに囚われた家族からの扱いは悲惨極まりなく、金森家と警察に繋がりさえなければ、然るべき機関が乗り込んでくるであろう有様だった。その上、日常的に怪異と戦っている彼女の体はいつも傷だらけだ。退魔師という立場を隠さねばならない以上、不良生徒といういわれなき悪評も受け入れざるを得ない。
金森紫雨は、ずっと自分ではない何かを演じ続けていたのだ。家では「退魔師」、学校では「不良生徒」、そこに彼女本来の姿はない。周囲に望まれるがまま、擬態を繰り返しているに過ぎない。彼女が一人で居るとき、他人の目に触れぬ場所で、彼女が何を思い、何を願っているのか。私以外に、知る者が居るだろうか。
「普通の人間になりたい」
そう呟いて啜り泣く彼女を見たとき、私は、初めて愛というものを理解した。
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