金森家
家に帰るのは酷く億劫だった。今まで生きてきて、金森の家ほど居心地の悪い場所を私は知らない。嫌な思いをするばかりだが、しかし、私の目的を果たす為にはそれも辛抱せねばならないことなのだ。
「ただいま」
私の言葉に返事はない。これも日常茶飯事だ。今更驚いたり戸惑ったりはしない。
広い家の隅にある自室へと戻り、学校を出てからずっと持ち歩いていた通学カバンを下ろすと、途端に肩が軽くなった。しかし、現状は未だ肩の荷が下りると言うには程遠い。
「協力を求めて応えてくれるような人が居れば苦労はしないんだけどね……本当に、どうしようもない大人ばかりだ」
愚痴を零すようにそう呟くと私は、服を着替えぬままに部屋から出て、ついさっき帰ってきたばかりの玄関へ引き返した。
「どこへ行く気だ、紫雨」
背後からの声。振り返らなくても分かる。先程も聞いたばかりの、冷たい声だ。
「野暮用です。すぐに戻ります」
「そう言って、ここ何日か毎日のように外出しているだろう。お前のように不出来な娘が、そうやって遊び歩いて許されるとでも思っているのか」
「父上、私は遊びに出かけるわけではありません。学業に関わる用事です」
「ふん、学校の成績も中の下でしかないくせに偉そうな口をきくものだな。退魔師としても未熟、学業もろくな成果を出せず、本当にお前は何が出来るんだ」
「……行ってきます」
言い返したい気持ちを必死に抑え、私は再び家を出た。本当に、本当に、憎たらしくて堪らない。それでも、怒りに任せてどうにかなる相手ではないのだ。
湧き上がる怒りを鎮めるように、私は夜空の下を歩み出す。目的地は既に決まっていた。今あの子が居る、朽縄凛音の家である。
「もう少し、もう少しなんだ……あの子は、私一人の手で救ってみせる……」
どれだけ優秀な退魔師だろうが、あんな人間に彼女を任せられるはずがない。もし仮にこれが私の身を危険に晒す判断だとしても、私は決して、自分を曲げるつもりはなかった。あの子は、私にとって特別なのだ。学校で言葉を交わした回数こそ乏しいが、少なくとも私にとっては、誰にも傷つけさせたくない大切な人間なのだから。
家を出てから十数分。古びたアパートの前で足を止め、私は201号室の窓に目を向けた。部屋の前まで歩みを進めてみるが、以前様子を見に来てから変化があったようには見えない。彼女は変わらず、この部屋に留まって外に出ていないようだ。
だから私は、ひとまず安心して201号室の扉を開けた。
「こんばんは、金森さん。体の調子はどうですか」
「……私をいつまで閉じ込めておくつもりなんだ、朽縄」
狭い部屋にどしりと置かれたベッドの上、全身包帯だらけの金森紫雨が、私を睨みながらそう言った。
「いつまで……いつまででしょう。少なくとも、近いうちに解放するつもりですよ。そうでないと、私が進級出来なくなってしまいますから」
「分からないんだよ、お前の目的が。どうして退魔師である私を助けた? どうして私の振りをして学校に行くんだ? どうして……私の代わりに、怪異を殺しているんだ。分からない。私には、お前のことが分からないんだよ」
「簡単な話ですよ。私は金森さんを気に入っていて、金森さんが辛い思いをするのが嫌なだけ。それだけ、それだけですよ。願わくは、金森さんも私を気に入ってくれると嬉しいのですが」
私がそう言って微笑むと、金森紫雨は顔を引きつらせ、まるで恐ろしい怪異と対峙したときのように身を震わせてしまった。嗚呼、本当に──本当に、なんて、可愛い人なのだろう。
思わず舌舐めずりをしている自分に気づき、私は改めて笑みを浮かべた。そんなに怖がらないで。私は──少なくとも金森家の人間とは違って──金森紫雨の味方だ。
金森紫雨は、相変わらず私を睨みつけていた。
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